占いの街、フォーブス・シティ。
ありとあらゆる文化の占いが集まると言われ、近年注目され始めた街である。
光の剣に代わる伝説の武器を探してカルマート公国の領内に入っていたあたしたちは、わずかな手がかりを求めてこの街を訪れていた。
ここに来ることは、1週間ほど前に「次に通りがかった人のおすすめの観光地に行く」という真剣そのものの聞き込みで決めた。
そういうわけで、今度こそ何かの手がかりが得られるかもしれないのであるっ!
ほんの少しは本当に期待しているっ!
どのくらい期待しているかと言うと、海岸の砂粒の1番ちっちゃいのをさらに粉ひきですりつぶしたくらいっ!
「こりゃまたすごい人だなあ。ここも祭りかなんかやってんのか?」
「この街はこれが普通なんじゃない。ほら、この人たちみんな占いの店探してんのよ」
あたしたちが歩いている大通りには、占いの店もたくさんあったが、そのお店目当ての人通りもすごかった。
道行く人たちはみんな、ガイドブック片手に両脇のお店をきょろきょろと品定めしている。人気のありそうな店は行列も道の真ん中まではみ出していて、すさまじい。
「えー。オレたちもこれ並ぶのか?」
今にも帰りますと言い出しそうな顔でうなるガウリイ。
「まあ、そーゆーことになるでしょうね……」
やはり信頼の置けそうな店となると、それなりの人気もあるのだろうし。
むしろあたしも回れ右したい。
「あっ、空いてる店もあるぞ!」
「あるけどさー。きっと、空いてる店には空いてるなりの理由があるわよ? 試してみる?」
「でも、あそこなんかそれっぽい看板じゃないか?」
指さす先には、カオス・ワーズで書かれた看板がかかっている。確かに、カオス・ワーズが読めないガウリイにとってはひどく神秘的な雰囲気だろう。
「……やめといたほーがいーんじゃない」
「読めるのか?」
「『EDでお困りのあなたに フォーチュン☆ラブ』」
ガウリイは沈うつな表情になった。
「よく張り紙してあるやつだな」
「そーよ。かっこつけた文字で書いてあるだけね」
気を取り直すように頭を振って、ガウリイは改めて周囲を見回した。
「読めない看板ばっかりだな」
「カオスワーズが多いわね。雰囲気作りかしら」
「リナ、あれはなんて書いてあるんだ?」
「『借金、返したくありませんか』」
「あ、あれは?」
「『10代の女の子ばかりです!』」
あたしたちはしばし黙って歩いた。
「……どうしようもないな」
「……そーね」
あたしは同意した。
さて、どうやって店を探したものやら。
手当たり次第試してみるのは難しいし、ここいらの人たちは観光客ばっかりみたいだから聞いても大した実りはないだろう。
すると、行列の長いところを選んで並ぶ、という不本意きわまりない方法が浮かんでくるわけだが……。
「そこの、魔道士のお嬢ちゃん」
不意に、真横から嗄れた声に呼び止められる。
「え、あたし?」
振り返ると、そこはちょうどお店とお店の境目だった。
煙突の通り道になってたりするような隙間があるのだが、小柄なあたしでもカニ歩きをしなきゃいけないほどの幅しかない。
その暗く狭い隙間に小さな占い卓がはまっており、黒い服のちっちゃなばあちゃんが箱詰めのように収まっていた。
はっきし言ってひたすらコワい。
あたしたちは思わず3歩くらい後ずさった。
「うおおおお!?」
「ばばばばあちゃん! ちょっとそれ、狭すぎんじゃないの!?」
一応卓の上にはそれっぽいカードが散らばっているのだが、どう見ても腕を動かす余裕はないだろう。
「ほっほっほ。慣れればなんともないわい」
「いやいや。慣れる前にやめとこうよ」
「ありがとうよ。でも世知辛い世の中でねえ、場所代が高いもんで、こんなところしか取れないんじゃよ」
「そこ、場所代取られてんの……?」
「見ての通り、無断占拠じゃ。ガサ入れが来たら」
ばあちゃんは卓の下にもぐった。
「こうして隠れる」
「そ……そお……。いーから出てきてばあちゃん……」
ばあちゃんはごそごそと出てきた。
どんだけちっちゃいんだこのばあちゃんは……?
「それはともかく」
ばあちゃんは今さら威厳のある声を出した。
「お前さん、ズバリ恋をしておるねっ!」
ずべべべべっ!
