BACK



ロールプレイ


 目の端に入る位置にわざとらしく置かれたアナログ時計が、嫌味なくらい大きな音で時を刻む。
「あと三分」
 わざわざ読み上げてくれる、時計以上に嫌味な男もいる。
 私はディスプレイをにらんだ。
 ここからは一つの失敗も許されない。ミスすれば私の勝ちはないだろう。マウスを握る右手にも、自然に力が入る。いつの間にかじっとりと汗をかいていることに気づいたが、手のひらを拭う時間も惜しい。どうせあと三分のことなのだ。三分たってから、いくらでも洗えばいい。
 来てくれ舞子、と祈った。
 来て、私に君の気持ちを告白してくれ。
「……舞子だ」
 ディスプレイに開いた小さなアラートウィンドウを見て、男が呟いた。その声には、わずかな緊張がにじみ出ている。
 私は注意深くマウスを操作した。
 舞子からのメッセージが表示される。
『勇者さま、よかったら私とデートしていただけませんか?』
 私は喝采を上げた。固唾を呑んでディスプレイを見つめていた貴士が、大きなため息をついた。
「あと何分? あと何分?」
「二分レフトでセーフだよ。千沙の勝ち。ちえ、ムキになるなよな」
「勝負と聞けば燃えるのがゲーマーってもんでしょ」
 じゃあ、と貴士がジーンズのポケットに手を入れた。
「暇つぶしには恋人ごっこをするってことで、決定な」
 学校をサボっておいて暇つぶしも何もないよな、という常識的な意見が頭に浮かんで消えた。


 私たちはゲームマニアである。
 お互い高校でゲーム同好会に入り、そこで人生の大事な時期を食いつぶした仲間だ。
 家に帰ってから日付が変わるまでプレイし続け、学校に行ったら行ったで授業中に攻略法を考えて、放課後には仲間と話し合う。実際のプレイ時間が一日五時間として、RPG一本クリアするのに約三十五時間。三十五を五で割れば七、実に一週間が経過することになる。もちろんマニアとしては、ただクリアするだけじゃなく、アイテムを集めたり再プレイしたりといろいろオプションが付くので、一本あたり悠に二週間は過ぎ去る計算だ。
 こうして考えると、中高の六年間なんかあっという間である。
 そんな風に私はモラトリアムを謳歌し、学生時代を無駄に過ごした。
 早瀬千沙子、十九歳。
 ゲームをする以外に能がない。
 そういうプータローのできあがり。


 その日、私はいつも通り専門学校に登校した。
 ゲーム馬鹿の私が高校卒業後の進路として選んだのは、遅ればせながらパソコン専門校に通って資格を取ることだった。プログラミング関係の資格を取りまくり、ゲーム会社に就職できればベスト、そうでなくても機械にさわっている仕事につければそれでいいと思っている。
 学校は、御茶ノ水駅から歩いて五分のところにある。
 改札を出ると、小規模のビル群ががっちり脇を固める大通りだ。そこをまっすぐ歩く。右手に灰色の雑居ビルが見えたら右折だ。ほんの二十歩ばかりでどんづまりになる、暗く細い路地がある。ビルとビルに挟まれた道は、遮るもののない大通りに比べれば多少なりとも涼しい。頭を灼いていた太陽にしばしの別れを告げて、私はほっと息を吐いた。
 この路地の行き止まりにある私の学校は、とても小さなところである。
 左手側をふさぐ、五階建てのビルがそれだ。元はクリーム色にペイントされていたのかもしれないが、今となっては黄色がかった灰色の、みっともないおじいさんビルである。造りとしても、学校というよりは古いアパートで、玄関ホールさえない。アパートとして作られたビルに看板だけ出して、そのまま校舎にしているのが説明されなくてもよく分かる。
 もちろんドアなんてものはない。入り口にはいきなり階段があり、その脇の小さなスペースには自転車置き場と郵便受けがある。
 私が学校の前に差し掛かると、郵便受けの下に男が一人、足を伸ばして座っていた。
「よぉ」
「ポイ捨て厳禁」
 私は手提げカバンに手を突っ込んで、携帯用の灰皿を取り出した。ファンデーションのコンパクトのような形をした灰皿で、蓋を閉めることができるようになっている。
 男の指に挟まれたタバコは、今しも床にこすりつけられそうな位置でぴたりと止まっていた。私は床とタバコの合間に灰皿を滑り込ませる。
 男は、茶色の髪に半ば隠れた目を笑わせた。
「賭けてたんだ」
「何を」
 言いながら手のひらサイズの灰皿をカバンに戻す。
 私もタバコを吸うけど、灰皿のない場所であえて吸いたいと思うほどのヘビースモーカーではない。いつでも取り出せる場所に灰皿を常備しているのは、自分のためというよりむしろ貴士のためだった。
 板倉貴士、私と同じく十九歳。
 高校のゲーム同好会から唯一同じ進路を選んだ男だ。数ヶ月前からは、私の親友の彼氏でもある。
「もしも今のを吸い終わる前に千沙が来て、大嫌いなポイ捨てを阻止できたなら、千沙の勝ち。そうでなければ俺の勝ち」
 貴士はゲームおたくというより、ゲーセンにたまる不良学生のような風体をしている。目にも肩にもだらしなくかかった茶パツ、身につけているのはヴィンテージもののTシャツとジーンズ。人によってはオシャレと呼ぶかもしれないが、私の感性ではだらしない格好と呼ばれる。
 私自身はもちろん、流行を外さない服装を心がけている。先月買ったこのミュールの競争率の高かったことと言ったら!
