アリスのお茶会

ピロートーク

 風のあたたかい夜だった。
 そんな記憶ばかり残っている。
 言葉のやりとりはひどくぼんやりとしか残っておらず、どんなきっかけでそういった話を始めたのかもあやふやだ。そこにいたるまでの会話も覚えていない。その日彼女をベッドに誘ったオレ自身の心の動きも。
 ただ、とぎれとぎれに覚えていること。
 たとえば風があたたかったこと。
 その風に当たって、汗に濡れたばかりのリナの肌が乾いていった、その冷たさ。
 そして、呟いたオレの言葉。
 ――それを聞いたリナの目の色。

 

「なんで、お前さんとこういうことをしてるんだろうなぁ」
 オレを振り向いたリナの目は、すでに冷めていた。
 火照ってこぼれだすほどの色気をまとわせていた身体は、彼女だけのものに戻り。先ほどまで潤んで快楽を伝えていた目の色は、すでにない。開けっ放しの窓から吹き込んだあたたかい風が彼女の肌を冷ましたのと同じように、彼女の目はすっかり冷えていた。
 誰にもすがり切ることはないリナの、行為の後のしぐさ。
 それは、隠し切れないけだるさと、狂った時間から抜け出した安心感で、やけにめんどくさそうな動きになっていた。そして、妙にオレをそそった。
「は? 忘れたとは言わせないわよ」
 オレのとなりに寝転がったまま、疲れた手つきで髪をかきあげる。眉と眉の間に危険なものをただよわせながら。
「いや、きっかけとかは覚えてるけどさ。ほら、何て言うか」
「あによ?」
「うーん……何て言うんだろうなぁ」
「馬鹿くらげ」
 一言で済ませて、リナはきれいな色の目を閉じる。ゆっくり聞いてやろうという気はないらしい。彼女は自分ひとりの眠りの世界に行ってしまおうとしていた。
 それが何となくくやしくて、惜しくて、オレは小さな口づけを贈る。
 リナはうっそりと目を開けて、頬をふくらませる。
「なんなのよー。寝かせてよー」
「いーだろ、聞いてくれよー」
「だから、話したいことがあるならさっさと話しなさいよ。何が疑問なのよ」
「リナとセックスしてること」
「……ごほん」
 リナはわざとらしく咳払いをした。どうやら照れている。
「そ、そういう単語ははっきり言わなくていいの。疑問の方を、はっきり言いなさいって」
「それが、疑問なんだって」
「どこが? 誘ったのはそっちでしょーが。言っとくけど、あんたこの期に及んであたしなんか抱く気なかったとか言ったら、即竜破斬だかんね」
「分かってるって」
 オレは苦笑する。いくらなんでもそんなチャレンジ精神あふれる冗談は言えない。
「何て言うんだろうなぁ、こういうの……何でなんだろうって……お前さんがめちゃめちゃ痛そうだったこととか……泣かせたこととか……やっぱり胸はけっこう小さいってこととか……」
「やかましい」
 至近距離から顔面に拳を食らう。
 それでもベッドから落ちるほどじゃなかったのは、一応手加減してくれたのか、単に力が入らないのか。
 そういったことが、妙に胸をちりちりと焦がす。
「んな言い方じゃ分からないわよ。つまり、何? あたしが子供だから罪悪感があるって?」
 オレは瞬いた。
「子供だから罪悪感がある……?」
「はーっ。だから、あたしに悪いことしてるような気がするんじゃないかってことよ。子供に無理させたような気がしてるんじゃないかってこと」
 ――そうかもしれない、と思った。
 リナの身体は小さい。こうして同じ枕に頭を預けていると、リナの足先はオレの膝くらいにある。それだけ考えると、女と寝ているというよりは、子供の添い寝をしているような感じがする。その相手が裸でいることに、先ほどまで確かに好き勝手をしていた身体であることに、オレは申し訳ないような気持ちになる。
 けれど、面白くなさそうにオレを見つめるリナの目は、強烈に光を放って魅惑的だった。間違っても子供だとあなどることなどできない。こちらの立場の方が弱いくらいだ。無意識の誘惑に引っかかって、なすすべもなく堕ちそうだった。
 ……そう、その目が。
「こら。あんたが体力あるのは知ってるけどね、あたしはかよわい女の子なんだから最初くらい手加減してよ」
 オレがリナの肩に口づけると、彼女は顔をしかめる。
「あのね。子供相手に、そういうこと、する?」
「しない」
「だったら」
「……リナが子供だと思ってたら、しないぞ」
「あそ……そういう結論に至ったわけ。いいけどね」
 リナのため息が、呆れとあきらめと、消極的な了承を含んでその場に落ちた。
 小さな手がオレの頬の線をなぞり、小さな唇が笑う。
 オレは、誘惑に、負ける。

 

