視線 後 片恋お題: 5

 うろたえてわめくマシューを言い含めてその場で待たせ、浮遊[レビテーション]でガウリイを引っ張り上げたのは直後のことだった。
 幸い、そこまで切り立った崖ではなかった。
 さらにガウリイは、吹っ飛ばされながらとっさに木の枝を拾い、それを地面に突き立てて速度を殺したらしい。相変わらず、どーゆー運動神経なんだあんたは。
 おかげで怪我の程度としてはそれほど重篤なものではなかった。治癒[リカバリィ]をかければすぐに完治するほどの軽い怪我でもなかったが、あたしじゃ手に負えないほどの怪我というわけではない。
 まあほぼ大丈夫だろうというところまできて、呪文を止める。この呪文はやたらと体力を消費するので、そのまま少し休ませることにした。
 日が傾きかけていた。
 キツいかもしれないが、休憩したら歩いてもらうことになるだろう。
「……今回は、ちょっとあたしが悪かったかな、と思うわ」
 殊勝に謝ったあたしに、木の根元で横たわったガウリイは苦笑した。
「崖ができてるのに気づいてなかったんだろお前さん。オレだからいいけど、今度は気をつけろよ」
 大ピンチだったはずなのを感じさせないのんびりした言葉に、あたしも苦笑してうなずく。
 この男は、あたしのミスを怒ったことなど1度もない。
 大きくて広い、こんな心の持ち主はきっと2人といない。
(ありがと、ガウリイ)
 口には出せなかったけれど。
 心の奥で熾き火がじわりと燃えた気がした。
「あんた、よく分かったわね」
「なんか、違和感って言うか、森の雰囲気が変だったんだよ。嵐かなんかで崩れたんだな、きっと。分かんなくても仕方なかったよ」
 ガウリイは笑う。
「な……なんでだよっ!?」
 悲鳴のような声を上げたのは、事故以来押し黙っていたマシューだった。
「なんで許せちゃうんだ!? 死んでたかもしんないんだぞ!?」
 その言葉に、あたしは少しばかり目を細める。胸の底に走った切り傷を素手で触られる痛み。
 もちろん分かっている。あたしがガウリイをどんな危険な目に会わせたのかは。
「マシュー」
 ガウリイが静かな声でマシューをなだめる。
「オレがいいと言ってるんだ。リナを責めるな」
 違った。
 なだめているのではない、諌めているのだ。
「だ、だって」
「これはたまたま運が悪かったからで、リナがわざとしたわけじゃない」
「だけど兄ちゃんは、そんな怪我して……」
「オレは確かに怪我をしたけど、無事だし、ちゃんと治してもらったし」
「治ったらいいってもんじゃないだろ!」
「いーんだよ」
 うつむいたマシューが、幼い彼なりに精一杯低い声で呟く。
「兄ちゃんは、やっぱり姉ちゃんのことが好きなんだろ? だから、そんな風に許せるんだろ?」
 ガウリイは苦笑する。
「お前はそういう話にするのが大好きだなあ」
「だって! そうじゃなきゃおかしいじゃないか! そうじゃなきゃ死にそうな目にあって許せるはずないじゃないか!」
「そういうんじゃないよ、オレたちは。リナが何度もそう言ってただろ?」
「だって! 許せないのがふつうだろ? 許せるのは愛し合ってるからだろ?」
「なんでそうなるかなあ」
「愛し合ってる恋人同士ならどんなことでも許しあえるって、本で読んだ。どんなこともだって」
「そうとも限らないと思うぞ。別にオレだって、リナのすることを全部許そうと思ってるわけじゃないし」
「じゃあ……なんで許すんだ?」
 マシューの声音が悲痛な色を帯びる。
「どうしたら許してもらえるんだよっ?」
 ガウリイが困惑したような顔をした。
 あたしは、マシューの幼い手がぶるぶると震えているのに気付く。それは、爆発しそうな感情を吐き出してしまいたい人間の動作だ。
 あたしの方を見ようとしないその目を真っ直ぐ見つめて、あたしは問いかける。
「あんたは、一体何を悔やんでいるの?」 
「おれ……」
 迷うように口ごもって、マシューは視線を揺らす。
「おれは……」
「許してもらえない何かを抱え込んでるのね、あんた」
 しばらくうつむいていたマシューは、やがて呟きをもらす。
「母さんを死なせちゃったんだ」
 その言葉を形にするために、彼が全身の勇気を絞り出したのが分かった。
「おれが5歳の時、すごい嵐が来たんだ。おれ楽しくなって、父さんと母さんが止めるのも聞かずに1人で外に出ていった。おれはしばらくして帰ったんだけど、おれを探しに出た母さんは帰ってこなくて……そのまま……」
 彼は何度も自分のしたことをを悔やんできたのだろう。
 そこまでを言ってしまうと、堰を切ったように早口で続ける。
