アリスのお茶会

馬鹿

 それは、オレとリナが一緒に旅をするようになって何年目だっただろうか。
 数ヶ月の間も置かないでいろんな大事に巻き込まれ、あっちだこっちだと走り回っていたから大して長くは感じなかった。だいたい、初めて会ったのはいつだったかもよく覚えていない。リナのそばにいて、リナに付き合うことが当たり前のような気がしているが、たぶんずっと前にはそうじゃなかったはずだ。
 オレはリナに会う前にもたくさんのやつらに会ったし、たくさんの事件に巻き込まれた。最初の厄介ごとに振り回された時には今ほど剣の扱いに慣れていなかった気がするから、オレの腕がみがかれるだけの事件や時間があったのだろう。
 だが、そんな長かったはずの時間もうまく思い出せないくらい、オレはずっとリナのとなりにいる。
 あんまり長い時間が過ぎたもんで、時々オレはリナが知らない人間のような気がして面食らう。出会った頃はいくつだと言っていたのか、とにかく子供だったことは確かだから、成長して姿もずいぶん変わった。オレは、オレが出会ったはずの女の子を見失って面食らう。
 たまに振り返ってみるとやたらに長い、その年月。
 やたらに自信満々でこまっしゃくれたガキは、いつの間にか姿勢のいい女になっていたらしい。
 小さな背をぴしりと伸ばしたリナが、オレの目の前に立っていた。
 オレはリナが渡してくれたこの辺りの地図をためつすがめつながめているところだった。人の話と持ち前の勘に頼って旅をしていたオレは、リナと旅するようになってから初めて地図を見ることを覚えた。覚えた、と言っても実際に地図を見て進むのはオレの仕事じゃないから、いまだによく分かっていない。それでこうして休憩の時にがんばって慣れようとしているわけだが、やはり大して分からない。
 何年もの月日は、人間が変われるほど長い。けれど、やはり根っこからは変われない程度の長さだった。
 そこらを散策してくる、と妙にそわそわした様子で歩き去ったリナは、戻ってきた時にはいつもどおり落ち着いていた。しかし、何やら唇をしっかりと噛んでいる。その仕草は子供っぽくて、昔の小さなリナを思い出させる。
 とどのつまりが、そこにいたのはオレがずっと付き合ってきたリナに違いなくて、それでいてどこかが大人びて見えたということだった。
 リナの噛んでいた唇がゆっくりとほどかれた。
「あのさ、あたしあんたが好きなの」
 こぼれてきたのは、そんな言葉だった。
 唐突な奴だなぁと思ったが、どうやら真剣なようなのでオレはちゃんと受け答えをした。
「おう、オレも好きだぞ」
「……は?」
「なんだよ、オレに言ったんじゃなかったのか?」
 オレとリナの他に人の気配はない。
 街道脇の川辺である。あまり人気のない通りなのか、人影はなくて少し背の高いのは木ばかりだ。川の中に魚ならたくさんいるが、それほど魚好きだと聞いたことはない。金もないし、盗賊もいない。太陽ばかりがぽかぽかと明るい、のんびりとした午後である。
 きょろきょろと辺りを見回してみたが、リナの好きそうなものは何も見つからなかった。
 何だよやっぱりオレのことだろう、と言おうとして身の危険を感じた。
「……あ、あんたのことに決まってるでしょ……。他に誰がいるってーのよ。あたしはそこらの虫さんやお魚さんにいきなり告白するほど間抜けなのか」
 リナのこめかみが小刻みに引きつっている。キレて暴れだす寸前である。こうなったら、できるだけ逆らわないほうがいいとオレは学んでいた。
「いや、オレが悪かった。そんなわけない、よな?」
「そんなわけないわよ。まったく」
 ふくれっつらが、やがてこぼれだすような苦笑いに変わる。
 リナは疲れたようにしゃがみこみ、あきれた声で笑った。
「……まったく、馬鹿ねぇ」



 女の子が女に変わるほどの時間、オレはリナをそばから見ていた。
 どうやらいろいろなことが変わったようだが、変わらないこともある。
 彼女のすねたようなため息を見ている。
 照れくさそうに口元を動かすのを見ている。
 ずいぶん下の方から見上げてくる目線を見ている。
 太陽の光みたいにリミッターもなくふりまく笑顔を見ている。
 赤く毅い瞳を見ている。
 きっぱり結ばれた口元を見ている。
 落ち着いた息に合わせて上下する肩を見ている。
 大地を踏みしめる足を見ている。
 体中に張り巡らされた緊張を見ている。
 彼女の生を見ている。



