クライアント(前編)

・・・・・・嫌な予感はしていた。
溜息をついて、ガウリイは頭を抱えた。
エルメキアに入ったのが4日前。国境沿いの小さな町についたのが昨日。
そして、
「坊ちゃま!? 坊ちゃまではありませんか!?」
と、夕暮れ時の人込みの中、突然声をかけられたのが、今。
・・・まずい。
内心、冷や汗をかきつつも、ガウリイはその声に気づかないふりで、何事もなかったかのように通り過ぎようとした。
が。
「へ? なになになに?」
周囲に響いた大声に脚を止め、リナはあたりを見回す。
リナが止まったので、やむをえずガウリイもまた脚を止めた。
――― 次の瞬間。
「ガウリイ坊ちゃま・・・!! よく、ご無事で・・・・!!」
人込みを掻き分けてきた老女が、ガウリイの腕を掴んで泣き崩れた。
「せ、セシルばあちゃん・・・・」
ガウリイはうめき、リナは眼を見開く。
老女は涙でくしゃくしゃになった顔で、ガウリイを見上げた。
「ガウリイ坊ちゃま、8年もどうしてらしたんですか!?
 どうして誰にも何も言わず、家を出なすったんです!!」
おいおいと泣く老女に唖然として、リナはガウリイと老女に交互に視線を向ける。
ぷるぷると震える指で、ガウリイを指さした。
「あんた、坊ちゃまって・・・・」
「い、いやあ、なんつーか、その・・・」
ガウリイは汗が浮かんだ頬をぽりぽりと掻く。
「このひと、な、俺の家の、別荘の管理人のばーちゃんで・・・・・・」
「別荘!?」
リナが素っ頓狂な声を上げる。
「あ、あんた、ひょっとして、いいとこの馬鹿息子・・!?」
「・・・・馬鹿息子って・・・。
それはともかく、まあ、そう、かな・・・」
「嘘おっ!?」
リナの頭の中をぐるぐると今までの出来事がめぐった。
確かに、長い間一緒に旅をしてきて、一介の傭兵にしては不似合いに、ガウリイはそれなりの教養をうけてきたフシがあった。(学問はさておき。)
礼儀作法やテーブルマナーがごく自然に身についており、他人、特に年配者や女性には対しては紳士で。
たまーーーに書く字も、綺麗で几帳面。読み書きが出来ない人間が少なくないこの世界で、それは貴重な人種の部類にはいる。
何よりガウリイの性格には、野にある戦士そのものの、荒んだ感じがほとんどない。
ってことは、ガウリイは、ほんとに・・・?
「ま、マジで・・・!?
え、でも、それじゃなんであんた、傭兵なんかしてるのよ!?」
思わず問い詰めたリナから、気まずそうにガウリイは視線をそらした。
「色々あってな」
セシル、と呼ばれた老女は、スカーフで顔をぬぐってガウリイを見上げる。
「ガウリイぼっちゃま、本家にはご連絡なさったのですか? 
お父上も兄君も、ずっとガウリイぼっちゃまをお探しで・・・」
「いや、連絡はしてない。・・・・悪いけど、黙っててもらえないか、ばーちゃん」
「どうしてでございます!?」
叫んだセシルは、何かに思い当たったのか、表情を暗くした。
「ぼっちゃま、まだあのことを気になさってるんですか?
 あのときは、たしかに母上さまが・・・」
「ばあちゃん!」
言いかけたセシルの声を、鋭い口調でガウリイが切った。
「・・・・悪い、連れがいるんだ」
「連れ・・・・?」
セシルがようやくリナに気づいた様子で、視線を向ける。
リナは少し戸惑いつつ、頭をさげる。
「リナ=インバースです、はじめまして」
セシルが眼を見開いた。
「ぼっちゃま、このお嬢さまは・・・?」
「言っただろ、連れだよ。相棒。」
「では、いよいよ後を継がれるおつもりで・・・?」
