010: The World



※このお話は、『死にモノ』になります。
暗くはなく、むしろ希望ある話だと思いますが、どうしても受け入れられない方は回れ右でお願いします。

 



 ゼフィーリア王国首都、ゼフィール・シティ。
 永遠の女王[エターナルクイーン]の膝元で、華やかではないが堅実に栄える都である。
 そのゼフィール・シティの片隅に、小さな剣術道場がある。質素な民家に庭の代わりとして無理矢理稽古場を付けたような、どこにでもあるこじんまりとした道場だ。
 アイクは、その道場に通う生徒の1人だった。
 今までたくさんの道場に通わされたが、少し慣れてきたかと思うたび、「評判の道場を見つけた」という親の一言でまた別の場所へ通わされてしまう。今は、その小さな道場が彼の通う場所だった。
 要は親の見栄なのだ、とアイクは思う。
 アイクはゼフィーリア貴族の家に生まれ、後継ぎとして期待をかけられていた。ゼフィーリアは、豪傑の多い土地だ。力こそが価値であると言ってもよい。同級生の中で比較的剣術に優れたアイクに両親は多大な期待をかけている。アイクには彼自身の未来に口出しをする自由がなく、また、両親から一方的な期待以外の何かを与えてもらった記憶もない。両親は彼の対外的評価以外に興味を持っておらず、親に甘えるなどという行為の意味も分からない。ただ、他の選択肢なく与えられた期待に応え続けるだけだった。
 この小さな道場で剣を教えているのは、まだ30代も前半の、本来なら働き盛りであろう男が1人だけだった。彼は、アイクの未熟な目にも素晴らしい剣技を持っていた。だが、それでいて仕官するでもなく傭兵として戦いに出るでもなく、日々食べていくのにかつかつの稼ぎを道場から得て暮らしている。
 変な奴だ、とアイクは初めこの教師を受け入れられなかった。
 だがこの金髪碧眼の美丈夫は、生徒たちがどんなに反抗しても、たとえ束になって彼から一本騙しとろうとしても、いつも変わらない大らかな笑顔で泰然とそれを受けた。
「怒らないのかよ」
 アイクは言ってみたことがある。
 ガウリイという名のその教師は、真っ青な目をぱちくりとしてアイクを見た。
「何をだ?」
 その眼差しのあまりに澄んでいることに、アイクは居心地が悪くなった。
「……先生に生意気なこと言ったこと、とか」
 ガウリイは、遥か高い位置からアイクを見下ろし、大きな手でわしわしと頭をなでてきた。
「えーと、アイク、だっけか」
「そーだよ! 覚えろよ!」
「すまんな」
 ガウリイは、こだわる様子もない。
「アイク、お前は全然生意気なんかじゃないぞ。お前、いろんな先生についてきただろう。太刀筋を見ればわかる。お前みたいに小さいうちからそうやって剣術ばっかりやらされてれば、腐りたくなるのは当然だよ」
「お……おれはもう13だ! 小さくねーよ!」
「小さいだろ」
 はっはっは、とガウリイは笑う。
「オレも、そんくらいの時はお前みたいに親に剣術ばっかやらされてなあ。それなりに強くて、自分はもう一人前みたいな気がしてた。でも、小さいんだよ。まだ、遊んでていい歳だぜ」
 そしてガウリイは、何なら親には稽古だって言ってうちで遊んで行けよ、と言って不器用なウインクをした。
 最初は、本当に少し家に寄らせてもらうだけだった。ガウリイは1人暮らしで、家の中はしんとしていた。別に茶を出すわけでもなく、遊び相手になってくれるわけでもなく、勝手にさせてくれるのが気楽で、アイクはやがてちょくちょく稽古の後家に寄ってそこで本を読むようになった。
 実のところ、アイクは魔道に興味があったのである。親は聞く耳を持たなかったが、その家でならば心おきなく魔道の本を読んでいることができた。先生の家にいる、と言えば角も立たなかった。
 実際そうしているうちにガウリイと親しくなり、時間外に1対1で稽古をつけてもらうことも増えてきた。いや、正確に言えば、ガウリイ自身の稽古に立ち会わせてもらい、ついでにちょっとしたアドバイスを受けていたのだ。当然ながら腕はみるみる上達し、親はひどく喜んでいるようだった。
 親の期待に沿って剣の修練を積みつつ、魔道を学ぶ。そんなことも可能なのではないかと、ひっそりアイクは考えるようになった。ガウリイは意外にも魔道にまつわるいろいろなことに詳しく、アイクが魔道士になりたいと言うと笑顔でそれを応援してくれた。
 だが、そんな日々も長くは続かなかった。