 ヴィンテージがなんだ。ただの時代遅れの服じゃないか。
 そんな貴士の好むゲームは賭けごとやファイティングゲームの類で、ますます不良くさい。こうして日常のささいなことでまで賭けごとをしだすハマりこみようでなければ、私は断じて彼をゲーマーとは認めなかっただろう。
「そいじゃ、私の勝ち? バンザイ」
「オメデトウ」
「何にしろ勝ちってのは気分がいいね」
「負けるのもまた賭けの楽しみさ」
 私はカバンに手を入れ、今度は携帯電話を出した。授業まで十分あるのを確かめてから、マナーモードに切り替える。
 たっぷり五十cm空けて、貴士のとなりに座った。
「バカ、服が汚れる」
 貴士は仕草で立つように指示すると、自分のザックから新聞を取り出した。それを私のお尻の下に敷いてくれる。
 見た目不良のくせに、貴士は紳士だ。今時珍しいくらい礼儀正しい上、毎日律儀に新聞を読む。一面だけじゃなくて社会面経済面天声人語まで読んでいるのを私は知っている。
「読み終わったの? 下敷きにしていいの、これ?」
「俺が敷いてるんだから、黙って座れよ」
「じゃあ黙らないけど座らないことにする。ありがとう。助かる」
 貴士の目がかすかに笑った。彼の目は、よく見るととても優しい雰囲気をしている。顔のパーツがどれも狐のように細長いから普段はあまりそう感じないのだが、注意深く見てみると表情も目の雰囲気も、かなり柔らかいのである。長い前髪で隠れているのが残念なくらいだ。
 彼はその前髪を焦がしそうな距離でタバコに火をつけた。
「んで、勝利の賞品だけど」
 タバコをふかしながら少し不明瞭な声で言う。
「へ? 賞品があったの?」
「なきゃ賭けにならないだろうが」
「勝利の栄誉を賭けて!」
「三年付き合っても、俺は千沙が理解できん」
 理解できないと言われるほどのことをした覚えはない。
「俺が今まで賞品なしの勝負をしたことがあったか? 小狡く学習しろよ」
 言われてみればそうだ。
「でも、私にリスクなく勝負して賞品もらうの、期待したくないよ」
「だから小狡くって言ってるだろ」
 貴士はタバコを口にくわえると、ザックから自分の携帯を取り出した。
 私はまた灰皿を出して、彼のタバコの先に伸びた灰に当てた。指で軽く叩いて、灰を灰皿の上に落としてやる。
「あと五分」
 貴士はパチンと携帯を畳む。
「例のGPのさ」
 と、彼は一ヶ月前に発売されたパソコンゲームの名前を言った。
 ロールプレイングゲームなんだけれども、恋愛シミュレーションの要素も兼ね備えていて、やたらにエンディングの種類が多い。ロールプレイングゲームは、時間がかかる分おおよそ一本道になっているものである。エンディングが多いということは、私たちのようなゲーマーの時間を著しく削るということだ。この間から二人でプレイしているが、なかなか進まず参っている。
「改造ロム手に入れたけど、やらせてやろうか? スタートから百レベル」
 飛び上がるような提案に、私は身を乗り出した。
「やりたい!」
「俺はこれから帰るけど、どうする? 授業出るならそろそろ行けよ」
「これから帰るって、あんた何しに来たのよ」
「千沙を誘いに」
「……うわああ授業がぁ。優等生がまた遠のく」
「テスト前は一緒に地獄見ような」
 彼はニヤリと笑い、私は深いため息をついた。
 賞品を聞いて胸が激しくドキドキいい出してしまっていた。そんなゲーム馬鹿の自分に、ため息をついた。
 今日の一限担当の通称咳払い教授に、心の中で詫びを入れた。
 もちろん、そんなことで私の株が下がるのを止められるわけではないと分かっている。


 貴士の部屋は、いつ行っても一定以上散らかっていることがない。
 父子家庭で男所帯だというのに家がすっきりしているのは、貴士の性格的なものだろう。お父さんが忙しくてあまり家にいないこともあり、突然訪ねてこられても困らないくらいいつも片付いていることもあり、私は高校時代から彼の家によく遊びに行った。逆に、私の家へ彼が来ることは滅多にない。もちろん、散らかっているので来られても困る。
