アリスのお茶会

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Nights of the Knife - French Kiss(承前)

 抱きたいと思っていることを示すと、まず拒まれることはない。
 彼女が何を思っているのか知らない。
 僕がどう思っているのかは知っている。
 隠しているのだ。

 雑踏にまぎれた渋谷の町の男二人。ナルはその他大勢にまぎれながら、不本意な尋問を受けていた。
「君が容姿にも能力にも優れていることは認める」
 と、彼は言った。
 当たり前だとナルは思い、そのように言った。
「言われるまでもない」
「だが、君のその性格が彼女に相応しいとは僕には到底思えないッ」
 彼は口角に泡を飛ばす。
「いったい君はなぜ彼女のような純粋な人と付き合っているんだ!?」
「それには理由が必要なのか?」
 そのような議論にはいい加減うんざりして、ナルはため息をついた。麻衣の友人だと思い、一分間付き合った。もう充分だろうと判断する。
「そうだな、強いて言うなら――抱かせてくれるからだ」
 二人の間に流れた沈黙を、通りすぎる車の排気音が消していく。
 これ以上何か言えるかな、と半ば興味を持ってナルは彼を見つめた。彼は蒼白な唇をわななかせた。
「あ……悪魔め。貴様は無垢な彼女につけこんで刃を向く、悪魔だッ」

(退屈だな――)
 麻衣は指先でストローをもてあそんだ。カラカラとピンク色の液体が揺れる。それは、居酒屋の安いカクテルだ。
 麻衣は大学のクラスメートに誘われてちょっとした飲み会に来ていた。特に知り合いがいるわけでもない。いつも大学が終わるとすぐにバイトに行ってしまう付き合いの悪い自分を麻衣も少々申し訳なく思っているので、たまには交遊の輪を広げようよと友人ににっこり笑って誘われ、断り切れなかったのだ。
 だが、麻衣のよく分からない話題で盛り上がってる彼らとは、今ひとつノリが合わない。確かテニスサークルと言っていたか、と思いだしながら麻衣はカラカラとカクテルを混ぜ続けている。
 仕事仕事で残りの時間は学校か宿題、という苦学生の生活を送ってきた麻衣は、昔から流行にあまり強くない。漠然と遊ぶことにもあまり慣れていない。
(帰りたいかも……)
 軽く飲まされた酒に、疲れのせいか少し酔っていた。家に帰って眠りたい。
 そろそろ抜けてもいいものかと辺りを見回すと、麻衣を誘ったクラスメートが近づいてきた。退屈していると悟ったらしい。
 彼は麻衣のとなりに場所を空けてもらって座りながら、白い歯を見せてにっこりと笑った。
「退屈?」
「あはは、ちょっと」
「そっか、申し訳ない。彼氏と会ってる方が良かったかな?」
「とんでもない」
 考えてみれば話が合わない人だちといても、ナルといるよりは会話になっている。麻衣は心中でうなった。
「そういえば、この間谷山の彼に会ったよ、渋谷でばったり」
「えっ?」
 彼はナルを直接知らないはずだが、確かにナルは目立つ容姿をしているから、あの渋谷の混雑の中でも目に留まるだろう。真っ黒な服を着た美青年と話しているから、特定できておかしくない。
 しかし、ナルに普通の人間の対応を期待するのは難しい。
 友人に何を言ったのかと思うと麻衣は冷や汗が出た。
「そ、そお。何か言ってた?」
「いや、特に……谷山はよく働いてくれるって言ってたよ」
(嘘をつけ、言うもんか)
 だが、彼が好意で言ってくれていることは分かったので、麻衣は曖昧に笑って見せた。
「そんな、いつも迷惑ばっかりかけてるんだよ」
「ほんとにかっこいい彼だね。谷山がひいき目で言ってるのかと思ってたけど」
「顔はねー。顔はいいんだけど、性格がね」
「うん……それはのろけだと思ってたんだけど。みんな彼には文句言うもんだからさ」
 麻衣は乾いた笑いをもらす。
「……だけど?」
「怒らない?」
「んー?」
 内心汗をだらだらとたらしながら、麻衣は笑って首をかしげた。彼の言いにくそうな様子が、やばいと思わせる。
「僕は、谷山が顔のいい男を連れ歩くのが好きだとか思ってるとは思わないから言うんだけど」
「うん、それは思ってない」
「……おせっかいだとは思うけど、やめた方がいいよ、彼」
(どういう態度取ったんだ、あの朴念仁)
 麻衣は天井を仰いだ。
「谷山は、どうして彼と付き合ってるんだ?」
「どうしてって……なりゆき、だなあ」
「好きなのか?」
「……黙秘権」
 まあ飲め、とグラスを勧められて、麻衣はカクテルに口をつけた。素面でできる話じゃない。
 彼はぐいっとビールをあおった。
「……抱かせてくれるからって言ってたよ」
「何か?」
「彼が、谷山と付き合ってる理由」
「……答えたんだ? そりゃすごい」
「『すごい』じゃないって」
 麻衣は曖昧に笑う。他に言いようがないではないか。
(『抱かせてくれるから』、か……)
 麻衣はカクテルのグラスをかきまわす。
 からからと氷が鳴る。

