アイシテル 



 一向に光の見えてこない話を適当なところで終わりにして。
 気晴らしにゆっくりお風呂なぞ入ってみたりして。
 湯上りさっぱりパジャマ姿で部屋の前まで帰ってきたところで、ガウリイに会った。
 あたしはちょっとだけひるむ。
 ガウリイがその……あたしを本物の子供みたいにかわいがってるのは知ってたし、それが愛情だって言われてもゼルの言うとおり何もおかしくはない。本当は、恋愛感情だって言われたってそれほどおかしくはないんだろう、と理性では思う。あたしたちはもう3年以上も一緒に旅をしている。普通男女がそれだけ一緒にいれば何が起ころーと不思議じゃない。
 でも、あたしはそんなこと考えてもみなかったし。
 いや、まったく考えたことがなかったと言ったら、う、嘘になるかもしれないけど。
 でもそれは、生まれたとたんにいつもの軽口で流されてしまう、泡のようにもろすぎる一瞬の思考だった。
 宝珠の認可、なんていう動かしようのない事実を持ったものではなくて、こうして向き合わなければならないものでもなかった。
 だからあたしは、あたしをどんな意味にしろ、あ……愛してるというこの男と向かい合うのが居心地悪かった。そんな真っ直ぐな感情には、たじろがずにいられなかった。
「よう、風呂か?」
 屈託なくガウリイが声をかけてくる。
 あたしは笑ってうなずいたつもりだけど、もしかしたら少し顔が強張っていたかもしれない。
「あんたはどこ行くのよ」
「ちょっと、外を走りにな」
「あそ」
 ガウリイは、これでも超一流の剣士なので毎日それなりにトレーニングをしている。今日のように暇な時は、特に。
「湯冷めしないようにしろよ」
 相変わらず過保護なことを言って、あたしの頭をぽんと叩く。そしてごく当たり前にあたしの横を通り抜けようとした。
 本当に、本当にいつも通りの言動だったけど、それが過敏になったあたしのどこかにぴちりと触れた。スイッチが入ったように、灰色のもやもやが湧いてくる。
「あたしはあんたの子供じゃないわ。おせっかいはやめて頂戴」
「悪い悪い。もう子供って年じゃないよな」
 そう言いながらもわしわしとあたしの頭をなでるガウリイ。まるで反抗期の子供扱いだ。
「やめてったら!」
 ぱしりと手を跳ね付けようとして、上手いこと避けられた。彼は、その気になればあたしの暴力なんか簡単に避けられるのだ。いつもは、わざと避けないでくれる。
 それがコミュニケーションなのだと知っていたが、今だけは妙にむっとした。手加減されることに我慢がならない。
「さっきの話を気にしてるのか?」
 苦笑いするガウリイの顔が、やけに大人に見えた。
「じゃあ、恋愛感情だって言ったほうがお前さんはよかったのか? そういう意味で愛してるって言ったんだって」
 やたらに大きなガウリイの手が、ふわっとあたしの顔の横に降りてくる。
 その手は頭の上に着地しなかった。髪をくしゃくしゃとかき回すこともしなかった。
 彼の手と大して変わらない大きさしかないあたしの顔を、そっとなでて。首筋をたどって。薄いパジャマ一枚の上からあたしの小さな肩をやわらかく掴んだ。
 彼の固い皮膚と。節くれ立った指と。湯上りで火照った顔にも熱い体温に。
 あたしはぞくりとした。
「……困るだろ?」
 そう言ったガウリイは、自分の方が困ってるように苦笑いしていた。
 その青い瞳がとても綺麗に見えてなぜかいたたまれなかった。あたしは今度こそ彼の手を振り払った。
「……困るわ」
 今度は、いつも通りの仕草で、頭を優しくたたかれる。
「じゃ、あきらめて言うこと聞いて、早めに寝ろよ」
 何がどう『じゃあ』なのか分からない。
 あたしは階段を降りていく大きな背中を、しばらく苛立って見つめていた。 

 部屋に帰ると、アメリアが窓枠にぼんやり頬杖をついていた。
 窓の外には、大きな月。まださほど遅い時間じゃないから、風情たっぷりに酔っ払いのダミ声なんかが聞こえていたりする。どうやら一人きりの月見と洒落込んでいるらしい。
