だから 

だからあたしは。
だからあなたのモノでいたい。



 それがあいつの気まぐれだったことを知っている。
 始まりは、たぶん何気ないことだった。
 あたしにとってではない。あいつにとっての話だ。
 あたしにとっては戦いの時と変わらない緊張だった。
「あなたは本当に魅力的な方ですね」
 と、あいつは笑った。
 圧倒的な力の差を盾に、軽い言葉と笑顔で彼はあたしを蹂躙した。
 それがあいつの気まぐれだったことを知っている。
 あたしにとっては嫌がらせのこもった攻撃だった。
「ぼくはあなたが大好きですよ」
 と、あいつは笑った。
 それがあいつの暇つぶしだったことを知っている。
 それが愛ではなかったことを知っている。
 あいつにとって。
 そしてあたしにとっても。






 ある日、夜の闇を縫って現れたあいつが、あたしをムリヤリ遊びに連れ出した。
 彼は最近非常にしばしばあたしの元を訪れる。いつぞや『もう会わないでしょう』などと言っていたのはどこへやら、まるで隣家に顔を出すような気軽さだ。どうやらあたしをからかう遊びがよほどお気に召したらしい。
 その日も1人部屋でのんびりしていた時間を邪魔されたわけだが、あたしはさして不機嫌になっていなかった。なぜなら、どーせ今晩もまた現れるんだろうと半ば予想していたからだ。
 早咲きの花畑をお見せしますよというのどかなお誘いに、あたしはしっかりと装備を整えて出かけた。もちろん、緊張していたからだ。
 昨日殺されなかったからと言って。
 一昨日優しく触れられたからと言って。
 今日もそうであるとは限らない。
 あたしのその緊張を見て、彼は何も言わなかった。
 ただ、笑った。
「いやぁ、ロマンチックな光景でしょう?」
 そう言って見せられた郊外にある花畑は、確かに幻想的な眺めだった。
 辺りを囲む林の木々は寒々しい木肌を風にさらしている。初春と呼ばれるこの季節、まだ花が咲き乱れるにはだいぶん早い。一体どういう自然の不思議が働いたのかは分からない。もっと暖かくなってから咲くはずの花々が見事に蕾をほどき、色とりどりの鮮やかな敷布となって土を覆っていた。
 しかし、あたしはそんな光景を目にしながら、ただひたすらとなりの気配に神経をとがらせる。
「一体どういうつもり?」
「素敵なものをお見せしたくて、と申し上げたでしょう?」
「魔族の感性で素敵なものって何よ。あっ、分かった。これ全部毒花なのね!?」
「いやあの……この花、ご存知じゃないんですか?」
 ぷちりと無雑作に摘みあげられた花は、どこにでも咲いている白い花だった。春になれば嫌ってほど見るポピュラーな花だ。
「突然変異の変種で、人に食いつくとか?」
「普通の花ですってば」
「ふむ……確かに襲いかかってくる様子はないわね……。じゃ、逆。知らなかったけどこの花って実は食べられるんでしょ。あたしがこの花畑を食い尽くすのを見てみたかったんじゃない!?」
「食べてもいいですけど……試してみます?」
 彼は花をあたしに差し出し、自分でも花びら1枚口にくわえた。
 んなもん食べる気になるわけはない。魔族がくれるもんをほいほい口に入れられる人間がいたら、お目にかかってみたい。いや……ガウリイあたりなら平気で食べるかもしんないけど。
「うぅーん、あんたじゃ毒見役にもなんないわねぇ」
「食べてみないんですかぁ?」
「人いじめるのが趣味のヤツからもらったものを食べるほど、あたし人間できてないの」
「リナさんひどい……」
「大体味もわかんないくせに、何人間のマネして食べてんのよ」
「お付き合いが大切かと思いまして」
「あたしは付き合わないわよ」
 無言で泣き真似をするヤツは、当然放っておいた。相手しても馬鹿を見るだけだ。
 とりあえず、今すぐ危害を加えてくる様子はない。笑ってざっくりやってくるヤツだから油断はできないけど、前フリなしに殺してしまうなんて興醒めなことをするヤツでもない。
 やはり、他に目的があると見るのが正しいだろう。
 警戒を怠らずに辺りを見回し――あたしは、いつの間にか花畑に来ている人影に気がついた。
「おっと、いらっしゃいましたね」
 ヤツはやたらと楽しそうな声を出す。
 どうやら、お待ちかねだったらしい。
 遠くから見るに、カップルのようだった。特に変わったところがあるわけでもない。街から人目を忍んでやってきましたという感じの若い男女で、2人の世界を作って寄り添っている。
 普段なら、あっという間に興味をなくしているところだ。