 ナルは、チャイムの音で我に帰った。
 時計は真夜中を指している。普通の客の来る時間ではない。そもそもナルの家には客が少ないし、連絡もなくやってくる人間はさらに少ない。マンションの玄関にあるオートロックを開けて入ってくる人間となると、限りなくゼロに近い。
 ナルは仕事をそのままにし、ドアを開けた。
 予想通り、麻衣が立っていた。
「……不用心」
 ナルが確認もせずドアを開けたことを言っているのだろう。ナルは肩をすくめた。
「こんな礼儀知らずの客は他にいない」
「無礼は重々承知です。ごめんなさい。……泊めて?」
「どうぞ」
 少しふらつく足で麻衣が入ってきて、あぶなかしい動作で靴を脱ぐ。
 彼女には合鍵を渡してあるから、チャイムを鳴らしたのはせめてもの礼儀だったのだろう。
「今日は飲みに行くと言っていなかったか?」
「うん。それが……笑わない?」
「笑う」
 酔っているのか、麻衣はナルの言葉に怒らなかった。
「雰囲気に飲まれて酔っちやって、ふらふら歩いてたら無意識にこっちに来ちゃったの。もう帰るのめんどくさいし、終電に間に合うかどうかわかんないし……」
「正真正銘の馬鹿だな」
「反論する気もありません」
 話しながらリビングのソファまで来ると、麻衣は倒れこむようにソファに座る。背もたれにぐったりと寄りかかって、ナルを見上げた。
「友達に無茶なこと言ったって?」
「友達?」
「渋谷でばったり会ったって言ってた」
 ナルは顔をしかめた。
 はっきり覚えている。あの時は苛立ちに任せて言ってしまい、麻衣に伝わる危険性に考えいたっていなかった。後になってから自己嫌悪を感じたのだ。
 嘘を言ったわけではないから、弁解する気にもなれない。
 自分がどれほど無礼な発言をしたかはよく分かっている。夜中に訪れてくる無礼さとは桁が違う。
(別れ話でもしにきたか?)
 返答はせずに、ナルは麻衣のとなりに座った。
「そんなこと考えてたら、ついこんなとこまで来ちやった」
 彼女の目が潤んで見えるのは、酔いのせいだろうか。ナルは滅入った気分で考える。
「とりあえず、あれって本当?」
「どう聞いた」
「『付き合ってる理由は、抱かせてくれるから』」
「正確に伝わってるな」
 そ、と麻衣は言って目を伏せた。
 悪魔、とあの男に言われたことをナルはよく覚えている。その形容は自分に相応しいと思う。
(彼女が誰かにそばにいてほしいと思っていることを知っている)
(それにつけこんで彼女を抱く……悪魔と呼ばれるに足る)
 体が熱くなっている気がする。ナルはそれを不思議に思った。
「前に、女性には見返りのない行為だなって言ったよね? 覚えてる?」
 ふいに言われて、ナルは戸惑って彼女を見た。
 麻衣はソファの背に腕をかけ、そこに頭をもたせかけてナルを見つめていた。
「何の話だ?」
「うん? ……セックスのこと」
「いや……覚えていないが」
「そ? あたし、その時そんなことないよって言ったんだけど、まだそんな風に思ってたんだね」
 その時のことを説明しようとはせずに、麻衣は少し困ったように微笑んで続けた。
「あたし無理なんてしてないよ」
「……ああ」
「分かってない」
「そうだな、分からない」
「どうして? 無理してるように見えるの?」
 それには答えずに、ナルは眉をひそめて麻衣を見た。
「……怒っていないのか?」
「怒ってないよ」
「その方が不思議だ。なぜ」
「え? だって……どうしてだろう? そんなことより、ナルがそういうことするのに負い目を持ってるんだなって思って悲しくて」
(理解されている)
(受け入れられている)
 そう思うから、ナルの中で罪悪感が増していく。
(抱きたい)
 思っても、表には出さない。出せない。
 彼女がそっと体を任せてくるまで、待っている。沈黙して待っている。抱かせてくれるのを待っている。
 彼女の愛情につけこんでいる、と思う。
「……もし、そういうことできなくなったら付き合うのやめる? したいけど、させてあげたいけどできないって言ったら、やめる?」
「……いや」
 麻衣は首をかしげて笑う。
「でしょ? ナルには何て言うか……そういうことするのに特別な意味があるんだよね。それかどういう意味なのか分からないけと、でも言葉通りのことじゃないのは分かってる。だから、あたしが怒る必要ないって分かってるんだよ」
 そう言い切って、麻衣はナルの胸に額をつける。
「……だから、そんな辛い顔しないで」

