アリスのお茶会

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「好きな人リスト?」
 麻衣は心の底からうさんくさい気持ちになった。
「そーよ」
 綾子がしたり顔でうなずく。
 真砂子はその綾子の隣で日本茶をすすっているが、さりげなく耳をかたむけているのが分かる。綾子がこういったくだらない話を始めた時、てきめんに顔をしかめるのが真砂子だからだ。無表情というのは、聞いているというのと同義だろう。
「……なんで」
 綾子を馬鹿だと公言してはばからないナルの気持ちを少しばかり理解しながら、麻衣は重々しく問いただした。
「真砂子が言い出したのよ」
「いやですわ。あたくしがうかがったのは友人の定義でございましてよ」
「だから、そんなのは本人の気持ちの問題だって言ってんでしょ」
「その気持ちの区別はどこにあるのですか、とうかがったんです」
「それで、好きな人リストを作ってみたらって言ったのよ」
 水を向けられて、麻衣は眉を寄せる。
「さっぱり分かんないよ」
「だーかーら。誰が『親友』で誰が『友人』で、誰は『知り合い』なのかってことは、案外自分ではっきり分かってんのよ。順番にリストアップしてみれば、どの辺りにボーダーラインがあるか分かるじゃない」
「面白がってるよーにしか聞こえないんですけど」
「当たり前じゃない、面白がってるのよ」
 まぁ、と真砂子が嫌な顔をする。
「真砂子がこんなかわいいこと言い出すなんて、面白い以外の何だって言うのよ。普通は中学生ぐらいが悩むことよ、それ」
「それは失礼いたしました。あたくしは松崎さんと違って、多忙な中学時代を過ごしましたもので」
「ちょっ、何よそれ! アタシがよっぽどの暇人だったみたいじゃない!」
「……違うつもりだったんかい……」
 麻衣は冷め始めた紅茶を飲み干した。
「それで、あたしまでお鉢が回ってきたわけだ。あたしの好きな人聞いてもどーしよーもないじゃない」
「真砂子のはもう聞いたもの」
 綾子は意地の悪い顔で笑う。
「聞きたい?」
「ちょっと、松崎さん!」
「いーよ別に。どうせナルが1番で、あとはおんなじだって言うんでしょ」
「そう思うでしょ? それが違うのよ」
「松崎さん! それはプライバシーの侵害でしてよ!」
「話したのはアンタでしょうが」
 喧々囂々言い募る真砂子には構わず、綾子は麻衣の襟をつかんで引き寄せた。
「1番はアンタだって。もてるじゃないの」
 麻衣は思わず真砂子を見た。
 真砂子は整った顔を真っ赤にして、横を向いている。
「見損ないましたわ、松崎さん。あなたなどを信用した自分が憎らしいです」
「何とでも言いなさいよ」
「麻衣、本気にとらないでくださいましね。あたくし……麻衣? 何を笑ってらっしゃいますの?」
 麻衣は、にへらと笑み崩れていた。
「いやー嬉しいなって。あたしも真砂子が1番だよ」
「まぁ……」
 さらに照れたように、真砂子は口元を袖で隠す。
 女2人がやたらに親密な空気で向き合うという、ある意味怪しい構図ができあがった。
 綾子はすっかり呆れた様子で口を開閉させる。
「ちょっとぉ、何なのよアンタたち。2人して、ナルはどうしたわけ? 真砂子、アンタ無理そうだからって乗り換えたの? 麻衣も、ナルは恋人なんでしょーが」
「それとこれとは別だよ」
 麻衣は胸を張って答えた。
「だって、ナルのことを好きだなぁって思うことなんか一体どれくらいあると思う? むかつくことの方が何十倍も多いんだから」
「そうですわ。ナルなんて本当にこれ以上ないくらい冷たい方ですのに、1番好きだなんて、あたくしマゾヒストではありませんのよ」
「うわーそれ言えてる。ナルが1番好きだなんて、マゾだよね」
「ですわよ」
 へぇ、と綾子が冷たい目をした。