「あ、リナおかえり」
 あたしが入ってきたのに気づいて、アメリアは振り返る。彼女もすでにパジャマだ。
「……ただいま」
 ちとばかり不機嫌な声になってしまったのをどう思ったのか。
 アメリアはため息をつき、また窓の外を見た。
「きれーな月よ」
「……そーね」
「月が綺麗で愛してるっていうのと、ガウリイさんがリナさんを愛してるっていうのと、どー違うんだろうね」
 突然の発言に、あたしはあせってブラシを髪にからませてしまった。
「な、な、な……」
「忘れたわけじゃないでしょ? 愛してるって告白されたも同然だって」
「……覚えてるわよ。まぎらわしー言い方しないで頂戴。告白も何も、あいつはいつもの保護者宣言しただけでしょーが」
「そーだけど。怪しいわね、何動揺してるのよ」
 やかましい。
 乙女心に『愛してる』なんぞという言葉は刺激が強いのだ。
「まぁ、リナへの追求は後でもいいけど」
 気にしないでくれ。頼むから。
「大好きって意味での『愛してる』は違う、って言うけど、ガウリイさんがリナを愛してるのは『大好き』とどこが違うのかな?」
 胃が痛くなるよーな話をするアメリアに、あたしはお腹の辺りをおさえながら何とかかんとか返答する。
「ゼルの言ってた通り愛情って言葉でくくってみれば分かるんじゃないの? 細かいことはあいつの気持ちだから分からないけど……一般論としてね。月が大好きなのを愛情とは言わないでしょ。でも、ま、父性愛は愛情の一種よね。そういうことでしょ」
「つまり、人間に対する『大好き』は愛情になるのかな」
 ふむ。
 あたしは少し考えてみた。
 普通に愛情と呼ぶものは、家族愛、友愛、恋愛なんてものがある。博愛もあるけど……正義への愛がダメだったからこれはひとまず外しておく。
 あたしの家族ってゆーと、両親と姉ちゃんだが……あたしがあの人たちを大好きかと言われると、顔が引きつってちょっと答えらえない。けして嫌いではないが。
 それ以外でつながりの深い人間というと、アメリアやゼル。彼らのことは……まぁ、んな恥ずかしい言葉で表す気はないけど、普通の言い方をすれば大好き、だということになるのかもしれない。うわ、恥ずかしい……。
 でも彼らに愛情を感じてるかってゆーと、それはなんか違う気がする。
 どこが違うと言われても困るけど……。
 はて?
 友愛っていうのは、アメリアたちとのさっぱりした関係より、もっと甘ったるい恥ずかしい感情のことを言うのかもしれない。たとえば、一生を共にするような。
 うーむ?
「どーなのかしらねぇ」
「どーなんだろーね」
 彼女も、彼女なりに考えるところがあるのだろう。
 あたしはすっきりしない頭を振って、立ち上がった。愛情、なんていう普段考えたこともないようなものが、あたしの背中にべっとりと貼りついているような気がした。 

 でもってあたしがしたことと言えば、もっと建設的かつ現実的な方法だった。
 すなわち、聞き込みである。
 この街にはガウリイ以外にもあの宝珠から合格をもらった人間がいるはずである。たくさんの経験談を集めて、そこから法則を導き出す、これがもっとも早い。たった一つの事実を元にもんもんと考えていても鬱になるだけだ。おおっ、リナちゃん冴えてるっ。
 少なくとも、ガウリイがあたしをその、愛してるのどーのという話よりは冷静に分析することができる。
 ホントにまー、よくもあんなことを平気な顔で言ったもんだ。
 そりゃあたしだって、ガウリイが嫌いだとは思ってない。嫌いなヤツとそうそう何年も旅をするわけはないし、何かがあった時には少々自分を危険にさらそうと見捨てるつもりもない。まぁ、好きだということになるのかもしれない。うん。少なくとも昨日の夕食程度には好きだ。
 いや……でもご飯を守るために危険を冒そうとは思わない。とすると、実は相当好きなのかもしれない。
 待て。
 じゃあ、ガウリイより好きなものって何だ?
 お金?