 何も返してやった覚えがない。
 一方的に愛してくれることを苦に思っていない。
 それが、見返りのない行為でなければなんだというのだろう。

 『どうして付き合っているか』?
 ――理由などあるわけがない。きっかけを作った覚えもない。彼女が進んで受け入れてくれたから、そうなっているだけの話だ。
 それは見返りのない……。
(愛してくれるから)
(抱いてくれるから)
(安堵を教えてくれるから)
 そのことにいつまで甘えているのだろう。
 夜が更けるまて何度でも彼女を彼女だけを抱いていたい。
 この……目をそらしたい、欲望。
(受け入れてくれるから)
 愛する方法も知らない。
 抱きたいと思っていることしか知らない。
 そんな悪魔のような心を隠し続ける。

 眠っているかと思った麻衣が寝返りを打ち、ナルがベッドサイドランプの下で読んでいた本を軽く持ち上げる。
「『仏教の』……『科学的原理』? また仕事してんの?」
 ナルは顔だけを振り向かせ、わずかな明かりに照らし出された細い肢体を見る。
 彼の大きすぎる寝間着の胸元から完全にのぞけている白い胸と、のけぞった喉。あどけない、彼女の呆れ顔。
 ナルは目をそらす。
「お邪魔さま」
 ナルの無視に会ってふいと麻衣は横を向く。
 彼女は知らない。
 ページをめくる沈黙の隙間に、無表情の隙間に、気付かれないよう隠した、刃物。

END.

 えー。
 我が家のナルちゃんが冷たいと定評をいただいているのは存じていますが。

 全然冷たさが足りないよっ! むしろ熱い! 熱すぎる! ああああ。
 
 元原稿をなくしてしまい、お蔵入りしていたSSです。一生懸命スキャンして打ち直してみました。ひー(汗)。
 いろいろ恥ずかしいですが、このセットSSはちょっと気に入っていたので……。珍しい甘いお話をお楽しみいただければと思います。

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