 貴士の部屋は黒い大きなテレビと白のMACを中心として、モノトーンにまとまっている。一人息子ということで、かなり広い部屋を独占している。やたらきれいに見えるのは、そのせいもあるはずだと信じたい。
 勝手知ったるなんとやらで、私はすぐ床に座り込んでBGMを選び始めた。壁に沿って置かれたプラスチックのCDラックには、テクノからクラシックまで大量のCDが置いてある。その中にゲームミュージックが混じっているのはご愛嬌だ。
「アイスコーヒーいれて来るから、好きにしてろ」
「ありがと」
 言われなくてもそうしていることを知っているだろうに、貴士はわざわざ声をかけてから階下に降りていった。この暑い中を歩いてきて、まだ一階まで往復する気があるとは元気な奴だ。
 私は洋楽のナンバーを選んで、プレーヤーに入れた。
 なめらかでふくよかな歌声がスピーカーから流れ出す。聞きほれるような声だった。私の選択もいいが、貴士のコレクションもいい。彼とは何かにつけ趣味が合う。お互い他に恋人がいるのが不思議なくらいだ。
 貴士にガールフレンドがいるように、私にもボーイフレンドがいる。しかし、彼は貴士のように共感できる曲を聴いたりしない。およそ内向的な趣味というものがない人で、音楽は流行りものしか聴かないし、本もあまり読まず、もちろんゲームもやらない。いつぞや渡した私の自作ゲームすらやってくれなかった。私より三つ年上で、私のゲーム馬鹿ぶりを笑いながらまんまと外資系企業に就職して、海外研修に行ってしまった。
 貴士のガールフレンドは、私の親友だ。同時に、数ヶ月前までは貴士にとっても親友だった。私たちはゲーム同好会のメンバーで、いつも一緒にいた。一緒にゲームをプレイしたり、時にはオリジナルのゲームをプログラミングしたり。そうして高校時代を過ごし、彼女だけが、雛だけが就職に成功した。
 物思いに襲われているとドアが開いた。器用に指先でノブを回した貴士が、両手をふさいだグラスの片方を差し出してくれる。
「ほい」
 それは、コーヒーというより氷の山だった。氷の中に、濃いコーヒーが少しだけ入っている。しばらく放っておけばキンと冷えておいしいだろう。
 貴士はグラスを手に私のとなりに座った。この部屋には、椅子が一つしかない。一人だけ椅子の上は悪いと思うからなのか、単にそれが好きなのか、貴士はいつも床に座った。
「雛から連絡あった?」
 私が聞くと、貴士はいつでも落ち着いた顔にほんの少しだけ苦いものをよぎらせた。
「忙しいって、電話があったよ。正味三十秒」
「三十秒? 雛が、三十秒で電話切ったの?」
「いかにも忙しそうな電話だったな」
 ほんの数ヶ月前までずっと一緒だったのに、就職以来雛とはすっかり連絡が途絶えてしまっていた。それでも最初の内は忙しい時間を縫ってあれやこれやと仕事の報告をして寄越したのだが、今はそれもない。彼氏にくらいは電話してもよさそうなものだが、頑張り屋の雛らしく、今はたぶん仕事以外見えないのだろう。
 あるいは、就職に失敗した私たちが、彼女の仕事の話を素直に聞けないのだと覚ってしまったのか。
 どちらにしろ私たちにとっては寂しいことだった。
「GPやるか?」
 貴士が聞くが、私は立ち上がってMACの前まで行くのが億劫に思えて仕方なかった。
「うん……なんかさ、やるのが難しいと無性にやりたいんだけど、やれるとなるといつでもいっか、って気分にならない?」
「贅沢者め」
「ならない?」
「なるな」
「でしょお?」
 私は、もたれていたベッドから背をずり下ろした。首だけで縁に引っかかっているような体勢になる。ため息をつくように声を出した。
「だれてるよなぁ……」
「そういう時は、何にならやる気を出せるか考える」
