赤い手 

 あの日、あたしの手に闇が生まれた。
 それは、無明の闇。
 だが、純ではない。
 闇には、ある種人を安堵させるものがある。光がないゆえに見ないで済むものがあり、影になって隠れるものに苛立つこともない。それが、闇だ。
 しかし、その闇は純な闇ではない。
 だから、光のないおそろしさと、闇でない不安定さを併せ持つ。
 その名を、混沌という。

 混沌はあたしの手からあふれ出し、とどまるところを知らず世界を食い尽くす。
 まず初めに、あたしが食われる。
 そしてあたしのとなりにいる人が。
 彼が与えてくれたぬくもり、お日様のような笑顔、怒っているのに優しい瞳、大きな手が、黒い塵に溶けてどこかへ消えてしまう。
 それからあたしを取り巻く景色が。
 何百年を生きてきた大きな森、何千人もが踏み固めた道、芽生えたばかりの若木、澄み渡る空が、黒くなる。
 闇はすべてを席巻し、世界を飲み込む。
 何十万の悲哀を、歓喜を、生命を、すべてを。
 あたしは闇に溶けてぼんやりただよったかすかな意識の中、ひとつのことだけ思っている。
 これはあたしの手から生まれた闇だ。
 あたしが生んだ。
 あたしが壊した。
 あたしが消した。
 あたしが滅ぼした。
 あたしが。
 あたしが。
 あたしが。
 あたしが。
 あたしが。
 ――すべてを。 

 ふいに夢から覚めた。
 体が泥になったように重い。眠った気がしない眠り。ベッドに入る前よりずっと疲れているような気がした。
 寝ていたはずなのに、動悸が早い。
 ああ。またあの時の夢だ。あの呪文の夢だ。
 あたしの手から生まれた混沌。結局それがすべてを滅ぼすことはなかったけれど、それはあくまで結果論。あたしは、世界をこの手にかけようとしたのだ。
 たった1人の男のために。
 叫びだしたいような衝動に襲われ、あたしは天井の木目をにらみつけてそれを殺した。
 こういう感情を、自分で処理する方法は知っている。
 知っていなければ、今まで生きてこれなかった。
 あたしはまだ何もしてない、そう言い聞かせて静かに横たわっていた。
 板の数をはっきり数えられるほどに、辺りは明るい。
 白っぽい朝の光の中で、あたしは指先からむしばんでくるような震えと戦っていた。
「リナー? 朝メシ食いに行こうぜー」
 扉の外から、ノックと共にのんびりした声がかかる。
 その声が現実感を取り戻してくれるまで、あたしは指1本動かせずにいた。

