宝箱の中のキス 

「――でね、そのワイザーっておっちゃんがまた食えない奴でさ、あたしが初めて会ったのはんっと何年前だったかな、沿岸諸国のルヴィナガルド共和国ってあるじゃない? あそこが昔さ……」
 アメリアの相槌を受けながら調子よくしゃべりまくっていたリナは、ふと部屋の反対隅が静かになっていることに気が付いてそちらに目を向けた。
 床の上には、男衆がでかい図体を2つ並べて横になっている。飲みながらしゃべっているうちに睡魔に耐えられなくなり、そのまま床に寝転がってしまったのだろう。辺りに転がっている瓶の数を見れば、相当飲んだようだ。もちろん、そのうちの何分の1かはリナとアメリアが消費したものでもあるのだが。
「あ、寝ちゃったんだ、2人とも」
「部屋に帰って寝りゃいーのに。酔っ払っちゃってだらしないわねー」
 そう言うリナも、少々手元やろれつが怪しい。
 もちろんアメリアも酔ってはいたが、気持ちよいほろ酔いで、まだまだ飲めるレベルだ。酒には強い家系なのだ。
「――昔は、こんな風に4人で飲むこと、なかったね」
 言うと、リナは肩をすくめる。
「まだ16とかだったからね。あたしの保護者さんがいい顔しなかったし」
「そうだったね」
 2人は当時を思い出してくすくすと笑った。
 ガウリイはのんびりぼけらっとした性格だが、リナの保護者を自任しており、まだ少女と言える年齢の娘2人を抱えてしばしば引率者のように「酒はまだダメ。夜の外出は控えろ。知らない男についていくな」と説教を垂れたものだった。そのガウリイが今やリナと結ばれたというのだから、年月というのは不思議なものだ。
 だが、今の状況は、アメリアが置かれている状況を含め、当時から十分に予測できたことだった。来るべき時が来ただけなのだ。
「――ね、どっちから告白したの?」
 聞くと、一瞬リナはきょとんとして、それから頬をぼっと赤くした。
「……ちょっと、そんなこと、どうでもいいじゃない」
「よくないわよ。気になるじゃない」
「だって……別に……告白なんか……大したことじゃ……ないし……」
 言いながら、抱えた膝にずるずると口元まで隠してしまう。
 アルコールと照れで真赤に染まった目元は、乙女チックに伏せられてあろうことかちょっと色っぽくすらある。
「ガウリイさんから言ってくれたの?」
「……あの寒天みたいな男に、そんな根性あると思う?」
「じゃ、リナから言ったんだ!」
「……あぁぁぁいやぁーまぁぁー……」
 リナは、すっかり顔を伏せてしまった。
「ドキドキした? なんで言おうと思ったの? どんなシチュエーションだったの?」
「し……知らないわよそんなことっ」
「なんて言ったの? ガウリイさんの返事は?」
「いや、べっつにそんな、目新しい表現とか使ったわけでもないしっ」
「好きよ、とか?」
 これ以上隠れる場所のないリナは、膝と膝の間に頭をめりこませて丸まった。
「……そーだけど……」
 アメリアはうっとりとため息をつく。
「いぃぃぃなぁぁぁ」
「うぁぁぁぁぁぁぁ……」
 何やら耐えがたい心理的葛藤があったらしく、丸まったままのリナが頭をかきむしってうごめく。
 面白いのでつんつんと突いてみたが、置物になったように何ら抵抗なくころころ揺れた。
 アメリアはくすくすと笑った。
「――ガウリイさん、優しい?」
 聞くまでもないか、とは思ったが、ますます小さくなろうとするリナを見てさらにその確信を深める。
「……優しいっつーか、過保護な保護者なのよあれは! むしろもうなんかべたべたとうっとおしいやらうるさいやらで」
「ふーん?」
「ちょっと年がいってるからってあたしのこといつまでも子供みたいに甘やかすし、イライラするっちゅーかなんちゅーか」
「嬉しそうよ、リナ」
「うっさい」
 笑いながら、アメリアは窓の外に目をやる。
 すごく嬉しくてしあわせな気持ちと、なぜかリナを見ていられない気持ちが同時に湧きあがって胸を満たした。
 夜の風が窓から吹き込んで、さわり、と火照った頬を冷やす。
 冷たい空気を胸いっぱい吸い込んだ時、一緒に吸い込んだものは、不思議に泣きたい気持ちに似ていた。
「――そういう、ドキドキしながら恋する気持ちみたいなのは、もう経験できないんだなぁ」
 ふと、リナが顔を上げる。
「一生懸命勇気出して告白したり、恥ずかしがりながら手をつないだり、初めてのキスに感動したり。そんなことも、してみたかったな」
 赤い顔のままのリナは、酔いで少しとろりとした目をしながらも、きゅっと引きしめた唇にその強い意志を表す。
 ぷっくりと赤いその唇を見ながら、この唇でキスしたのかぁ、とぼんやり思う。柔らかそうに見えるけれども、どんな感触なんだろうか。ガウリイも、こうして唇に見とれて胸を高鳴らせたりしたんだろうか。
 ぼーっと見ていると、しばらくの沈黙の後に唇が開き、あのさ、と呟いた。
「――もし、あんたが好きでもない相手とムリヤリ結婚させられそうになってるってんなら、あたしがセイルーンの連中吹っ飛ばして、あんたをさらって逃げても、いーわよ」
 可憐な唇から洩れた言葉はあまりにも乱暴で、アメリアはあわてて手を振った。