「・・・ああ、ごめん、そうじゃないんだ。
 今回もたまたまこの町には通りかかっただけで、長居する気は・・・」
セシルはまた顔を歪ませる。
「なら、せめて、こちらの屋敷にお泊りになるのございましょう?
 皆、心配致しております、せめて顔をお見せになるだけでも・・・・」
ガウリイは心底困り果てたように息を吐いた。
「悪いけど・・・俺は、彼女と旅してる最中だから、寄れない」
「あたしは、いいわよ」
リナの声にガウリイは振り向いた。
リナはセシルに歩み寄り、その肩を優しく叩く。
「ガウリイ、セシルばーちゃんもこんなに心配してたんだし、あたしは構わないから、ちょっと家に泊まるくらいいいじゃない?
別にあたしは屋根があればどこでもいいし」
ガウリイの育った環境に、興味はあるし。―― 内心、リナは呟く。
リナがガウリイと旅をはじめて3年。しかしガウリイの家族についてや、昔の話などは、毎回適当にはぐらかされてしまって今までわからなかった。
これを逃したら、それを知る機会はそうないだろう。
リナは我知らず期待をこめ、ガウリイに笑う。
「いや・・・・それは」
ガウリイは困ったようにセシルとリナと見比べた。
セシルは縋るようにガウリイを見つめている。
「坊ちゃま、せめて、一晩だけでも」
ガウリイは息を吐いた。
「ばーちゃん・・・悪いんだけど、リナ・・・彼女は連れて行きたくないんだ」
「えっ・・・?」
思いがけない言葉にリナは表情をこわばらせた。
「何よ、それ・・・」
「リナ、お前さんには、色々見せたくないんだ。
 今夜は普通に宿に泊まろう」
セシルの顔が切なそうにゆがみ、リナはかすかな苛立ちを覚える。
「あたしが、邪魔ってこと?」
「違う。・・・お前は知らなくていいことだ」
ごく簡単な言葉に、リナは拳を握り締めた。拒絶された。そう思った。
嫌な、体の内側を焼くような、暗い怒りが込み上げてくる。
「あたしに話せないことなの?」
「話したくないんだ。・・知らなくていい」
「・・・あたしには隠しておきたいようなことがあるってこと?」
「・・・あのなあ」
リナの追求に、ガウリイは疲れたように息を吐いた。本人としては悪意のないその仕草が、リナの神経をまた逆撫でする。
「・・・・お前、ちょっと落ち着け。
 俺にも色々あるんだ。・・・理由はまたそのうちにでも話してやるよ」
「いいわよ気を遣わなくて。あたしは、タダの「旅の連れ」なんだから。
そりゃ、悪かったわ。そうね、お互いプライバシーは大事だもんね」
「リナ」
ガウリイがふっと真顔になる。この顔は自分を叱る時の顔。怒りを覚えている顔。そうリナは記憶している。
「いい加減にしろ。・・・お前らしくないぞ、リナ」
ガウリイの言葉に、リナははっと我に返りかけたが、しかしそれを、湧き上がっている怒りを誇張し、無理矢理ねじ伏せる。
あたしは、悪くない。
リナはガウリイの視線を睨み返した。
「――― もういいわ。
 あたしたち、これから一週間、別行動しましょう。
 あたしはどっか宿屋に泊まって、魔道士協会で簡単な仕事でもしてるから。
 その間、ガウリイはゆっくり家にかえってて。」
「―― リナ!?」
「一週間後に、そこの店で会いましょ。
婆ちゃん孝行すんのよ、ガウリイ。じゃあね。」
張り詰めた怒りをこめて、リナは短い呪文を唱える。
ガウリイは咄嗟に手を伸ばした。――― が、
「翔風界!」
一瞬遅く、リナの体は空に舞い上がる。
「待て、リナ!!」
マントがガウリイの顔をかすめ、飛び去った。