 その日、アイクは真っ暗な気持ちで道場を訪れた。
 お前は十分に力をつけた、次なる飛躍のため別の街にある領主の城に1年ほど行儀見習け、そう父親から言われたのだ。反論する余地も、拒否する権利も、アイクにはなかった。
 半ば飛び出すように家を出て、道場で稽古をし、帰りたくなくてガウリイの自宅に居付いた。
 ガウリイは何も言わずアイクを居させてくれ、そのまま夕食をごちそうしてくれた。
 彼は特に料理が上手いというわけではないが、大雑把なものをまぁそれなりに作った。本人がとにかく大量に食べるので、子供1人くらい増えてもどうということはないようだった。
「お嫁さんもらえばいいのに」
 アイクはなんとなくそう言った。
「先生、もてるでしょ」
 美形で、まださほど年も行っておらず、剣の達人である。当然嫁の来手には困らないだろうになぜ1人者なのか。それはごく素朴な疑問だった。
 だがガウリイはアイクの記憶にある限り初めて、本当に困ったような、寂しそうな顔をした。
「――いいんだ、オレは」
 詳しいことを尋ねるのがためらわれるような表情だった。
 もしアイクがもっと大人だったなら、けして突っ込むようなことはしなかっただろう。だが、彼はその表情の意味が理解できるほどに大人ではなかった。
「いいって、なんで? おれはさ、きっと結婚も自由にさせてもらえないけど。先生は自由なんだし、好きな女見つけて、結婚したらいいじゃん」
 それがどんなに残酷な言葉だったか、アイクはやがて大人になってから思い返して後悔することになる。だが、その時のアイクはただただ頭に浮かんだ純粋な疑問をぶつけてみたのだった。
 ガウリイは痛いような、まぶしいような笑みを浮かべた。
「オレの、ただ1人愛した女は、死んじまったんだよ。だから、もういいんだ」
「あ……」
 その時、アイクはやっと自分が目の前の男のもっとも繊細な部分に無遠慮にふれてしまったことに気付いた。
 自分だけが苦しいのではない。今さらそのことに気付く。
「――ごめん。おれ……なんか、自分のことでいっぱいで」
「いや」
 笑顔で首を横に振ると、ガウリイはおもむろに立ち上がった。
「……日が落ちたな。外行こうぜ、アイク」
 首をかしげながら、アイクは立ち上がる。
 ガウリイが足を向けたのは、稽古場の方だった。

