アリスのお茶会

腕相撲

 やんや、と周囲が沸く。
「うっ、くーっ」
 あたしは両腕の筋肉を総動員して、目の前の障害を指1本分でも動かしてやろうと試みる。しかし、びくともしない。本当に、岩か何かを相手にしてるんじゃないかと思うくらい動かないのだ、これが。
「ちょっとガウリイ! あんた何かズルしてない!?」
 あたしの相棒であり、現在は腕相撲の相手でもあるガウリイは、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「いーや、何も。それで全力か、リナ?」
「かーっむかつく! やっぱり指1本! 指1本にしなさいよっ!」
 獣脂の匂いたちこめる、とある町の薄暗い酒場でのことである。
 周囲には、金髪の美丈夫と細身の美少女(あたしだ)の腕相撲を観戦しに、客が層をなして集まっている。手に手にジョッキを持って集まってきた彼らは、賭けすら始めたようである。
 腕相撲と言っても、右腕対右腕の対等な勝負ではない。さすがにそれじゃ勝負になるわけがないので、当然ハンディキャップはもらっている。
 最初は、あたしが両腕でガウリイが片手、というものだったのだが……。
 それでもまったく歯が立たないので、1本また1本と指を減らしてもらい、今や両腕対指2本。それでもこの有様である。どーなってるのだ、こいつの筋肉は。
 ガウリイは、余裕の表情で笑った。
「オレは1本でも構わないぜ? 何なら、左腕の指1本にしようか?」
 からかうようにそんなことをのたまう。
「む、むぅ……」
 さすがに両腕対左腕の指1本なら勝てそうな気がするのだが、これだけ余裕で言われると自信がなくなる。そこまでしてもらって勝てなかったら、あまりにくやしい。
 しかし、ここでギブアップを宣言するのはさらにくやしかった。
「いーわよ、じゃあそうしてもらおうじゃないの! 負けたら、ここの食事代おごりだかんね!」
 そういう約束だったのである。
 この町にたどりついたのは、日も暮れかけた頃だった。宿に荷物を置き、食事どころを探して町をさまよい、この酒場に入った時にはとっぷりと暮れていた。いつも通りお互いの皿を取りあいながら料理を堪能した後、お酒を飲もうなんて話になったのは、なんとなく店がそんな雰囲気だったからだ。それで、ちょっとエールなど酌み交わしつつ昼間の戦闘についてしゃべっている時、あたしのパワーが圧倒的に不足していると指摘され、なんだかんだでいつの間にか勝負だなんて話になってしまった。
 もちろんあたしとしては、ハンディをもらってあっさり勝ち、食事をおごってもらって気分爽快、というつもりだったのだが……。ものすごく甘く見ていた。
 やられてもやられても懲りずにつっかかっていたら、そのうち他のお客たちも見物に集まってきて、それでこの騒ぎである。もう今さら退けない。
 しかし、無茶苦茶なハンデを言われたガウリイは満面の笑みで、
「よし、じゃあ左腕の指1本な」
 なんて言う。
 こ、こいつ……。
「お嬢ちゃん、そんな細腕でこの旦那に勝つなんてとてもムリだよ。あきらめた方がいいんじゃねぇか?」
 ギャラリーその1が酒に嗄れたダミ声で口を挟んできた。
 冗談ではない。あたしだって、こう見えても鍛えているのだ。もちろん、ガウリイには遠く及ばないが。
「やかましーっ! あたしは負けなんて認めないわよ!」
 周りを取りこんだギャラリーたちが、また一斉に沸いた。ムリだよ、とか、負けず嫌いだなぁ、とか口々に言い腐る。
「かーっもう! ムリじゃないわよ! 戦士にして魔道士たるこのあたしが、ハンデをもらってすら勝てないなんてことあるはずないでしょ!」
「戦士ぃ? お嬢ちゃんが?」
「そーよっ」
「ぶわぁっはっはっは! とてもそうは見えねぇなぁ!」
 汚い唾を飛ばして笑ったのは、土方仕事でもしているのだろうか、なかなかいいガタイをしたおっちゃんだった。ただし、身のこなしその他からして、戦いなどで鍛えたタイプではない。