*    *    *

「・・・・なんであんなこと言っちゃったんだろ・・・」
リナは溜息をつきつつ重い脚を運んだ。
ガウリイと別れたのは、昨日。
その日は町外れ宿を取り、そして今日、特にすることも無いので、ガウリイに宣言したとおり、魔道士協会にやってきていた。
夜、ひょっとして、ガウリイが探しにくるかと思ったのだが、結局ガウリイはあらわれなかった。
小さい町とはいえ、宿屋の数は多いからみつけられなかったのかもしれないし、あのセシルという老女に気を遣って、家から出られなかったのかもしれない。
しかし、迎えに来るガウリイを一回期待してしまっただけに、夜が長かった。
リナはロクに眠る事もできずに、苛立ちを抱えたまま朝を迎えた。
・・・・一晩考えてみれば、自分も悪かったのだ、と思う。
何も、あんな風に言うことはなかった。ちっとも冷静ではなかった。
詮索して、感情的になって嫌味ばかり言って。
「ああいうのを、嫌な女って言うのよね・・・」
リナはがしがしと頭をかく。
どうにもこうにも、最近、ガウリイに対する独占欲が強くなってきている、と、自分でも思う。
ガウリイが傍にいないとなんだか落ち着かないし、ごくたまーに街で行き会う、「昔の仕事仲間」と話をするガウリイを見ていると胸がざわつく。それから、いつまでも中々教えてくれない過去の話も気になる。
どれも恋愛感情に付随してくるものだが、恋愛経験の浅いリナには、制御するのが難しい。
自分で自分が嫌になるって、ほんとにあんのよね・・・
内心呟いて、リナは本日何度目かの溜息をついた。
――― でも、ガウリイに謝る気にはなれないし。ガウリイだって、隠し事ばっかりして、意地が悪いったらないし。
 そーよ、一週間たったら合流するんだから、その時に2・3発吹っ飛ばしてやればすっきり気も晴れるってもんよ、うん!
リナは気持ちを切り替えるように頷いて、魔道士協会のドアを開けた。

コンコンッ
獅子の形のノッカーをたたく。
「すみませーん、協会から紹介された、ミナ=サンダースですけどー!」
リナの声が玄関のポーチに響き渡り、しばらくして、重厚なドアが開いた。
中から優しげな、一人の老人が現れる。
「おお、おお。ミナさんか。
 話はうかがっとるよ。中にはいっとくれ」
「はい、失礼します」
リナは頭をさげて、大きな屋敷のドアをくぐった。
中は広いホールになっていた。高そうな渋い色合いの調度品が、嫌味にならない程度に置かれている。
老人はホールを横切り、奥の方へと歩いていく。リナは後に続きながら、さりげなく周囲に視線を走らせて屋敷内部を観察した。
屋敷自体はかなり広い。ところどころに飾られた絵画や、彫刻なども、地味だが値のはりそうなものばかりだ。
