がっちりと縛り上げたガウリイをベッドの上に転がし、
ガウリイが意識を取り戻したのは、かなり日も高くなってきた頃だった。
「う……」
苦しげにうめく。
ほとんど惰性で唱えていた
緊張と不安、そしてガウリイへの心配が高まる中で見守っていると、ずっと閉じたままだったまぶたが開いた。
青い瞳がぼんやりと天井を見つめる。
その目はやがてあたしに向き、そして急速に現実を悟ったように見開かれていった。
「リナ……」
あたしはちょっぴしだけ身構えながらも、息を整えてうなずく。
「正気ね?」
「――悪かった」
まるで、あたしを殺してしまいでもしたかのようにぼんやりと呟くガウリイ。
この善良さが、この男らしさだ。
あたしは唇の端で少しだけ笑った。
「もう大丈夫そうね。待って、今ほどくわ」
それでも、偽物が演技しているだけという可能性を完全には捨てられなかったけれども。
あたしは内心用心しているのを覚られないようにしながら、ガウリイの縄をほどいた。ガウリイはぼーっとしてされるがままになっている。
その体がほんの少しだけ震えているような気がして、あたしは眉をひそめた。気付かない振りをしておくことにした。
「はい、もういーわよ」
ガウリイはゆっくりと体を起こす。
その動きを見るに、どうやらどこも痛んではいないようだ。心は、ひどく傷ついているかもしれないが。
ベッドに座ったまま、ガウリイはしばらく自分の手を見ていた。何を考えているのかは分からない。けれどもその目は見開かれて、信じられないものを見るようで、けして楽しい思い出を反芻しているわけじゃないことは分かる。
(あー。ややこしいところをさわってきた手かも)
想像でしかないが、そんなことを思った。
「……くそっ!」
唐突に、ガウリイがその手をベッドの端へと叩きつけた。バンッとすごい音がして、あたしは飛び上がるぐらいびっくりした。
「ちょっと、ガウリイ!」
「オレ……っ! なんてことを……っ!」
「あんたがしたわけじゃないでしょ!」
「オレが、しただろ!」
ガウリイは吐き出すように怒鳴る。
「オレが……っ。リナに……っ」
あたしはベッドの上に膝をついて、ガウリイの正面に回った。
後悔と自己嫌悪に歪んだ、その顔をじっと見つめる。
「あんたじゃないわ」
「オレだろ」
頑として言い張る。
「だって、覚えてるんだ。全部。くそ……っ」
そう言ってまた叩きつけようとした手を、あたしはすんでのところで捕らえる。
ガウリイの手は、筋肉で引き締まっていてそれだけですごく重い。
おっきな手。
大好きな手。
この手にさわられることが、嫌なわけはないのよ、本当は。
でもそんなことは言えなくて、あたしはただ悲しくガウリイを見つめている。
「やめなさいよ」
「いいんだ」
「よくないわよ」
ガウリイは、あたしを見ているのが辛いというように目をそらす。
「オレは、リナの保護者なんだよ」
そう、噛みしめるように呟いた。
「オレがリナを傷つけて、どーする……? オレが、リナに男の欲望を押しつけるような真似して、どーすんだ……? オレは、そーゆーのから守ってやるためにいるんだろ!」
あたしは軽く息を飲む。
「お前さんはまだ子供で……誰かがそーゆーもんから守ってやらなくちゃなんなくて……それはオレの役目なんだ。そーゆーもんにさらされないように、オレが守ってやらなくちゃなんないんだ。なのに、オレがやってちゃ、だめだろ……っ」
その言葉が心と頭に浸透していく。
(そーゆーもんから守ってやる役目……か)
場違いかな、と思ったけれども、少しだけ笑いがもれた。
ガウリイは、本当にあたしのことを子供だと思ってるんだ。それがよく分かる。
口では保護者なんて言ってるけど、もしかしたら本心は違うんじゃないか、なんて期待もほんの少しないわけではなかったのである。けれども皮肉なことに、こんな追いつめられた状態だからこそ、ガウリイの本心がはっきりと見える。
そしてその本心とは、あたしを守ってやらなきゃいけない子供だと心底思っていて、もうまったくの恋愛対象外であるということなのだった。
「リナ……」
あたしの笑いをどう受け取ったのか、ガウリイの口が、ぐにゃりと曲がった。
「リナ……すまん」
馬鹿ね、と言おうとしたのに、その前にガウリイの腕が伸びて、あたしは抱きしめられていた。
今日2度目の抱擁。
けれども、確かにこれは本物のガウリイの抱擁なのだった。
どこが違うといって、本物のガウリイは優しいのだ。ふわりと包み込むような抱きしめ方をする。
偽物の方は、もっと遠慮会釈もないきつい抱きしめ方をした。あたしを求める気持ちのままに、力いっぱい引き寄せてきた。あれは、男の女に対する抱きしめ方だ。
これは、大人の子供に対する抱きしめ方なのだ。
優しくて、優しくて、優しすぎて、寂しい。
でも、偽物相手の時と違ってすごく安心もする。
結局、あたしにはまだ子供のポジションがお似合いなのかもしれない。
安堵と寂しさと恋しさと切なさと、いろいろなものが混ざり合って、よく分からなくなった。
「……リナ」
愕然としたようなガウリイの声を聞いて、あたしはやっと自分が泣いたことに気付く。
「……ええええええっ!?」
泣いたっ? このあたしがっ?