「おれが悪かったと思ってる。おれの考えが足りなかったと思ってるよ。おれも死にたいくらい傷ついたよ。でも、父さんは許してくれなかった」
 吐き捨てるように言う言葉には、悔恨と苦鳴が詰まっている。
「おれは最低なやつなんだ。親にも許してもらえないようなことをしたんだ。でもおれを許してくれる人は……きっと……きっとどこかに……きっとそれはおれの恋人で……きっと……」
 最後はくぐもった声でうめくように言って、マシューは黙った。
 きっと、その結論にたどりつくまで彼なりにさまざまな葛藤があったのだろう。
 彼が幼くても、母親を失い父親の愛を失ったその年数の苦吟は他人には計り知れない。
「マシュー。あたしには、あんた以上に重い荷物がある」
 あたしは静かに言う。
「あたしを恨んだり憎んだりしてる人もいっぱいいる。あんたとは比べものならないくらいね」
「リナ=インバースだもんな……」
 マシューは呟く。いろいろ引っかかるがまあいい。
 あたしはきっぱりと言い切った。
「だけど、そんな時は笑ってごまかすことにしてるっ!」
「ええっ!?」
 マシューの顎が落ちた。
「たまに恨み骨髄であたしの命を狙ってくるやつもいるけど、そんなの返り討ちよっ!」
「返り討っちゃうのかっ?」
「うん」
「そんな……」
「場合によっては迷惑料も取る」
 マシューは食いつくような勢いでガウリイを振り向く。
「兄ちゃんっ! こーゆー人を許しちゃったりしていーのか!?」
 ガウリイはくくくと笑った。
「まーな」
 あたしはマシューの目をのぞきこんで言う。
「あのね。してしまったことを悔やんでいても何も戻ってこないのよ。まして、闇雲に許してくれる相手を探しても、何の解決にもなってない」
 マシューははっとしたような顔をした。 
「……それは」
「結局、自分にできることを精一杯するしかないの。責任だけは取る覚悟でね。許すかどうかは、相手が決めることよ」
「……うん」
 マシューはかみしめるようにうなずいた。
 これはあたしの生き方。彼がこれからどういう生き方をするのか分からない。だが少なくとも、すべて許してもらうために恋愛に憧れて生きるより、もう少しましな生き方があってもいいはずだ。
 うなだれていたマシューは、しばししてふとガウリイの顔を見た。
「兄ちゃんは……姉ちゃんがこういう人だから、許すのか?」
「そうだな」
 ガウリイは笑った。
「リナは荷物をいっぱい抱えてるから、まあオレぐらいは許してやらんとな」
 マシューは声もなくうなずく。
 あたしはふっと微笑んで……
 だけど、自分の笑顔の裏で冷たく流れているものを感じる。
 あたしの抱えた罪は、呪文の使いどころを間違えて相棒を危険な目に会わせてしまったこととは、比べ物にならない重い罪だ。
 自分を愛してくれた母親を誤って死なせてしまうよりも、さらにひどい、むごい罪。
 この子供も、その父親も、ガウリイ1人を助けたいがために混沌に差し出そうとしたという、許されざる罪。
 あたしの胸の底の底を覆う、けしてぬぐいされない粘ついた闇だ。
 あたしのしたことを知っても、ガウリイは今日みたいに許してくれるのだろうか。
 他にどうしようもなかったってわけじゃなく、どうなるか知らなかったってわけじゃなくても。
 『愛し合っている2人なら、どんなことでも許しあえる』
 マシューが信じたかった気持ちも、本当は少し分かるのだ。
 けして許されないことをしたと知っているけれども、もしかしたらガウリイなら許してくれるのではないかと、心のどこかで思ってしまうあたしは弱い。
 この優しい男に寄りかからないよう、その無条件の愛情を期待してしまわないよう、あたしは背筋を伸ばして生きていかなければ。
 笑って。胸を張って。

 予定時刻よりはかなり遅くなってしまったが、なんとかマシューを約束の町に送り届け、あたしたちは短い間とはいえ妙に手を焼かされたこの子供と別れようとしていた。
「姉ちゃん」
 マシューはあたしを手招きして、近くへ呼ぶ。
「何よ……?」
 あたしが寄っていくと、マシューはちょっと恥ずかしそうに、小さい声で呟いた。
「さっきは、ごめんな。おれ……」
 あたしは肩をすくめる。
「なあに、そんなこと? 全然構わないわよ」
「でも……」
「そりゃ、ガウリイに責められたらそれなりにこたえたと思うけど。あたし、他人に何言われても胸張って生きてくことにしてんの」
 大威張りで言ってやると、マシューは年の割には大人びた顔で苦笑した。
「姉ちゃんはすごいな」
 あたしはマシューの背中をばちんと叩く。