使用人も多いようで、何人かの人間とすれ違いながら、リナは老人に案内され、オーク材の扉の小部屋へと通された。
部屋に入ると、老人はリナに壁にかかっていた服を手渡した。
「仕事はもう聞いとるかね?」
「ええ。魔道士協会の方から」
「そうか、じゃあ、その衝立の向こうで着替えなされ。
簡単に事情を説明しようかの」
リナは服を受け取りつつ頷く。手渡されたのは、メイドの衣装一式。
部屋をしきる衝立の向こうに回りこんで、リナはそれに着替える。
衝立の向こうから老人の声が聞こえてきた。
「ミナ・・・いや、本名はリナさんと仰ったか。
 リナさんにしてもらいたいのは、この別荘の主人の護衛でな。」
「はい、5日間、でしたっけ?」
「そうじゃ。主人は、数年・・・8年ほど前に、一度、何者かに命を狙われての。
まあ、それきり、特に大きな事件もなかったのじゃが、今回、久しぶりにこの別荘にこられた。
何もなければよいが、しかし別荘の滞在期間に、もしかしたら再び命を狙われるやもしれぬ。
そうしたら・・・」
「あたしの出番、ってわけですね」
リナは可愛らしいヘッドドレスをつけながら、頷いた。
「敵が現れなければそれでよし。
でも、警備がないのに安心して、万一刺客が姿を見せたらあたしが捕まえる。
最悪でも、主人を護りきって、5日後には警備が厳重な自宅に帰す。
――― それでオッケー?」
「ああ、頼むよ、お嬢さん。」
リナは一通りの服を身につけ、姿見に全身を映した。
なにやらピラピラした衣装は心もとなく落ち着かないが、敵を欺くためならば仕方のないことではある。
「リナさんには、主人つきのメイドとして、待機していてもらうことになる。
なあに、主人つきといっても、たいした仕事はない。せいぜい、お茶を煎れてもらうくらいかの。
気を楽にしててくれ」
「・・・ところで、主人って、どんなひと?
 ヴィドックさん、って言うんでしたっけ?」
リナは着替え終わり、もってきた革のトランクに服―――町娘を装った衣装―――を詰めなおして、衝立を出る。老人は眼を細めて微笑んだ。
「おお、可愛らしいの。
そうそう、主人は、これから紹介しよう。
リナさんに・・・」
「ミナ、で結構です。」
「そうじゃな。ミナさんと呼ばせてもらうか。
・・・・ミナさんに仕事を依頼するのを決めたのも、主人の案でな。
刺客をおびき出すなら、見た目でそれとわからない、魔道士がよかろうということで、昨日、ワシが魔道士協会に依頼にいったのじゃよ。
まっすぐな気性のお方じゃ。仕事はやりやすかろうて」
「へえ・・・」
老人は歩き出しながら、リナに笑った。
「まあ、当人に会ってみれば、おわかりになるじゃろ」