あたしは不意打ちを食らってずっこけた。
「やだなあ、ばあちゃん。リナが恋だなんて、どう考えてもありえないだろ。もーちょっとありそうなこと言わなきゃ」
爽やかに失礼極まりないことを言うガウリイ。
あんたはもうちょっと女心を慮れないのか。
「ふ……ありえないかどうかは置いとくとしても、ちょっとうなずけない占いね?」
「いやいや、当たるよ、ワシの占いは」
黒いフードに隠された皺くちゃの目が歪んだ。笑ったらしい。
「あんたの秘密も知ってる」
「占い師さん定番のセールストークね」
「お前さんがどんな代償を払ったか、ワシには分かっておるよ。だが、その男はなぜ自分が生きているのか知りもせずにいる」
「な……!?」
あたしは思わず声を上げる。
「リナ……?」
ガウリイが不安そうにあたしを振り返る。
「ちょっ、ちょっとばあちゃん! その話いったい……」
ばあちゃんはにっこりと微笑んだ。
「お前さんとはゆっくり話したいね。その気があるなら、後で1人でおいで」
「リナ、お前それって……」
不審そうなガウリイの目が痛い。
嫌な汗出てきた。
「いやいやいや。行かないしあたし」
「ほっほっほ。それならそれでもかまわんよ」
ばあちゃんは鷹揚に笑う。
お見通し、って顔だ。
「ちょっと待ってよばあちゃん。何か誤解してるわよ」
あたしがなんとかごまかそうと口を開いた時、ばあちゃんは不意に素早い動作でフードをかぶった。
「見回りが来た!」
黒いフードに包まれたばあちゃんは、卓の下にころんと転がり込んでゴミ袋に擬態する。
「ちょっと、ばあちゃん! ばあちゃんったら!」
呼んでも、うんともすんとも言わない。
本当に全然動かないけど、ちゃんと息してんのか……?
「なあリナ、今のばあちゃんの話……」
「もーばあちゃん! 大丈夫よ、それよりあたしの話聞いてくんない!」
話を聞きたがるガウリイを、じと汗流しながらひたすら無視するあたし。
「なあリナ……」
「んもー、そんな当てずっぽう言われたら困っちゃうわよ。ばあちゃんったら」
一生懸命言い訳したところで、ガウリイの疑いの眼差しが変わるわけはない。
く……っ。
このばあちゃん、このまま何食わぬ顔して捨てる、ってゆーのはどうだろう……。
しかし、なんだかんだ言いつつ宿を抜け出して会いに来てしまっているあたし。
さすがにあのセリフは聞き捨てならない。
一体どこまで知っているのか。
それはどうやって知ったのか。
そして、何が目的であたしに声をかけてきたのか。
全部確かめないことには、枕を高くして寝ることができない。
もちろんガウリイには何も言っていない。向こうにも何も言わせなかった。今頃は
昼間来た大通りは、夜になってもそこそこの人通りがあった。
普通の街では夜に出歩く人間などいないものだが、この街は違う。占いというものには夜の雰囲気の方がマッチしているというのが理由だろう。おかげで、この街は夜が長いらしい。
両脇のお店には開店中であることを示す凝ったランタンが吊り下げられ、中に薄暗いライティングの明かりが入っている。さすがに行列まではない。
あたしはばあちゃんに会った路地を探して大通りを歩いていた。
確か、もう2本ほど先の路地だったはずだが……。
「あんた、お嬢ちゃん」
声をかけられて振り向くと、夜になってますます濃くなる闇の中、ばあちゃんがいた。
また隙間に。
「ばばばばあちゃん! もーちょっと先だと思ったのに!」
心臓止まるかと思ったぞ……。
「移動したんじゃよ。場所代を請求されてね」
「払ったらいーのに……」
「老い先短い年寄りには、たくわえが大切なんじゃっ」
「払いたくないだけじゃん」
「その通りじゃっ」
あたしはため息をついた。
「そんなことより、昼間の話、詳しく聞かせてもらえる? ばあちゃん、何をどこまで知ってんの?」
みんなには、
だが、金色の魔王の正体を知ったあたしにだけは、分かっていた。
あの術を制御するのはほぼ不可能だろうということ。使えば暴走し、世界を滅ぼす可能性が非常に高いということ。
それだけ完全版
分かっていて、それでも使った。
