アリスのお茶会

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 現実をちょっとだけ置き去りにして、みんなに手を取られて荷物を持たれてお姫様みたいにして、あたしは幸せで幸せでにこにこ笑っていた。

Phosto Stand 〜another version〜

 みんなに出会ってからの人生で初めて、あたしが主役になった。
 ナルでもなくて真砂子でもなくて、あたし。確かに昔事務所の仕事に初めてお邪魔したときから考えれば、あたしは『お邪魔虫』じゃなくて『所員かっこ時々役にたつ』になってたけど、いつも注目は一瞬。その程度の実力しかないんだからしょうがない。
 でも今日はあたしだけちやほやされてほめられて。世話を焼かれて大事にされて。
 リンさんまでが廊下の途中で会った時少し微笑んでくれた。
 なんてことだ。
 あたしは幸せの絶頂。
 気持ちが風船みたいにほわーっとふくらんで高い天井のその1番高いところまで浮かび上がってた。
 ぼーさんに手を引かれてその場所の入り口まで行くと、あたしの風船は入り口の扉の桟に引っかかったので、ちょっと上を見た。
 マリア様の肖像が見下ろしていた。
 とろけそうな瞳に風船は引っかかって、あたしが先に進むと、廊下よりもっと高い天井の礼拝堂にぽこりと押し出された。

 前の晩、いつもみたいに当たり前に仕事をしていたら、ぼーさんがふらりと現れた。ここにいると思った、かなんか言って。
「緊張してるか?」
 と言って彼の大好きなアイスコーヒーを差し出してくれたりなんかするので、あたしはなんとなくおかしくなって笑った。
「信じられない、って感じ。たぶん緊張はしてない」
「信じられない? 結婚式が?」
「準備とか大変じゃない。結婚式って。教会行って当日のレクチャー受けて、ドレス決めて丈合わせて、誰呼ぶか決めてみんなに案内状書いて。ただでさえ最近忙しいのに、仕事が1つ増えたのかって騒ぎ」
「確かに」
「それで、いざ明日が本番ですよって言われても、すでに『ああそうですか』って思うの。『分かりましたじゃあがんばりますね』って。分かる?」
「分かる」
 彼は自分の分のアイスコーヒーをストローでちまちま啜った。
 このアイスコーヒーは自分でいれたんだろうか、それともあたしが作り置きしといたヤツを出してきたんだろうか、などと思った。
「俺は結婚式の経験はないが。ライブの前日はな、そんな感じ」
 ぼーさんは少し言葉控えめに話す。
 あたしの反応をうかがってるみたいにして話す時、彼の言葉はその分ちょっと少なくなる。
「バンドやってる人には、やっぱりライブって特別?」
「特別、特別」
「今までの集大成って感じ?」
「集大成は、CDなんじゃないかな。そのために、じっくり時間もかけて納得いくまで作る」
「ライブは、そのCDより特別?」
「そう」
「なんで?」
「客が来るから」
「たくさんの人に聞いてもらえるから?」
「だから、それならCDなんだって。小屋には何万って人は入らないだろ」
「数が問題じゃないなら、テレビで録るときだってお客さん入ってるじゃない?」
「でも、それは俺のベース聞きに来てるわけじゃないの」
「……ああ」
 なんとなく分かる気がする。
「俺たちの音を聞きに、そのためだけにファンの子たちが来てくれるわけ。期待して、楽しみにして。ヒーローだぜ」
「それが楽しいわけ?」
「ま、ね」
 言っておきながらぼーさんは全然違うことを続けた。
「1人でやるよりバンドのやつらと4人でやる方がもっと楽しい。なら、そこに何百人の客が参加してくれたらその何十倍かとんでもなく楽しい。ファンの子たちは音楽をやらないけど、一緒に盛り上がってくれる。俺たちがいい演奏をすれば拍手をして、失敗したら落胆してくれる。それは増幅装置だ。だからライブは特別」
「楽しいから、特別?」
「とびきり楽しいから、特別」
 ぼーさんの言うことは分かったけど、あんまり結婚式と似てない気がした。何でそんな話を始めたのかはよく分からなかった。
 ぼーさんがにこにこ笑ってるから言っても気を悪くしないかなと思ってそう言ってみた。
「俺は似てると思うけどね」
 やっぱり笑い顔のままで彼は首をかしげた。
「そうかな」
「昔はどうか知らんが、この現代結婚式の内実なんてイベントだろ?」
「見せるためにやってるってこと?」
「見せるためと、本人たちが楽しむため」
 ちょっとごめんな、と言ってぼーさんはタバコに火をつける。
「ちょっと前なら、結婚式で初めて結婚相手の顔見ましたってのもザラだから、本当に2人を結びつけるための儀式だったわけだ。公認になって、お披露目して、子作りに励む」
「身も蓋もない」
「事実そーだったんだからさ。でも今となっちゃ、式なんかしなくても周りの人間は知ってるものだし認めてるものだし。婚前交渉当たり前、同棲もOK。こうなったら結婚式に何の意味がある?」
「うーんと、乙女の夢?」
「言うじゃねーか。夢だったのか?」
「いや全然」
「かわいくねー!」
 ぼーさんに頭をわしゃわしゃとされて。
 やめろーとか騒ぎながらあたしは妙に幸せ。
 ぼーさんが言う。
「でも明日、嬉しいだろう?」
「嬉しいよ」
 どーしてだろうね、とあたしは首をかしげる。
 さあな、とぼーさんはまだにこにこしている。
「明日、きっとみんながお前を祝福する」
 ふぅん、とあたしは少し笑って首をかしげる。
   倍になっていく気持ち。
 ふくらんでいく気持ち。
 あたしの大事な人と、大事な場所。
 そこから送られてくる祝福と、拍手。
   大きな声で彼と交わす誓い。

