アリスのお茶会

2人の距離

 リナがその日そこにいたのは、単なる気まぐれのためだった。
 旅人目当ての宿にしては気の利いた雰囲気に誘われたのかもしれない。安い薄板張りの廊下も、抑えた艶を出してやるだけでレトロな深みのある色を出す。これ見よがしに華やかな花を飾っていないこともよかった。にぎやかさだけで上品さのない装飾の代わりに、赤味がかった枝と型崩れせずに枯れた花が見事な均衡で趣味のよさを主張している。
 あてもない旅の途中でたまたま立ち寄った宿だった。普段なら部屋に帰って明日のためにさっさと布団をかぶっている。しかしその日、彼女は部屋に落ち着いた後、何となくベッドに入らずに階下の酒場へ降りていった。
 この酒場もまた、宿に付随した酒場としては意外なほど雰囲気がいい。抑えた照明が静かに照らし出す小さな空間には、宿の主人と客が1人。村人が気軽にくつろぐような店ではないのだろう。
「甘めのお酒を、何か適当に見繕ってくれる?」
 壮年にさしかかったくらいの主人は、穏やかそうな顔に人好きのする笑みを浮かべた。
 リナは2つしかないテーブルの片方に腰を落ち着ける。もう片方は旅人風の男が占領しているから、選択の余地はない。深夜とまでは言わずとも早い時間ではないから、どうやら彼もその宿に泊まっている客のようだ。
 特に話し相手を欲しているわけでもない。むしろ日中旅の連れとやかましく騒ぎ合っているから、たまには静かな時間を持ちたい気分たった。リナはあえて男に話しかけたりはせず、懐から手のひらほどの箱を取り出した。
 先日、仕事の依頼人からもらったものだ。中には、南の町で作られている特殊なタバコが収められている。何でもひどく甘い味がするらしい。珍しいものだからと親切でくれたものだ。くれた当人はそれを売るかガウリイのほうに吸わせるかさせるつもりだったかもしれないが。
「どうぞ」
 主人が、薄い紅の酒をたたえたグラスを差し出した。破璃細工のものだ。おそらく高価なものに違いない。リナは笑顔で会釈した。
「きれいね。何のお酒?」
「バラのリキュールです」
「へぇ」
 リクエストどおりの甘い香りと、なめらかな舌ざわりを楽しむ。カウンターを拭きながらさりげなくこちらの様子をうかがっている主人に、とっておきの笑顔で満足のサインを送った。
 繊細な甘さを充分に楽しんだ後で、箱の中のタバコを1本つまみあげた。
 テーブルの上を照らし出しているランプを取り上げて、ガラスの中で燃えている小さな炎から火をつける。ランプを傾けたことで、辺りの陰影が一瞬動いた。その陰にまぎれたように大柄な人影が現れたのは、その時だった。
「こら。子供が何やってるんだ」
 彼女の保護者を自称する男だ。
 ちらりと目を上げてその長身と長いブロンドを認め、リナはちろりと舌を出した。
「見つかった」
「人の目を盗むようにして。……オレに、ストレートを」
 さほど大きくない声で主人に注文すると、向かいの椅子に手をかけた。
「邪魔していいか?」
「邪魔はイヤよ」
「しないって。座って、いいんだろ?」
「どうぞ」
 リナは口の中で回していた煙をすぅと吐き出す。確かに、聞いたとおり渋みの少ないまろやかな味がした。ガウリイは、苦笑気味にそれを見ている。
「吸う?」
 吸いさしのタバコを差し出してみたが、彼は特に答えなかった。
「こないだの依頼人にもらったやつか? お前さんがタバコを吸うとは知らなかったな」
「普段は吸わないわよ。昔はいろいろ試してみたもんだけど、体力がなくなるからね。ただでさえ見劣りがするのに」
「……吸いたい気分だったのか?」
 奇妙に真面目な声で、ガウリイが言う。
 自分を傷つける行為に走りたくなっても仕方がないくらいのことが、彼と彼女の歩いてきた道にはいろいろとあった。思い切り捨て鉢な気分なのよ、と言えば彼はそれを理解するだろう。だが、理解すると同時に間違いなく止める。
 彼はリナの保護者だ。そして、未来のために生きる強さを持った人間である。
 リナは笑った。
「気分って言うかねぇ……単に物珍しさで。これ、貴重品らしいからね」
「そうなのか?」
「聞いてなかったわけね……」
 今日はいちいち突っ込む気もない。
 黙って紫煙をくゆらしているところに、主人が飴色の酒を持ってきた。
「じゃあ、乾杯ね。今夜の偶然に」
 ガウリイは何も言わずに微笑んで、グラスを合わせる。
 こうして穏やかな雰囲気で向き合っていると、リナは彼が大人なのだなと感じる。表情もこういう場所での所作も飲む酒も、彼の重ねてきた年の分だけのものを感じさせる。実際、2人の間には7年ばかりの差が横たわっている。
 彼はリナの言いたがらないことを聞かない。興味がないということではない。それが何であっても受け入れる心の大きさがある。
 ため息の代わりに、静かに煙を吐き出した。
 昔は、酒が飲めてタバコが吸えれば大人のような気がしていた。人よりも強く賢くなれば、一人前のような気がしていた。年を経て、さまざまな人に出会い多くの痛みを経験し、大人と見られる年齢になった今、自分が子供のような気がし始めている。
 目の前にいる男との差を感じて、そう思う。
「……うまいな、これ」
「うん。だからって、そんな強いものぱかぱか飲むと酔っぱらうからね」
「お前こそ気をつけろよ。オレは酔って記憶なくしてもまともに動けるからな」
「威張ることか」
 彼女の忠告をまともに聞いているのか、彼はすぐにそれを飲み干しておかわりを頼む。彼女もつられるように、グラスを干した。
 酒と雰囲気の力を借りてか、2人はひどく静かな会話を交わした。思い出をたどり、旅のつれづれを語って、何年もの月日の中で初めてと言っていいほどゆっくりと話した。それは、死を身近にした戦いも重い別れも関係ない、たわいない話だった。
 甘い酒に酔って朗らかに笑う彼女を、ガウリイはひどく柔らかな瞳で見つめていた。