(ガウリイを助けるだけのために)
この罪は、あたしがこれから1人で抱えていくつもりの罪だ。
自分を責め続けて卑屈に生きるつもりはないけれど、忘れることもけしてない。
人に責任を覆いかぶせる気もない。これはあたしが1人で決断したこと。ガウリイは一生知らなくていいと思っている。
「かわいそうに」
ばあちゃんがかすれた声で呟く。
「苦しんでるんだね。かわいそうに」
あたしはぎくりとして息を飲む。
「ばあちゃん、あんたどこまで……」
「『どこまで』も『どうして』もないよ。ワシは知ってるんじゃ。それだけじゃよ」
くそう。
占い師の必殺技、『だって分かっちゃうんだもん』攻撃だな。
たまに本物がいるからやっかいなんだよなあ……。
「お嬢ちゃん、あんたそれだけの対価を払ったのに、あの男を手に入れられなくてもいいのかい? あの男を救うためにそれほどまでに大きな代償を払って、見返りといえば女心の分からない冷たい言葉だけ。それで本当にいいのかい?」
「いいも何も……しょーがないでしょ」
ガウリイの気持ちをふんじばってこっちを向かせる、なんてことはできないんだから。
「このまま行ったら、あの男はいずれ他の女と恋をするんだろうねえ」
「なっ!?」
「あの男は、あんたのことを恋の相手として考えられないでいるようだったからね。あんたがしてくれたことを知りもせずにねえ」
「それは……言うつもりもないから」
「だとすると、あんたはこの先もただの妹分だ。あの男には、いずれ家庭を作る相手を探す時期が来るだろう」
考えないようにしていた未来の可能性をつきつけられて、あたしはしばし言葉を失う。
そう……ガウリイだっていつまでも血のつながらない女の子の子守をしているわけではないだろう。
そしたら?
そしたら、他の女と……おそらくは、こないだ会った昔の彼女みたいな、おとなしくて家事のできそうな人と幸せな家庭を築くのか。
その邪魔をするつもりはないけれども。
もしそうなった時、あたしは。
「そうなった時、お前さんは」
まるであたしの心を読んだかのようなタイミングで、ばあちゃんが続けた。
「あれだけの代償を払って命を与えてやった男が、他の女と結ばれるのを祝福できるかい?」
「それは……あたし……」
「あの男が生きてさえいればいいのかい?」
「もちろん……そうよ……」
答えた声は、我ながら弱々しかった。
得たりとばかりにばあちゃんが笑った。
「この薬を使うといい」
卓に足をかけて伸び上がったばあちゃんは、黒いローブの先から嗄れたミイラのような手を出した。
その手が、手のひらほどの小瓶をあたしの手に押しつける。
「い、いらないわよ! 何なのよこれ」
「そいつは使ってのお楽しみだ。まあ、期待通りのものだと思うよ」
「期待って何よ、期待って!」
「いいかい、2人きりの時、あやつに飲ませるんじゃぞ」
「聞けよばあちゃん」
ばあちゃんはあたしに構わずすっと身を引く。
「まあ、試しに使ってみることじゃ。お前さんの苦悩は消えてなくなることだろうよ」
くくく、ふふふ、と笑いながらばあちゃんは建物の隙間を後ろ歩きで遠ざかってゆく。
「ちょっと、ばあちゃん! あんたいったい何なのよ!」
「わしはね、お前さんがかわいそうでならないだけ。それだけじゃよ……」
追いかけようにも、とても普通の人間に歩ける道ではない。本気でコワいぞあのばあちゃん。
手には、押しつけられた小瓶。
そこらに捨てたらきっと何かしらの騒ぎになるんだろーなあ。
取り残されたあたしは、がしがしと頭をかいた。
薬の処分に困り果てながら宿に帰ってくると、あたしの部屋の前にはガウリイくんがあぐらをかいて剣を抱いていた。
うーみゅ。やっぱしかわされたのかー
日々勝率が下がってるなあ。
「や。どうも。ガウリイ」
「や。じゃない」
眉間に怒りをただよわせて、剣を手にしたまま立ち上がるガウリイくん。
せめてその剣は置いてくれるといいなと思う。
「どこ行ってたんだ」
「乙女のたしなみよ」
「ここらの盗賊は遠征中で、何日かしないと帰らないって言ってたじゃないか。昼間、宿の人が」
「ふーん、そうだったかしら」