いったい何年ぶりにっ!?
ものすごく驚いた。ガウリイに負けず劣らず驚いたと思う。
けれどガウリイは、驚き以上にひどく傷ついたようだった。
さっと腕を放して、その手で自分の唇を覆う。
「――すまん」
「い、いやいやいや違くてね!?」
これってごまかしようがあるのか? と内心疑問に思いつつ、あたしはなんとか言い募る。
「ほらいろいろびっくりしたっていうか、安心したっていうか、いつものガウリイだなあって思ったっていうか」
全然言い訳になっていない。
これでは、怖い思いをしたせいで泣きましたと言ってるようなものではないか。
ガウリイはますます傷ついた表情になった。
「うあー、そーじゃないのよ。そんなたいそうに考えないでほしいんだけど、ちょっとした反射的なものっていうか、油断したっていうか、弾みっていうか、その、あんたがす……」
すきで。
抱きしめられたのが嬉しくて、寂しくて。
「……す。いや、ええと」
まったく有効な言い訳が出てこない。
かといって本心を言う勇気もない。
へたれて肩を落としそうになる。まったくこのあたしともあろうものが。
考えて考えて、考えるほどに思いつかなくなって困り果てた頃に、ガウリイがふと微笑んだ。
「……わかった。いーよ、もう」
「え、よくないわよ」
その笑顔があまりに不穏なので、あたしは真顔になる。
「保護者、やめるよ」
さらり、と言われた言葉の内容に息が止まる。
「やめるって……?」
「保護者だなんて、名乗れる立場じゃない。失格だよ」
そう言うガウリイの笑顔は、穏やかすぎるくらいに穏やかだった。
「……ちょっと、待って」
声がかすれる。
「それって、相棒解消しようってこと?」
「そーゆーわけじゃないが……」
ガウリイは笑いながら足下を見つめる。
「とりあえず、しばらく別れて行動しないか? 少し、頭冷やしたいし」
「しばらくって、どんくらい」
「分からんが……お互い、よく考えた方がいいと思う」
「考えるって、何を考えるのよ」
「このまま一緒にいるべきか、とかさ」
何を言い出すのだいったい。
あたしは体が芯から冷えていくのを感じて、凍りついた。
機転をきかせられない。何か、うまいこと言わないといけないと思うのに。
「あんなこと……されて、さ。お前さんも、今まで通りにはいられないだろ? でも、この場でじゃあさよならっていう付き合いでも、ないだろうし。とにかく、お互い考える時間が必要だと思う」
「あたし、別に」
「別にじゃないぞ」
ガウリイは静かに言った。
「お前さんが泣くなんて、全然、『別に』じゃない」
「違……っ」
言い訳。何か言い訳をしなくちゃ。
でも出てこない。あまりにも動揺していて、本当のことしか思い浮かばない。
本当のことは、とても言えない。
「オレのことは、気にしなくていいからさ。リナも、よく考えてみてくれ」
優しい微笑みと一緒に、ぽん、といつもの仕草であたしの頭を叩くガウリイ。
そして。
少ない荷物をさっとまとめて。
――本当に、行ってしまった。
どーして、もう少しうまい言い訳ができなかったんだろう。
どーして。
呆然としながら、あたしはそればかり考えていた。