 稽古場は、本当に庭に毛が生えた程度のものだ。
 普通の庭なら洗濯干し場があったり植木があったりする代わりに、藁人形や木刀置き場がある。下はむき出しの土で、周りを木の柵で囲ってある。それだけのものだ。
 街の中心地からはかなり離れているので、辺りは人家もまばらで暗い。
 闇の中、ガウリイは稽古場の地面に腰を下ろした。もちろん、アイクもそれに倣う。
「――オレの生まれた家は、お前さんちにも負けないくらいの古い家でな」
 不意に、ガウリイが話し始めた。
「1人でしょんべんにも行けない頃から、剣を持たされた。兄弟同士、本気で争わされた。毎日、剣と、剣の傷と、にらみ合いと、それしかなかった」
 アイクは少し目を見開いてガウリイを見る。
 ガウリイは、夜空を見上げてぽつりぽつりと語る。
「――真っ暗でな。世界が」
 その言葉は、あまりにもアイクの心情と重なり合った。
 笑顔で生きている多くの人々にはきっと、分からないのだろう。暗く、重く、息がしづらい、この真っ暗な世界。
「ある日、家を飛び出した。それで、あっちこっち放浪したんだけどさ。真っ暗なままで。自分の腕で食ってくのはしんどいし、そうやってやっと稼いだ金を狙って野盗に襲われるんだ。負けやしないけど、最初は人を斬るのが嫌で嫌で仕方なかった。血みどろでな、オレの懐を狙ってきた奴らとはいえ、オレに斬られて呻いて苦しむんだよ」
 ガウリイは、細かな傷跡だらけの自分の手のひらを見る。そこに、血の幻影が見えるのだろうか。
「仕事も、なかなか上手くいかなかった。こっちがガキだと知ると、騙そうとしてかかってくるしさ。ホントに騙されて、金がなくなって、物乞いみたいな真似をしたことも、あったな……」
 乾いた声で笑った。
 アイクは、もちろんそんなどん底に落ちたことはない。だが、それは自分にも起こりうる未来だと素直にそんな気がした。真っ暗な世界で、生きていく術が分からずもがき苦しんでいた若き日の彼が、すぐ目の前に見えるような気すらした。
「何年か経って……」
 夜空を見上げるガウリイの透き通った青い目が、いっそう澄んだような気がした。
「――リナに会った」
 リナ、とアイクは呟く。
 それが、ガウリイの愛した人の名なのだろう。
「すごい奴だった。街道を歩いてて、野盗が出るだろ? そーするとさ、嬉しそうなんだよ」
 くっとガウリイは笑う。先ほどの笑いとはまったく違う、楽しくてたまらないという笑いだ。
「嬉しそうって……なんで?」
「攻撃呪文で悪党を吹っ飛ばすのが、好きでたまらんらしい」
「え」
「吹っ飛ばした後は、逆に向こうの金を脅し取ってな」
「それは……」
 いいのだろうか?
 ガウリイがあまりに楽しそうなので、アイクは突っ込みをこらえた。だが世間一般の常識で見て、その女は『すごい奴』という言葉では済まないすごさがあるような気がする。
「楽しくて儲かるから野盗は大好き、なんだと。信じられない女だろ?」
「うん」
 アイクは思わず強くうなずく。
 ガウリイは気を悪くする様子もなく楽しげに笑って、続ける。
「そーゆー性格なんで、すぐ敵を作るんだが。魔族につけ狙われたこともあってな。1匹じゃないぞ。魔族全体にだ」
「はぁ!? そ、そんなことがあるのか!?」
「おう。なんか、すごい騒ぎだったぞ」
 軽く言うが、それは国家規模の、いや世界規模の話なのではないだろうか?
 ガウリイの腕は尋常じゃないと常々思っていたが、本当にとんでもない人なのかもしれない、とアイクは少し畏れを感じた。もちろん、そのリナという女もだ。
「――て、リナってリナ=インバース!?」
「ああ、知ってたか」
 もちろん、知っているに決まっている。
 一般にも知られた名だが、魔道に興味があるものにとってはさらに特別な名だ。若くして魔族との戦いで没したリナ=インバースは、没後現代の5大魔道士に数えられようとしている。
 リナ=インバースが盗賊殺しを好んでいたというのも、有名な話だ。だが、まさか事実だったとは。
 それでは、ガウリイはあのリナ=インバースの恋人だったのだろうか。知識が豊富な方とは思えないのに、一般人が知らないような魔法の名前を知っていたり、魔道士協会の仕組みを自然に理解していたりするのも、そのせいか。
 アイクの中で、だんだんと話がつながっていく。きっと、そういうことなのだろう。
「でもな、あいつ、魔族に狙われても、笑ってるんだよ。絶対に敵わないって思うような奴が相手でも、いつもこう、強気で笑ってた。戦ってるのが好きでさ」
 一概には信じがたい話だった。だが、伝説のリナ=インバースなら、そうなのかもしれない。
「世界の色が――変わったんだ」
 ガウリイは、どさりと地面に体を投げ出す。
「リナといたら、世界がキラキラ光って見えた。美味しいものだらけ、楽しいものだらけに思えた。野盗に会うのも嫌じゃなかった。仕事も面白かったし、戦うのも楽しかった。今までと、同じ世界にいるとは思えなかった」
 そう言った後、ガウリイは口をつぐんだ。
 長い沈黙があった。
 今まで饒舌にしゃべっていたのが嘘のように、何も言わない。
 アイクはガウリイの表情を盗み見る。もう彼は、笑っていなかった。
「――あいつが死んだ時、太陽が落ちたみたいだった」
 ゆっくりと、ガウリイは呟く。
「また、世界が真っ暗になった。何も見えなくなった。すべて失った気がしたよ」
 噛みしめるような言葉に、彼の絶望が滲む。
 それはそうだろう。話に聞く、眩しいほどに明るく、陽気で、何事にも前向きだった彼の恋人。愛していれば愛していただけ、それを失った衝撃は計り知れないものがあったに違いない。
 彼の心に舞い降りた2度目の真っ暗闇を思い、アイクの心も暗くなる。
 2度目の闇は、太陽を知った分深かったに違いないと思えた。
「……でもな、そのうち、目が暗いのに慣れてきたんだ」
 ふ、とわずかな笑顔がのぞく。
「リナの親父さんてのが、すごくよくしてくれてな。この道場を世話してくれたのも、その人なんだが。しばらくその家に厄介になってたんだ。あの時、オレは自分まで死体みたいになってたと思う。そんなオレに、お袋さんとお姉さんが毎日あったかい食事を出してくれて。時々、リナの話を聞いてくれた。オレと一緒にいた旅してた時の、なんでもないことだ。あいつが倒した魔族のこととか、あいつが救った国のこととか、そんなんじゃなくて。どんだけ野宿を嫌がったかとか、目玉焼きが大好きだったこととか、頬に傷跡が残ってるのをすごく気にしてたこととか。あの家で何度かそんな話をして、オレはそのたびに泣いちまった」
 かすかな照れ笑い。
「そのうち、リナと一緒に出会ったやつらが、代わる代わる訪ねてきたり手紙をくれたりしてな。オレを気遣ってくれるんだ。大丈夫か、力になれることがあったら何でも言ってくれ、ってな」
 ガウリイの長い腕が、まっすぐに夜空を指した。
「太陽は落ちちまったけど、まだ世界は――こんな風に、キラキラ光ってた」
 アイクは、その指につられるようにして夜空を見上げた。
「あぁ……」
 思わず感嘆のため息が漏れる。
 夜空を見上げたのなど、いつぶりだっただろう。
 深い藍色のビロードの上に、大小様々な宝石が無数に散り拡げられていた。
 どんな女王の衣装だって、こんなに豪奢で重厚ではないだろう。黒と青の膜を無限に折り重ねたような空は、果てしない深みを持って星々を抱く。どれだけの光がそこにあるのか、小さな星を見ようと目を凝らすほどに、さらに小さな星が見える。体がふわりと浮いて、空に吸い込まれそうになった。
「オレはリナを失ってしまったが、それでも、出会えてよかった。出会えて、幸せだった」
 ガウリイの愛した『リナ』に会ってみたかった、とアイクは思う。それはけして叶わない。それが死と言うことなのだろう。
 だが、『リナ』と出会ってからのガウリイは間違いなく過去幸せで、今もなお幸せそうだった。
 そんな風に愛された『リナ』自身、死ぬその時まで幸せだったのだろうと思う。
「アイク、お前さんの世界はまだ真っ暗かもしれない。でも、きっとお前さんだけの太陽に出会うだろう。その時、身につけさせられた剣の腕を、ありがたく思うかもしれない。その腕で、大事なものを守れるかもしれない」
 ガウリイは起き上がって、アイクを見つめた。
 アイクも、その瞳を見つめ返す。
「だから、腐るなよ。今やれることを、精いっぱいやるんだ」
 大きな手が、アイクの髪をくしゃりとかきまぜる。
「先生は……もう、いいの?」
 ガウリイは破顔した。
「オレは毎日美味いもん食ってるし、出かけたくなったら旅に出るぜ。いつか死んだ時あいつに土産話をしてやらなきゃならんからな」