「で、ナルは2番目なわけ」
「そうだなー。うーん、いや、2番目はぼーさんかな」
「……じゃあ3番目は」
「えーと、タカ?」
「……友達ばっかりじゃない」
 麻衣は勢いよくうなずく。
「やっぱり、友達の方が好きだし大事だよ」
「……お子さまに聞いたアタシが馬鹿だったわ」
 知らなかったの自分が馬鹿だって、と突っ込んだ麻衣は、綾子から怒りの鉄拳を食らった。

 今日も今日とて、オリヴァー・デイビス御大は自宅のソファで至福の時を過ごしている。
 彼の最大の趣味にして憩いの時、リラクゼーションも兼ねているそれは、もちろん仕事である。
「こんばんはー」
 勝手に合鍵を使って恋人の家を訪れた麻衣は、辞書のような本を読んでいるナルに一応声をかけた。予想通り、反応すらない。だからといって、集中しすぎて気づいていないというわけでもないのだ。
 麻衣がコートを脱いでたたんでいると、ナルの細い指がとんとんとテーブルを叩いた。
 ナルは完璧主義ではあるが神経質な方ではなく、仕事中に手遊びをする癖はない。麻衣が視線を投げると、こちらを向いていたナルとばっちり目が合った。
 再びテーブルを叩く仕草。そしてナルは読書に舞い戻っていく。
(お茶か、お茶だな)
 不幸なことにそれだけのサインで悟ってしまった麻衣は、文句を言う気にもならずキッチンに向かう。
 これでナルが1番好きだと言えたら、とんでもなく広い心の持ち主に違いない。
 ごく一般的な心臓を持っている麻衣は、絶対に真砂子や滝川の方が好きだと改めて確認しながらお茶を入れた。
 2つのカップを持ってリビングに戻ると、ナルは麻衣が目を離した1秒後で停止しているのではないかと思うほど寸分違いなく同じ姿勢で本を読んでいた。
「はいお茶」
 うんでもすんでもなく腕だけ伸ばしてカップを受け取るナルの目は、本から1mmも離れない。この体は動けたのかと思うくらいだ。
 だから、そのナルが声を発した時には自分のカップを取り落としそうになるほど驚いた。
「原さんに気があるんだって?」
 しかもこの内容だ。
 麻衣は思わずソファから立ち上がった。
「綾子ぉぉぉっ!」
 どうやらこれは綾子の告げ口であり、麻衣への嫌がらせらしい。
 ナルは優雅に紅茶を飲んでいる。
「き、気があるってなんだよ、気があるって!」
「そう聞いたが? 僕は同性愛者を差別する趣味はないから、無理に否定しなくても構わない」
「そういう意味じゃないよっ。分かってんでしょーが」
「何を?」
 壮絶に美しい笑みでやっとナルは振り返る。
「女性との浮気なら害もない。好きにすれば」
「う、浮気ってあんた……一応あたしと恋人同士だって自覚があるんなら、そーゆーこと言わないでよね」
「恋人同士? そうだな、原さんと正式に付き合いたいなら、解消することに異存はないが」
「ナル」
 取り付く島もない。ほとんど涙目になって、麻衣はナルをにらんだ。
「……それって、妬いてんの」
「僕が?」
 偽物の笑顔すら、掃くようにナルの顔から消えた。
「鏡ならバスルームにある」
 暴言に麻衣は詰まるが、ここで引いてもナルの機嫌は直らない。
「そうとしか見えないよ。そうじゃないって言うんなら、あんたは意味もなく人をいじめてるだけの子供だ」
「なるほど、僕はサディストだそうだからな」
「そ、そこまで言ってないよ!」
 しかし近いことは言った。
 そんなことまでバラしたのか、と綾子に殺意が湧いてくる。
「恋人になりたいって意味の好きと、単純な順列としての好きって違うでしょ? だから……あたしは別に真砂子と恋人同士になりたいなんて思ってないって。ああもうっ! なんでここまで説明しなきゃいけないんだよ!」
 ナルは本を閉じ、紅茶を一口飲んだ。
 驚いたことに、本より麻衣との話が大事だと判断したのだ。
