街のど真ん中には、時刻を告げる鐘がたたずんでいる。
こんもりと高くなった中心部でも、ひときわ高いその塔の下。そこは、螺旋状に続く道の終着点であり、袋小路になっている。
その袋小路を見下ろし、あたしはゆっくりと準備を整えていた。
迎撃の準備である。
建物についた余計なとっかかりを加減した振動弾で吹っ飛ばし、足場をなくす。器物破損だという噂もあるが、非常事態なので見逃してもらう。いくらガウリイが無茶苦茶な運動神経を持っていても、足場のない袋小路をのぼってくることはできない。もちろんあたし自身は浮遊で塀の上に登っている。追い詰めた獲物を上からしとめるのは、簡単なことである。
最後に残った銅像を破壊するため呪文を唱えようとし……あたしはぼろぼろの体で罠の中に駆け込んでくる男を見て、目を見開いた。
まだまだ余裕があると思ってたのに――早いっ!
ガウリイが銅像に取り付くのを見て、あわてて呪文の方向を変える。跳ね返った銅が彼に直撃しないよう、斜め上に向かって振動弾を吹き上げる。むしろあたしが危ないっ。
何とか破片は避けたが、避けたのはガウリイも同じようで、かなり手加減したために粉々とはいかなかった像を積み上げて足場を作ろうとしている。一瞬の躊躇もない。
もしかすると……。
あたしはその可能性に思い至った。
翔封界での距離稼ぎにしても、氷の坂での突き離しにしても、あたしには絶対の自信があった。他の人間ならまだ当分追いついてこなかっただろう。人間である以上、それがたとえどんな運動能力の持ち主でも。
しかし、ガウリイはあたしの相棒である。
長年、あたしの戦法を間近で見てきた。あたしのやりそうなことなど、お見通し……というか、勘で感じ取れる範囲だったのではないか。今の振動弾を手加減するってことも、分かっていたのではないか。だから、ぎりぎりで避けたり被害を抑えることができたのではないか。
……手加減して勝てる相手じゃない。
あたしはフルパワーで呪文を唱え始めた。
その呪文は、火炎球。
あたしの火炎球は鉄をも溶かす。狭い空間ならなおさら効果が高い。当然、普通の人間が直撃を食らえば痛いでは済まない。こんがり焼けて食べごろの肉となるだろう。
……大丈夫、今さら火炎球程度で死ぬような奴ではない。
何とかしてダメージを少なくするだろう。密室ではないから、ダッシュで逃げればさほどでもないだろうし。
無事には終われないだろうけど。
でも、それでいい。
「お、おいその呪文はないんじゃないかぁ!?」
青くなるガウリイ。
言ったでしょ、あたしは危険だって。
何年も一緒にいた相棒から物を盗んだりするし、必要があれば吹っ飛ばす。
あのね。
だからね。
――きっちり呆れてちょうだい。
この頃あたしが考えていたことの、その1つはさりげなく告白すること。
そして、もう1つは『それを言ったらどうなるんだろう』ってことだった。
ガウリイは、今までだって充分優しかった。あたしのために命を投げ出してくれたし、さんざん危険な目に合わせても笑っていてくれた。
その笑顔が失われることを考えた。時々、考えた。
今までの、自称保護者なんて曖昧な状態でもあれだけ優しかった彼。
意地っ張りで照れてばかりのあたしにも、にこにこ笑って付き合ってくれた。
あたしが彼を好きだなぞと言った日には、優しい彼はもう何があっても見捨てられやしないだろう。
『どうなるんだろう』と思った。
結果、危険な奴だけどそれでも、と彼は言った。
それは若干ムッと来ると同時に、とても痛い言葉でもあった。
分かってんならやめなさいよ。
分かってんならもっと真剣に呆れなさいよ。
簡単に言おうとしてるけど、それってどーしよーもない道へ入り込む、入り口なのよ。
彼の返事を聞いてあたしの中に生まれたのは、悲しみに似た苛立ちだった。
詐欺行為に見せかけ剣を奪って逃げる、っていうこの行動は、実は告白を考える裏側でずっとぼんやり考えていたことだった。
今なら間に合うから。
前の旅の連れとあたしがそうだったように、お互いのために命なんて賭けない関係へ。出し抜いて、裏をかいて、罵りあうくらいの関係へ。
あんたを手放すことはあたしにはできないけれど。
あんたはあたしに呆れて、見捨ててしまいなさい。
……と。
手の内に生まれた光球を、袋小路の真ん中に叩き込む。
「火炎球!」
ガウリイが舌打ちし、誰かから借りたらしい剣を引き抜いた。
しかし、光の剣ならともかく普通の剣で斬れる代物ではない。以前にもガウリイはそこらの剣で炎の矢を斬ろうとして黒焦げになった歴史がある。
あああこの馬鹿っ! 逃げなさいってば!
内心焦るあたしをよそに、彼は1歩も動かなかった。
そして。
「っはあぁっ!」
裂帛の気合と共に上へ向かって剣を振る!
そんなことをしても……と、光球が逆行してくるっ!?