 貴士も充分だれた姿勢だというのに、やる気について偉そうに意見した。
 外は暑くてだれたが、この部屋はクーラーのせいでだるくなる。結局のところ私自身がだれているのだ。
 私は空元気を出して、ハイ先生と声を上げた。
「ゲームなら、やる気出る!」
「そのゲームもどうでもいいと言ったのは誰だ?」
「じゃあ飲み会!」
「これから飲みにでも行くか?」
「いや今は、外暑いし」
「やる気のかけらもねぇな」
「それなら、彼氏とデートだ! これならやる気出るぞ! 出さずにはおれまい」
「その彼氏はどこだ?」
「ニューヨーク」
「雛は仕事で超多忙」
 私たちは仲良くため息をついた。
 貴士がアイスコーヒーを飲み干す。
「賭けでもするか」
「そんなの貴士が楽しいだけでしょ」
「賞品付きだっての。学習しろよ」
 言って、彼はデスクの引き出しからCD−ROMを取り出した。
「このロム使って、一時間で舞子を落とせたら千沙の勝ち」
 舞子は、GPのヒロインの名前だ。恋愛シミュレーションの類では、ヒロインってすごく落としにくくなっている。このゲームも例に漏れず、私たちは彼女に手こずっていた。当然、攻略法は分からない。
 しかし、スタートから百レベルのハンデがあれば、ゲームの展開が楽になる。少なくとも私にとっては、不可能な条件ではなかった。
「私が勝ったらどうなるの?」
「俺が彼氏の代わりにデートしてやろう」
 私は爆笑した。
 それが、私たちの恋人ごっこの始まりだった。


 私の家は、貴士の家と違いごくごく普通のマンションである。
 高校卒業しても就職せずお金を使わせるばかりの娘が言えた立場ではないが、けしていい部類のマンションでもない。駅から二十分も歩くし、近くにスーパーはおろかコンビニもない。二十三区内にあってこの不便さは、もちろんかなり評価が低い。
 質より入居者数で稼げといわんばかりの巨大なマンションの十一階に、私の家はある。
 貴士の家から帰ると、ちょうど母が台所の電気を消しているところだった。まだ十時だが、もう寝るのだろう。
「おかえり」
「ただいま」
「遅かったわね」
「うん……」
 高校三年も終わりに近づいてから突然プログラマーになりたいなどと言い出した私は、肩身が狭い。両親は決して厳しい人ではないが、それでも私への目は高校卒業以来明らかに失望を映していて、いたたまれなかった。
「あんたは暇でいいわよねぇ」
 と、いつもお決まりのセリフ。
「ご立派な彼氏はアメリカで頑張ってるのに、こんな時間まで何してたの?」
「ん、貴士とデート」
「あの子も暇ねぇ」
 呆れたようにそう言って、母はおやすみと寝室に入っていった。
 本当にデートだとは思ってもみないらしい。
 私は、少し気分が上向くのを感じた。貴士と私が仲のいい友達なのは母もよく知っていることだし、彼は風体のわりに礼儀正しいから親への受けもいい。貴士と会っていて嫌な顔をされることはない。嫌な顔をされなければ、私も嫌な気分はしない。
 暇だからこそこんな遊びができるんだ、と思えば余裕のある自分の生活が愛しくなったくらいだった。
 私はゲームプログラマーを目指している。
 しかし、もしも母が夜中に遊んで帰ってきた私を見つけて立ち止まり、『暇ね』といういつものセリフではなく、『あんたは一体何がしたいの』と真剣に聞いてきたら私はどうするだろう。
 『私はゲームが好きなのです。これはもう遊ぶことが好きなのを超えて、ゲームというものに夢を見ているのです。人に一時の夢を与えるゲームというものを、私はこの手で創り出したいと思います。その才能があると思いますし、難しい業界で生き抜く覚悟もしています』
 そんな風に、顔を上げて答えられるだろうか。
 貴士と遊ぶために授業をサボるような私が?
 三人でいられればそれだけでいいと思って、貴重な高校時代をすごしたような私が?