 リナは、オレのとなりに腰を落ち着けてさっきからぶつぶつと文句を言っている。
 初めから不機嫌だったのか、それともオレのせいで不機嫌になったのかはよく分からない。どっちにしろ今機嫌が悪いのだけは確かだ。こうなったら、リナの気分しだいで1発2発殴られるのは覚悟しなけりゃならない。我ながら、そんなことを覚悟してまでよく付き合っていると思う。
 そんなオレのあきらめきった気持ちも知らず、リナは唇をとがらせている。
 いい天気だっていうのに、空も川も森も、見ちゃいない。
 もっとも、オレだって見るふりをしながら実はリナの機嫌をうかがっているだけかもしれない。
「あんたさぁ、それでも昔はもうちょっと頭使ってたわよね」
「そうだっけ?」
「そーよ。あたしと会った時だって、いい女だと勘違いしていいとこ見せようとしたんでしょ? まぁあながち勘違いじゃなかったわけだけど……」
「そうかぁ? ……いや、なんでもない」
「事実はとにかく、それって立派な戦術だわ。ガウリイとは思えない技巧派ぶりじゃないの」
 技巧というには単純すぎる気がしたが、確かに最近そのくらいのことも考えたことがなかったのは確かだった。
「ふーん。そんなことしたんだっけ、オレ」
「したの。覚えてるとは思ってなかったけど」
 リナはさっきから同じような昔話をあげては、ため息をついている。
 確かにリナは話好きだが、昔の話をするのは珍しい。オレみたいに忘れてるわけじゃないんだろうなぁとは思っていたが、ここまでよく覚えているとも思っていなかった。たぶん普段は単に、過ぎたことをあまり振り返らないようしているんだろう。
 リナの口から次々湧いてくる思い出話に、オレも一生懸命昔を思い出そうとする。
「昔はさぁ」
 と、まだ言う。
「あたしが『こーしよう!』とか言っても、『それは危険なんじゃないか?』とか『罠にはまるようなもんだろ』とかそれなりに自分の意見も言ってたのよね、あんた」
「ふーん」
「自分のことだろーが! ……まぁ今さら期待もしてないけど……」
「ああ、期待しない方がいいと思うぞ」
「――『命がいくつあっても足りない』、なんて常識かぶれなこと、ちゃんと言ってたのにさー……。実際、それって事実だと思うわよ。あたしだっていつ死ぬか分からないんだから……もちろん簡単に死ぬつもりはないけど、そういうことだってあるんだから、ホントに少しは自分の頭でも考えなさいよ。1人になった時どうなっても知らないからね。使わないとどんどん退化していくわよ。クラゲより退化したらどうするつもりなのよ、ホントに……馬鹿なんだから」



 本当に命がいくつあっても足りないのは、リナの方だとオレは思う。
 いつだって楽しそうに笑いながら危ない橋を渡っていく。
 頑丈で遠回りな橋しかなければ、1番短いルートに自分で縄をかけて綱渡りをするような奴だ。
 オレはたいていリナの後をついて歩いているだけだから、リナよりは危なくない。前線に出るのはオレだということを割り引いても、敵の連中は頭であるリナの方を狙ってくるし、魔族ぐるみで眼の敵にされているのもリナの方だ。
 だけどオレはリナを守りたいから、力の及ぶ限り体を張る。
 命を惜しんでリナを失うのはイヤだ、と思う。
 だからどこへでもついていく。
 止めても止まらないなら、どんな橋でも一緒に渡るしかない。
 昔は、何となく死にたくなかった。リナならこういう気持ちに上手いこと説明をつけるのかもしれないが、オレには何となくとしか言えない。何となく生きていたいと思い、何となく死にたくなかった。何となく楽しみたいと思い、何となくかっこよく見られたらいいなと思っていた。
 だけど、本当のところオレは心から死にたくないと思っていたんだろうか。
 何となく死にたくないが、どうせいつかは死ぬ。だったら、綺麗に死ねればそれでもいいと思っていなかっただろうか。あきらめているとも怠けているとも言えるような気持ちで、いなかっただろうか。
 いつだったか、幼い顔の女の子が言った。
 『戦うときは必ず、勝つつもりで戦うのよ!』
 言葉どおり、その女の子は戦い続けて勝ち続けた。
 体中で、刺激的なくらい生々しい生を求めていた。何となく生きるなんてことは彼女の人生に許されないようだった。
 彼女がオレの誇り。オレの守りたいもの。オレの見つけた、『絶対に死にたくない理由』。
 絶対に死なない予定だから、いくつもの命なんていらない。リナを守るためのこの命、1つあればいい。もちろん、リナが死んだ後のことなんか今から考えたりはしない。オレたちは、勝つつもりで戦うんだから。
 しかし、そうは言っても、リナにはぜひ命をいくつか持ってもらいたいもんである。
 それが保護者のわがままというやつだ。



 ひとしきり文句を言い終わると、リナはまた深いため息をついた。
 抱えた膝に額を押し付け、何かを言おうとして迷っている風だった。
 太陽は少し傾き、休憩が長引いていることを教えていた。
「――あのね!」
 顔を上げたリナはふくれっつらをしているように見えたが、おそらく照れていたんだと思う。
 その顔を見て、懐かしい、小さな女の子を思い出した。
 オレは記憶力が悪いから間違っているかもしれないけど、たぶん今頭に浮かんだのは出会った頃のリナだったと思う。小生意気でちびっちゃくて眼ばかりがらんらんと輝いている小さな女の子は、案外照れ屋でそれを隠すためによく大騒ぎをした。
 ずいぶん大人になったリナは、時々静かな声でしゃべるようになった。
「あたし、特別な意味で、特別にあんたが好きなのよ」
「ああ」
 オレはすごく懐かしい気持ちになっていた。リナが昔の話をたくさん聞かせてくれたからだろう。
 今と昔と全部のリナに、オレは自信を持ってうなずく。
「もちろん、オレもお前さんが特別に好きだぞ!」
「……あんたに理解させようとしたあたしが馬鹿だったわ」


 この件に関しては、分からないお前さんの方が馬鹿だと思うぞ、オレは。


END.

このページのトップへ

copyright 1999-2006 Nazuna Kohara All rights reserved.