「い、いいのよいいのよリナ、そんなことしなくてっ!」
 他の人間が言ったなら冗談だと思うところだが、いつだって真剣で真っ直ぐなのがリナという人間だ。おそらく、アメリアがうっかりうなずいたら本気でやるだろう。
「ちょっと寂しいなってだけで、全然嫌とかじゃないからっ! これがわたしのなすべき正義の道だと思ってるし、婚約相手も正義を愛する人だし、結婚してからゆっくり好きになればいいと思ってるからっ!」
 リナは、こだわりなげに肩をすくめた。
「――そ。それならいーのよ。ま、あんたが無理強いされておとなしく結婚しちゃうようなタマとは思えないし、フィルさんがそんな『正義ぢゃない』ことするとも思わないしね」
 うん、とアメリアはうなずく。
 もちろん、父はそんなことを無理強いしたりはしなかった。自分だって、嫌な相手はしっかり拒んだ。これは、全員が納得ずくで、しかも最良の選択なのだ。
(ただ)
 それでも、リナの生真面目な優しさは心に響いた。
(そう、ただ、ひとつだけ心残りが――)
 アメリアは不意に身を乗り出した。
「リナ。キスしよっか」
 あっけにとられたリナが、次の瞬間、逃げ出すように後ずさってがんと壁にぶつかる。
「はぁ!?」
「やっぱりファーストキスっていうのは1つの乙女の夢だし、好きな人との大切な思い出にして取っておきたいじゃない。結婚式の後に初夜といっしょくたで済ませるなんてもったいないなって、そこだけはすごく残念に思ってたのよね。もっとこう、ロマンチックで、センチメンタルなメモリーにしたいわっ」
「ロマンチックで、センチメンタル……」
「わたしはリナのこと大好きだし、いいと思うの。一生の思い出にしてあげるから、ねっ」
「いや、一生の思い出にしてもらっても……っ」
 引きつった顔で壁にへばりついて、リナはうめく。
 ベッドの上でぐいと膝を進めながら、アメリアはリナの前に迫った。
「ね、教えてよ、ガウリイさんとどんな風にキスするの? ぎゅーって抱きしめるの? すき、とか言うの?」
 リナは器用に膝から頭に向かって震えた。
「ひぃぃぃぃぃやめてぇぇぇぇ」
「リナ、って名前呼ぶの? じっと見つめあったりするの?」
「ぎゃぁぁぁぁぁひぃあぁぁぁぁ」
「するんでしょ?」
「いやぁぁぁぁぁそりゃーーーするかしないかっつったら、まぁ、することも、ないわけじゃないのかもしれないけども……」
「するんじゃない」
 くたり、とリナはうなだれる。
「……も、かんべんしてください」
 その丸くなった小さな体の横に、膝をつく。
 ぎゅっとベッドが軋む。
「――リナ。すき」
 うなだれた顔を両手で上げさせて。
「む……むぐぅ」
 唇が柔らかい唇にふれた。
 あたたかくて、柔らかかった。
(――どきどきする)
 じたばたじたばた、とあがくリナの抵抗を抑えるように、あるいはただ単にそれらしい形を真似て、両手を顎から背中にすべらせてその体に抱きつく。
 細いリナの体はとても頼りなかったけれども、やわやわとした肌から伝わってくる熱はとても心地よくて、アメリア自身のどちらかというと人より肉付きの良い体にからみあってぴたりとくっついた。
 そ、と背中をなでると、安堵感とも言えるような不思議な感覚が芯から湧きあがってきて、なんだか変な気分になる。
 しばし力の入らない抵抗を続けていたリナも、やがてあきらめたようにあがくのをやめた。迷うようにアメリアの背中に腕を回し、しょーがないなといった様子で抱擁を受け入れる。
「――んむ」
 舌を入れた時にはまたわずかな抵抗があったが、今度はすぐにあきらめたようだった。
 どきどき、の中に相手のどきどきも混じって聞こえてくる。
 普通ではありえない、深い接触。体の中と中が交じり合うという不思議な体験。
(……ああ、こういう感じかぁ……)
 抱きしめ、舌をからませながら、アメリアはひどく納得する。
 すごく、リナに近づいた気がする。
 2人の間にあった見えない空気の膜を、破ってしまったような感じ。
 それは、思ったよりセンチメンタルではなくて生々しいけれども、想像した以上に気持ちよくて、絵巻物で読むよりずっと特別に思える行為だった。
「……ぶっ」
 不意に聞こえた声に、2人ははっと離れて後ろを振り向いた。
 そこでは、岩の肌を真紫に染めて口を押さえたゼルガディスと、そのゼルガディスの肩に手をかけながらニヤニヤしてこちらに視線を向けているガウリイ。
「いやーいいもん見たな、ゼル」
 ゼルガディスは信じられないというようにリナとアメリアを交互に指差して、あえぐ。
「お……っお前ら……っ何を……っ!?」
 どうやら、気が付いたガウリイが面白がってゼルを起こしたらしい。
 そういえば、ずいぶんと騒いだ。アメリアは何となく冷静に思い返す。目が覚めても当然だ。というか、あれだけ叫べば聡いガウリイが起きない方が不思議だ。
「いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁ忘れろぉぉぉぉぉっ!!」
 リナがその場に立ち上がり、声も枯れよと絶叫した。