 未だに、雛の就職をただ羨んでいるだけだというのに。
 でも、雛は違った。昔から、違ったのだ。


「プログラミングの能力検定試験でね、一級を取ったの」
 雛が頬を上気させてそう言ったのは、高校三年の春だった。
 私たちはゲーム同好会の活動場所であるパソコンルームで、部屋の隅にある台を占領していた。全部で九人の部員たちは、十五台あるパソコンをそれぞれに使っていたが、私たち三人はたいてい同じ台で遊んでいた。
 こっそり持ち込んだ十八禁ゲームのヒロインが、ディスプレイの中で色っぽい下着姿を見せながらはにかんでいる。私と貴士は彼女とのHシーンに持ち込めたことを喜んでいて、雛は資格試験の合格に喜んでいた。
 私たちはヒロインのぶりっこ声を流しているヘッドホンを外した。
 雛は、染めているわけでもなく薄い色の髪を落ちつかなげに指先でいじっていた。高校生だとはあまり思われない子供っぽい顔が、ほころんでいた。
「お前、一級まで受けたのか」
 当時まだ雛に片思いしていた貴士が、半ば呆れたような声でそう言った。
 私たちは、以前から雛が資格試験に燃えていることを知っていた。根っから真面目な性格の雛だから不思議にも思わなかったのだが、まさか一級まで受けるつもりだったとまでは考えてみなかった。専門職の人間が受けるような難しい試験である。他にも彼女は山のように資格を持っていて、たぶん素人が取れるプログラミング資格はそろそろ取り尽くしただろう。
 雛は照れたような顔の中、それでも嬉しさを隠しきれない様子で笑った。
「だってだって、競争率の高い仕事でしょう? 私おっちょこちょいで、ゲームも千沙子や貴士みたいに上手くないから、せめて資格くらいは取らなきゃって思ってたの。すごくがんばったんだよ」
 えらいね、と私たちは雛を抱きしめて頭をなでてやった。
 雛は子供のように素直に笑った。
 彼女にとって、将来のために努力することは、私たちに褒められれば嬉しいのと同じくらい、当たり前のことだったのだ。
 私はゲームが好きだったが、普通のOLにでもなるんだろうと何となく思っていた。
 その日の夜、成績表を見返した私は自分の楽天的な頭に驚愕した。真面目に勉強した覚えはないから、当然成績は悪い。ゲームなんてものにハマっている学生には、教師の視線だって厳しい。内申は期待できない。
 私にはゲームしかないのだ、人に誇れることといったらこの長大なゲーム遍歴だけなのだ、そう気が付いた。
 しかし、あせっただけで結局何もしなかった。
 翌日学校に行くと貴士が前日やっていたゲームの裏ワザを手に入れてきていた。私たちは雛の苦笑を受けながら、結局またパソコンルームの隅へ隠れた。
 そして雛は希望通りのゲーム会社に就職し、私たちはプータローになった。


 夏は加速度をつけて盛りに入っていこうとしていた。私たちの火遊びも、坂を転がるように勢いを増しつつあった。
 雛とは、まだゆっくり話せていない。
 その寂しさも、宙ぶらりんの立場がもたらす重圧も、雛や彼氏に対する焦りも劣等感も、貴士とふざけあっていれば何となくどうでもいいような気になった。昔から、私はそうだった。自分の将来より、今友達と遊んでいることの方が大事に思えていた。それはとても馬鹿なことだけれど、その場の苦しみをごまかすには確かに役立っていた。
 私は、私たちは恋人ごっこというゲームにハマりこんだ。
 部屋でゲームをするのはいつものことだ。ただ、その後『恋人』らしくバーレストランで飲んでみたりして、別れ際には思い切り洒落気を起こして熱い抱擁。私と貴士では兄妹のじゃれ合いのようだったが、それもまたおかしくて楽しかった。
「そいじゃまた。明日、学校でね」
「ああ」
 肩を震わせて笑っている貴士の頬に、キスを試みる。
 相手が男友達でも、ジョークで抱き合ったりキスしたりすることはある。そのキスもそういう意味だったから、何の抵抗もなかった。雛に対する罪悪感も特に感じない。
 貴士も驚いた様子なんかなく、ふざけてキスし返してきた。
「恋人ごっこが板についてきたねぇ」
「もういっそのこと、本物になるか?」
 その言葉には、少しどきりとした。
 何を言い出すんだろう困ったな、というどきりではなかった。口説かれているのかな、というどきりだった。
「ジョーク」
 笑って言い、貴士は少し苦い顔をした。
「どしたの?」
「雛から今朝メールがあったんだ」
「本当? なんだって?」
「忙しくてごめん、ってさ」
 貴士は道に座り込んだ。