「ほら、あんたも胸張って! おばあちゃんに心配かけるわよ!」
「う、うん!」
 マシューはしゃきんと背筋を伸ばした。そうしていると、少しはお金持ちの跡継ぎ息子っぽく見える。
「よし!」
 あたしはぐっと親指を立てて見せる。
 その手を、マシューが急に引いた。あたしはつられてしゃがみこむ。
「……何よ?」
「……今、兄ちゃん絶対姉ちゃんのこと愛しそうな目で見てた。めちゃくちゃ見てた」
 ぐあああああ。
「……その話はもーいーの」
 不意打ちだったので、思わず真に受けそうになって顔がにやけてしまうあたし、修行が足りない。
「……でもさ、やっぱ姉ちゃんは兄ちゃんのこと、好きなんだろ?」
 小さな小さな声で囁かれた言葉。
 はあ、まあ。
 ここでお別れなんだし、言っても害はないと思うけど。
「……まあ、片想いなんだけどね。内緒よ」
 あのアホにもちょっとこの洞察力を分けてやってほしいくらいだが。
 今はまだ、どうやって振り向かせたらいいのか分からないから、秘密。
「やっぱり!」
 マシューは満面の笑みで立ち上がった。
 しまった、と思う間に、ガウリイの方に飛びついていこうとする。
「兄ちゃーーーん! やっぱ姉ちゃんはさーーー!!」
 あたしはクソ腹の立つマセガキの襟首をつかんだ。
「んっふっふっふ。あんた、剣の鞘でお尻100叩きとこの金物だらけの荷物袋でぶん殴られるのと火炎球食らわされるのと、どれがいい?」
 マシューとの別れは派手なものになった、とだけ言っておく。

 そしてまた2人に戻り、あたしたちはふらふらと旅を続けていく。
 相変わらずの距離だけど、マシューといる間1歩引いてしんがりを務めていたガウリイは、守るべき相手もいなくなったのでまたいつも通りとなりを歩いている。
(あのさー、あたしを見てたって本当?)
 聞いたら、なんと答えるのだろうか。
 ちらりと見上げると、ガウリイは笑み交じりで見返してくれる。
 まあ確かに、そういうことはよくあるのだ。
 期待が甘い毒のように胸に忍び込んでくる。
(……本当?)
「あー……ところでさーガウリイ。マシューの言うことを本気にするつもりじゃないんだけどあたし……」
「ん……」
 生返事をしたガウリイは、どこか別のところに気をとられていた。
 その視線を追いかけて、あたしは楽しそうに歩いていく親子を見つける。
 親子、というか子供だ。マシューくらいの年齢の。
「あ、なんだって?」
 あたしは苦く笑って首を横に振る。
「……ううん。マシュー元気にやるといいわねって」
 子供を見るガウリイの視線は、愛しそうで、幸せそうで、あたしを見ている時のその視線にあまりにもよく似ていた。
 似ているというか、そのままだ。
 そう、確かにあんたはあたしを見てる。
 でも、それって子供を見てる時と同じ視線なのよね。
 ごめん、ちょっぴしだけ期待したの。
 でも、言わない。何にも意識してないあんたに何もかもさらけ出すのが、情けないけど今のあたしにはまだ怖いから。
「なあ」
 ガウリイが彼にしては珍しく控えめに切り出す。
「さっきの話だけど……」
「さっきの話って?」
 このセリフはガウリイの十八番だが、あたしの方が言うとは珍しい。
「お前さんが抱えてること、っていうの」
「……ああ」
 あたしは顔をしかめる。ガウリイが聞いているのは分かっていたのだが、マシューに話すことの方を優先してしまった。
 その件は、あまりツッコまれたくない。
「お前さんは、いったい何を気に病んでるんだ?」
 ガウリイは眉を寄せ、たどたどしく呟く。
「なんとなくだけど、もしかしたら、オレがあの黒いやつに捕まってから帰ってくるまでに、お前さん……」
「別に、改めて話すようなことじゃないのよ」
 あたしはガウリイの言葉をさえぎる。
「ほら、いろいろやってきたじゃない? あたし。サイラーグのこととか、ガイリア・シティのこととか……。そーゆーことよ」
「それは、リナが悪いわけじゃないだろ?」
「そーだけど、寝覚めが悪いじゃない」
 ガウリイは納得していないようにあたしをじっと見つめていたが、やがてあきらめたようにため息をついた。
「まあ、いいか……。話してくれそうにないし」
「そうそう、いいのよそんな過去のことは。それより次の町なんだけどさ、今度は枝転がすのと石投げるのと亀の甲羅焼くのと、どれがいい?」
「……どれでもいーよ」
 ガウリイは苦笑した。
 そしてあたしは、重い荷物を肩に背負って、またひとつあんたに隠しごとをする。

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