上品なツイードの上着。
ラフなようでいて、実はしっかりした仕立てのズボン。
腕に巻いたバングルはシンプルだが、よく見ると細かく丁寧な彫り物がされている。
一言で言って、趣味の良いお金持ちである。
そしてそれを自分でも意識していて、『俺、かっこいい』と思っているタイプのおじさまだった。
「や、今回は本当に助かったよ」
わざとらしいくらい爽やかに、おじさま。
『君とは父と娘のような年の差だが、対等に扱っちゃうんだぜ、俺』という言葉が聞こえてきそうなフレンドリーさで、あたしの肩をぽんと叩く。
「いやーはっはっは」
あたしは微妙にひきつってしまう口元を必死にほぐそうとしながら、笑顔を浮かべる。
このおじさま……さっきからこーやって妙に体にさわるんだよなあ。
でもこれが、うっとおしいと蹴り飛ばせるほどあからさまに嫌らしい目つきではないので、困るのである。
『かわいいお尻だね、えへ、えへ、えへ』などと言われれば、遠慮なく肘をこめかみに叩き込んだ後、膝蹴り、かかと落としの三連コンボでノックアウトして、見物料として財布ごといただいていくのだが。
どうもなあ。
あまりにもボーダーラインなのである。
ちょっとムカ、とするんだけど。
ふざけないでよと言うタイミングがないくらいの速さで手を引っ込める。
うあー。すっきりしなくてイライラする。
「今回はどうにも気の進まない商談でさ。手広く商売をしているとね、こんな風に裏の人間から声をかけられるようなこともあるんだよ。君みたいな美しくて頼りになるボディーガードに同行してもらえて、助かったな」
などと言って飛ばしてくるウインクは、意外と様になっているのだが。
「ま、俺も昔は人に言えないことをやったりもしたもんだけどさ」
「はあ」
いるんだよなあ。
昔のちょっとした悪さを、なぜか勲章のように言うやつ……。
詳しくツッコんでみると、近所の雑貨屋さんで洗剤盗んでみましたとか、家で酒盛りをしてたら悪ノリが過ぎてうっかり壁に穴空けちゃって青くなりましたとか、死ぬほどせせこましい話だったりするのだが。
それと比べると、あたしがちょっとした冗談でやってきたことなどは、まるで悪逆非道の行いであるかのように聞こえてしまうではないか。
たとえば森を10個くらいは消しちゃった気がしますとか、魚も寄りつかない死の入り江を作りましたとか。ナーガの顔をした乙女ちっくなシャドウを作ってしまったことなどは、あまりにも悪いことをしたと自分でも思うし……。ちっとも自慢には思ってないが。
言ってたらほんとに自分が悪人のような気がしてきた。
いや。
あれはすべて事故であるっ!
よしっ、言い切ったっ!
「もしよかったら、これからうちで夕食を一緒にどうだい? こんな往来で金の受け渡しをするのも無粋だろ?」
「はあ」
嫌だあ! とか叫んで暴れたいなあ。
でもまだ依頼料もらってないから、事実確認せず吹っ飛ばすわけにもいかないしなあ。
ほんとに下心があるんだったら、げちょんげちょんにしたってどこからも文句出ないんだけど。ただのかっこつけたおじさまだという可能性も捨てきれないので、やりづらい。
仕方ないので、あたしは適当なことを言う。
「あの、あたしたちもそろそろ次の街へ出発しなきゃいけないんで……」
実のところこれっぽっちも急いでないし、今日はこの街で宿を取ってのんびり休むつもりだったんだけど。
「よければ、後でうちの馬車に送らせるよ」
いらんっ!
「……いえ、そこまでしていただくわけには……」
「ははっ。遠慮するなよ」
なんだかなあ。その爽やかな笑顔っ。
意識して爽やかぶってる感じが、生理的にたまんないのである。
「いえ、別に遠慮してるわけではないんですけどお」
「じゃ、なんだい?」
首をかしげてのぞきこむな。頼むから。
「まあその、特にごちそうになる理由もないですし……」
「いやだな、理由なんて必要ないだろ」
そう言われてしまうと、断る口実が見つけにくい。
(つーか、手伝わんかあのスライム男がっ)
あたしは恨みを込めてガウリイをにらむ。
こういう輩は、男が出ていった方がすんなり引いたりするのだ。
しかし旅の連れのガウリイはと言えば、あたしがこの依頼人と交渉をし始めた頃から、少し離れた噴水の縁に腰掛けてぼーっと鳩をながめている。頭脳労働はあたしの役割、と任せきっているらしい。
保護者としての自覚なんぞゼロである。
こういう時、テレパシーとか使えると便利なんだけどなあ。
『てきとーに追い払って。こいつ』
なんてね。
あたしは心の中で肩をすくめたつもりになる。
ところが、不思議なことが起こった。
くるりっとガウリイが振り向き、あたしの目を見返してきたのである。
『そいつに困ってるのか?』
そう聞かれた気がした。
『うん』
とりあえず、心の声に従ってうなずいてみる。
ガウリイはやおら立ち上がった。
周りに集っていた鳩たちが一斉に飛び立つ。
その中を突っ切って、長い足でつかつかつかっと寄ってくるガウリイ。
「……なんだね?」
気圧されたように半歩退く依頼人を見下ろして、ガウリイは普段あまり出すことのない低い声で言う。
「こいつ、連れて帰っていいですか?」
こりゃびっくり。
テレパシーが伝わったらしい。
「なんだい、それは」
おじさまは、頬をひくつかせながらも余裕っぽい態度を崩さない。
「私はただ、今回のお礼に夕飯をいかがか、とお誘いしてただけだよ? すごまれるようないかがわしいことはしてない」
「すみません。でも、連れて帰ります」
「はっはっは。君は何か誤解しているようだな」
ガウリイの迫力にじと汗流しながら、おじさまは言うだろうと思った言い逃れを言う。
「もちろん、君も一緒でかまわないさ! どうだい、最高級のステーキをごちそうするぜ」
ステーキ! と目を輝かせるかと思ったが、ガウリイは予想以上にちゃんとあたしの気持ちを汲み取っていたらしい。
「いりません」
きっぱり言い切った。
たまにはえらいぞガウリイっ!