 あたしは指を1本立てる。
「言っとくけど、おっちゃんになら勝てるわよ、あたし」
 ギャラリーはまた馬鹿笑いだ。
 むぅ。ほんとだっちゅーの。
「よぉし、そんじゃあ一丁相手してやろうじゃねぇか」
 あたしの倍は体積がありそうなおっちゃんが、向かいの席へ回る。うながされたガウリイが苦笑しながら立ち上がって、席を譲った。
 おっちゃんは椅子に座ると、柄は悪いが人のよさそうな笑みを浮かべる。
「怪我はさせねぇから、ま、安心しろよ」
「女の子に負けたってことは言いふらさないであげるから、ま、安心してよ」
「言うねぇ!」
 もう、酒場中が見に来てるのではないだろうか。みんなして大喜びである。
 ガウリイは、ギャラリーに混ざって腕を組む。あたしに比べれば倍以上も太い腕だが、今向かいに座っている一般人のおっちゃんと比べて、まぁいい勝負という程度。だがその筋肉の強度はと言えば、おそらく比べるのも馬鹿馬鹿しいほど段違いのものだろう。
 このあたしだって、程度は違えど同じことである。
 あたしの腕は確かに細いが、筋肉の質が違うのだ、質が。
 腕まくりなんぞしているおっちゃんに、あたしは指をぴこぴこと振って見せた。
「あたしが勝ったら、今晩のお酒はおっちゃんのおごりねっ」
「俺が勝ったら、お嬢ちゃんのおごりだぜ?」
「望むところよ」
「もちろん、そっちは両腕で構わないぜ」
「何言ってるのよ」
 あたしは肩をすくめてみせた。
「当然、イーブンよ」
 みんな、大笑い。おっちゃんも腹を抱えて笑った。
 ガウリイも笑っている。が、ガウリイの笑いだけは、ギャラリーのみなさんと違って苦笑に近かった。彼はあたしが勝つと思っているのだ。
「おいおい、負けず嫌いもそこまで行ったら立派なもんだな」
「本気で言ってるんだってば。いいから、かかってらっしゃい!」
「よし、負けても泣くなよ?」
 テーブルの上で、おっちゃんとがっちり手を組みあった。
 近くで見ていた兄ちゃんが進み出て、組んだ手の上に手のひらを置いた。
「レディー、ゴー!」
 腕にぐっと圧力がかかる。
 だが、ここで押し合ってはいけない。腕相撲の極意は先手必勝だし、あたしはいかんせん持久力に欠ける。押し合いになったら、負けてしまう可能性は高いだろう。一瞬で勝負を決める!
 正直、全然難しいことじゃなかった。
 あれだけ言ったのに、おっちゃんは油断していた。あたしは開始の合図と同時に手首を返して有利な形を作り、テーブルへ向かって一気に押し込んだ。さすがに瞬殺とはいかなかったが、腕はぐいぐいと傾き、それほど時間もかからずテーブルに付いた。
「おぉぉぉぉぉぉっ!?」
 ギャラリーがどよめく。
「勝負あった!」
 審判を買って出た兄ちゃんが声を上げ、酒場を揺らすような喝采が巻き起こった。
 おっちゃんは、信じられないという顔で自分の腕とあたしを見比べている。
 誰彼ともなくあたしの肩や背中を叩いてくる。おっちゃんも叩かれている。
 ギャラリーの中では、ガウリイも冷やかすように突かれていた。
「なんだあの子は」
「あのお嬢ちゃんに指2本で楽勝って、あんたどんな力してるんだ?」
 ガウリイは笑っている。ちょっと珍しいくらい、全開の笑顔だ。
「あの子、あんたのコレかい?」
 後ろから肩を組まれ、小指を立てられて、ガウリイは笑顔のまま首を横に振った。
「そんなんじゃない。オレは、あいつの保護者だよ」
「へー。なんともまぁ、強い子供もいたもんだ」
 これはもう定番みたいなもので、今までいろんな場所、いろんな場面で交わされてきた会話だった。だけど、最近あたしはこれを聞くのがなんとなく嫌なのだ。
 話をさえぎりがてら、あたしは立ち上がった。
「じゃ、ガウリイ、もう1回勝負よ!」
「いや、もうムリだろ」
 ガウリイはあっさり言う。
「さっきから立て続けで、腕がもたないだろ。また今度な」
「ちょっとぉ、それじゃあ勝負はどうなるのよ。勝ち逃げっ?」