 もちろんお金は大好きだ。でもガウリイを売り飛ばそうと思ったことはない。シルフィール辺りはそれを疑ってたようだが、んなことはしない。
 宝珠にはお腹いっぱいの美味しいご飯を愛してると答えた。
 でも断食しなきゃガウリイを殺すって言われたら、するだろう。そこで見殺しにするほど嫌なヤツじゃないぞ、あたしは。
 というか、あたしは――。
 それを思って、あたしの足取りは自然重くなる。
 あたしはあの時、ガウリイを守るために世界を賭けた。
「おやおや、こんな時間にお散歩ですか?」
 そいつが声をかけてきたのは、いろいろと考えながら街の酒場に向かって歩いている時だった。
 何やらにこやかな笑みを浮かべているその男は、年のころなら20代前半。ガウリイには及ばないがなかなか人好きのする顔をしている。貧弱とまでは言わずとも鍛えていない体、そして剣のひとつも持っていないその姿を見れば一目瞭然、ただの街人その一である。
 このあたしの愛らしさにつられてコナかけてきたというところか。
 ……うっとおしい。
「用があるだけよ。あ、ちょーどいいわ、この街で一番はやってる酒場ってどこ?」
「酒場に行かれるんですか? お一人では危険ですよ」
 あんたと一緒の方がよっぽど危ないっての。
 そうは思ったが、『じゃあご一緒にとでも言おうもんならこっちのものへっへっへ』というほど腹の立つ顔つきをしているわけではなかったので、吹っ飛ばすのはやめておいてあげた。本当に親切で声をかけてきたという可能性もないではない。
 ま、あたしみたいな美少女とお酒が飲めるだけでもいい、という程度の下心なら明らかに持ってるみたいだったけど。
「よろしければ、オススメの酒場まで案内しますよ。無理に一緒に飲めなんて言いませんから」
「でも、悪いわ」
「僕もちょうど飲みに行くところだったんです。こんな深夜、他に行く場所もありませんしね。あ、もちろん嫌と言われれば別のテーブルに座りますから、ご心配なく」
 そー言われても、『ご案内ありがとう。それではさようなら』と言える人間は少ないだろう。
 ただし、このあたしをのぞく。
 社交辞令だろうがなんだろうが、言ったからには実行してもらう。『さっきそう言ったでしょうがほらほら』と強気に出れば、たいがいの相手は退かざるをえない。もしそれで退かなくても今度は実力に訴えればいいことである。
「じゃあ、お願いしようかしら♪」
 あたしは誰もが目を奪われるほどの可愛らしい笑顔でもってそう言った。
 しかし、後から思えばこれは大失策だった。
 この時あたしはすっかり考え落としていたのだが、この街には忘れられた古代の魔術がよみがえっていたのである。忘れられた、というくらいだから当然あたしも知らない。その魔法に対する知識がないというのは、とっさの対応策がないということでもある。自分の力を過信していい場所ではなかったのだ。
 そんなことにも気付かず、その時のあたしはどこの誰とも知らない兄ちゃんと並んで街を歩いた。
 街は夜の闇に静まり返り、遠くに夜っぴいて飲んでいるおじちゃんたちの声が時々聞こえるのみ。大きな半月と街灯にかけられた明かりの呪文だけが道を照らす。
 酒場があるのはたいてい大通りから一本二本入った路地だ。兄ちゃんが角を曲がった時、あたしは何の疑いもなくついていった。実際その道の先には二つばかり明かりが見えた。
「リナさん、とおっしゃいましたっけ? 察するに旅をしてらっしゃるようですが」
「ええ、そーよ」
 おざなりに答えるあたし。
「この街には、やはり例の噂を聞いて?」
「忘れられた魔法のこと? ええ」
「もう挑戦なさいましたか?」
「……これからそのことについて話を聞きにいくのよ」
 あたしははっきりした返答を避けた。有り体に言って、失敗した話をしたくなかったのである。
「では……いいものをお聞かせしましょうか」
「あら、あなた何か知ってるの?」
 兄ちゃんはにこりと笑った。
 あんまりタチのいい笑みではなかったので、あたしは少し間を置いて呪文を唱える準備をした。こんなとっぽい兄ちゃんの一人や二人、何を仕掛けてきても余裕でかわす自信がある。
 しかし――
「あんた、それ……!?」
 彼の口ずさんだ混沌の言葉に、あたしは目を見開いた。
 まったく聞いたことのない呪文である。そして、それ以上にその内容。
「魅了!」
 放たれた力ある言葉に、虚を突かれたあたしはあっさり意識を混濁させてしまった。
 ……不覚。

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