「――さーてと。それじゃ、あたしたちはセイルーン観光でもしますか?」
見送ったアメリアの背中が人ごみにまぎれて見えなくなってから、リナは気を取り直すように言って足元の荷物を手に取った。
「おう。どこへ行く、リナ?」
「そーねぇ。とりあえずは魔道士協会にあいさつに……」
チャリ。
2人の声を聞きながら、ゼルガディスは黙って足を踏み出す。
「――追いかけるつもりなの?」
静かに、だが強い力で引きとめるように、言ったのはリナだった。
振り向かないままに、ゼルガディスは歩を止める。
「やめときなさいよ。今さら。せっかく振っ切ろうとしてるあの子に、未練を残させるつもりなの?」
あきれたような声でリナは言う。
「あんたも、その気があるならもっと早くに言ってやればよかったのよ。待ってろ、ってさ。あの子はやっとあんたを忘れて前に進もうとしてるんだから、半端な気持ちで手出したりするのはやめなさいよ」
ゼルガディスは肩をすくめた。
「嫉妬か? リナ」
「な……っ。なんであたしが……っ!?」
「昨日はずいぶんとお熱かったじゃないか」
「だからそれは忘れろっちゅーのよあんたわっ!」
肩越しに振りかえり、頬を赤くしてこちらをにらんでいるリナを確認し、少し笑う。
「二股をかけられる器用な性格でもないだろう。あんたは旦那のことだけ考えてるんだな」
それだけ言って再び歩き出す。
その背に、黙って聞いていたガウリイの声が追いかけてきた。
「追いかけるんなら、ゼル、ちゃんと守ってやるんだぜ」
ゼルガディスは、立ち止まらずに手を上げて応える。
ちょっと何送り出してんのよ、と文句を言うリナの声が聞こえる。ガウリイはそれを笑ってかわしている。
『ちゃんと守ってやる』か、とゼルガディスは内心呟いた。
数年もの間1人の女を命かけて守ってきた男の言葉は、字面の百倍も重い。
こんな体で、とずっと思ってきた。元の体に戻るまでは、戻ることができると分かるまでは、気楽に待っていろなどと言えないと。迎えに行ってやれるかどうかも分からないのに、無責任なことはできないと。
しかも、相手はセイルーンの王女だ。その小さな体にのしかかった責務の重さは計りしれず、裏街道を歩いてきた人間が自分の感情一つで左右できるレベルをはるかに超えている。待っていろと、その一言がどれほど彼女を縛ってしまうのか、少しでも想像力を持ち合わせていれば理解できる。その上、本人はその途方もない責務を喜んで受け入れようとしているのだ。
(だがそれでも)
ゼルガディスは、無表情のまま歩む足を早める。
(それでも――)
さっきリナにすがって短い間だけ泣いた、前向きでパワーの塊のような彼女が初めて見せたその涙が、彼の心を戒めていた堅牢な檻を抗いがたい嵐で粉々に壊したのだった。
王宮に向かうセイルーン・シティのメインストリートは、春を迎えてにぎわっていた。
人々があるいは笑いながら、あるいはどこかへ向かって足早に、不規則な模様を描く雲のように道を埋め尽くして流れている。
本当なら、そんな明るい表通りには足を踏み入れたくないのだ。だが、ゼルガディスはまずそこで己のプライドを打ち砕かなくてはならなかった。この人ごみをすり抜けていかなければ、けして彼女に追いつくことはできない。
腕を組むカップルの横を抜け、肩を組んで盛り上がる若者たちの集団をよけ、歩くうちに、自分が思うほど注目されていないことに気が付いた。それぞれがそれぞれのことで精いっぱいで、せっかちに歩を進める白づくめの男のことなど気にもかけていない。
手押し車いっぱいの積荷を押す男を追い抜き、買い物中の女を追い越し、ゼルガディスはその後ろ姿を見つけた。
人の群れに見え隠れしながら、まっすぐに顎を上げて王宮へ向かって歩いてゆく黒髪の娘。
追いついた、と思うと同時に、何と声をかければいいのか今さら惑う。
だが、その迷いさえも打ち砕いたのは、すぐ前まで近づいた彼女が呟いた声だった。
「……ひとりぼっちでも、怖くなんかない」
自分に言い聞かせるように、アメリアは呟く。
「離れていても、心はひとつ」
けして悲しい言葉だったわけではない。信念のこもった呟きだった。
だが、それでも彼はその肩をつかんで言わずにはいられなかった。
「――そんな強がり方をするな」
「うきゃっ!?」
飛び上がるようにして振りかえったアメリアは、そこにゼルガディスの姿を認めて大きな目をまんまるに見開く。
「ゼルガディスさん!? なんで……」
なぜ、と理由を聞かれてゼルガディスは答えられない。
明確な理由などない。ないのだ。
ただ、途方もなくエネルギーに満ちた彼女が崩れそうになったその姿を、放っておくことができなかった。
強がりは時に自分を鼓舞する力にもなる。彼女は、そうして前に進む娘だ。だがそれは、心を支えるものと裏表に張り合わせられていなくては壊れてしまう。
ゼルガディスは腕を伸ばして、その細い両肩を掴む。
岩の指が、柔らかい肌に食い込む。それを、とても苦しく思う。こんな体でなければ、と思う。
それでも、その合成獣の体という重荷も含めて、背負っていかなければならない。わずかな可能性も不確定な未来も含めて、背負う覚悟が必要なのだ。できないかもしれないからと尻ごみしていては、今、失ってしまうものがある。
「――いつか必ずここに戻る」
アメリアが途方にくれたような顔をする。
それは困ったような表情にも見えたはずなのだが、待ち望んだ言葉を言われたその驚きの表情なのだとなぜだか分かった。
そして、数年前、言えなかった言葉を言った。
「待っていて、くれないか」
(逃げていたのだと思う)
(この言葉を口にすることの責任の重さから)
そして、大事なものをあきらめたようでいて、実はその代わりに自由と無責任を手にしていた。
これを口にすることで生まれる、多くの束縛と責任と罪。それを背負って、なお彼女を守る。
(――守るっていうのは、そういうことでいいのか、旦那)
じっとゼルガディスを凝視していたその顔が、やがてくしゃりと歪み。
「――ダ、黒霧炎」
口から出てきた言葉はそんな呪文だった。
途端、2人のいる場所を中心にけして光を通さぬ暗闇が生まれ広がる。
辺りは真の闇になり、驚き慌てる人々の声が往来を騒がせる。
「わ、わたし、この国の王女ですからっ、男の人といるところを、国民に見せられませんから……っ」
小さく、涙ににじんだ声がそう呟く。
今まで通りただの仲間であれば、なんら必要のない気づかい。
それが答えだった。
暗闇の中、ゼルガディスはアメリアの強張った体を抱き寄せる。
岩の体の抱擁は痛いだろうと思ったから、優しく、優しく。
「――お前な、リナとじゃファーストキスにならんだろう」
そう囁いて。
「書き換えておけ」
正真正銘本物のファーストキスを、初心な姫に送った。
END.
く……っクサ……っorz
すみません、書いた私が恥ずかしいです。
えぇまぁ、ゼルちゃんが根性出せば、そういう結末もアリかな、と。