愛って言葉は重い。
だから、あんまり好きじゃない。
恋ならいつでもできるけど、愛はいつでもつきまとう辛さがある。
愛と恋の違いは微妙だというけれど、あたしにとっての愛は、ちょっと特別かもしれない。





--+--- レンアイ症候群 ---+--



BY ニイラケイ






     
 
仕事先で知り合った男と、そういう仲になったのは初めてじゃなかった。
今までと違うのは、男には大した経歴が無くて、
多分お金持ちでもなくて、いわゆる同業者だった。それだけだ。



「麻衣がナルとな〜。…あぁああああぁああああ…」
「五月蠅いわね!眠れないでしょ?!黙って寝ないなら、とっとと帰んなさいよ!」
だから、一人用のベッドに二人で寝るのは嫌いなのよ!
そこまで言われても、男は飄々としている。
こいつにはプライドというものがないのだろうか、と思ったことがあるけど、
最近やっと気が付いた。
こいつは、あたしを子供扱いしてるのよ。
だから、あたしの言葉に腹を立てない。
「まぁまぁ、そう苛々すんなって」
そういって、あたしの頭を撫でようとする。
娘のように可愛がっている少女にするのと同じように。
ふざけんじゃないわ。
「やっぱり帰って。あんたの顔、見たくなくなったわ」
男の手を振り払って、その茶色がかった眼を睨み付けると、
今度は振り払われたのとは逆の手で、あたしの腰を引き寄せた。
「ちょっと!!嫌だって言ってるでしょ?!耳遠くなったわけ?」
聞いていない。
全然全く聞いてない。
苛々する。腹が立つわ。何でこのあたしがこんな男に振り回されなきゃいけないのよ。
地位も資産も持ってない、怪しげなただの坊主に、どうしてこんなに。



「綾子、またお見合い断ったんだって?」
栗色の髪をふわふわと揺らしながら、大きな目を好奇心に輝かせて麻衣が覗き込んでくる。
「何であんたが知ってんのよ」
「へへーん。麻衣ちゃんの秘密ルートで仕入れた情報なのさ!」
「馬ー鹿」
どうせ、越後屋から仕入れた情報なんでしょ。
あたしがそう言うと、麻衣はむうと膨れた顔をする。
「うっさいやい。…ねえ、最近の綾子ってさ、ちょっと元気ないよね」
麻衣があたしの横に座った。
麻衣は、初めてあった頃よりもずっと大人になった。外見は勿論、中身も。
けれど、いくら大人の女に近づいているとは言っても、
まだまだ少女のようなあどけない表情がそこにはある。

…あたしが、もう失ってしまった輝き。
『素直』という名の光。

「そんなことないわよ。ちょっと疲れてるだけ」
何言ってんのよ、と受け流してやると、麻衣は更に眉を顰めた。
「…綾子が疲れてる、って言う時は、落ち込んでるときなんだよ。知らなかったでしょ?」
そりゃ知らなかったわ。
「そんなことないってのに。子供が変な勘ぐりしてんじゃないわよ」
麻衣の心配げな顔が、心に痛い。
別にあんたが心配する事なんて無いのよ。
でも、これは多分麻衣の性分なんだと思う。

麻衣はあたしとは違う。
あたしは、麻衣のようには生きられない。

これ以上追求されるのかイヤで、はぐらかすように麻衣が一番痛いところへ話しを流す。
「あんたはあたしのことよりも、あの気難しいカレシのことでも考えてたら?」
途端に麻衣は顔を赤らめた。
「カレシって言わないでよぅ〜。そんなんじゃないんだから!」

麻衣は、自分の想いに正直に生きている。
だから、悩んで、苦しんで、それでも少しずつ前に向かって歩いている。
あたしには出来ない芸当だわ。
素直であることは、恥ずかしいことだと思っていたから。
必死になることは、馬鹿のすることだと思っていたから。
いつの間にか自分の中によそいきの自分を作り上げて、気が付いたらそれが普通になってた。
高いヒールの靴を、辛いと思わなくなったのはいつからだっただろう。
化粧に時間がかかるようになったのは、いつからだろう。
男と寝ることに、羞恥を覚えなくなったのは?

