森が、緑の渦巻きに見えた。
「眠そうだなーリナ」
「うにゅう……」
気がつくと、ガウリイが5歩も前を歩いていた。
「あー……」
足を早めてとなりに並ぶ。
「どーしたんだ? 魔族に狙われてたって熟睡するお前さんが」
……そりゃまあ、そういう危険な時こそ体力を温存しなきゃいけないと思ってますから。
あたしは重い手足をなんとか前に進めながら、ため息をついた。
あたしたちは、いろいろな面倒ごとに巻き込まれたフォーブスの街を後にして、カルマート公国の中心部の方へと足を進めていた。一応、フォーブスで適当な占い師に占ってもらったんだけど、こないだ自分でやってみた
それでも進んでいるのは、伝説の魔力剣を探すなんて途方もない目的に、信用できるも何もあったもんじゃないからだ。
実際、伝説の光の剣なんてとなりにいるガウリイが普通に腰からぶらさげて歩いてたくらいだし。
気の向くまま、のんきな物見遊山気分……といきたいところなのだが……
「……ほら、フォーブスの街ってすごく遅い時間までにぎわってたじゃない? あんなとこに何日も滞在したせいで、時間感覚狂っちゃったのよね」
あたしは適当なことを言った。
「ふーん」
ガウリイは気のない声で呟いた。
「オレはまたてっきり、夜中に1人食い倒れツアーでもしてんのかと」
「なんで夜中にんなことやるのよっ!」
「だって、夕飯と朝メシの間が1番長いじゃないか」
「寝ればいーのよ寝ればっ!」
「でも、食い物はあればあるだけ幸せじゃないか」
「夜中の食事は美容の敵っ! ……ていうか」
あたしは遙か上にあるガウリイの顔を見上げる。
「ガウリイ、お腹空いたのね」
「うん」
ガウリイは真剣な顔でうなずいた。
比較的開けた草原を、うねうねと続く街道。
空は綺麗な秋晴れで、たなびく雲も美しい。
軽装で移動するあたしたちみたいな流れ者は、朝昼夜とうまく途中の宿場町で休むよう計画を立てて旅路をたどる。
のんきで脳みそがプリンで体力だけはバカみたいにあるガウリイは、あたしと一緒に旅をするようになるまで何の計画性もなく歩いてたみたいだが、そういうのは例外中の例外である。
あたしたちが歩いているような街道は、だいたいが大きな街と街をつなぐもので、途中にたくさんの宿場町がある。そういった宿場町には旅人をあてこんだ食べ物屋も多く、『旅人たちおすすめの定番の店』みたいなものもあって、旅をする楽しみのひとつになっている。
いい感じのお店で食事をするためにも、綿密な計画は欠かすことができない。
「……ごめん、あたしが歩くの遅いわね」
そうなのである。
予定ではとっくに次の街についてお昼ごはんをいただいているはずだったのだ。
しかし、お日さまが西へ傾きつつある今になっても、街は影も形も見えない。
「今日はどこまで行くんだっけなーリナ」
朝説明したんだけどなー。
なんてことは、ガウリイ相手に無駄な愚痴である。
「次の街でごはん食べて、その次の次の街で宿を取る予定」
「そっか。次で宿にしたらだめか?」
あたしはのほほんとした笑顔で歩くガウリイを見る。
予定が遅れているとは言っても、まだまだ日は高い。十分歩ける時間なのだが……
あたしは少し考えて、うなずいた。
「……そーする」
ちょっと目をそらして、うつむいた。
「……ありがと」
ガウリイが笑って、あたしの頭を叩いた。
宿に部屋を取り、とりあえず荷物を置くため一時解散する。
下の食堂で集合ね、と言って廊下でガウリイと別れたあたしは、あてがわれた部屋に入って床に荷物と装備を投げ出した。
「……あふぅ」
堅いベッドに体を投げ出す。
眠い。
それはもう、本当に眠い。
歩きながら眠れそうな勢いだった。
「……ふ……ふぁぁ……」
ぴかぴかの清潔なシーツに顔を伏せると、それだけであくびが出てくる。
いかん。
まだお昼すぎだし。ガウリイと待ち合わせしてるし。
鍵も開けっぱなしだし。靴も脱いでなくて……
お腹も空いたし……
夜眠れなくなるし……
どうせ眠れば……
あの夢を見るんだし
終わりのない闇の夢を見る。
あたしの手が生み出し、そして暴走させて、この世界に解き放った、あの闇だ。
自分のしたことを後悔したくはないし、それなりに過去のこととして処理しているつもりなんだけれども、無意識まではごまかせないらしい。
特に、フォーブスの街で自分のしたことを人から指摘されて以来、顕著になった。
これは一過性のもので、いずれ落ち着いていくということは分かっている。