「失礼致します、新しいメイドの、ミナ=サンダースをお連れしました」
老人がドアの向こうに声をかける。
「・・・どうぞ」
ドアの向こうから、くぐもった声が返ってきた。低い声だが、ドアごしで、よく聞こえない。
老人はドアを押し開けた。
リナは一礼し、室内に入ろうとして――― 固まった。
「が、ガウ・・・・!」
大きく開いた窓を背に、さっぱりした服を着て立っていたのは、リナの連れ、ガウリイ=ガブリエフそのひとだったのである。
唖然として立ち止まったリナに、ガウリイは穏やかに笑いかけた。
「ミナ=サンダースさんだな。魔道士教会から、話は聞いてるよ。
どうぞ、入って」
「・・・・っ!」
リナは息を呑んだ。
気づいてない!? ――― そんなわけはない。
別に面をかぶっているわけでも、化粧をしているわけでもない。
第一、「魔道士協会」に仕事の依頼をしているのだ。ここでは偽名を使っているとは言え、リナ=インバースの名で引き受けた仕事なのである。
気づかない、はずがない。
ということは、ガウリイのこれは、演技だ。
何を思ってのことかはしらないが、わざと、やっている。
――― どういうこと!?
リナはぎり、と唇をかんだ。
裏切られたような憤りと、怒りを覚える。
・・・ああそう、そうなの。
ガウリイがそのつもりなら、こっちだって。
リナはすっと表情を切り替えた。
笑顔を創って、室内に入る。
「はじめまして! ミナ=サンダースです。
 宜しくお願いします」
ガウリイはリナの態度に動揺もせず、頷いて返した。
「じゃあ、これから数日間、俺の護衛を頼むよ。」
「・・・あの、この屋敷の御主人は、ヴィドックさんって方だと聞いたのですけど」
「ああ、それ、俺の母方の姓なんだ。
 俺は、ガウリイ=ガブリエフ。
 ちょっと事情があって旅に出てたんだが、これから一週間は、ここに滞在する」
ガウリイは慣れた様子で、奥のソファに腰をかけた。
リナを連れてきた老人・・・・執事は、ガウリイに頭をさげる。
「では、ぼっちゃま、私はこれで」
「セシル婆ちゃんによろしく言っといてくれよ、爺ちゃん」
ガウリイの言葉に、老人は嬉しそうに笑って、部屋から出て行った。
あとに残されたリナは、困惑する。
・・・さて、どうしよう。
「ミナさん、だっけ?」
ガウリイがリナに声をかける。
さっきまでの演技は、執事の老人がいたためかと思っていたのだが、予想がはずれてリナは眉をひそめた。
が、すぐに笑顔で返事を返す。
「ミナ、で結構です。ガウリイさま」
ガウリイさま。言ってからぞわっとしたが、他に呼びようもない。
リナはにこにこ笑顔を崩さず応える。
「君の部屋は、この部屋・・・俺の部屋の隣だから。荷物を置いてきてくれ」
「隣、ですか?」
近い。嫌だなと一瞬思ったリナに、ガウリイがこともなげに言い放つ。
「君の仕事は、俺の護衛だろ?」
「・・・わかりました」
リナはガウリイに背をむけ、続き部屋のドアをあけた。
こじんまりしているが、綺麗に整えられた部屋だった。リナはそこにトランクを投げ出し、思わず、拳を固める。
ぼすぼすぼすぼすっ!!!!
ベットにあった羽枕を、渾身の力を込めて連打する。
――― 何よ、ガウリイのくせにガウリイのくせにーーー!!! 
他人のフリすんなんて、あたしを騙して雇うなんて、いい度胸じゃないの!!
隣室にいるガウリイに聞こえないように、心の中で散々罵詈雑言を罪もない枕に向かって浴びせかけ、ぜーはーと息を整える。
そしてガウリイのいる隣室に、笑顔で戻った。
「ただいま戻りました。とりあえず何をしましょう、ガウリイさま?」
ガウリイは鷹揚に頷くと剣を手に、立ち上がった。
「剣の練習をする。外にいく」