「ムリするなよ」
 大きな手が降ってきて、ぽんぽんとあたしの頭を叩く。
 確かにあたしの腕は限界に近い。今やっても、勝つのは限りなく難しいだろう。
 だが、負けっぱなしで退くなどできるわけがないのだ。
「あたしは負けなんて認めないわよっ! 勝つまであきらめないんだからっ!」
「使いすぎると、明日に響くぜ」
「いいもん。明日戦うことがあったら、ガウリイに任せるし」
「それは別に構わんが……」
 どうせ何度やっても勝てないし、とガウリイは小声で呟いた。
 なんだと?
「俺がおごるよ」
 と言ったのは、先ほどのおっちゃんだ。
「ホント!?」
「いやー参った。お嬢ちゃん、ホントに強いな」
「そーでしょ? なのにガウリイったら、このあたしを子供扱いで余裕の顔しちゃって、失礼しちゃうわよね」
「まあ、子供は子供だしな」
「子供じゃないわよっ!」
 おっちゃんは笑った。
 周りにいた、他のおっちゃんたちも笑った。
 ガウリイも笑ってた。
 なんでそんなに笑われんのか、あたしには分かんない。
「お嬢ちゃんは、あんなに強いのに、かわいいなぁ」
 言ったのが誰だか、分からない。
 だが、周り中がそれに同意したのは、どういうわけだったのか。
「うぇぇぇぇっ? あたしが、かわいいぃ!?」
「だなぁ」
 腕相撲したおっちゃんが、その太い腕であたしの髪の毛をぐしゃぐしゃっとかき混ぜた。
 何をするぅぅぅぅぅ!
「なななななな、何言ってんのよ!? 今の、かわいいって言うとこ!? えぇぇ!?」
 あたしの狼狽した声も、酔っ払いたちにはまったく聞こえていない。
 そりゃ、あたしは確かに華奢で小柄で愛らしく、清楚かつ可憐な容姿である。鈴を鳴らしたような声であるし、性格も明るくて元気であると言えよう。
 が、腕相撲でガタイのいいおっちゃんを負かした後に、みんなしてかわいいかわいい言われるとゆーのは、大変に納得がいかない。あたしはこう見えても百戦錬磨の戦士にして魔道士であり、けっして見た目通りのかわいらしい女の子などではないのであるっ! さっきので分かったでしょっ!?
「なぁ、兄ちゃんもそう思うだろ?」
 なんつって、おっちゃんその2がノリでガウリイの肩を叩いたりするもんだからたまらない。
 聞くな! そんなこと!
 しかしガウリイは、まったく動じず、言った。
「そうだなぁ」
 なんで動じない。
 あんたも、あたしのことかわいいなんて思うの?
 あたしの実力とか素行とか全部知ってるあんたでも、あたしをかわいいなんて思うわけ?
 っていうか、今までも思ってたの?
 ……死にそうだ。
「ちょっとぉぉぉぉぉぉぉぉ」
 ガウリイは、ちらりとあたしを見やり、腕相撲をしていた時と同じ、人の悪い余裕の笑みを浮かべた。
「真っ赤だぞ、リナ」
 あたしはテーブルに倒れた。
 信じられない。なんでそんなに余裕なのだ。

 くやしい。
 勝てない。
 全然勝てない。


END.

 このお話の元にした落描き
 プロットをやってたはずが、また落描きができてしまったのです。おっかしぃなぁ……w
 もっとガウリイさんの筋肉をこう、隆々と太々と描ければいいんですけどねぇ(ドリーム)。え、パース? それって何語?

 でもなんか、今まで描いた中で一番ガウリナっぽい絵かもv ジャンクに放り込むつもりだったけど、表に置こうかな♪ でも、落描きだしなぁ……。
 よし、SS付けよう!

 ということで、リハビリがてらさらさらさらと書いたほのぼのです。
 珍しくガウリイさんに歯が立たないリナさん。どんだけ強がっても負け犬の遠吠えで、けっこう傍目にはいとけなくてかわいいんじゃないかと思う。そんな話です。
 6年間のブランクを越えて初めてのSSなので、かなり戸惑いつつ書きました。お見苦しい点は、どうかご容赦を……。

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