 かつてないほど怒っている、と麻衣は冷や汗の流れる思いがした。
 とはいえ、不思議な話だ。ナルは、麻衣が滝川たちとじゃれていても大学の男友達と遊びに行っても、やきもちなど妬いたことがない。怒るでも歓迎するでもなく、いつも通り無関心だ。それが、なぜ真砂子に限ってこうも過敏に反応するのか。
 意外に真砂子を好きなのはナルの方ではないのか、といらない勘繰りさえ浮かんでくる。
「じゃあ……ナルはどうなのさ」
「何がだ?」
「1番好きな人。研究とかはナシだよ、人だからね」
 少し考えて、ナルは麻衣の知らない人間の名前を挙げた。
「誰それ」
「フランスの心理学者だ。彼の書く論文は一目を置く価値がある」
「好きな作家聞いてんじゃないっ!」
「作家じゃない、研究者だ。お前の耳は節穴か?」
「作家だろうか研究者だろうがタレントだろうが、おんなじようなもんだい。あたしが聞いてんのは、付き合いのある人間の中で、誰の人間性が1番好きかって話だよ!」
「そんなくだらない話に興味はない」
「話を始めたのはどっちだ。考えろよな。あたしが1番好きなのは真砂子だって言った意味が分かるよ」
 ナルはため息をついた。
「人間性ね……」
「そう、人間性で」
「なら、リンだな」
「へぇ」
 麻衣は感心して目を見開いた。
「リンさんのこと、そんなに好きだったんだ」
「誰の人間性が好きかという話なんだろう? リンの人間性が1番部下に適している」
 しばし2の句が告げなかった。
「あ、あ、あんたの判断基準は利用価値だけかいっ!」
「何が不満だ。質問に答えてやっただけだが」
「そうじゃなくて! 好きな人だよ! 何で分かんないかなー?」
「質問が曖昧だ」
「ストレートだよ!」
「どこが」
「普通の人はこれで通じるもん」
「その普通の基準はどこにある」
 麻衣はふくれた。
「確かに、そういう意味では曖昧でした。すいません。でも、曲解しないで素直にとってよ。いい人だなぁとか、好きだなぁって思う人、いないの?」
「別に」
「貧しいぞ、それ」
「その分才能が豊かなもので」
 自分に絶対的な自信がある人間は手に負えない。
 麻衣はほとんどあきらめながら、分かりましたよと呟いた。
「じゃあ、1番一緒にいて居心地いいと思う相手でどうよ。比較でいいから」
「比較で言うなら、麻衣が1番マシだな」
 一瞬理解できず、麻衣は瞬いた。
「へ?」
「比較的邪魔にならない」
「えと……」
「だが、その言い方をすれば、お前は原さんといるのが1番いいんだろう。無理にここにいなくてもいい」
(あ、そういうことか)
 麻衣はやっと理解した。
 ナルは麻衣が他の人間といても気にしない。興味もないのだろうし、他の男になびくことなどないという自信があるのだ。
 しかし、麻衣はナルより真砂子の方が好きだと言った。ナル自身は麻衣よりマシだと思っている人間がいない。それが気に入らないのだ。単純に、子供の論理として。
「……それって、やっぱりやきもちだよ」
「うぬぼれるな」
「うぬぼれもするって。ついでに、すっごくいい気になってサービスしちゃう」
 空いていた距離を右手1本で詰めて、麻衣はふれるだけのキスをした。
 不安定な姿勢の麻衣を、ナルの腕が軽く支える。
「……その程度で?」
 ナルは冷たい目で笑う。
 麻衣は彼の目をじっと見つめた。
「あのね、あたしが1番好きなのは真砂子だけど」
「それはよく分かった。離れろ」
「でもね。ナルはリスト外なの。完全に別格だよ。分かってね」
 しばらく、ナルは難しい顔をしていた。
 しかし、麻衣を押し返そうとしていた腕は、力を失っていた。

END.

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