 いつもの朝だった。
 ガウリイはあたしの顔を見て『顔色が悪いぞ?』と軽い心配を見せたが、大丈夫よと笑ってやるとそれ以上追求してこなかった。その後は、特に何の変わりもない。
 あたしとガウリイは朝食を奪い合って何とかお腹を満たし、呆然とした様子の依頼人が遠慮がちに自分の分を口に入れる。
 断っておくが、あたしたちだって鬼じゃない。もし美味しそうなローストビーフやらシチューやらを残して『私少食なもので……』などと言い腐ろうものなら容赦しないが、そうでない場合依頼人の皿に手を出したりはしない。ちゃんと、競争力のある相手とだけ取り合っているんである。
 だというのに、依頼人の顔ときたら、まるで異人種を見るが如しだ。自分の皿が無事なのを不思議がっているように、戦いに巻き込まれないように、ちまっちまと皿をつついている。
「あのぅ……お腹が空いていらっしゃるんでしたらどうぞ私の分も……」
「何言ってるのよ、ケリー。あんたそれ以上痩せてどうする気? これはいつものことだから……ってああっ!? 人が優しさを発揮してる隙に何すんのよガウリイ!」
 しゃべっているあたしの皿から、容赦なくポテトサラダさんをさらっていくガウリイ。
「ん? お前さんはしゃべってて構わないぞ」
「まだあたしは食べ終わってないわっ! こうしてやる! えいえいっ!」
「何するんだぁ! 人がせめてもの情けでポテトサラダにしてやったっていうのに、大事に守ってきたハムステーキ取るかぁ!?」
「やられたことは100倍にして返すのがあたしの流儀よ! ふふん」
「それならこうだ! ていっ!」
「ああああこの鬼ぃ!」
「何と言うか……生命力の塊ですね……」
 それ以上口を挟めなかったらしいケリーは、皿の上から料理がすべてなくなるまで黙って自分の朝食を採っていた。
 あたしたちが一息ついたときには、ケリーはごくわずかな料理を消費してのんびりお茶なぞ飲んでいた。
 このケリーという依頼人、年のころはあたしと同じくらいのわりと綺麗なおねーちゃんである。木のような色をした髪はまっすぐに伸び、背中を覆っている。裾の長いローブには、銀糸で少々歪んだ模様が描かれていた。自分で刺繍したのだろう。つまりは、魔道士である。
 今回、あたしたちは格安で彼女の護衛を請け負っている。
 理由は簡単、依頼を受けるより前に彼女と親しくなっていたからだ。
 ケリーは、たまたま魔道士協会で居合わせたあたしの名前を聞いて声をかけてきた。彼女、なんでも魔族について研究しているそうである。あたしの体験談を聞かせてくれないかと言いながら自分の研究成果を惜しげもなく披露してくれるので、あたしはお茶の肴に自分の話をしてあげたのだ。
 ケリーの調べた中には、かなり特殊な魔族との戦い、戦法などがあった。それを隠すでもなくひけらかすでもなくいろいろ教えてくれるので、あたしとしてはいい勉強になった。
 簡潔に言って、彼女は善人なのである。魔道士として大成はしないかもしれないけど……。
 そろそろ次の街に行こうと思うと言うので、あたしたちは自分たちの旅のついでに彼女を送ってあげることにした。
 今朝の食事の時にこの宿で、と約束をし、今こうしているというわけである。
 もしかすると、彼女に昨日昔の戦いをいろいろ話して聞かせたから、夢に見たのかもしれない。あたしが過去使った、世界を滅ぼす可能性のあるあの術のことを。
「で、確認しておきたいんだけど、あなたはどのくらいの魔法を使えるの?」
「あ、はい。火炎球や振動弾など、一通り覚えました。竜破斬などは、学んだものの発動しませんでしたが……」
 それは単純に魔力容量の問題であろう。
 まぁ、そのくらい勉強しているなら、及第点というところである。1人で旅をしているだけのことはあるということか。別に護衛は必要ないかもしれない。こちらはフォローするくらいに考えてよさそうである。
「実際に戦ったことはあるのか?」
 のほほん、としながら珍しくまともっぽい質問を投げたのは、ガウリイ。
「街道脇で会うゴブリン程度なら……」
「ふぅん、どうだった?」
 頬杖をついて食後のお茶を楽しみながらあたしが聞くと、ケリーは困ったように笑った。
「幸いスペースがありましたので、火炎球であしらえました」
「うん、それでいいわ」
 まったく実戦の経験がない場合、攻撃されることに焦って無茶をし、足手まといになる可能性がある。1度でも戦ったことがあればずいぶん違うものだ。スペースの有無を考える冷静さが持てるなら、筋がいい。
 こりは楽な仕事だわ、とあたしはその時思った。 

