距離 片恋お題: 4

 すごく嫌な状況に遭遇した。
「ガウリイ……さん」
 呟いた彼女は、年の頃ならガウリイと同じ頃。焦げ茶色のストレートヘアが艶やかな、なかなかの美人である。加えてけっこう胸が大きい。
 そしてその瞳は、ひたりっとガウリイに据えられていたりする。
 聞くまでもなく、わけありの仲である。
「お久しぶりです……」
「あ……」
 ちらりとガウリイを見上げると、ものすごく微妙な顔。その寄せられた眉が、『オレ絶対この人知ってる。誰だっけ誰だっけヤバい思い出せない絶対知ってる』なんぞと語っている。
「……覚えてませんか?」
「いやっ! 覚えてるっ! 覚えてるがその……っ!」
 ガウリイはがっくしとうなだれた。
「……名前聞いてもいいか? いや、覚えてるんだが!」
 いくらなんでもひどいぞおまい。
 しかし彼女は、爆発するほど失礼なガウリイの発言を聞いても怒るどころか懐かしそうにくすりと微笑んで、たおやかに指で口元を隠したりする。
 あたしなどには100回生まれ変わってもできない芸当である。
「よかったら、少しお話しませんか? お時間あれば、ですけど」
「あー。いやでも連れが……」
 情けない表情であたしを盗み見るガウリイ。
「……かわいらしい方ですね」
 完全に誤解した微笑みで静かに言って、彼女はあたしに軽く頭を下げる。
 それはとても穏やかで礼儀正しい動作なのに、なぜか言葉よりも雄弁に『今はあなたがとなりにいるんですね』と涙のような言葉を語っている気がした。
 いたたまれない気持ちで、あたしも会釈を返す。
(違うわよ)
 言ってあげたい。
(何でもないのよ。あなたと立場は同じ)
 つか、黙ってんのも気持ち悪いので、やっぱり言うことにした。
「あたしはただの旅の連れよ。気にしないで」
「ああ……そうなんですか。わたしてっきり」
 ほっとしたように見えた。けれどそれもけしてあからさまではなく控え目で、なんとゆーかとことん品が良い人である。
「でも、お連れの方がいるのに失礼でしたね。偶然お会いできたのが嬉しくて、つい栓ないことを申しました。では、わたしはこれで」
 ぺこり、とお辞儀をして踵を返す彼女。これまた潔い。
 焦ったようにガウリイが一歩を踏み出す。
「いや、ちょっと待ってくれ」
 バツの悪そうな表情であたしに手を合わせて、低い声で呟く。
「リナ、すまん。食事して戻るから、広場んとこで」
「ん」
 あたしは手を上げて了承を示す。
 それにもう1度ごめんと言って、ガウリイは彼女の方へ小走りに駆けよっていった。

 本当に、嫌な場面に遭遇したと思う。
 控え目にぺこりとしながら、それでもどこか毅然として、ガウリイと歩き出す彼女。
 彼女を見るガウリイの目は、けして愛しさや恋しさではないんだけれども、懐かしさとか優しさとか気遣いとかの柔らかい色で、あたしとふざけ合ってる時とも戦っている時とも違う年相応の大人の顔に見えた。
 2人の距離は、あたしと歩く時よりほんの半歩分近い。たぶんどちらも意識してないんだろう。
 それはおそらく、たとえどんなに短かったとしても人生のある時期に誰より近くにいた人間の距離なんだと思う。あたしがたどり着いたことのない距離。元コイビトの距離。
 そして、シルフィールに似たタイプの彼女。
 あんたは昔そういう人を選んだんだな、と。
 それがきっと1番、辛かった。