「昼間の占い師のばあちゃんとこに行ってたんだな」
分かってんなら聞くなよ。
「んー? そんなんじゃないわよ」
あたしはあくまでそらっとぼける。
あたしが隠すつもりで隠していることを口先三寸で聞き出す、なんて真似がガウリイにできるとは思えない。
あたしが退かないと知れば、向こうが退くだろう。
そう思ったのだが、甘かった。
「リナ……」
ガウリイの端正な顔が歪む。
1歩、2歩。
あたしたちの間にあった、あれほど埋めがたく感じた距離が急に詰まって。
見上げると、真上にガウリイの顔があった。
大きな両手が、ぽふんとあたしの頬を包み込む。
毎日剣を振るうその手は、堅くてがさついている。
その手が熱くて、あたしの頬が熱くて、息が詰まる。
(触れたいと思っていた、この手)
不意に涙が出そうになった。
きっと1番の感情は『嬉しくて』だ。
「あの時、何があったんだ」
あたしはガウリイの青い目を見返しながら、息を整えて嘘を口にする。
「何も」
「オレに言わずに、苦しんでるんだな?」
「大丈夫よ」
微笑みを浮かべるほどの役者にはなれないけど。
表情を変えない程度の役者にならなれる。
「なあリナ……オレじゃ、頼りないのか? どうして本当のことを言ってくれないんだ?」
哀しそうなガウリイの瞳。
頬を包む大きな両手。
言えるわけないわ。
こんなにどきどきしてるんだ、って。
あなたなしじゃ生きていけないから、世界を売ろうとしたんだって。
「……なんでもないのよ。話したとおりのことよ?」
挟まれてる頬から、すぐ近くにある体から、あんたの体温を感じる。
その熱に煽られそうになる自分を抑える。
「そうか」
追求を拒んでそっぽを向くあたしに、ガウリイが諦めて手を離した。
あたしの体全部がそれを寂しがって悲鳴を上げている気がした。
どうしてだろう。
となりにいるだけで隙間が埋まる気がしてたのに。
いつの間にかもっとそばに行きたくなってた。
触れられたら、もっと触れてほしくなった。
もうダメだ、あたし。
あたしの全部がガウリイに引っ張られ、拒まれては戸惑って、少しずつ壊れていこうとしている。猛烈な嵐にさらされるように。
これがコイってわけなの?
だとしたら、ずいぶんと酸味が強いコイじゃないのよ。
微妙な雰囲気のままガウリイと別れたあたしは、自分の部屋で無理矢理にも眠った。
翌朝の目覚めはけしていいものではなかった。
これからの旅路はどーなっちゃうんだろうなあってのも心配だし、昨日のばあちゃんに指摘されたような未来も心配だし、あたしのガウリイに対する気持ちもぐちゃぐちゃになりすぎてて心配だ。
まあとにかく。
あの薬はどっかに捨てよう。
あたしはそれだけ決意した。
ガウリイに本気でぶつかってみるにしても、このままの状態を続けるにしても、薬を使ってどーこーというのは趣味ぢゃないっ! それだけははっきりしてるっ!
あのばあちゃんの占いは本物っぽかったから、気になるといえば気になるけど……。
そんなものなくたって、ガウリイはいつかあたしの魅力に気づくに違いないし! そう決めた! 今あたしが決めた!
「よし」
意気込んで昨日小瓶を置いておいたサイドボードの上に目をやる。
あたしは首をかしげて瞬いた。
「ない。てへ」
いやいや。てへ、ではない。
どんな作用があるのかは分かんないが、あのばあちゃんがくれた薬だ、なにかしら確かな効果の出るものなんだろう。他人の手に渡って、それがうっかり使われてしまったらどうなるのか。
シャレにも何にもならない。
いったい……どこへ?
昨夜は間違いなくあそこに小瓶を置いたし、誰かが部屋に入ってきたような様子もない。なくなるわけがないのだ。たとえば、あたしが寝ぼけて飲んじゃったとかでもない限り。
しばし呆然としていたらしい。
となりのガウリイの部屋でごとりっとけっこう大きな物音がして、あたしははっと顔を上げた。
今のは……。
人が倒れる音……のようにも聞こえたが!? まさか!?
あたしはあわてて部屋を飛び出した。
その時、黒い予感が胸の奥から染み出してくるのを、確かに感じたと思う。