アリスのお茶会

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  4. 花束を捨てましょう

「じゃ、毎日電話したりはしてないのね?」
「必要ない」
「休日は2人で喫茶店 とか」
「ここの休日って、いつ?」
「手をつないで歩いてみたり」
「あたしが辺りの女性に刺される」
「彼の車でドライブ」
「ナルは免許も車も持ってない」
「記念日には2人でパーティー!」
「……記念日?」
「2人が付き合い始めた日とかー」
「覚えてなーい」
「喧嘩のあとには薔薇の花束!!」
「するかっ!!」

花束を捨てましょう

 あたしは思わず手のひらで机を叩いていた。
『え――っ?』
 と、みなみなさまの大合唱。
 何が「えーっ」だ。そんなこといちいちしてたらめんどくさくてしょうがない。これだけ毎日毎日オフィスに詰めているあたしの、どこに、そんな余裕が、あると思うわけかな!?
 前世紀の遺物じゃあるまいし、そこまでカップルしているカップルがいるんだろうか、世の中には?
「それ、やりすぎでしょお」
 あたしがため息をつくと、いっせいに首を振る友人たち。
「いくらレトロであろうとお約束であろうと、それがカップル!」
「偏見だって」
「こっちのセリフよ」
 言って長い黒髪をかき上げるのは、男を手玉に取ることを楽しみにしてるとしか思えない綾子姉さん。
 あんたは普通に男と付き合ったことがあるのか。
「あのね、麻衣。どうしてそんなお約束が世の中に定着したと思うわけ?それを作ったのがたとえドラマの中の絵空事であってもね、それを見て『いいな』と思う人間がいたわけよ。それも、たくさん、ね」
「おもしろおかしく誇張されてるだけじゃないの?」
「断じて違うわ。世の中のカップルは、実行してるの」
「してないしてない」
「ひよっこが大きな口叩くんじゃないの」
「遊び人のくせに」
 違いない、と笑うのはぼーさんだけど、綾子は妙に自信たっぷりに笑っている。こいつは何でそんなに自信があるのかね?
「いーい、遊び人こそツボを知り尽くしてるのよ。そうじゃなきゃ綱渡りなんかできやしないんだから」
「綱渡りなんかしたくないっての」
「馬鹿ね、したくなくたってすることになるのよ。恋愛は駆け引き」
「あたしは真正直にいくんだい」
 わかってないわねー、と偉そうに綾子。けど、綾子だけじゃない、ぼーさんも真砂子も、安原さんまでやれやれと言わんばかりだ。
 なんでこんな説教をされなきゃならないんだか。
 つまりは、あたしがナルと付き合ってるのがみんなの知るところになったせいであるわけなんだけど。そもそもナルと付き合い始めてからもうかれこれ半年を大きく越す。だけどあの仕事一直線の学者馬鹿は、仕事仲間であるところの綾子たちにそれが知れるのを嫌がった。
 要するに恥ずかしかったんだろーね。まあ、あたしも仕方ないからしゃべらないようにしてた。
 ばれたのは一週間前。あたしが我慢できなくなってばらしてしまい、しかも付き合ってたのはずいぶん前からで、かくて質問責めの憂き目にあっているわけだ。ナルはこれを予測して当然逃げ回ってるし……あたしが責任とるしかなかろう。
「まあ薔薇はやりすぎだとしてもよ」
 綾子はしたり顔でまだまだ続ける。
「アンタだってたまには『彼の気持ちが知りたいっ』とか『何考えてるのか分からないっ』とか、思うことあるでしょ?」
「そんなんしょっちゅうだ」
「でしょ? ……そこでよ。アンタあの朴念仁が仮に、仮によ? アンタに向かって花束差し出したらどう思う?」
「怖い」
 正直な気持ちを言ったのに、みんなはしらじらとした目。
 ええー? だって怖いよ、何たくらんでるのかと思うじゃん!
 ナルが? 花束を?
 ……陰謀だよ。策略だよ。絶対裏あるって。
「そこまで無理してくれる気があるのかって思うでしょ! 普通!」
「……ああ」
「そんっな似合わないことをしてまでアタシの機嫌をとってくれるのか、と。そうやって感動するわけよ!」
「あー……なるほどねー……」
「一生懸命どうやったら機嫌を取れるか考えて、女の子の喜びそうなことをする。あいつがそこまでやったら、それはすっごく特別なことでしょ?」
「まーね……」
 でもしないから。ほんとに。
 機嫌取りどころか、デートにも付き合ってくれないし、話し相手にもならない。
「気持ちを測る、と言ったら言葉が悪いかもしれんけど、まあそういうことだな」
 ぼーさんが達観したような様子で言葉を補う。
「悪くなんかないわ、当然の駆け引きよ」
 うーん、まあね。
 そりゃ、あたしだってああいう冷血漢と付き合ってると時々は、そう時々は、不安がよぎったりもするわけ。いったい何が楽しくて付き合ってるんだろうなぁ、とか。あたしのどこが気に入ったのかなぁ、とか。
 ……なんで優しくしてくれないのかなぁ、とか。
 好きとも言ってくれない。一緒にいて楽しそうには見えない。あたしを特別扱いなんて、もちろんしてくれない。人に自慢できることなんか、ナルの顔がおそろしくいいってこと以外、何もない――。
 そんな時にちょっと手をつないでくれたら。用もなく電話をくれたら。あたしはすごく安心するのかもしれないね。それはそうかもしれない。
 もしも。花なんかくれてしまったら。
 あたしはナルの気持ちを疑ってみたりはしないだろう――。
「だいたい、どうやって付き合うことになったんだ? 付き合い始めたからには意志の疎通ってもんがあったんだろ?」
 ぼーさんが言うと、みんなが口々に同意した。
「そうですよ、そこが聞きたい」
「永遠の謎ですわ」
「どうしてナルがねー。ねぇ、ジョンも思わない?」
「……えっと、ちょっと、不思議でおますね」
 あたしはゆっくりとみんなを見回し……
「そのわけは……」
「そのわけは?」
 お墓まで持って行くぞ、と言いかけた。
 あたしはしゃべるつもりなんかなかった。
「そのわけは? 僕も聞きたいね」