 昼よりはマシだけど、屋根のない場所はやはり蒸す。私はすぐ家に帰るつもりだったけど、涼しい場所をあきらめてそこに座った。
 貴士は、『恋人』なんだからと私を家まで送ってきてくれていた。彼は今まで私にそういうことをしてくれたことはなかったし、私の本物の彼氏だってそうだった。いや、もし友達としての貴士や本物の彼氏がそうすると言っても、遠慮して断っていただろう。
 これがゲームだから、したことだ。
 そういう浮ついた気分が、今の私には楽しくてしょうがなかった。
 暗い夜の道路で、となりに座って話を聞く。そんな状況も、また楽しい。
 雛の話は楽しいとは言えなかったけれど、そんなふわふわした気持ちはそれほど減らなかった。
「いつ頃暇になるって?」
「分からないって書いてあったよ。新作ゲームの製作にかかわらせてもらってるらしい」
「へぇ……すごいね」
「すごいな」
「のんびりおしゃべりしてられる私たちとは、大違い」
「俺らと話すより大事かね、仕事が」
 その言葉に棘があったので、私は貴士を見た。
「……だって、あんなにがんばって就職したんだから」
「分かってるさ」
「雛だってさみしいはずだよ、きっと」
 貴士は皮肉げに笑った。
 狐みたいな彼の風貌に、その表情はやけに似合っていた。
 彼の皮肉な気分は、私にも少し分かる。
 私なら、と思った。
 私なら彼にこんな顔をさせて平気ではいられないけれど、と。
 雛は確かに昔から一生懸命だったけど、同時に同好会を休みがちな子でもあった。特に資格試験の前は一ヶ月くらいまったく来なかったりもした。私たちが期末の前でもみんなに会いたくて、ゲームがしたくてパソコンルームに集まっていたのとは、根っから気持ちが違う。
 実のところ私は、そういう雛の休みがちな態度についてあまりいい気持ちがしなかった。たとえ文化祭前で、同好会をあげてのゲーム製作が佳境に入っていたとしても、雛は試験が近いからと言って一週間顔を見せなかったりした。
 彼女が私たちと同じく寂しいと思っているのかどうか、それは分からない。
「そこへ来ると、千沙は付き合いいいよなぁ」
「雛と違って、一緒に十八禁ゲームやってあげるし?」
「そうそう。雛の嫌そうな顔といったらな」
「女の子の前でやること自体が、間違ってるんじゃないの?」
「俺はな、あれはあれで可能性の広いジャンルだと思うんだ。抜くためのもんだと思うから悪いんだろう? そうじゃなくて、タブーのない、表現の幅が広いジャンルだと思えないかねぇ」
「私は思うけどね」
 実際、家庭用ゲーム機に代表される全年齢対象ゲームには、時々無理しているなと思われるところがある。モラルに反するような描写やストーリー展開は極力避けなければならないため、リアリティを欠いていたり盛り上がりが足りなかったりする場合があるのである。
 雛は、全身が全年齢対象の人だ。
 彼女に性の話はタブーで、もちろん本人も誰はばかることのない話しかしない。あまり好みの別れないかわいい顔でにこにこ笑って、当たり障りのない話を楽しそうにする。
 それに比べると、私や貴士は年齢指定な人間だ。
 学校はサボるわ、お互い彼氏彼女がいるのに冗談で他人とデートするわ。とても小学生には見せられない姿である。
「彼氏としては、ああいう女の子困りもんでしょ?」
 貴士は眉をしかめる。
「まあ、俺が一方的に申し込んだわけだからな。OKしてもらえただけでラッキーだったんだ」
「ふぅん。私は、好きな人とはそういうこともしたいけどなぁ」
 そう言うと、彼はふとひどく真面目な顔をした。
「当たり前だろう」
 私は、彼の汗が浮く横顔を見た。Tシャツに溝を刻む骨ばった肩を見て、長い指に視線を落とした。
 あまり筋肉がある方ではないけれど、それでも男の人の体だった。
「当たり前ですか」
「当たり前」
「それじゃ賭けでもしてみますか」
「賭けって、それは」
 貴士は驚いたように目を瞬いた。
 最近の私たちの賭けは、いつでも恋人ごっこの進展を賞品に設定していた。こんなにも恋人らしくなっているのに、賭けでなきゃ待ち合わせひとつしないのが笑える。いつぞや腕を組むかどうかを賭けで決めたのだが、この賭けには失敗した。だから私たちは毎日のようにデートごっこをして、冗談でキスしたりもするけれど、腕は組まない。
 だからと言って、腕を組むのが嫌なわけではない。賭けでなきゃ何も決めないからゲームとして面白いのである。どんな結果が出てもいいと思えるくらいお互い気安い相手だから、できるゲームである。
