アリスのお茶会

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ひとり言

「っていうわけでね、もーほんとにムカツクでしょう! あぁまったく!」
「……何が?」
 明らかに何も聞いていなかったナルからの、あまりに冷たい相槌。
 あたしが急に叫んだからふと耳に入ったのだろう。
 ごくごく、とすっかり冷めた紅茶を飲み干す。音を立ててカップを置き、ソファを立ち上がった。
「すっきりしたっ」
「何なんだ」
「あ、愚痴ってただけ」
 あたしはひらひらと手を振る。
「やかましくてごめん。いいよ読書続けて」
 ナルは不審そうに周りを見回す。
 いつものオフィス、いつものティータイム。今日は頻繁にやってくるイレギュラーズもいなくて、リンさんもお出かけ。あたしはナルと2人きり。うるさいのがいないから、所長さまもお篭りせずにオフィスへ出てきている。
 そんな中で、あたしは1人気が済むまでしゃべりまくっていたのだった。
 ひとり言だったと納得したのだろう、ナルはそれ以上コメントせず本に戻る。聞いていないと分かっていて何でしゃべってたのか、とかそういうことは聞いてこない。たぶん自分に関係ないと判断した時点で気にもならなくなったのだと思う。
 身勝手なヤツ。冷たいヤツ。
 でもそれを分かってておしゃべりするあたしだって、十分勝手。
 ここで重要なのは、あたしもナルもお互いの勝手さを気にしてないってこと。お互い、慣れっこ。何にも気にしてない。気持ちのいい関係だった。そして、ちょっと冷たい関係かもしれなかった。
「お代わり、いる?」
 聞いてもナルは答えなかった。
「ナール?」
 あたしはナルの手にある本を指先でとんとんと叩いた。
 彼の黒い瞳がこちらを見る。
「お代わりはいりますか、所長?」
「いや、別に」
「分かった、じゃ洗うからカップ持ってくね」
 確認の問いかけをした時には、もう黒い瞳は本のものになってる。
 あたしの言葉はぽんとオフィスの中に放り出される。
 でも何にも気にせず、2人分のカップを持って給湯室に立った。馴れというのは怖ろしいなぁ、腹が立たないもんだなぁ、そんなことを思った。
 何より不思議なのは、いつだって自分の気持ちだった。

 火曜日の授業は1限と3限の間にぽっかり時間が空いている。
 家に帰るほどの時間はないし、ぼぅっとしているにはちょっと長い。近所までお茶や買い物に行く人が多かった。大学の授業というのは1コマが長いから、そのくらいの余裕は充分にある。
 あたしはと言えば、その時間友達とカフェテリアでおしゃべりするのが習慣になっている。たいていは何も食べないし、飲まない。苦学生にとって毎週飲み物1杯の負担はけっこう大きい。外の喫茶店に行かない理由は、それだった。
 毎日バイトバイトで友達とゆっくりする時間もない。だから、あたしにとってこの1コマの余裕はかなりありがたいものだった。付き合ってくれる友達さえいれば、退屈なんかしない。
 その日は親しくなったばかりの女の子と2人きりだった。
 彼女は夏の熱気からガラス1枚隔てたカフェテリアの中で、氷の浮いたアイスコーヒーをすすった。
「麻衣って、本当に苦学生なのねー」
「そーだよー」
「あたしなんかこういうとこ入ると、節約しようと思ってもつい飲みたいもの頼んじゃうよ」
「年季入ってるからさ、あたし」
「すごいすごい。立派」
「ふふふ、珍しかろー。よく見ておくがよい」
 他愛ない会話を交わしながら、流れていく時間をのんびり過ごす。
 聞かない人にひとり言を言うのとは全然違う。こういうのが会話だよなぁ、としみじみ思い出す。あたしだって、ひとり言が好きなわけでは決してない。どちらかというとにぎやかにしているのが好きなタイプだと、自分では思う。
「特に彼氏とデートしてる時だよね。ついついおしゃれな店でおいしいもの食べたくなる」
「だろうねぇ」
「おしゃれな店って、どーしてもお高いじゃない」
「雰囲気代だな、うん」
「そうよねぇ、分かってるのにはまるのよねぇ。演出された雰囲気に酔っちゃう自分も、やっぱりいてさ」
「分からんでもない。ムードを求めるのは女の子の習性だよな」
「その通り。その気なんかなくても、ムードがあればふらふらっと。あ、この人好きだなとか思う」
「うわ思い込み」
「でも分かるでしょ!?」
「うはは、でも分かる気がする」
 彼女のかきまぜる氷が、からからと鳴った。
 知り合いばかりがたむろしてるカフェテリアより、やっぱり恋人といるなら素敵なバーにでもいたい。そこで優しくなんかされてみる。楽しい会話などしてみる。そしたらやっぱり年頃の女の子としては幸せだったりなんかするだろう。
 それは、経験のないあたしでも想像できることだった。
 ただ、あたしの場合『金がかかる』っていう経済観念が先にたって、楽しめないってだけだ。
「麻衣は、彼氏は?」
「うんにゃ」
「片想い中だったり?」
「いーじゃないか、君。あたしのことなぞ」
「図星か、図星だな」
「どーして女ってのはそういうこと聞きたがるかね」
「話をそらしてごまかさない」
 ごまかすなと言われても、話す理由がない。
「実りのない片想いならやめとけば? 人間とゆーのは上手くできている。実はそんなに好きでもない相手だって、状況さえ整えればきっちり幸せになれる」
「うぅむ真理だ」
「これは一種の防衛本能よね。実際は幸せじゃなくても、ちゃんと幸せな気分を見つけるのよ。上手いよ、ホント! いっつも感心しちゃうよ自分に」
「それは同意できるなぁ」
 彼女の言うことは、一面思っている通りのことだった。あたしは苦笑した。
「お、その気があるなら紹介しますぜ、お姉ちゃん」
「気持ちだけもらっておくぞ妹よ」
「えーそうなの?」
「興味ないしね。苦学生だからな、遊んでる暇はないさ」
「ぶー。やっぱり苦学生つまんない」
「面白そうだと思ってたのかあんたは」
 からり、と氷の音。
 相手を変えて時を変えて、何度交わしたかしれない会話。でも、それがつまらないと思ったことはない。
 彼女の言うとおり、楽しみはどこにでも転がっている。
 たとえば、同じことを言っていても、それぞれちょっとずつ違っている言い方や切り出し方や。それに伴う理由の説明や。ほのかににじむ彼女自身の生活と過去。
 そんなことが、目を開いてみれば全部面白い。
 これから、このカフェテリアであたしは何度同じ断り文句を口にするのだろう。
 そんなことも、面白かった。

