冬の海

「うっあー真っ暗」
「そりゃそうだろ。で、何しに来たんだ?」
「アホかっ! さっきあたしと宿のおばちゃんが散々話してたでしょーが」
「なぁんだお前も記憶力ないなぁ。オレがそんなこと聞いてたためしがあるか?」
「んなことを堂々と言うんじゃないっ!」
 黒々と広がるビロードのような海。
 岸辺に並んだ家の明かりと、月の光だけが辺りを照らし出す。
 波がわずかな光を受けて、ちらりちらりと揺れ光る。
 あたしたちはしっかりと防寒をして波打ち際に立っていた。
 寄せてくる波は意外に勢いがあって、遠くの方から驚くほど足元まで伸びてくる。うねりは大きくて激しい。暗闇の中、白い波頭ばかりが映えて、怖いくらいだ。
 この海は砂浜から見る景色よりもずっと広大で、簡単にあたしを飲み込むのだろう。
 たとえこの手に、海も人もすべて消し去る力があったとしても。
 少し身震いがした。
「この辺りには冬ガメがいるのよ」
 あたしは一面の闇を見渡す。
「冬に産卵する変種なの。そろそろ出てくる頃だって言うから、探そうと思って。でも……」
「この暗さじゃカメなんか……」
「見えないわね」
 ため息をついた。
「風邪引かないうちに帰るわ」
「そーだな」
「あ、あんたはいてもいいわよ。風邪なんか引かないでしょーから」
「へ? オレだって、たまには風邪くらい引くぞ」
「なぁに言ってんのよ! その脳みその容量で風邪なんか引くわけないでしょーが、やーね」
「……おい」
「あたしは繊細だから帰るわ」
 あたしは肩を抱いて身震いして見せた。
「人より賢い分風邪も引きやすいでしょーし」
「ほほぅ」
 あ、と思った時には遅かった。
 背中を思いっきり押されて、ぬかるんだ砂の中に手を突いた。
 容赦なく襲ってきた波が、あたしの膝辺りをさらう。
「ひゃあぁぁぁぁっ! つ、つ、冷たぁぁっ!」
 第2波が来る前にあわてて海のテリトリーを逃げ出す。
 夜の風に叩かれて、膝から下が痛いくらい冷たい。
「な、何すんのよあんたはぁっ!」
「いやぁ、風邪引くかどうかためしてやろうと思って」
「へー……。本当に引いたらどーすんのよ」
「よかったな、頭がいいって証拠じゃないか。付きっきりで看病してやるよ」
 にやにや笑うガウリイを、あたしはもちろん魔風で海の中へ突き飛ばした。
「うおぉぉぉぉっ!」
「これでこそ、公平な実験ってものよね」
「つ、冷てぇーっ!」
 ガウリイもすごい形相でこっちへ逃げ出してくる。
 追いかけてくるガウリイからあたしはとっさに逃げだしたのだが、びっくりするくらいあっさり捕まった。濡れた手で両頬をがちっと押さえられて、力の限り悲鳴を上げる。
「いぃぃぃやぁぁぁ! 冷たい冷たい冷たいったらっ!」
「おーまーえーなー」
 ガウリイは勝手にあたしのショルダーガードをがちゃがちゃ外すと、マントをひっつかんではぎとった。
「何すんのよっ! 寒いのにっ!」
「オレだって寒いっ! この季節に頭まで濡れさせるヤツがあるかっ!」
 2人の上から被せるようにマントを巻かれて、視界が真っ暗になる。
 はいはい。あっためろってことね。
「ったくもー」
 あたしはむくれながらぶつぶつと呪文を唱え始めた。
 弱暖気の呪文をそっとマントの内側にかけると、むぁっとする熱気が手の中に生まれて、服に染み込んだ水がすぐに蒸発し始める。
 暗くて見えないけれども、ガウリイがため息をつくのが分かった。
「うう……死ぬかと思った」
「あんたが先にやったんじゃないのよ」
 それほど大きくないマントの中で身を寄せ合っているわけだから、ガウリイの鼻先があたしの鼻先にふれる。口をきくと、ちょっとこそばゆい気がした。
「風邪引くかなーオレ……」
「大丈夫じゃない?」
「こんだけムチャやって、風邪ひとつ引かなかったらさすがにヤだなー……」
「そっちか」
「だって、じゃなかったらほんとにオレが馬鹿だってことじゃ……ひっくしゅ!」
「きちゃなっ! ひとの顔の前でくしゃみしないでくれる!」
「あーすまん」
 ガウリイはマントの端っこでがしがしとあたしの顔を拭いた。
 いや、それはそれで顔が汚れるんですけど。
「う……マジで寒気がしてきた」
「あらそ。よかったじゃない」
 念のため、もちょっと強めに呪文をかけ直しておく。
 少し暑いくらいだが、まあ本当に風邪引かれても困るし。ついでに、ガウリイの髪に指を通して、ばさばさ振るって早く水気が飛ぶようにしてみた。
 ガウリイはちょっと頭を垂れて、されるがままになっている。
 もー。すごい髪の量だからなーこいつ。あたしより長いってのもどーかと思うんだけど。
 さらにむわぁっと蒸気が上がって、マントの中が蒸し蒸ししはじめた。
「暑い」
「わがままゆーなっ!」
 しかし確かに暑い。
 ちょっと考えて、思い切って1度マントを剥いでみる。これだけあったまっていれば、外の空気もひんやり気持ちいいかもしれない。
 ……と思ったのだが。
 一瞬死の影が見えたくらい、寒かった。
「ぎゃああああああっ!」
「ひぃええええええっ!」
 2人して悲鳴を上げて、首から下にマントを巻きつける。
「ちょっとぉ。濡れてんのにしがみつかないでよねっ!」
「おおおおお前のせいだろ」
 全身濡れてる分だけ、相当寒そうである。
 うーん。かわいそうに。
 からかってやろうと口を開いたあたしは……次の瞬間、何を言おうとしたのか忘れてぽかんとした。
「どどどどーしたリナ」
「ガウリイ……周り……」
「ななななんだよ」
 ぎぎぎぎぃっと顔を上げて周囲を見たガウリイは、最前のあたしと同じようにぴたりっと動きを止めた。
 それもそのはずであろう。
 さっきまで小麦色だった砂浜が、いきなし真っ黒なうぞうぞしたものでいっぱいになっていた。
 見渡す限り黒い丸っちいもので埋まった砂浜。
 それが押し合いへし合い、蠢きまくっている。
 強いて言えば、黒い小石を目いっぱい敷き詰めた感じだ。
 はっきし言って、めちゃくちゃ気色悪い。
「……カメ……ね……」
「……暗くても……見えた……な……」
 呟き合ったあたしたちは顔を見合わせ、がしぃっと手を握り合った。
「翔封界っ!」

 結論。冬の夜の海って、ほんとに怖いね。

END.

おそらく7年前、休止以前に書きかけていたSSを発見(笑)。
せっかくだから加筆して完成させました。
ものすんごいナチュラルにいちゃついてます。こんな風に2人旅してたらいいなと思う(妄想)。

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