旅に出たばかりの頃、慣れない1人旅でいろいろとやらかしてしまうたび、ねえちゃんのおしおきが怖くて夢に見た。だが、いつしかそんなものは現実に起きないと無意識も納得したらしく、夢は見なくなっていった。
この黒い夢も、そういったものだ。
耐えていればいい。
夜中に何度も何度も目が覚めてしまうことだって、寝直すたびに同じような夢を見ることだって、そう長い期間続くわけではあるまい。
背を丸めて生きていくつもりはない。
けれども、あの選択がとても重たいことは仕方ない。それだけのことをしたのだ。
これは、あたしが一生背負っていく罪だ。
黒い、黒い、黒い、黒い、闇が世界を覆う。
(ああ――)
ふととなりを見上げるとガウリイがいた。
片手に剣を構え、片手であたしの手を握り、力強く笑った。
「リナ」
ガウリイ?
なんでここにいるの?
ガウリイが捕まったから、あの呪文を使わなきゃガウリイを殺すって言われたから、あたしあれを唱えたのに。
「オレはリナの保護者だからな。リナのことは、オレが守る」
うそつき。
いなくなったくせに。
「そーだったっけ?」
忘れんなっ!
「まーいーや」
よくない。
「これからは、いなくならないから」
……うん、ガウリイ。
あたしはうなずく。
お願い、そーしてよね。
ぼんやりとした視界の中、見慣れた金色の髪が見えた。
「……あ」
あたしは何度か瞬く。
手を握られている。大きな骨ばった手が、あたしの小さな手を包み込んでいる。
反対の手が、あたしの頭をなでている。
あったかくて、安心する。
これは、夢の続きか。
珍しい、幸せな夢だわ。
「……リナ」
囁く声が甘い。
「起きたか? メシ食いに行かないか?」
「え!?」
あたしはかっと目を見開いた。
あたしは服のままベッドに転がっていて、ベッドサイドに座ったガウリイがあたしの手を握っている。
窓の外はまだ明るくて、ここは宿の部屋。
……夢じゃないしっ!?
「なななな何やってんのよガウリイ!?」
ガウリイの手を振り払って、体を起こす。
ガウリイは困ったような顔をして振り払われた手を見た。
「すまん。うなされてたから、つい……」
「ついって、なんでここにいんの!? 鍵は!?」
あ。あたしが開けっ放しにしてたんだっけ。
ガウリイは頭をかきながら、とつとつと事情を説明した。
「いやあ……昼メシ食おうと思って食堂行ったんだけど、いつまでたってもリナが降りてこないだろ? それで、部屋の様子を見に来たら、鍵が開いてて、お前さんは寝てて……。なんかうなされてるし……ついな」
「……そう」
あたしは、恥ずかしいところを見られた気まずさでうつむく。
「そうね、あたしが不用心だったわ。悪かったわね、心配かけて」
「いや……」
言って、ガウリイは下を向いたあたしの顔をのぞきこむ。
「なあ、もしかしてこんなことよくあるのか?」
「こんなことって?」
あたしはとぼける。
「嫌な夢見てうなされることだよ。もしかしてそれでよく眠れてないのか?」
「別に、んなことないわよ」
こうして、あれに関するガウリイの追求をごまかすのも何度目だろう。
あたしの意志を尊重してそっとしておいてくれたガウリイも、いい加減放っておきかねたらしい。
「あの時の夢か?」
鋭い突っ込みを入れてくる。
「あの時って?」
「オレが、あの黒いやつに連れてかれた後だよ」
「んー? なんで?」
あたしは、意外なことを言われたという感じでそらとっぼける。
しかしガウリイはだまされなかった。
「あれからお前さん、おかしいから」
「そお?」
「何があったのか、言いたがらないし」
「だって、説明したってガウリイ分かんないじゃないの」
あたしは笑ってぱたぱた手を振ったが、ガウリイは真剣な顔で否定した。
「オレが分かんなくても、リナ、お前さんはいつだって説明してくれる。いくら聞いても答えてくれないなんてこと、今までになかった」
「そーだったかしら」
あたしは肩をすくめた。
「じゃあ説明するけど、
それは事実だったが、事実の半分、いや3分の1程度でしかない。
隠していることは3つ。
シャブラニグドゥに対して使ったのは
もう1つ、
そして1番重要なことは、制御は現実に失敗し、世界は1度滅びかけたということだ。
「……リナ」
ガウリイは眉を寄せてあたしの目をじっと見る。
「呪文のことはよく分からんが、お前さんはなんか隠してると思う」
ちちいっ!