 甘かった、と思い知ったのは昼過ぎのことである。
 あたしたちが進む道の先に、見るからに盗賊団ですぅ! と叫んでいるような団体が現れた。その数、およそ10人。あたしやガウリイが苦戦するような相手ではない。その程度の人数であたしたちから強盗をしようなんて、片腹痛い。まぁ倍でも3倍でも結果は同じだけど……。
 あたしは頭をかき、リーダーとおぼしきスキンヘッドが口を開いた瞬間に先手を打った。
「命が惜しかったら有り金全部置いていけ、って言いたい?」
 スキンヘッドは、出鼻をくじかれて困ったようだった。
「……言いたかったな。まぁ、分かっているなら話は早い。さっさとしてもらおうか」
 となりで、ケリーが身をすくませているのを感じた。
「ふふん、そう言われて素直に置いてくと思う?」
「ま、無理そうだな」
 おや、素直。
 スキンヘッドは、にやりと嫌らしい笑みを浮かべた。
「お前さんは跳ねっ返りみたいだからな。どうやら腕にものを言わせなきゃならないようだ」
「あらぁ、分かってるじゃない♪ あんたも道を踏み外してるみたいだから、どうやら腕で分からせてやらなきゃいけないみたいね」
「楽しそうだなぁ……」
 ケリーと反対のとなりでは、ガウリイがため息をつく。腰の剣に手をかける様子もない。
「これが旅の醍醐味ってものでしょ」
「リ、リナさん……」
「あ、別にあなたに無理に戦えとは言わないから、だいじょーぶよ、ケリー。そのための護衛なんだからね」
 言って、あたしはウインクひとつ。
 まぁ少しは戦力として期待してないでもなかったけど、手伝ってもらえなくてもどうということはない。盗賊いじめるのに手助けなんぞいらない。ガウリイだって手伝う気なさそうだし。
「ほほぅ、子供が美しい女性の護衛とは泣かせる話だねぇ」
 むかっ。
「誰が子供なのかしらぁ? などと言いながらいきなり爆裂……」
 その時だった。
 ケリーがいきなりあたしにしがみついて、口をふさいできたのは。
「む、むがっ?」
「野郎ども、かかれっ!」
 月並みな号令一発、『おうっ』だの『やっちまえっ』だの柄の悪い言葉をわめきながら盗賊たちが殺到してくる。
「ふぐっ! ふぐふがっ!(ちょっと! 離してよ!)」
「おい、リナ」
 ガウリイの声に、わずかな焦りがにじむ。
 ケリーは決死の覚悟でしがみついてきているようで、体格で劣るあたしはなかなか振り解けない。後ろから羽交い絞めという姿勢は、案外解きにくいものなのだ。小柄なあたしにはなおさらである。普通なら噛み付くか肘鉄か足技なんかで切り抜けるのだが、見るからにたおやかなケリーを蹴り飛ばすのも気が引ける。
「だ、だだだだめですリナさん! 相手は人間なんですよ!」
 そんなこと言ってる場合かっ!
 叫びたかったが、暴れることしかできない。そうしている間にも盗賊たちは接近してくる。三流悪役とはいえ、手に持っている蛮刀でひとなぎされたら痛いではすまないだろう。
「お金! お金で済むなら渡してしまって、ここは穏便に……」
 絶対イヤだぁぁぁ!!!!
 お金と簡単に言うが、あたしの持っている金目のものは半端ではない。冗談ではなく、広大な屋敷がまるまる買えてしまうくらいの値打ちがあるのである。そんなものを『喧嘩はイヤなので』と渡してしまえる善人がいるわけない。
 そもそも、暴力でものを脅しとろうなんて連中に頭を下げてやるのはまっぴらごめんである。
「やめてください! 人間同士が殺しあうなんて嫌っ!」
 ケリーの言葉にもかかわらず、連中は止まろうとしない。
 当然だろう。横にいるガウリイが、剣の柄に手をかけている。
「……くそっ」
 あたしの目の前でスキンヘッドが蛮刀を振り上げた瞬間、ガウリイが目にも留まらぬ速さで割り込んできた。
 刃が合わさったのは一瞬、大振りをして体勢を崩していたスキンヘッドは、ガウリイの剣をろくに受け止めることもできずにたたらを踏む。その隙を見逃さず、ガウリイは手首を翻して剣の腹で彼を打ち据えた。
 すぐそばまで迫っていた次の相手は、柄で顔を打って気絶させる。その次は、余裕がなかった。一刀のもとに切り伏せられ、ざんばら髪の男が悲鳴も上げずどうと倒れた。
 ケリーが悲鳴を上げた。
 ガウリイは強い。この人数なら、普通全員殺さずにあしらえる。
 だが、それは守る相手がいない場合の話である。
 彼は、たぶん自分に向かってきた剣をすべてかわす自信があるのである。実際、当てられるところなど滅多に見ない。攻撃を避けられるなら、自分の好きなように動くことができる。だからこそ余裕を持って剣の腹や柄、自分の手足を使って気絶させるにとどめることができるのである。
 しかし、避けられない人間を守らなくてはいけない時はどうか。
 少しでも早く人数を減らす以外に方法はない。1人で戦っている時とは比べ物にならないほど、余裕がなくなるのである。
 今のあたしとケリーは、完全なる足手まといだ。
 あたしは舌打ちをし、無防備なケリーの腹に肘をめりこませた。呻いて意識を失う彼女を片手で受け止め、足元によりかからせる。
 ガウリイが交戦している今、広範囲無差別型の魔法は使えない。貫通型の術なら一気に複数をやれるが、それでは殺してしまう。ケリーとあたしの身はガウリイに守ってもらうとして、各個撃破、ガウリイのサポートに入るしかないだろう。
 頭の中で瞬時に状況を考えると、あたしは雷の呪文を唱え始めた。

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