「ねぇ、綾子??」
ふと気が付くと、麻衣が更に覗き込むような体勢であたしを見つめていた。
あの男が、大切に守っている少女。
今はその細い肩を守る役が決まってしまった。
今、麻衣の肩を抱くのはあの黒づくめの少年だけだ。
『本格的に、お役ご免かもな』
そう言って笑ったあいつの横顔が酷く淋しげで、あたしは無性に腹が立った。

あたしにとっても、あいつにとっても、多分ナルにとっても、
麻衣の存在はかけがえなくて、あまりにも新鮮だったのだ。
少なくとも、あたしには限りなく新鮮だった。
自分に正直に生きることの意味を、いくつも年下の平凡な高校生が知っていて
あたしは知らないのだ、と気付かされたから。

嫌悪感がなかったわけじゃない。
最初は嫌だった。
見ていることさえ辛くなった。
あたしの生きてきた年月を、全て否定するほどの輝きが、麻衣にはあったから。

麻衣には両親がいない。
中学までは母親と一緒だったと、以前麻衣が言っていたけれど
高校には自分のお金と公的援助で通っていた。
あたしなら出来ない。
この世に生を受けてから、一度もお金に不自由したことはなかったし、
幼い頃から、周囲にちやほやされて育った。

あたしなら出来ない。

真砂子も同じ事を言っていた。
『最初に麻衣にあった頃は、麻衣のことが嫌いでしたわ』
それは、恋敵だからというだけでなく、
多分、あたしと同じ理由なのだろう。
麻衣のまっすぐな瞳は、汚れている自分を気付かせる。
蓋をして、見ない振りをしてた『自分』と、向き合わせる。

「綾子ってさぁ、お母さんみたいだよねぇ」
その言葉は、あたしの胸に突き刺さった。
あたしは、あたしのプライドをずたずたにする少女が
まだ16歳なんだ、と初めて気が付いた。
両親を失って、働きながら下宿にすんで学校へ行って。

ふと思う。
ナルが麻衣を雇わなかったら、麻衣は今頃どうなっていただろう。
(…ま、変わんないわよね。この子は)
きっとどこへ行っても、何をしていても麻衣は麻衣のままだ。

じゃあ、あたしは?
どこにいても同じでいられる?
自分というものを、ちゃんと持っていられる?

麻衣があまりにしつこく聞いてくるので、仕方なく見合いを断った話しを認める。
「じゃあ、そんなに良いハナシ断ったの?」
「気が向かなかったのよ。どうせまた新しい縁談なんていくらでも出てくるから良いのよ」
見合い写真は、自宅の部屋に無造作に積まれている。
その量の半分も目を通していない、ただの置物と化している見合い写真。
「それに、あたし恋愛結婚希望なの」
「そうやって、高望みばっかしてるから彼氏も出来ないんだよ〜、綾子は」
「余計なお世話!!」
麻衣はあたしとぼーずの事を知らない。
知らないままで良い。
大人の恋愛は、綺麗なだけじゃないから。
麻衣の純粋さをわざわざ汚す事はない。
それに。
(恋人なんて呼べるようなつきあいじゃないし)
始まりがないから、終わりがない。
何となく一緒に寝て、何となく離れるだけ。

大人になるほど寂しがりになっていた。
多分、その寂しさを埋めているだけ。
人の体温は、寂しさを忘れさせる魔力を持っているから。

あいつの体温は、他の誰より寂しさを忘れさせてくれるから。

なのに、どうしてだろう。
身体を重ねれば重ねただけ、隠していたはずの幼いあたしが鳴き声をあげる。
心の奥が痛くなって、何も考えられなくなる。
自分を持て余してしまう。
理由は明確にならないまま、時間だけがだらだらと過ぎている。
このまま、何の行動も起こさなくて良いんだろうか。
いいかげんなこの関係に、心はちっとも満足できていないのに?

「綾子、今日は何飲む?」
「…アイスコーヒー」
「へ?アイスティーじゃなくて良いの?」
「良いの。今日はそういう気分だから」
やっぱり、今日の綾子はちょっと変だよー。
ぶつくさ言いながらも、麻衣はキッチンに消えた。
この事務所には、作り置きのアイスコーヒーがある。夏でも秋でも冬でも。
それを飲む人間が、一年中頻繁にここを訪れるからだ。
(ぼーずのくせに、コーヒーなんて飲んでんじゃないわよ。
真砂子と一緒に、日本茶でも飲んでればいいのに。)
何となく八つ当たりしたくなる。
でも、あいつに出会わなければ、とはどうしても思えない。
あいつに会わなければ、麻衣に会わなければ、ナルに、真砂子にジョンに安原君に、リンに。
出会わなかったら、どうなっていたんだろう。

アタシハアタシノママデイラレタ?


