アイシテル 

 それは、何て言うか奇妙な感覚だった。
 自分が二人いるような、同時に二つのことを感じ考えるような、そんな感覚。
 高熱を出した時の浮遊感に、似ているといえば似ている。
 頭ならそれなりに回っているのだけれど、その思考は体にちっとも伝わらない。体の方にはまた別の命令系統があるように動いてくれちゃう。
 実際、呪文によってあたしの体はある種の熱に浮かされていたのかもしれない。
 コイゴコロとかいう熱に。
 ――そう、この街でよみがえった古代の呪文とは、いわゆる惚れ薬ってものと同じような効果を持っていた。
 あたしが今まで目にした惚れ薬というのは、別に本当に惚れるわけじゃなくてどっちかとゆーと催淫剤のようなものだった。異性なら誰でもよくなっちゃう、というヤツである。
 しかし、この呪文は違うようだった。巷で言われる惚れ薬の効能ってものを正確にトレースしている。むしろ、惚れ薬のパブリッシュイメージというのはかつて存在したこの呪文を基にしてるのかもしれない。
 とにかくあたしは、体と意識のほとんどを妙な熱に奪い去られていた。どっかにひとかけらの理性が残っているようだが、反撃に出られるほどではない。どっくんどっくんいってる胸の鼓動が、何だかやけにうるんじゃってるような目が、変にべたべたしたがってる手が、このつまんない兄ちゃんに攻撃をくわえることを嫌がっている。
 ……あの呪文、複雑なイメージトレーニングや動作を必要とするものじゃなかった。呪文丸暗記で使える類の、だからこそ魔道士協会が門外不出にする類の呪文だ。
 魔道の知識もなさそーな普通の兄ちゃんだからって油断しちゃいけなかった。
 え?
 じゃあなんでガウリイじゃダメだったのかって?
 ちっちっち。魔道の知識が必要なくたって、呪文を暗記しなきゃいけないことには変わりないのである。その辺はガウリイだから。
「リナ……気分はどう?」
 ぞぞぞ。よ、呼び捨てにしやがった。
「最高よ。あなたの微笑みと同じくらい最高だわ(はぁと)」
 ……兄ちゃんの呼び捨てよりさらにダメージでかかった……。
 もちろん今のセリフ、言ったのはこのあたしである。よもや、こんなバカ丸出しのカップルを演じるハメになるとは……よよよ。
 しかし、精神的ダメージで済んだのはここまでだった。
「それじゃあ僕の部屋に行こうか(はぁと)」
「そうね(はぁと)」
 ってちょっと待てぇぇぇぇぇいぃっ!
 いや、展開的に当然といえば当然だけど、こんなところでこんな魔法を使う理由なんてほかにないけど、単に女の子とイチャつきたいだけっていうよりよほど健康的な精神だと思うけど、でもだからって待テ。
 今まで数々の魔族に襲われても無事だったこのあたしが、たかが街の兄ちゃんに負けてしまうのか? あああ……何のジョークにもなってない。
 大ぴーんちっ!
 ってふざけてる場合でもないっ!
 しかし、その時!
「な、なんだ君たちはっ」
 可憐な乙女がピンチのときにどこからともなくタイミングよく現れるのがヒーローの常!
 脈絡リアリティ何のその!
 路地の入り口に立っていたその影こそっ!
 ヒーローかぶれの某王女と、あたしの自称保護者っ!
 ――の、呆れ果てた顔だった。
「これって……助けに行ったほーがいいんでしょーか」
「いや、待てよアメリア。下手なことするとこっちが攻撃呪文で吹っ飛ばされる恐れがある」
「いやぁ……リナにもついに春が来ましたかねぇ」
「どーなんだろうなぁ、これは……。なんっか変な気もするけどなぁ」
 変なんてもんじゃないってのっ!
 こらぁあんたたちっ! ぼーっと見てないで早く助けないさいよっ!
 そう、叫べたのは心の中だけだった。
「ごほん、君たち、僕らは愛の逢瀬を楽しんでるところなんだ。彼女の知り合いみたいだけど、そこを通してくれないかな」
「そうよ、せっかく二人きりになれたのに邪魔しないでくれる?」
「あ……そ、そうですか。ごめんなさい」
 引き下がるなアメリアぁっ!
 そのとなりでぽりぽりと頭をかいているガウリイ。顔にはありあり困ったなぁと書いてあり、積極的に止めてくれる気配なし。
 あんたら……あたしがこんなこっぱずかしいセリフを言うと、本気で思ってるのか。
「じゃあ。朝にはちゃんと送り届けるから」
 兄ちゃんが勝利のにじんだ声音で言う。
 万事休すか!?
 そう思った時、まだ困った顔のまま口を開いたのはガウリイだった。えらいぞガウリイ、言ってやれガウリイ!
「あの……な。オレは一応その子の保護者なんだが」
「……それが?」
「あー……えーと。あんまり無茶はさせないでくれよ」
 ……使えない。
 あたしは内心げっそりとしたため息をついた。
「リナ」
 ガウリイの青い瞳が、戸惑ったように揺れながらあたしを見る。
 『あたし』は真っ向からそれを見返す。
「オレを保護者だって認めないのはいいけどな、こんな時間にふらっと出かけたりしてあんまり心配させないでくれよ。止めたりしないから」
 ……どうしてそんなこと言うの。