 自分の家に帰るアイクを少し明るい界隈まで送っていった後、ガウリイも自らの暗い家に帰った。
 ぎしぎし言う階段を登るとそこは小さな寝室で、ベッドが1つ、箪笥が1つ、ナイトテーブルが1つ置いてある。テーブルの上には黒い布が畳んで置いてあって、ガウリイはそれを手に取った。
 リナが遺した手製のバンダナだ。魔法を使う助けになるものだと聞いたことがある。攻撃呪文が何より好きだったリナの遺品として残すのにもっとも適しているだろうと思って、これを選んだ。
 リナの笑顔、その奔放な足取り、恐ろしいほどの魔術をまざまざと思い出す。
 下から見上げてくる大きな茶色の瞳、優しく頬にふれる細い指、抱きしめた小さな体をを思い出す。
 思い出せば、まだ何度でも涙がこぼれた。
 だが。
 一筋の涙の跡が消えないままに、ガウリイは微笑む。
「――お前に会えて、オレは幸せだったよ、リナ」
 リナと出会ったあの日以来、彼の目に映る世界は今もなおキラキラと光を放って輝いていた。

END.

 



 死にモノなんて、私が辛すぎるから絶対書かない、と思ってたんですけど。
 ガウリイの過去のことを考えていて、ふと、ガウリイがリナからもらったものは、リナの死というとてつもない喪失をもってしても相殺しきれないほど大きく素晴らしいものなのかもしれない、と、そう思って一気に書いたのでした。
 死ぬという結末から目をそらしてきたけど、意外に2人は、これでいいのかもしれないな。