 2人の間には、明らかな体格差がある。
 のしかかったら潰れてしまいそうなリナの身体。
 握りしめたら折れてしまいそうなその手首。
 男を誘うことなど知らなげな細い肢体。
 だからオレは壊さないよう、苦しめないよう、そっとふれる。大事に手のひらでなぞる。ゆっくりと舐めて、柔らかなキスを与えて、静かに素肌を味わう。そうしているつもりだ。
 なのに、いつの間にか乱暴に噛み付いているこの唇。
 どれほど気を付けても無理矢理に押し入る形になってしまう、交わり。彼女の身体は、オレにはたぶん小さすぎるのだ。
 滅多に見ることなどない、リナの涙。それが痛みのせいというよりむしろ生理的なものだと分かっていても、オレは胸を痛める。
 その痛みは、おそらくリナの言う通り罪悪感であり――半分は、痛むほどの欲情だった。

 

 リナは、まるでそのまま死に逝くように目を閉じた。
 オレは疲労にたゆたいながら、胸だけを脈打たせて彼女を見つめる。
「……何よ」
 視線を感じるのか、そう呟きリナはその目をオレに向けた。
 甘ったるく溶けてしまいはしない、強い強い彼女の目。
「まだぐだぐだ何か考えてるの? あー何か暑いわね。あんたの体温が高いのか」
「オレはあったかいってくらいだけどな」
「そりゃそうでしょ。あたしの方が体温低いんだから。暑いから放して」
「ああ」
 オレは彼女の背に回していた腕を解く。
 リナは特に距離を置くわけでもなく、そのままの位置で向かい合っていた。もっとも、離れようとしてもベッドが狭くて大した距離は取れない。
「ねぇ……後悔してるの?」
「まさか」
「そーよね。してたら何度も求めてきたりしないわよね。大体、こんな美少女を抱けたのに後悔するなんて信じられないし」
「おう。思ったよりよかったし」
「そーいうことははっきり言わなくていいって言ってるでしょ!」
 照れてわめくリナ。自分を美少女と豪語するのは恥ずかしくないが、こういったことで褒められるのはいたたまれないらしい。
「まったく……だったら辛気くさい顔しないでよ。不安に、なるわ」
「悪い。そういうつもりはないんだ」
「分かってるわ」
 リナはふと目を伏せると、そっとオレの胸に手を這わせた。
 すがるというには素っ気なすぎ、いたずらというには優しい。そして、誘惑には程遠いつたない動きだった。
「まぁ、確かに……あんたとこうしてるのは変な感じだけど」
「だろ?」
「でも、不思議じゃないわ」
「そうか」
「理由なんて、あたしたちが男と女だったからよ。いつこうなってもおかしくなかったと思うわ。どうごまかしても、あんたは男だし、あたしは女なんだから」
 オレはリナの肩を指でなぞる。細く、小さく、滑らかな肩。
「本能で生きてるかと思ったら……案外そうでもないのね?」
 どうなのだろう。
 オレには難しいことはよく分からない。
 ただ、この妙な感傷にもかかわらず彼女に欲情するオレは、たぶんやっぱり本能に動かされているのかもしれないと思う。彼女の言葉どおり、オレは男だから彼女を抱いたんだ。その涙を見ながら。小さな身体を知りながら。
「……あたしは、何も後悔してないから」
 かすかな呟きを置いて、リナは目を閉じた。
 目の色が、見えなくなる。
 疲れているのだろう、そう分かっていてもオレはまた口付けで彼女の目を開かせる。
「だーかーら。何なのよ」
「いや……何となく」
「まだ足りないわけ?」
「そういうわけじゃないんだが……」
「じゃあ寝かせて! 眠いの! 疲れたの! 分かった?」
 分かった、としぶしぶ答えれば、再び閉ざされる苛烈な目。
 ……その目が。
 その目が輝いていれば、それでいいと思ってたんだ。
 本当に。偽りなく。
 欲しいなんて思ってなかった。泣かせたいと、征服したいと思ったことなどなかった。
 この身を盾にして守っても、見返りなど求めてなかった。2人でいる時間が心地よく、彼女の笑顔があれば満足だった。欲していたのは、ごくごく小さなことだった。
 なのに、泣かせて、痛みを耐えさせて、満足している自分がいる。
「――お前が生きてれば、それでよかったのに」
 リナの目が開かれることはなかった。
 代わりに、小さな手がオレの手を探し出して柔らかく握る。
「あたしはわがままだから、それだけじゃヤダ」
 人はどんどん欲深くなっていく。

 一体、どこまで欲張りになるんだろう。
 彼女の輝きを守っていければそれだけでいいと思っていたはずのオレは、いつからか彼女の身体をひどく欲していた。そして、手に入れてもまだ足りずに痛みがうずく。彼女は、それすら受け入れてくれる。
 そして、今。
 あたたかい夜の風の中、オレはぬくもりに包まれて思っていた。
 永遠にこのままでいられればいい、とまで――。

END.

 趣味! 趣味! 趣味の話です!(笑)
 前回苦手系を頑張って書いたので、今回は得意系に走らせていただきました。やっぱりこういう悶々と考えてる話って楽しい…(笑)。
 これって、私が思う、2人がくっついた時のイメージなんです。
 被保護者に手を出した男の罪悪感(爆)。←でも幸せフィルター付き
 絶対、気にしないではいられないと思うんですけど、どうでしょう?

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