「君ね、君はただの保護者だと言っただろ。ちょっと過保護に過ぎるんじゃないかい? 恋人だっていうならともかくね、下心なく誘っているものを保護者に邪魔されるのは心外だな」
「嘘つきました」
ガウリイはしれっと言った。
「ただの保護者だっていうのは、嘘でした。男と食事に行かせるのは不愉快なので、連れて帰ります」
ぺこり。
有無を言わせず言い切って、ガウリイはあたしの手を引いた。
おじさまは何も言えない。
うーみゅ。
これは、なかなか……照れる。
ガウリイのおっきな手を感じながら、あたしはちょっぴし乙女にうつむいた。
演技ではない。
「あ。じゃあ、依頼料ここでもらいますね」
でも言うこと言うのは忘れない。
「これでよかったか?」
ガウリイが言ったのは、おじさまからすっかり離れて辺りの建物の雰囲気も変わってきた頃だった。
なんだかガウリイも赤くなってる気がするのは、気のせいだろうか?
「いやー完璧! 見直しちゃったわ、ガウリイ」
わざと明るく言いながら、さりげなくあたしは続ける。
「で、その、手はいつまでつないでるの?」
「あ。すまん」
あっさり離される手。
ちょっと手がすうっとする。
黙ってつないでもらっときゃよかったかな、なんて甘酸っぱい思いが浮かんで消える。
いやいや。そんな恥ずかしいこと耐えられん。
「いやあ、むずむずした」
あ、やっぱり照れてたんだ。
「リナとオレが恋人だっていうのは、相当苦しいよなあ」
「そお? 絶対ないってほどでもないんじゃない?」
と、これは探りをこめて。
「いやいや。ないない」
真剣な顔で否定するガウリイ。
いやそこまで恐ろしいことのように否定されると、あたしとしても。
「向こうの方から『恋人ならともかく』とか言ってきたから、適当に乗ってみたんだけどさ」
「ふーん。ノリノリで演技してるみたいだったけど」
「ノリノリじゃないっ」
「『男と食事に行かせるのは不愉快なので、連れて帰ります』だって。……ぷぷっ。気障なセリフ」
「うるさいっ!」
ガウリイは赤い顔であたしに怒鳴る。
照れ隠しである。普段はあたしの得意技なのだが。
「まあ、あの場合ベストの方便だったんじゃない」
「そうかあ? それならいいが」
ガウリイは嫌そうな顔で言う。保護者の彼としては、けっこう不本意な演技だったのだろう。
あたしにとっては、ちょっと乙女気分にさせられる一幕だったわけだけれども。
ま、こんなもんよね。
少しばかりため息をつく。
「なんにしろ助かったわ。テレパシーが通じてびっくりしちゃった。よく分かったわね、ガウリイ」
「いや……分からんが、なんかリナに呼ばれたような気がして」
そんなこともあるもんだろうか?
「あたし、実はテレパシーの才能あるのかしらねー」
「リナなら、何ができたって不思議じゃないよなあ」
「天才美少女魔道士と呼んでちょうだい」
「遠慮しとく」
まあたぶん、気配とか視線がガウリイの方に向いてたから気付いた、ってとこだろうけど。そういうことに聡い男だから。
それは分かっていながら、あたしはジョークのノリのままで続ける。
「じゃあ、ガウリイ。あたしがこれから言うこと、当ててみてよ」
「おう」
「さっきのあいつとの話だけど……」
あたしのテレパシーの才能はない。それは以前にいろいろ試してみてはっきりしている。
だからこれはただの洒落だ。
届かないと分かってるからこそ、あたしはとびきり素直な言葉を届けてみる。
『あいつに言ってくれたこと、本気で言われたかったわ』
くくうっ!
なんと切ない乙女の真情っ!
朴念仁のガウリイくんには、一生かかっても分かるまいっ!
そう思って見上げた空色の目は、きらきらと輝くように笑っていた。
「リナ」
え? ええ?
ガウリイの両手ががしっとあたしの肩をつかむ。
ちょっとっ! 胸がっ! 苦しくなるしっ!
「分かったよ」
あたしはガウリイの優しい笑みをぽかんと見上げる。
頬が弾けるんじゃないかというほど熱い。
「分かったの?」
ガウリイは確信のこもった笑みで、静かにうなずいた。
「ああ。オレも今日の晩飯はステーキが食べたいなと思ってた」
あたしは盛大にずっこけた。
「何を聞いたんだあんたはっ!!」
「だっておごってもらいそこねたし! その話じゃなかったのか!?」
「違うわああっ!!」
懐から取り出した常備スリッパでガウリイをどつき倒したのは、乙女として当然の行動だと思う。
……この馬鹿。
あたしの『助けて』だけは、いつだって分かってくれるあんたなのにね。
ガウリイさんがステーキステーキ言ってたのは、たぶんアニメのレボだけだと思います。アニメの影響強いなあ。