「うそぉぉぉっ!?」
などと叫んでいる場合ではない。
あたしは大慌てで呪文を唱える。
「魔風!」
光球は再び逆行してガウリイの方に向かった。
あれである……キャッチボール状態。
再びガウリイが剣を振って、あたしが魔風で跳ね返して。
なるほど、落ち着いて見れば分かるが、ガウリイの剣、あれがすごい風圧を産んでいるのだ。
火炎球は、障害物に当たった時点で爆発する呪文である。返して言えば障害物に当たらない限り破壊の力はない。それ自体の勢いは大したことがなく、強い風を送ってやれば簡単に方向転換しちゃうようなモノ。
対して一流剣士の剣圧とゆーのは下手するとかまいたち並みの威力を持つ。
普通に剣をふるっただけでは指向性が強すぎるが、おそらくガウリイは剣の腹を使ってうまく幅のある風圧を生み出したんだろう。
……普通、魔道士相手に遠距離で勝負するか?
3回目は落ち着いて氷結弾で迎撃しようとしたが、突然ガウリイの打ち出す弾道が変わる。
真上……!?
何をしたのか掴みそこねたあたしの頭上で、着弾した火炎球が轟音を立てる。
真上にあったのは鐘台、頂上が密室状態なので下への被害はない。袋小路から抜け出す術のないガウリイとしては、あれをあたしに打ち込んで適当に戦闘不能にさせるのが唯一の対抗手段なはずだが……。
しかし、あたしは甘かった。
ごおぉぉぉぉぉぉぉぉぉん――!
一瞬の後に、着弾の瞬間よりも一段とすさまじい音がした。
支点を溶かされた鐘が、落下してきたのである。
思わず呆然とするあたし。
こうやって足場を作るのを狙ってたんだ、と気付いた時には、すでにガウリイがあたしの背後まで来ていた。
抵抗する間もなく羽交い絞めにされ、回した腕ですばやく口を塞がれる。
こうなってしまっては、どーにも逃げようがない。暴れても体力を使うだけなので、おとなしくしておいた。
「……やっと捕まえた……」
疲れたようにため息をつくガウリイ。そりゃ疲れもするだろう。
完全に、あたしの負けだった。
今度喧嘩することがあったら、初めから手加減なしでいこう。
「オレは、そう簡単にはやられないぞ?」
そーみたいね。
口が利けないので、しらじらした目で返事をする。
と言っても、後ろから体を拘束しているガウリイには見えないだろう。あたしからも彼の表情は見えない。ただ、のほほんとした声が聞こえるだけだ。
「これは返してもらうからな」
あたしの小さな手が力づくで開かれて、握り締めていた剣を取り返される。
でも、まだ充分優しい。痛いほどの力は入れられていない。
「何もそんなに怒ることないだろーが。最後まで聞かずに」
ゆっくりと口元の手を離されて、あたしは息をついた。
「……そーゆーことじゃないのよ」
「なんだ、怒ってたんじゃないのか」
「怒ってたけど」
「やっぱり怒ってたんじゃないか」
「でも、それだけじゃないわ」
そのままでも顔が見えないと分かっていながら、あたしは少しうつむく。
「それだけじゃないのよ」
しばしの間。
やがて、困ったようなガウリイの声。
「オレには女の子の考えることはよく分からんが……これで気が済んだか」
あたしは答えない。
「なぁ……オレは確かにお前さんの考えてることにはついていけないさ。何が気に入らなかったのかも分からない。ただ、これだけは分かってる。お前さんは実際危険極まりない奴だが、それだけじゃない。お前さんが本気でオレを戦闘不能にしようと思ってれば、もっといくらでもやりようがあった。でもやらなかった。そんなことをする奴じゃないって分かってる。でもって、オレはそういうお前さんに付き合える自信がある」
分かってるんだ、とガウリイは確信した口調で繰り返した。
「それとな、そんな男は、なかなかいないと思うぞ」
拘束を解いて、うつむくあたしの前に回って。
ガウリイはふわりと笑った。
「だから、最後まで聞いてくれよ。お前さんがそういう奴だってちゃんと分かってる。分かった上で……その、何て言うか、好きだからな」
「……あんた、本物の馬鹿だわ」
あたしに言えたのは、それだけだった。
宿に帰ると、あたしの破壊の後はすっかり片付けられていた。
宿の主人に平謝りして修理費を少しばかりぶんどられ、あたしたちは再び眺めのいい食堂へ戻ってきていた。
食堂の隅ではまだ先ほどの吟遊詩人が客もなく歌っていた。
窓の外の景色は、一部壊れて様変わりしていたりはしたが、おおむねさっきと同じで、ただわずかに暮れかけた太陽で赤く染まっていた。
あたしは、どうやら当分……もしかしたらこのままずっと一緒にいることになるらしい相棒と、軽いお酒をくみかわす。照れと、仲直りの意思を込めて。
「しまった!」
と、ガウリイが立ち上がったのは宵闇が立ちこめ始めた頃だった。
「どーしたのよ」
「さっき、宿の主人に部屋のこと話しておけばよかったなぁ」
「部屋? 何か問題あったの?」
「だって、オレたち恋人どーしってもんになったわけだろ?」
思わずずべしゃっと突っ伏してしまった。
「う、いやまぁそーかもね……しかし何も確認しなくても」
「だったら部屋は1つでいいじゃないか。しまった」
本気で頭を抱えているらしいガウリイに、あたしはついつい微笑んでしまう。
「ガウリイ?」
「ん?」
「やっぱりあんたはちょっと乙女心を学んでらっしゃい炸弾陣ぉっ!」
……今度はちゃんと手加減したでしょ?
部屋の隅で被害を避けながら、吟遊詩人がぽろろんと間抜けな旋律を奏でた。
嗚呼今日も 街に呪文の 花が咲く(季語なし)
END.