あたしは思いっきり舌打ちしそうになった。
他の人間ならあたしの理にかなった説明で説得できると思うのだが、ガウリイにとっては『理屈が通ってる』とか『説得力がある』とかはあまり意味を持たない。
『あたしの様子がおかしい』『たぶんあの時から』その野生の勘が、すべての理屈を上回っているのだ。
「なあ。オレはお前に、何を背負わせちまったんだ?」
肩をつかまれ、真正面から目をのぞき込まれて、その重圧に耐えきれず顔を背けたのはあたしの方だった。
「……何にも問題なんか、なかったわよ」
説得力がないのは分かっていた。
それでも、本当のことだけは言うわけにいかない。
今の何百倍も悲しい顔をさせるに違いないんだから。
「リナ……」
うながす声も、聞かないふり。
「――リナ」
その声が切ない響きを帯びていたって、知らんぷり。
あたしの肩をつかんでいた手が離れ、一瞬あたしを抱きしめそうになった。
どきりとしたけど、その手はしばらく葛藤するように止まった後、何もしないままで引っ込められた。
「――お前さんが嫌な夢を見ないで済むように、ずっと守ってやれたらいいのにな」
急に優しくなった声に顔を上げると、ガウリイは微笑んでいた。
あたしを守り慈しむ、優しい保護者の顔だった。
「どーやってよ。夜じゅう見張ってでもいるつもり?」
「そうしたいくらいなんだが」
あたしは苦く笑った。
その優しさが嬉しくて辛い。
「……もういいわよ、そーゆーの」
呟いてから、その意味をガウリイが深く考えてしまう前に立ち上がった。
「さ、ご飯食べに行こっか、ガウリイ」
「リナ」
ガウリイに手をつかまれたけれども、あんまし気にしないようにした。
「早くしないと、そろそろお昼のサービス終わっちゃうんじゃない? 夕ご飯まで何にも食べられなくなるわよ!」
「リナ……」
目をそらし、耳をふさぎ、手の感覚もシャットアウトして、あたしは強く言う。
「話は終わり! これ以上あたしから説明できることはなんもないんだから。それよりお腹空いた!」
ガウリイはため息をつき、不承不承という感じで立ち上がった。
「……おう」
ガウリイは、食事をしたらこの問答を忘れるだろうか。
細部は忘れてしまうかもしれない。けれど、不信感までは忘れないだろう。
これ以上不審に思わせないことだ。
あたしは自分に言い聞かせる。
そのためには、あたしがもっと強くならなければいけない。
夢なんかに惑わされないよう。
この間みたいな誘惑に惑わされないよう。
(どうやってあの夢から抜け出せばいいのか、分からないけど)
夢の中で握ってくれたガウリイの手を思い出して、あたしは自分の手を見た。
そこにまだ、ぬくもりが残っている気がした。
となりにガウリイがいてくれると思った時のあのあたたかさを思い出すと、幸せすぎて胸が震えた。
(――ずっとそばにいてもらえたら、いいのに)