 もちろん、たてつづけに摂取した酒に彼女は酔った。
 意識がはっきりしているタイプの酔い方ではあるが、口調も足取りもおぼつかない。対するガウリイの方は、表面上変わりなしである。酔っているかいないかは、翌朝になってみないと分からないのが彼だ。
 もう1人の客がいつのまにか姿を消し、宿の外からも人の気配が絶えた頃、彼らは席を立った。
「お連れの方は大丈夫ですか?」
 と、主人が聞くのにガウリイが答える。
「こいつは見た目に出やすい奴なんで。たぶん、本人は大丈夫だと思いますよ」
 リナは同意するように笑ってみせた。うなずいたりするとうっかり加減を間違えて頭を振りすぎそうなので、やらない。
 勘定を済ませ、酒場を出るところまではプライドが足元を支えていた。
 リナがまともに歩けなくなって座り込んだのは、客室のブースまで来て階段を上ろうとした時である。頭は冴えているのだが、足が思うように動かない。段を上るために足を上げた途端、残った片足では体重を支えきれなくてかくりといってしまった。
「おいおい」
 ガウリイが苦笑する。
 何とか体勢を立て直して手すりにすがりながら立ち上がろうとした時、それより先にガウリイの腕が彼女の腰を持ち上げた。そこらの物を持ち上げるような気軽さである。
 リナは手足をばたつかせて反抗の意を示した。
「変ならき方しないれくれる!」
「ん? ダメなのか?」
 1度床の上に下ろし、もう1度今度は横抱きに抱き上げる。
 これは落ち着きがよかったので、暴れずにおとなしくした。
 負担を軽くするため首に手を回そうかと思ったが、リナは少し腕を上げたところでやめた。体格差がありすぎてうまく回らないのだ。常人離れした剣技を繰り出す彼の体は、鍛え上げられた鋼のような筋肉で硬く引き締まっている。女性の中でも小柄で痩せぎすなリナを抱き上げることなど、苦にもならないに違いない。
 腕を回す代わりに、意味もなく頬を寄せてみた。慣れた匂いがした。酔ってるなぁとガウリイが軽く笑った。
 彼はリナをやすやすと部屋まで運び、扉を蹴り開けた。子供のようにベッドに寝かせられるかと思ったが、彼は普段いくら頭が足りないようでも紳士だ。端に座るようにおろされる。
 沈み込むように体の脇へ手をついた。微笑んで部屋を出て行こうとするガウリイを引き止めるように、わざと乱暴な口調で言った。
「火とって」
「はいはい」
 彼はナイトテーブルからランプを持ってきて、リナの目の前に出してくれる。
 箱の中にあった最後の1本をくわえて、火をつけた。煙をゆっくりと吐き出す。タバコのもたらす酩酊感が、酔いをさらに深くした。ガウリイは出て行くタイミングを逃したように、そこにいる。
 彼は困ったような苦笑を浮かべていた。リナはそれを視界の端に捉えながら、何も言わずにタバコをふかした。
「……オレにも1本くれよ」
「これら最後」
 顔を上げ、口から離したタバコを軽くあげてみる。
「……吸う?」
「ん」
 ガウリイの無骨な指が、リナの細い指から小さな筒を受け取る。
 彼女はぐるぐると回る頭で、彼がそれを口に当てるのを見ていた。タバコにふれた唇が、小さく笑う。
「……間接キスだなぁ」
「何言ってるろお!」
「今、同じこと考えてただろう」
「んらことないもん」
 じゃあ、とガウリイが手を伸ばし、2人の距離はあっけなく縮まる。
「……間接じゃなくて」
 リナは目を閉じた。


 たぶん、と彼女ははっきりしない思考の中で思った。
 たぶん今だけ距離と共に、2人の間にある大きな差も縮まった、と。
 彼は見守っているだけの大人で居続けられず、自分はそれに甘えるだけの無力な子供を抜け出す。
 彼女は、余裕をなくした彼の目を見る。
 彼女は、酔いながらも動いている頭で彼を幻惑する方法を考える。
 長い指に支えられたタバコが、焦げて灰を落としそうになっているのを横目で見て笑う。

 彼は酔っているのか、明日までこれを覚えているのか。
 それは起きてからでないと分からない。
 覚えていなかったらどうしようかと思いながらタバコを取り返して、最後の一口を吸った。
 とりあえず改めて目にものを見せてやるしかないな、と思う。
 それを大人な方法にするか子供な方法にするかは、また明日のことだ。


END.





作者のたわごと

 前回暗い話を書いた反動か、穏やかな話が書きたくて書き始めました。
 …ちょっと穏やか過ぎるだろう…。

 『文章が書きたくて仕方ない』症候群に見舞われています(笑)。いや、イラストでもムービーでもいいんですが…創作活動がしたい衝動でしょうか。
 大変素晴らしいことですが、なら〆切直前の原稿を書けよとか、同じく直前の台本を仕上げろよとか、FFの続きはどうしたとか、ツッコミはいろいろ…胸に秘めておきましょうよ…(汗)。
 原作の文章に似せるのは、早々にあきらめました(^^;)。無駄に時間がかかってしょうがない…。

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