「もっとゆっくり話してきてもよかったのに」
 ごくごく短い時間であっさり帰ってきたガウリイと、あたしは並んで街道を歩いている。
 1歩半の距離で。
「いやー、久しぶりだからってあいさつしただけだし」
 気が抜けるくらいいつも通りのガウリイ。彼女に会ったことで何かを引きずってるような様子はない。
「……誰、とか聞いてもいーの?」
「もちろん構わないけど。いつだったかなあ、傭兵やってた頃に……どっかの街で……どんくらいだったか付き合ってた。と思う」
「どんだけ曖昧なのよっ!?」
「すみません……」
 まあガウリイらしいとも言えるが。
「……好き、だったの?」
 ちょっぴしうつむいて聞いちゃったりするリナちゃんったら、乙女。
「うーん、どーだったかなあ」
 さすがに答えられるだろと思った質問に、本気で悩んだようにうなるガウリイ。
「オイ」
「あっ、覚えてるんだぞっ!?」
「そーゆーの覚えてるって言わない」
「いやほんとに覚えてるんだって! まあ付き合ってたのはその……彼女から言われて……なんとなく」
「なんとなくかい」
「オレあの頃は」
 そう言いかけてから、ちょっと口ごもって低い声で続けた。
「……あの頃はあんまり余裕なかったっていうか、な。いろいろと。だから好きだって言われて嬉しかったし、美人だったし、なんとなく」
「ふーん」
 ガウリイにもそんな頃があったんだ、とか、あんたってスケルトン並の知能しかないくせにもてるわよね、とか、言ってやりたいことはいくつかあったんだけど。
 とりあえずこれを言っておかねばなるまい。
「すけべ」
「なっ!?」
 ガウリイは首まで真赤になった。
「なんでだっ!? あ、余裕ないってそーゆー意味じゃないぞ!?」
「ほほぉう」
「いやだから、若かったしっ! いろいろ行き詰ってたっていうかっ!」
「へー。若い内は大変だって言うもんねー」
「だからそーゆー意味じゃないって!!」
 あたしの方を真っ直ぐ見られないくらい照れているガウリイ。
 こりはなかなか珍しくて面白い。
「まあたまたそんなこと言って。あたしに遠慮しなくていいのよ? これでも理解あるつもりだし」
「遠慮なんかしとらんっ!」
 この照れっぷりからして嘘を言ってるとは思えない。もともと器用に嘘をつける人間ではないが。
 ということは、彼女を好きで好きでたまらなかったというわけじゃないというのも事実なのだろう。少しほっとしたことは認めざるをえまい。
「いやあ、あんたも告白されてなんとなくで付き合っちゃったりすんのねー」
「まあその……男なら悪い気はしないだろ」
「じゃ、もしあたしが告白したら、付き合っちゃうわけ?」
 おしっ! 勢いでさらっと言えたっ!
 たぶん赤くなってるとは思うけど……。
 さあどう来るガウリイ。照れるか受け流すかそれとも喜んでくれるのか。
 だがしかし、そんな乙女の純情をガウリイくんはきっぱりした一言で打ち砕いた。
「それはない」
 ……ああそう。
「それはやっぱり、あたしの胸が足りないことがご不満だと捉えるべきなのかしら?」
 ひくり、と引きつって言ったあたしに、ガウリイは苦笑した。
「そんなんじゃないよ。ただ、あの頃と違って今は誰かに支えてもらう必要なんかないんだ」
 そう言って、ガウリイは立ち止まり、澄みきった優しい目であたしを見下ろす。
「むしろオレが、お前を守ってやりたい」
 保護者として、の注釈がついているのは分かっているのに、あたしはその言葉と綺麗な目の色にどきりとする。
「オレのために誰かにいてもらう、じゃなくて、お前のためにオレがいる。それでいいんだ今は。見返りも何もいらない。保護者っていうのはそういうことだと思ってる」
 こめられた強い意志に、あたしは少したじろぐ。
 だから、わざと軽い口調で
「今は恋人なんていらない、ってことね」
 茶化してみる。
 だけど、ガウリイは真面目にうなずいた。
「そーだな。もし今、彼女があの時と同じように言ってくれたとしても、あの時と同じ答えは返さないと思う」
 やけに確信を持って言い切ったガウリイは、言葉通り迷いのない目をしていて。
 ちょっと、見惚れてしまった、なんてことは絶対言わない。
「……そう」
 あたしは芸のない返事をして、とことこと再び歩き始める。
 ガウリイがゆっくりした歩調で続く。
 木漏れ日が道の遠く彼方まで降り注いでいる。こんなうららかで気持ちいい道のりなのに、あたしはとなりの気配ばっかり気にしている。
 見返りはいらない、なんてこと無欲なことあたしには言えない。あんたのその強い目も心も全部欲しい。保護者とかどーでもいいから今すぐ抱きしめてよ、と言いたい。
 でも、こんなにも大事に思ってくれてるのに、あんたの取る距離は彼女と歩く時より遠い。
 あと半歩。
 あと半歩がとても遠い。
 ぐっと1歩踏み込みさえすれば、すぐにあんたの腕にふれられるのに。その1歩が途方もなく遠く思える。
 ちょっと、試しに。洒落みたいなもので。半歩の距離を詰めてみたら。
「あ、も少し離れてないと剣がぶつかるかもしれん」
 あっさり言ってくれるスケルトンの親類。
 少しだけ、あんたの体温を感じたのに。
 これが今のあんたの距離、相棒で保護者の距離なのだ。

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 ガウリイさんは若い頃普通に何人か付き合ったんじゃないかと思ってますが、だとするとたぶんリナのようにガウさんが支えてあげるようなタイプではなく、支えてもらう側だったんじゃないかなと考えています。
 まあ、なんというか定番嫉妬ネタなのです。昔付き合ってた彼女とか微妙な役を出してしまうところが、ちょっとフリーダム(笑)。

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