 ……ひやり、とクーラーを入れたような空気が流れた。

「あ、あら所長〜……」
 かつ、こつ、と足音を響かせてナルの見慣れた黒い姿がこちらに近づいてくる。
 氷のように吸い付きそうな冷たさを持った瞳が、まっすぐにあたしを見つめている。
 はにゃあ…。
「麻衣」
「はい!」
「お茶」
 もちろんでございます、すぐにお淹れいたします、所長さま!!
 あたしはあわてて立ち上がった。他のメンバーは、ナルの冷たい目ににらまれて身動きさえできないでいる。逃げる口実が与えられただけあたしは幸せだ。
「くだらない話をするなら、帰れ」
 給湯室に逃げるあたしを追いかけるように投げられた静かな罵倒に、あたしは首をすくめて急いで視線をさえぎる壁の中に飛び込んだ。給湯室のシンクに手をついて、やっとほっとする。
 ……怒ってるわ。そりゃそうだな、部下が頼まれた仕事を後回しにしてさぼってると思えば、自分の私生活をばらそうとしてたんだから。
 もちろん、付き合うきっかけなんて言うつもりはなかった……なかった……けど、デートしてないだのなんだの言った時点でもう、けっこう、言っちゃってるよな……。
 こりゃお叱り覚悟だ。あたしはせいぜい機嫌を取るべくナル好みの紅茶を棚から探し出す。
 やかんを取り出して火にかけて……そうする間にも事務所の方からは聞こえよがしのブリザードが吹き込んでくる。
「みなさん、ゴシップによほど興味がおありのようで。欲求不満ですか?」
 やかんはなかなか暖まらない。そうそう、ゆっくり時間をかけて暖まってくれ。まだしばらく向こうには行きたくない。
 それにしてもどこから聞いてたのかなぁ……。
「アタシはかわいそうな麻衣と違って大事にしてもらってるもの、欲求不満なんて」
 果敢にもたてついているのは、もちろん綾子の声だ。あの度胸は尊敬に値する。けど、たぶん何も考えてないだけだろう。
「そうですか。ひがまれているのかと思いましたが」
 さらりと、毒を含んだナルの声。
「馬鹿言うんじゃないわよ。そういうことはね、一人前に女と付き合えるようになってから言いなさい」
「一人前?」
「そうよ。ろくに女の機嫌も取れないくせに」
「したいと思ったことはありませんね」
「じゃあアンタ、麻衣を怒らせたらどうするわけ? 修復不可能でしょ」
 …………。
「そうなったらそれまでということで」
 ああ、またむちゃくちゃを言ってる。
「麻衣の方はそれじゃ済まないでしょ! 結局麻衣が折れなきゃいけなくなるんじゃない」
「いい加減にしてくれませんか」
「冗談じゃない。アタシたちは麻衣の味方なんだから」
 だったらそれ以上怒らせないでよぅ……。誰が迷惑すると思ってんだ、バカ綾子っ。
「なるほど? 味方ですか」
「そうよ。アンタみたいな朴念仁と付き合い続けようっていうんだから……」
「折れても付き合いたいと思うなら折れればいい」
 事務所の方が一瞬しん、となった。
「……女の敵」
 断定するように綾子が言った。
 みんながそれにどんな反応を示したのかは分からない。肯定か、否定か。言葉は聞こえなかった。
「弱いものは弱いもの同士勝手につるんでいれば」
 ――ピューッ、とやかんが音を立てた。
 あたしはあわてて茶器に取りつく。
「麻衣」
 すぐ背後で声がしたのでさらに驚く。
「もう帰る」
「は?」
「お茶はいらないと言ってるんだ」
「ちょっと待て」
 あたしは湯気を噴き始めてるやかんをほっぽって、ナルの白い面をにらみつける。その無表情の奥には、かすかに強い苛立ちが見え隠れしている。