「よう」
背後から、聞き慣れた脳天気な声。
振り向かなくても、そこにいるのがぼーず、滝川法生だと解っていた。
「相変わらず、暇そうにしてんなぁ、お前」
けらけらと笑いながら、あたしの横にどっかり腰を下ろす。
何が相変わらず、よ。
朝までベッドで一緒だったくせに、久しぶりに会ったような振り?
むかむかしてくるわ。胃が痛くなるくらいに。
どうせ、その演技はキッチンにいる麻衣に見せるんでしょ?
あんたが大事にしてる『娘』に。

麻衣がキッチンから顔だけ出して、ぼーずの存在を確認する。
「もう、最初っから二人で来てくれれば、二度手間にならなくて済むんだけどなぁっ!」
強く怒ったような口調でぼーずをじろりと睨み付けると、
こらえきれなくなったように破顔して、また奥に引っ込んでいった。
最初から二人で?
そんなこと絶対あり得ないわね。

「時に麻衣や?」
「なーに?ぼーさん」
「お前最近、どうなのよ?」
「どうって?」
「ナル坊とはどうなってんのかってこと」
「…何で綾子と同じ事聞くかなぁ??!」
またしても麻衣は頬を染めている。
その態度だけで、何かあったんだろう事は明白だ。
自分から話題を振ったくせに、ぼーずはこっそり落ち込んでいる。

馬鹿だ、と思う。
けど、それ以上に可哀想だとも思ってしまう。
手塩にかけている振りをして、けれどいつもこの男の心の奥にあったのは
愛らしくも愛しい「娘」ではなく、麻衣という名の「一人の少女」だった。
自分の気持ちにさえ気が付かない偽りを、いつまで続けるの?
あたしは一体いつまでそれに付き合わされるのよ?
迷惑よ!と言い切ってしまうのは、きっとすごく簡単で、ひどく難しい。

麻衣が煎れてくれたアイスコーヒーを一気に飲み干して、
挨拶もそこそこに、事務所を出る。
雨でも降ってれば可愛げもあるのに、太陽はこれでもか、とばかりに降り注いでいた。


太陽の下、坂を下りながらあたしは知らずため息をついていた。
何を悩んでいるんだろう。
麻衣の言うとおり、あの縁談はなかなか良い話しだった。
何で受けなかったんだろう。何で断ったんだろう。
(見合いかぁ〜・・・)
それも良いかもしれない。
別にすぐさま結婚するわけじゃないんだし。
そういえば、ここ最近、誰かとデートに行く機会が減っていた。
何回かデートしてみるっていうのも、良いかもしれない。
たまにはちょっと高級なホテルへ行って食事でもしなきゃ、
折角買った洋服やアクセサリを、クローゼットのなかで眠らせておくのは勿体ない。

「・・・見合い、してみよっかなぁ」
何気なく呟いた言葉に、返事があった。

「誰とだよ?」

すぐ後ろに立っている男に気が付かなかったなんて。
あたしにしては珍しいミス。気配さえも読めなかった。
周りにある木がそよいでいるのに、それにも気が付かなかった。

「見合いって?」
ぼーずは怪訝な顔。
「あんたには関係ない話よ」
大体、折角邪魔者が消えてやったのに、何であんたまで出てきてんのよ。
さっさと戻ったら?
あたしの台詞に、またあの呆れた顔。
あたしの大っ嫌いな、あの顔。
「なに言ってんだ?おまえ」
「何って、何よ?」
「阿呆なこといっとらんと、もっと精力的に働いたらどうだ?」
「良いのよ、あたしは。無理して働かなくたって、
ご飯ぐらい食べさせてくれるひとはいくらでもいるんだから。誰かさんと違って」
ぼーずが、珍しくイヤな顔をする。
そういう反応が返ってくるって、解ってて言ったはずなのに、
あたしは、精一杯のポーカーフェイスの下で、心臓の痛みに顔を歪めていた。

だからって、素直になれるなら苦労しない。


あたしは頭一つ分上にあるぼーずの顔を睨み付けて、
すぐにきびすを返すと、一度も振り返らずにその場をあとにした。



あいつは、追いかけてこなかった。
 
     






何で続き物ばかりになってしまうのか。(疑問)
書き上げるだけの時間が作れないから。(解決)

そんなことはさておき。
またしても裏書斎なのですよ・・・。(ため息)
いい加減、隠しが多すぎるだろ。という突っ込みを何度も頂いているのにも関わらず、
またしても隠しにアップですよ・・・。
だって、表にアップするのはちょっと・・・ねぇ?(訊くな)
描写がちょっとあれかな、と思ったんですが・・・いかがなものでしょう??
ぼーさんファンの方と、綾子ファンの方にはお見せできない代物ですね☆(オイ)

続きは…追々アップします…(小声)