---------


ガウリイは剣を宙に向かって繰り出す。
虚空に舞う木の葉が、地面に落ちるその前に、糸のように細く割かれ、風に消える。
木の葉は意外に柔らかく、弾力がある。凄まじいスピードと力量がなければ、一閃するくらいはできても、こうも細く正確に寸断することはできない。
リナはガウリイの上着を持ち、傍らに立ちながらこれまでのことを考えていた。
ガウリイの眼は、リナを見ない。
いつもなら、リナが笑顔を向ければ、照れくさそうに、だが嬉しそうに笑って頭をかくのに、今日はリナが作り笑いをしているからだろうか。リナの態度に、まったくもって無関心だ。
また、事情の説明もない。
どうして「命を狙われている」などという話になっているのか、大体、本当にこの屋敷はガウリイのものなのか。意地をはって他人のフリを続けているリナには、聞くことができす、ガウリイが何も話してくれないため、結果、それすらもリナにはわからない。
苛立ちと孤独感は、澱のようにリナに積もる。
リナは不快感に囚われながらも、ガウリイを見つめていた。

   *    *    *

剣の練習――― というより、単に体を動かしたかったのだが。
一通り、飽きるまで剣を振るってから、庭の端にある井戸から直に、頭に水を浴びる。
全身からぼたぼたと水が落ちた。
視界の隅にリナが立っている。
ガウリイは表情を読まれないように、再度、盛大に水をかぶった。
リナをこの別荘に連れてきたくなかったのは、いくつか事情がある。
しかしそれよりも、昨日、セシルと出会ったあの場からは、とにかく一刻も早く離れたかった。
別にガウリイとて、子供のころから世話になってきたセシルが嫌いなわけではない。
ないが、しかし、あのままなら、光の剣がないことに気づいて、セシルが何を言い出すか、わかったものではなかった。
――― ガブリエフ家は、代々、当主となるものが光の剣の剣士となる、名門の家柄である、らしい。
らしい、というのは、ガウリイ自身がまったくその手のことに興味がなかったので、自分の家の格や、意味を、あまり正確に把握していないためだ。
とにかく、ガブリエフ家は、「光の剣の剣士」を輩出する家柄で、規模は大きくないながらも、エルメキアではかなり高名な一族として、名家の群に名を連ねている。
その、家の存在意義とも言える光の剣を持ち出し、ガウリイが家出したのが8年前。
その間、ガブリエフ家では、さぞ必死の探索が行われただろう。――― ガウリイは知りたくでもないが。
しかしその剣は、冥王によって奪われ、永久に失われた。
そのことがわかれば、セシルはきっと、驚き、嘆く。
ガウリイが隠したのでは、と疑いさえするかも知れない。
そしてそれを聞いたリナは・・・・きっと、ショックを受ける。
ああ見えて、仲間に対する責任意識が強いあの少女のことだ。光の剣が失われた原因を、自分に見出してしまうかもしれない。
決してそうではないのだが、それを納得させられる自信がガウリイにはない。
だからこそ、なるべくセシルや、この別荘の者達とは極力リナをあわせたくなかっただけなのだ。
――― なのに、この結果だ。もう隠しきれはしない。
ガウリイは頭の中で嗤った。
今まで隠してきたのが悪かったのか? もっと早い時期に、全部話してしまえばよかったのか。
『惚れた相手の前でだけは、悩んでる姿なんか見せるんじゃねえぞ』
リフレイン。あの長髪の男の言葉。それが今までガウリイを押し留めてきた。
しかし、ならどうすればよかったのか。自分が頭が悪いからなのか、どうしてもわからない。
・・・そして苛立ちは募ってリナにも向かう。
どうしてわかってくれないのか。別にリナを信用していないのではない。心を許していないわけでもない。彼女の前では天然バカで傭兵のガウリイ=ガブリエフのままでいたいだけなのに。
互いに互いを想うからこそ、溝が生まれてゆく。
また水を被った。飛沫が飛んで地面を濡らした。
ガウリイは昨日、セシルに連れられ、別荘・・・ガウリイが母から譲り受けた、ほとんど私物になっている屋敷向かった。向かいながら、リナが「魔道士協会で仕事を探す」ようなことを言っていたのを思い出した。
リナを一人にはしておけない。かといって、自分が追いかけてもまた逃げるだけだろう。
考えた末、ガウリイは罠をしかけることにした。
「腕の立つ魔道士、出来れば女を、5日間、護衛として雇いたい」
そういう連絡をその日のうちに、セシルの夫で、別荘の執事のフライオン老づてに、魔道士協会に申し入れたのだ。
そして、今日。
リナは、罠にかかった。

ガウリイの思惑に気づきもせず、護衛兼メイドとして、リナはガウリイの前に現れた。
当然、リナは何も知らない。
自分の過去も、現在の状況も、全部、わからない。
だから今、本当なら暴れ出したいくらい苛ついているだろう。
今日出会ったリナに、ガウリイはあえて距離を置き、「雇用主」として声をかけている。
その瞬間、リナは酷く傷ついたような顔をした。
しかし意地っ張りな彼女は、すぐに何でもないような笑顔を浮かべ、ごく普通に自分に応じた。
その笑顔の下で、どんな怒りが渦巻いているかと思うと、何故か、ガウリイは奇妙に愉しい気分になる。
どうせ最後は、リナが限界を迎えれば破綻をきたすのだ。それまで、遊ばせて貰ってもいいだろう。今回の件では、散々悩まされたことだし。
ガウリイは笑う。
さて。
どうやって虐めてやろう?

