003:荒野



 荒れ果てた大地。
 ひねこびた雑草だけが乾いてひび割れた土地に張り付いている。
 人の息吹など感じられない。
 遠くに見える、なぎ倒された森林の裾野がこの荒野の終わりだった。この大地の上に自然の恩恵が途絶えたわけではない。破壊の跡なのだ。
 森林の中から伸びていたらしい街道が、途中でぷつりと途切れていた。

「こんな荒野からでも、人は立ち直れるわ」
 彼女は言った。
「こんな荒野からでも、人は立ち直ってしまいます」
 彼は言った。

 リナはとなりの魔族によって連れてこられた大地の上をゆっくり歩いた。
「これは、あんたの仕業?」
「いえ、そういうわけではありませんよ。僕は一切関わっていません」
 彼がそこまで断言するのは珍しいことだった。本当に関わりのない話なのだろう。
「この辺りには町があったわね?」
「ええ、確か」
 リナは以前旅の途中でその町に滞在したことがあった。魔道士協会があるような大きな町ではなかったが、村というほど小さくもない。大勢の人々が生活していたように思う。その記憶に比べると、目の前の荒野は狭く思えた。この狭い場所に詰め込まれるようにして人間たちは町を作っていたのだ。
「どなたか、短気を起こして壊してしまった方がいるようですね」
「あんたも、それを短気と言うわけ、ゼロス? あたしを追い詰めるためだけにディルスを焼いたくせして」
「おや、あれは冥王さまの案ですよ」
「……フィブリゾが短気だっていうんか。あんたは」
 冥王フィブリゾは、直接の上司でないとはいえ、ゼロスよりも格上にあたる。辛辣な言葉にリナは眉を上げた。
「まぁ……あなたは実際ショックを受けてらしたし、冥王様が死んだと誤解なさったし。意味はあったんじゃないですか?」
 投げやりにゼロスは言った。
「でも、馬鹿馬鹿しいことですよ。人間というのはしぶとい生き物です。こんなことで絶望したりしない」
 紫色の瞳が、枯れた大地を睥睨した。
 さえぎるものをなくした日光が、しらじらした色で黒い魔族を照らし出した。
 絶望に値するだけの破壊を受けた大地を、リナは見る。
「そう……こんな荒野からでも、人は立ち直れるわ」
「こんな荒野からでも、人は立ち直ってしまいます」
 くすりと笑い、リナは疲れたような風情の魔族を振り向いた。
「魔族にも虚しいと思う感情があるのね?」
「僕たちほど虚しさを感じている種族は、他にありませんよ。きっとね」
「あんたたちがいくら町を焼こうと、人を殺そうと、結局のところそれは一つの波でしかないわ。だって本当に人間が根絶やしになってしまったら、困るのは人間を食糧にしてるあんたたちだもの。滅びを望むあんたたちとしては、餓死ってのもオツなのかもしれないけど? でも、人間はこんな荒野からでも立ち直れる。立ち直ってしまう。まるで奇跡みたいにね。だから、あんたたちは人が減ってもただ飢えるだけでいいことなんか何もない。残念ながら、破壊行動の後はせいぜいおとなしくして、人間の繁殖を支援してやるしかないのよ。皮肉なことにね」
「本当に皮肉なことです。そして虚しいことですよ」
「逆に、もし魔族がいなくてこの世が人間の天下なら、人は増えすぎるのかもしれないわ。つまり、滅びを望むあんたたちは、望みもしないのに世界が存続していくための食物連鎖に組み込まれてるってこと。おかしいわね」
 憮然としたゼロスの表情が本当におかしくて、リナは吹き出した。
 太陽と雨の恵みがなくならない限り、この荒野もいつか緑の大地に変わるだろう。
 そうすれば、どこからから人がやってきて家を建てる。家が建てば、生活の糧が必要になる。それを与える店が建つ。店が並べば、秩序が必要になる。組合ができ、役所ができ、システムが整備されるだろう。役所は、システムを支える住民たちを必要とする。そして人を集める。人が集まれば宗教が生まれる。
 ――町はよみがえるだろう。
「僕たちは人間よりはるかに強い力を与えられているのに、なぜままらないのでしょうね」
「……どこかのパツキン大魔王が道楽で作った世界だからじゃないの?」
「あの方のことをそんな風におっしゃらないでくださいっ!」
 ゼロスは人間くさい仕草でぷいと横を向いた。
「あなたは、人間だからそんなことが言えるんです。まったく人間ときたら、矛盾だらけで、矮小で、非力な存在のくせに、あの方のことを軽んじる」
「人間にはね、せいぜいあんたたち魔族程度の脅威しか認識できないのよ。自分たちの抱えた矛盾には、悩み続けていられない。世界の生みの母なんて、大きすぎる存在のことも分からないわ。幸いにもね」
「本当に、不思議です。僕には、母の元に還ること以上に素晴らしいことがあるとは思えないのに」
「あんた、あたしたちがうらやましいんでしょう」
 リナは笑った。
「うらやましい!? 人間が!?」
「だって、あたしたちは生きてる間にたくさんの素晴らしいことを経験できるもの。あんたたちには、生きてる限り喜びなんて、ない」
「それは、思い上がりですよ」
「混沌なる母の偉大さに怯えることもない。この荒野からも立ち直れる。生の世界は、私たちに都合よくできてるわ」
「そんな風に思うのは、あなただけですよ」
「じゃあ、言い換えましょうか? あんた、あたしがうらやましいのね」
 ゼロスは少し黙った後、いいえと呟いた。
 リナは意に介さず、言葉を続けた。
「だからあたしを連れてきたんじゃないの? 虚しくて、我慢できなくて」
「思い上がりですよ」
 もう一度ゼロスは言った。
 す、と手にした錫杖がリナを向く。いつでも殺せるのだ、というポーズだろうか。リナとて、そんなもの改めて言われるまでもなく分かっている。
 それでも、隙だらけのまま荒野を見渡した。
「悔しいの? 言い当てられて」
 リナはその地に住んでいただろう人々に向けて黙祷を捧げると、迷いのない足取りでゼロスに向き直った。
 錫杖はすでに何事もなかったかのように下がっていた。
「帰りましょう」