 しんと静まり返った礼拝堂の中で神父さんが読みあげる聖書の言葉を聞いて。
 ステンドグラスを透かして降りこんでくる太陽が、イエスさまの像を金色に浮かび上がらせるのを見て。
 あたしの風船が聖堂の真ん中に浮かんでいるのが見えるような気がした。
 赤い大きな風船。
 赤いいろ。
 ハートのいろ。
 後ろから見守っていてくれる、たくさんではないけど大好きな人たちの視線を感じる。

 シアワセ。

 あたしは神父さんの問いにまるで小学生が出席でも取っているような勢いで答える。つたない英語で、一生懸命に。
 ハイ、誓います。
 教えられたとおりの儀式が終わって、あたしたちは、あたしととなりの彼は、言いつけられたとおりちょっとだけ手をつないで赤い絨毯のバージンロードを歩き始めた。
 拍手、拍手の雨。
 太陽の光みたいに降り注ぐ優しい気持ち。
 そして。

 あたしは、最前列に座る人の姿を見て思わず足を止めた。
 お祝いに来てくれた優しいその人は、膝の上に優しいあの人の写真を持っていた。
 笑顔いっぱいの写真だった。まるであたしの結婚式をその満面の笑顔で祝福してくれているように、晴れ晴れしい。この場に来れないあの人が、川の向こうから写真を通じて結婚式を見てくれているようだった。
 あたしが立ち止まってしまったのを見ると、すぐそばに座っていた彼女は困ったように笑って、とっても小さな声で言った。
「ナルがね、持っていけって言ったのよ」
 となりを見上げると、写真とそっくりのでも別人の仏頂面が黙って見下ろしていた。
 私は昔この人じゃなくて、写真のあの人のお嫁さんになりたかった。
 ――風船がぱちんと割れた。

 泣き出したあたしに、となりの人は何も言わなくて。
 何も知らない祝福の声はいっそう大きくなった。
 おめでとうって。
 あら麻衣泣いちゃったわよ、って。
 ウレシイウレシイウレシイ。
 サビシイサビシイサビシイ。

 ぼーさん、ライブとはちょっと違うかもしれない。
 だってこれは人生の選択だから。
 どんなに幸せなことも嬉しいばっかりじゃない。
 でもとなりの人はつないだ手を少ししっかり握ってくれて。
 あたしはやっぱり半分幸せで泣いた。

 泣きながら新しい道を歩くあたし。
 手を引いてくれる彼。
 ……写真立ての中には、もう見れない笑顔。

end.

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