 そりゃ怒るのは分かるよ。綾子が言いすぎだ。
 でも人に頼んでおいて、それはあり? 大体あたしは一応仕事でいれてるんだよ?
「お茶の一杯飲むくらいいいでしょ。頼んだんだから、責任持ちなさいよ」
「お前はそれが仕事だろう」
「それが所長の仕事の助けになるからこそ、お茶を入れるのがあたしの仕事になるんでしょう? 道楽に付き合ってさしあげる理由はない」
「ここでは仕事ができない」
 ひどく皮肉な笑み。
「僕の仕事を妨害しようという輩があまりに多くて」
「理由にならな…」
「それじゃあ」
 ……聞く耳持たない、という感じだった。
 ナルは言いたいことだけ言うとさっさと所長室に入って荷物をまとめ、本当にあっと言う間に出ていってしまった。あたしが大急ぎでお茶を入れるのも間に合わなかった。せめて一口飲ませようと思ったのに。
 事務所には、気まずい雰囲気の大人たちがぽつねんと座っている。
「……お茶」
 あたしはしかめっつらしく『余ってしまった』お茶を全員に供した。どうも、とか、ああ、とか曖昧な礼を言って申し訳なさそうにみんなが紅茶をすする。
 あたしもどっかりとソファに腰掛け、少々ピントのぼけた味になってしまった紅茶を飲んだ。
「……悪かったわね」
 小さな声でもごもごと綾子が謝る。
 まったくだい。わがままは日常茶飯事といっても、やっぱり傷つくんだぞ。
「何よ、あのバカ。麻衣に八つ当たりすることないじゃない」
 不本意そうに、綾子。だからお前は浅はかなんだってば。ナルを怒らせるとどこにとばっちりが行くかって、そんなのあたしかリンさんでしょーが。
 あーあ、とっておきの高い紅茶が。
「こういう場合、麻衣が機嫌を取ることになるんですの?」
 何か怒ったように、真砂子。
「ナルからは折れないでしょうけど、それって理不尽ですわ」
 いやまったく。それはその通り。
「んー……ごめん、悪かったわ」
 綾子はさらにばつが悪そうになる。味方どころか食ってかかることで逆にあたしに不利益になっちゃったから。
 ……ふう。でも、ま。
「いいよ。あたしもこれ飲んだら帰るね」
「今度何かおごるわよ」
「え、ホント? ラッキー」
「がんばってくださいねー……」
 全員が応援と同情の混じった視線を送ってくる。
 あたしは少し苦笑した。
「だいじょぶだよ」
「ほんとかぁ?」
「ナルだってあたしのせいじゃないのは分かってるよ。きっと引っ込みがつかなかっただけ。プライド高いから、みんなの前じゃ謝れないんだよ」
 みんなが顔を見合わせる。
「……2人きりなら、謝るの?」
「謝らないけど、きっと後悔してる」
「ふーん」
「ほんと、ほんと。いつもそうなんだから。少しは反省して態度を改めればいいのに」
 なぜか、軽い笑いが起こる。
 何がおかしいんだよ。
「なんだ、うまくいってんじゃない」
 あたしは何か反論しようかと口を開いたけど、やめた。代わりにちょっとだけにっこり笑ってみた。
 実際こういう時、ナルはなんだか少し申し訳なさそうな顔をしている。めずらしく自分からあたしに声をかけてきたりする。そして、少しだけ気を遣って紅茶を自分で入れたり、優しかったりする。
 うん、薔薇の花束なんかなくても仲直りできるよ?
 駆け引きなんかいらない。本音でぶつかるだけだから。
 それだけが喧嘩の多いあたしたちの自慢だからね。

END.

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