 

 明けて翌朝。
 結局、4人はさんざん騒いで宿の主人に怒られ、それからは静かに飲みなおして、そのままごろごろと雑魚寝をした。
 目が覚めて、男性陣を部屋から追い出して、きちんと外出着に着替えて。
 アメリアは今、往来で3人の仲間たちを前に立っている。
「それじゃ」
 叶う限りの明るい声で、そう言った。
「昨日は楽しかったですっ! また後で、王宮で会いましょうっ!」
 ガウリイの、日の光のような笑顔。
 ゼルの、どこかシニカルで、でも見守るような笑顔。
 そしてリナの、迷いのない自信にあふれた笑顔。
 アメリアは、仲間たちに向かってぐっと拳を突き出す。
 それに応えて、リナが自分の拳をがちんと当てる。ガウリイと、ゼルが続く。
「また!」
「うん、またね」
 えへへ、とアメリアは笑う。
「わたし、みんなと一緒には行けないけど、どんなに離れていても……」
 少しだけ、声が潤む。
 それに知らんぷりをして、笑った。
「どんなに離れていても、心はひとつです! わたしにしかできない正義を、なしてみせますから! 見ててくださいね!」
 リナが一歩進み出て。
 なんでもないことのようにアメリアを抱きしめて、ぽんぽん、と背中を叩いた。
「あんたが何をして、何をしなかったか、ちゃんと見てるわ。アメリア」
 その腕のあたたかさに、こらえた涙がぽろりとあふれた。
「がんばって」
「リナぁ……だいすきよ」
 アメリアより少し小柄なくらいのリナが、なだめるように背中を叩く。凛としたその声が、耳元を震わせて胸の宝箱の中に落ちていく。
「うん。わかってるから。どこにいても、ちゃんと見てるから――」

 そしてアメリアは、仲間たちに元気よく手を振って自分の場所へと歩き出す。
 これは永遠の別れではないが、ひとつの決別だ。
 あの日々を、あの短くて騒がしい日々を、心から愛していた。
 それは、毎日の半分以上を占めていたみんなの笑い声であったり、リナの目を疑うような偉大な魔術であったり、ガウリイの力強く頼もしい背中であったり、ゼルガディスの不器用な優しさであったり、過ぎゆく町々のあたたかい人情であったり、心を引き絞るような戦いの緊張感であったりした。
 見知らぬ街。
 遥かな海。
 人の手の届かぬ霊峰。
 初めて口にする食べ物。
 若き日の初恋。
 笑い声、笑い声、笑い声。
 それらを一言で言うなら、
 『リナ』
 だった。

「ひとりぼっちでも、怖くなんかない」
 セイルーン・シティのメインストリートを人の群れにまぎれて王宮へと歩きながら、アメリアは自分に言い聞かせるように呟く。
「離れていても、心はひとつ」
 活気ある呼び込みの声、通りがけに店をのぞいていく人、物珍しそうに周囲を見回す旅人。
 春を迎えて、通りをゆく人々の表情は心なしか明るい。
「ひとりぼっちでも、怖くなんかない」
 言葉を、笑顔を、お守りがわりに胸の宝箱にしまって。
「離れていても――」
 遠い仲間に胸を張れるように。
 いつか自分は、この道を歩くすべての人たちを守る、燦然と輝く正義の星になるのだ。

END.

 おまけ
 ガウリナ的後日談
 こんな風にしたらゼルアメハッピーエンドもありかもif分岐

 うみゅ! 誰が喜ぶのか分からないアメリナだけど、自分はじっくり書けて満足! お客様のニーズを無視して書きたいように書いてやったぜ(爆)

 ゼルアメはけっこう好きなのですが、将来としては、
・美しい初恋の思い出として封印し、王女の使命に邁進する(今回の話)
・独身主義を貫き、密会を続ける
 の2パターンかなと思いまして、そのどちらになるかは旅の間に2人がどれだけ絆を強めたかと、ゼル君の甲斐性次第かと思うのです。で、どっちかっていうと前者の可能性が高いと思っているのは、私はゼル君に甲斐性があるとは思えんので(爆)。
 というわけで、これが私的ゼルアメのトゥルーエンドです。切ないけど、悲しいわけじゃない。そんな未来。

 で、そんなこんなも包括して、アメリアは自由闊達なリナにとても憧れている気がするのです。そんな気持ちを1度丁寧に書いてみたいなと思っていました。
 アメリアがすごく愛しい。

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