 どうして止めてくれないの。

「あ……たし……は」
 声が出せた!?
 それだけのことに全精力を注ぎ込んだような気がしたが、それでも声は出た。
 そう、それが熱病のようなものだとしたら、渾身の力さえ込めればそのくらいのことはできる。たとえそれ以上でなくても、一言言えればそれで充分だった。
 あたしは力を振り絞る。
「止め……て……ほし……」
 その言葉を口にしたとたん、ガウリイの顔色が変わった。
 優しすぎるくらい優しい保護者の顔から、あたしの唯一の相棒の顔へ。
「お前……!?」
「くっ。リナ来るんだ!」
 兄ちゃんが後ろに距離を取る。あたしの体はそれを追いかけ、隙を見せないよう彼の前に立ちふさがって壁になる。
 剣の柄に手をかけていたガウリイが、引き抜けずに躊躇する。
「お前、リナに何をした……?」
 ガウリイの視線は、あたしを通り抜けて兄ちゃんを見る。
 たぶん、戦いの時にいつも見せているのだろう剣士の顔。真正面から見るのは初めてのことで、あたしはその殺気に一瞬だけとはいえ気圧された。
「彼女には魔法を、ね……」
「そんな魔法、聞いたことがない……」
 アメリアが呟き、びしっと兄ちゃんを指差した。
「さてはあなた、悪魔に魂を売りましたね! それは悪! まごうことなき悪の行為です! この胸に燃え盛る正義の炎が! たとえ宝珠に否定されようとも! あなたを許すなと言っていますっ!」
 宝珠に否定されようともって……アメリア、けっこう気にしてるな。
「悪魔に魂を売った覚えはないよ」
「じゃあなぜ!? なぜそんな魔法が使えるんですっ」
 言って答えるわけはないと思うんだが……。
「それは、僕があの日山の洞窟に行った探検隊の一人だったからさ。僕は古代の魔法を手に入れたんだ!」
 うあ。答えた。
「彼女にかけた魔法は、魅了の魔法。効果が持続している間はこの僕に惚れ込み、何をされても文句ひとつ言わないばかりか、僕が危なくなれば守ってくれるってわけさ。さぁ、どうする? 僕を攻撃すると彼女が危ない。よほどのショックでも与えない限り、彼女は正気に戻らないよ? まぁ、何時間かすれば自然に効果が切れるけどね」
「ショックってのは、たとえば痛みのことかな?」
「それが一般的だろうね。少なくとも宝珠はそう教えてくれた」
「そーいえばそう言ってたような気もする」
 ……せめてガウリイからどんな魔法なのかだけでも聞きだしてみればよかった。
 まぁ、兄ちゃんが特性弱点持続時間にいたるまでぺらぺらしゃべってくれたからいーけど。呪文もしっかり聞かせてもらったし。
 さすがただの街の兄ちゃん! 悪役としては三流以下っ!
 あたしは余裕を取り戻していた。
 なぜなら。
「ガ、ガウリイさんどうしましょう……!?」
「決まってるだろ」
 ガウリイはすらりと剣を引き抜く。今度は迷いもなく。
「斬る」
「だって、リナがあいつを守ってしまうんですよ!? リナを傷つけないようにあいつをやるなんて、いくらガウリイさんでも……」
「いや、リナを斬るんだ」
「えぇぇっ!?」
 ……もちろん、それでいい。
 この術の破り方は、さっき兄ちゃんが教えてくれた通りである。人質兼盾であるあたしを、死なない程度に傷つけ、そのショックで覚醒させる。そんだけのことだ。あたしがいなくなれば兄ちゃんに抵抗する術はないだろう。
 でもって、あたしの体術はガウリイに遠く及ばない。呪文を使ったところで、魔法というのは術ではなく組み合わせや戦術の問題である。熱に浮かされたよーなあたしが使ったとしてもガウリイに対抗できるとは思えない。