「っていうわけでね、もーほんとに面白いでしょ。楽しくってしょうがないよ!」
「……何が?」
 やっぱり何も聞いてなかったナルの相槌。
 あたしはしゃべっている間に冷めてしまった紅茶を飲み干す。カップを持って立ち上がる。
「あ、言いたかっただけだから。思い出したらさらに幸せな気分」
「へぇそう」
 興味を失ったように、ナルは本に戻る。
 あたしは彼をのぞきこむ。
「お代わり、いる?」
 ナルは返事をしなかった。
「ナルナル」
 あたしは黒い服の袖を引っ張る。
「お代わりいりますか?」
「アールグレイを」
「りょうかーい」
 カップを2つ持って給湯室に足を向ける。
 繰り返しのような毎日。ちょっと冷たいようなナルとあたしの関係。
 でも、不思議なのはこういう些細な違いで幸せになれるあたしの気持ち。
「やっぱり楽しいなぁ。昨日もね、同じように聞いたんだけどナルは別にって言ったのね。昨日も今日もそれほど温度が違うわけじゃないし、ナルがあたしの話聞いてないことには変わりないんだけど、やっぱり違うわけ。お茶がほしいと思うか思わないかって、気分の違いなわけじゃない。表面上は同じに見えても、ナルの気分はちょっとだけ違うんだよね。それって、ほとんど判断するものがないから、楽しくなっちゃう。ナルってばほんとに表情変わらないからねー」
「そう」
 あたしが言葉を切ると、無意識に空気を察するのか適当に返される相槌。
 返事をしたから聞いていると思ってはいけない。
 無意識下では聞いているかもしれない。これが調査にでも関係してきたら、彼の優秀な頭脳は記憶の底の底に沈んだ会話をきっちり思い出したりするんだろう。でも、基本的には聞いてないし、覚えてない。
 でも、どうしてだろう? 無表情な相槌を聞いて嫌われてないなぁと感じられるのは。
 もしかしたら、あれのせいかもしれない。
 『ナルが拒まないのは嫌じゃないってことだ』って教わったせい。
 あたしはカップに所長ご所望のアールグレイを入れてオフィスに帰ってくる。そして、それをテーブルの上に置く。
 ナルは何も言わずに手を伸ばす。
 無意識の領域で、きっといろいろ聞いてるし見ているんだ。
 くすくす笑って、ソファに腰を下ろした。そして、いつも通り勝手にしゃべりだす。
「こんな風に、聞いてないって分かってる相手に話してて、あたしもまったく何が楽しいんだろーね。でもちゃんと楽しいから不思議。ムード? どこの言葉? って感じなのにねぇ。でもまぁ理由は分かる気もするんだよ」
「へぇ」
「あのねナル、今突然言いたくなったんだけどさ、あたしナルが好きなんだ。あ、特別な意味でね。気付いてた? 気付かれてるんじゃないかと思ったりもしたんだけどね」
「ふぅん」
 気のない相槌を打って、ナルは紅茶を一口。
 カップを置いて、ぺらりとページをひとつめくって。
 それからふと思いついたように顔を上げた。
「何だって?」
「あ、聞いてた?」
「いやあまり」
 悪びれずに言うし。
 分かってたからちっとも構わないんだけど。
「だからね、あたしナルが好きだよって」
「へぇそう」
「うん、そう」
 また紅茶のカップを持ち上げて、本に目を向けて。
 ナルは少し眉をひそめて首をかしげた。
 そしてまたあたしに目を戻した。
「……何だって?」
 あたしは耐え切れずにおなかを抱えて笑った。

END.

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