 たとえ、その賭けの内容がもっと過激なものでも、私は一向に構わなかった。
「『恋人』としては当たり前なんでしょ?」
 私が笑うと、貴士も吹き出した。
「欲求不満か? 彼氏がアメリカに行って」
「不満も不満だよ。もう四ヶ月だよ?」
「俺は雛の前の彼女だから……数えたくもねえ」
「だろうね。気の毒に」
 私は、それじゃ、と言って少し考えた。
「明日の一限の間に、咳払い教授が二十回咳払いしたら」
「するだろ、それは」
 でも彼は回数を引き上げようとはしなかった。
 もちろん私も、しなかった。

 咳払い教授の咳払いは、半端な数ではない。それが分かっているのに、動悸を上げながら私は数えた。一限が終わる頃には、ノートの端に引いた線は三十五本になっていた。
 そして私たちは二限をサボった。
 それは、なんて明るくて気楽な情事だっただろう。
 私が夢中になっているのは恋人ごっこというロールプレイングゲームではなく、貴士かもしれない。ふとそう思ったが、それは考えないでおくことにした。


 夏が真っ盛りになった八月の半ばに、貴士からメールが来た。
 その内容を三度読み返してから、私はその日やるつもりだった学校の課題を放り出して新宿の街へ出て行った。ちょうど母は出かけていて、嫌味を言われずに済んだ。
 駅に着いたのは一時くらいだった。新宿東口を出たところのガードにもたれて、貴士がパソコン雑誌を読んでいた。その足元にはタバコが散乱していて、私は顔をしかめた。
「いつからいたの?」
「十一時くらい。灰皿貸して」
「ん」
 貴士は吸っていたタバコをもみ消して灰皿に入れると、すぐ次のタバコをくわえた。元からかなり吸う人だが、ここまでのチェーンスモーカーではない。
「吸いすぎ」
「落ち着かないんだよ。馬鹿みたいだろう」
「たまにはかわいいじゃない」
 携帯を取り出して見ると、ちょうど右端のカウンタが五に変わるところだった。一時五分。
「約束は何時?」
「一時には来れるだろうってさ」
「何そのいい加減な約束」
「用事でその前から新宿にいることになってるから、俺」
 もしも早く来れるなら、できるだけ早く来いと言うことらしい。雛にはそう言っておいて、ここで延々待ち続けているわけだ。
 私はタバコをくわえる彼の唇を見て、足元を見た。
「それなら、この吸殻なんとかしときなよ。かっこつけたのがバレバレだよ」
 貴士が生返事をするので、私はバッグからティッシュを出してしゃがみこんだ。一本一本つまんで、ティッシュの上に載せていく。それ一本ずつが全部、彼の想いの塊みたいに思えた。
「悪い」
 と、彼は言うがあえて手伝おうとはしない。それどころじゃなくて頭がよく回っていないのだろう。
 私は文句を言う気にもならず、かといって「いいよ」とは言えず、黙って吸殻を拾った。
 ティッシュをくるんで立ち上がったちょうどその時、彼が「あ」と声を上げた。ガードの方を向いていた私には、彼の見つけたものは見つけられなかった。
 私が振り返ったときに見たのは、彼が自分の望みをつかみとった、その姿だけだった。
 将来が見えなくて右往左往していたのは二人共だったのに、彼だけは自分の大事なものを見つけてしまった。私はそれを見ているだけだった。そんなことをぼんやり思った。
「ごめんね」
 と、雛が自分を抱きしめる男に言った。
 駅を出たすぐの場所は、人通りが多い。天下の新宿駅だ、多いに決まっている。通行人が彼らを振り向いていくのを、私はじっと見ていた。貴士は委細構わず雛を抱きしめていた。
「馬鹿野郎」
 と、貴士が言った。
 馬鹿野郎は私のセリフだ、と思った。
 公衆の面前でラブシーンを演じてるんじゃない。
 本当はガキっぽいくせに、かっこつけてるんじゃない。
 雛が好きでたまらないくせに、私を抱いたりするんじゃない。
 馬鹿野郎は私だ、と思った。
 ゲームに夢中になって現実を忘れるのは、いい加減にしろ。
 優しい手つきで貴士の背中を叩いた雛が、彼の腕をすり抜けて私に手を振る。
 ああ私なら彼の手をほどいたりはしないのに。そう思った。
「千沙子! 久しぶり!」
 私は左手のティッシュの包みを背中に隠して、右手を振り返した。
「この薄情者!」
「お盆で、やっと休みが取れたのよ」
 雛が駆け寄ってくる。
「電話する暇もなかったの?」
「仕事が終わるのいつも遅くって……いくらなんでも二時や三時に電話はかけられないでしょ? すっかり夜型になっちゃった」