 勝負は、一瞬で決した。

 

 あたしは肩から血を流して路地に倒れていた。
 アメリアが泣きそうな顔でかがみこんで、傷を癒してくれている。向こうの方には兄ちゃんが転がっている。もちろん死んではいないが、ガウリイに二、三発殴られていたよーだ。
 ガウリイが近づいてきて、あたしのそばに膝をついた。
 傷にさわらないようにそっと抱き上げてくれて、彼は強ばった顔で微笑う。
「悪かったな」
 あたしは親指を立てて見せた。
「あんたは最高の相棒よ」
 彼の笑顔が、満面に広がった。
「……ばっさりやられたわりには、あんまり痛くなかったわ」
「そりゃ手加減したからな」
 あっさり言うガウリイ。
 一流の剣士は人間の急所というのを心得ている。痛みが強い場所も、斬られると動けない場所も知っている。ということは、逆を返せばあまりダメージを与えず傷つける方法も分かっているということだ。
 つくづく、戦闘の時には便利なヤツである。
「……被保護者を傷つけちまったけど、保護者続行だよな?」
 あたしは少し首をかしげる。
 ハナから彼を保護者だと思ってない。彼は自称保護者であって、あたしにとっては今も昔も相棒だ。保護者なんてガウリイが自分で言ってるだけのことである。
 なんで今さら確認を取るんだか。
 さっきだって、物分りのいい保護者役なんか演じずに初めから……。
 そこまで考えて、あたしは顔が熱くなるのを感じた。
 あたしが嫌がってるかどうかも分からずに他の男から引き離そうとするのは、何? 保護者だって言っていたから、彼は引き下がってくれようとしたのだ。そうじゃなければ?
 彼は、あたしを『愛してる』って言った。
 保護者じゃなくて愛してるとしたら、それは何?
 保護者だって言ってごまかしてくれなかったら、あたしはどうするの?
 宿を出る前、彼が言ったことの意味が今さら分かった。
 あの宝珠に彼が気持ちを認められてしまった時から、あたしの前には二択しか残っていなかったのだ。彼を保護者と認識するか、そうじゃなくてあたしを愛してるんだと認めるか。
「……よろしく、保護者さん。もう少しだけ」
 言うと、ガウリイは笑った。
 なんてゆーか……この人は、優しすぎる。
 彼のこういうところを、その大きな手を、満面の笑顔を、一緒に戦っていける強さを、あたしはかなり好きかもしれない。大好きかもしれない。
 ――愛してると言っていいほどに。 

 そんなことを、翌日もう必要はないのだけれど宝珠に言ってみた。
 なんだかやけにあっさり合格をもらえた。
 それがどういう意味を持つのか、もうしばらくは謎にしておきたい。





END.

 初めて! 初めてガウリナらしいお話が書けましたよ姐さん!(誰)
 当初はアメリアの正義語りが書きたくて思いついただけの話でしたが(爆)、後半はリナ対ガウリイのシーンを楽しみに書きましたv
 私のイメージする2人は、必要とあればこういう危険な戦術も取れる2人なのです。

 大人なガウリイがかっこよく見えれば嬉しいです!

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