水を浴び終わると、ガウリイは屋敷の中に向かった。
ちらりとリナに視線を向けたので、ついて来いという合図なのだろうと、リナは無言でガウリイにつき従う。
すたすた。
リナの歩調に合わせもせず、ガウリイは廊下を歩いていく。むきになってリナはおいかけるものの、いかんせんコンパスが違いすぎて、少々辛い。
と、一つの扉の前で立ち止まる。ガウリイは振り返った。
「ミナ。俺は風呂に入るが、君はどうする?」
「え・・・?」
問われてリナは、困惑し立ち止まった。
・・・どうすると言われても。
「ここで・・・お待ちしてます」
「・・・へえ?」
ガウリイはすっと眼を細めた。
「護衛ってのは、対象から眼を離しててもつとまるものなんだ?」
「・・・っ」
どこか、嘲ったような口調に、リナは表情をこわばらせた。
「お背中でも流せとおっしゃるんですか?」
怒りがこもったリナの低い言葉に、ガウリイはくっと笑う。
リナの怒りは空回りする。
「冗談だ。
 ある程度の刺客なら、俺はあしらえるから、風呂の間くらい平気だよ。 
そんなに時間はかからない。そこで待っててくれ。」
ガウリイは言って、ドアを開けた。その中に姿を消す。
「・・何様のつもりよ、あのバカ・・・!」
リナは、ガウリイの上着を抱き締めたまま、膝を震わせた。

夕食は、ガウリイの部屋でとった。
ガウリイの食事は離れに住むセシルが作ったものらしい。
温かで豪華な料理が、ガウリイの部屋に運ばれてくる。
ちなみにリナは、ガウリイと同じ食事を、ガウリイと執事のフライオン老が話をしているうちに、与えられた私室で既にとった。
メイドにしては豪勢なメニューだったが、毒殺の可能性もある、とのことなので、毒見もかねて、同じものを食べたのである。
リナは一人きりで給仕をしながら、ガウリイの仕草を見つめる。
ガウリイは大理石のテーブルで、静かにナイフとフォークを動かしている。
時折、ワインを飲む。
日頃リナと食事争奪戦を繰り広げている人物と、同一人物だとはとても思えない。
・・・・たしかに、こうしてみると、貴族然としていて、傭兵というよりは騎士というイメージがしっくりくる。
しかし、一体どうして、ガウリイは家を出たのだろう?
リナは表情には出さず、考える。
ガウリイには、家を出なくてはならない理由があったのだろうか。
フライオン老から、ガウリイは8年前に一度、命を狙われたと聞いた。
そして、ガウリイが家を出たのが、8年前。
この符号は何を意味するのだろう。
大体、命を狙われたという、それが事実なのかがわからない。単に、自分を雇うためのつくり話に過ぎないのかも。
とはいえ、ガウリイはともかく、フライオン老が嘘をつくような人柄には思えない。では、事実なのか。だとすると、なぜ、狙われたのか。
リナのような・・・・旅に出て、その日雇いの仕事をし、時には盗賊を狩り、魔族を倒す。そんな仕事をしていれば、命を狙われるのはさして珍しいことではない。
しかし、家を出る前の、血生臭い仕事をはじめる前のガウリイに、命を狙われなくてはならない理由が果たしてあったのだろうか。
わからない。
聞きたい。
リナは唇を噛み締める。
「・・・・ミナ」
「っ、はい!」
呼ばれて、慌ててリナは我に返った。
ガウリイは空になったグラスを持ち上げてみせる。
「ワインを」
「・・・はい」
リナはワインボトルを取り、そのグラスに注いだ。
赤い液体がグラスに満ちる。
リナはふと、口を開いた。
「・・・護衛として雇われたのは、私ひとりなんですか?」
「ああ」
ガウリイはこともなげに頷いた。
「俺は、人にまとわりつかれるのがあまり好きじゃないんでね。
それに、多分、刺客は来ない」
それだけ言って、ガウリイはグラスを口に運んだ。
「来ないって、どうしてわかるんです?」
「俺がここにいることを、本家の人間が知らないからさ」
ガウリイは言葉を切って、フォークを置いた。
かちん。軽い金属の音がする。
燭台の炎が揺れた。
「・・・・ガウリイ・・さま、を狙っているのは、ひょっとして・・・」
リナは呟くように口にした。
ガウリイは鋭い視線をリナに向ける。
笑顔で、しかし反論を許さない口調で。
「それ以上は、君の仕事とは関係ない」



>NEXT







▲ page top