 舌を出して笑う雛は、高校時代と同じにかわいい。
 でも、あの頃よりずっと自立した顔をしていた。自分の道を見つけた顔をしていた。
 目の前のものだけしか見えない私とは、大違いだった。
「左手、何隠してるの?」
 ああ、と私は笑った。
「ゴミ」


 家に帰ったのは、やっと七時を回ったくらいの時間だった。
 二人きり久しぶりの逢瀬を邪魔しても悪いと思って、さっさと帰ってきたのである。
 玄関で靴を脱いでいたら、その音を聞きつけたのか母がばたばたと駆けてきた。今日は課題をやると言っていたのに出かけてしまったから、また嫌な顔をさせてしまうかなと重い気分になった。私は自分で決めたことも守れない。母に嫌味を言われても仕方がないと、自分が一番よく分かっている。
 しかし、その日の母はそれどころではないようだった。
「急いで、急いで」
 わけも分からず急かされて、腕を引っ張られる。私は片手でサンダルの紐をほどきながら、あわてた。
「え、何?」
「国際電話なんだから、急いで」
 私は靴を脱ぎ散らかして居間へ走った。それは、条件反射のようなものだった。子機を鷲掴みにして、部屋へ向かいながら通話ボタンを押す。声が上ずったのも、たぶん条件反射だ。
「どうしたんですか? 珍しい!」
 受話器の向こうから、懐かしい声がした。
「すぐ伝えたいことがあってね、急いで電話した。今大丈夫?」
「はい、全然大丈夫です」
「久しぶり。ごめんね、なかなか電話できなくて」
「いいんです。国際電話って異様に高いでしょ?」
 この一ヶ月は別に電話を待ってもいなかった、とはもちろん言えるはずもなかった。
 この夏私が何をしたかも知らない彼は、遠いアメリカでありがとうと笑った。
 私は、決して何も話すまいと思いながらいいえと笑った。
「伝えたいことって? 帰国日決まりました?」
「それはまだだけど……ごめんね」
「いいんです」
 彼は本当によく謝る。非常に姿勢の低い人だ。それがうっとおしくなることもあったけれど、飾らないその言葉に今は何だか少しほっとした。
「帰国日じゃないなら?」
「うん……本当に今さらで申し訳ないんだけど、千沙子たちが作ったゲームをやったんだ」
 私はすぐに言葉を返すことができなかった。
 ゲームをしてくれた彼に有難さと申し訳なさを感じたせいもあった。いい加減なこの私ごときが作ったゲーム、と思ったせいもあるし、貴士や雛とわいわいそれを作った日々が痛かったせいでもある。
「千沙子? ごめんね、今までできなくて」
「いいんです」
 私は微笑んだ。
「やってくれると思わなかったから、感激しただけ」
「じゃあもっと感激してもらおう」
 彼は楽しそうに言った。
「ものすごく面白かったよ! 実は、徹夜明けなんだ。ゲームで徹夜なんて、初めてだ。今までゲームなんか面倒なばっかりだと思ってたけど、千沙子がハマってる気持ちがよく分かったよ。会社行きたくないくらいだ」
「え……そうですか」
 私は我ながら間抜けな反応を返した。
「これはぜひ興奮してるうちに伝えなきゃと思ったんだ。千沙子はゲームを作る才能があるよ。ああ、もう会社に行かなきゃ。ごめんね」
「……いいんです」
「がんばってね」
「ありがとうございます」
 電話を切って、私はのろのろとその場にしゃがみこんだ。
 ヤバい、と思ったのでベッドまで這っていって、布団に顔を押し付けた。幸い、嗚咽がもれるまでには間に合った。
 明日、学校に行ったら。
 たぶん貴士に笑えるだろう。この嬉しい感想を伝えて、一緒に喜べるだろう。
 私たちは青春時代をひどく無駄に過ごしたけれど、まったくの無駄ではなかった。
 『私はゲームが好きなのです。これはもう遊ぶことが好きなのを超えて、ゲームというものに夢を見ているのです』
 今なら、胸を張って答えられそうな気がした。
 でも、今日はいろんなことのために、顔を伏せて泣いた。













 2002年10月に、かたりむすびさんという批評サイトに投稿するため書いたお話です。
 かたりむすびさんは会員制で、2ヶ月に1回、課題に沿った作品を提出することになっていました。匿名制なので自サイトへの再録は禁止だったのですが、残念ながら2003年3月閉鎖となったため、作品を移させていただきました。
 再録にあたり、もらった批評を参考にして多少の加筆修正をしています。

 この月の課題は「はまり」という言葉から連想するもの、ということでした。




BACK