 となりにいるのがこいつで、しかもやけにうきうきした様子でなければ。
 ヤツは興味しきりという顔で彼らを見ている。いつもはにこやかな笑顔で押し隠している魔族の瘴気が、はっきりあふれだしているほどだ。
 そして、その瘴気のためだろうか。カップルの男の方がこちらを見た。
 そして、凍りついたような顔をした。
 おそらくは知っているのだ。あたしのとなりにいる神官姿のモノが、何者かを。
「――ゼロス」
 呟きが風に乗って届いた。
 ゼロスがあたしの肩に手をかけたかと思うと、カップルはすぐ目の前にいた。空間を渡ったのだ。
 女がおびえたように肩を揺らす。男も、その目にはっきりと恐怖の色を浮かべていた。
「いやぁ、お待ちしてましたよ。恋人の逢瀬には最適な、いい夜ですねぇ」
「そろそろ……来る頃かとは思っていた」
「不思議なことをなさる方ですね。分かっていらっしゃるなら、こんなところに来なければいいのに。まぁ、ぼくとしては手間が省けましたけど」
「好きに振舞うことの代償を払う覚悟は、していた。殺せばいい」
 男は唇を噛んだ。覚悟をしていたと言いながら、その時が来るのを実感してはいなかったのかもしれない。
 それでも、ただの強がりだけというわけでもなさそうだった。話しながら、ゼロスに見えないところでしきりと女に合図をしている。話で時間を稼ぐつもりなのか。
 しかし、女は逃げる気配がない。足が動かないほど怯えきっているようには見えないのだが。
「殺しに来たのではありませんよ」
 ゼロスの放った言葉に、複雑な動揺が走る。
「……馬鹿な」
「そんな命令は受けてませんから」
「ありえない。私は、カタートの情報を流してしまったんだぞ!? どういうつもりだ!?」
 あたしは少し眉をひそめた。
 この世の誰も、カタートについての情報を得られるとは思えない。あそこは足を踏み入れられる場所ではない。――魔族を除いて。
 つまり、この男は魔族なのだ。
 見た目では判断がつかない。かなり高位の魔族のはずだ。
「行動は自由です。あなたは言いつけられた仕事をきちんとこなしていらっしゃった――その間に人間と仲良くしていらしても、いけないわけではありませんよ」
「何を……企んでいる、ゼロス」
「いぃえぇ、別に。ただ……獣王さまからお話がありまして。今後あなたを部下とは思わない、好きにすればいいとの仰せでした」
「それは……それは、自由をくれるということか」
 男の口調に、ほんのわずか希望が混じった。大半は不審の響きだったとはいえ、確かに彼は希望を持ったようだった。
 そしてそれが、ゼロスの楽しみにしていたものだったのだろう。
 彼はさらにやんわりと続けた。
「差し上げますよ、自由を」
「まさか……」
 今度の声には、先ほど以上の希望があった。
 男の視線が、初めてあたしを捉える。ゼロスのそばにいる人間である、あたしを。
「まさか、ゼロスお前も」
「ところで、話が前後してしまうのですが、ぼくはあなたが気に入りません」
「あ……」
 にこやかなゼロスの言葉に、場は今までで最高の冷気を帯びた。
「獣王さまは、好きにしていいと『ぼくに』おっしゃいましたから、そうさせていただこうかと思うんですが……どうなさいますか?」
「どう……どう、とは」
「ですから、ぼくはあなたに自由を差し上げます。これからぼくの玩具になって愉しませてくださるもよし、ご自分で勝手に責任を取ってくださるもよし。今のところ玩具は足りているので、あなたが嫌だとおっしゃるならそれでも構いませんよ。どうです、我ながら出血大サービスだと思いますが」
 心底楽しそうなゼロスと――対照的に言葉を失くす名前も知らない魔族。
 魔族にそんな芸があったら、確実に顔を真っ白にしていただろう。
「死にます」
 と、言ったのは今まで黙っていた女だった。
「情報を知っているのは私だけ。まだ、誰にも話していません。私が死にますから、どうぞお許しを」
「それだけじゃダメですよ?」
「なら2人で……2人で死にます。どうか、それで」
「そうですね」
 にこり、とゼロスは笑って首をかしげた。
「なかなか楽しそうです。それで認めて差し上げましょう」
 これはあたしの推測だが――彼は、始めからそれを期待していたのではないだろうか。
 座興を好む彼のことだ、ただ殺しても面白くないと思っていたことは想像に難くない。その上でどういう方法を選んだか……彼の微笑みが、それを語っているような気がする。
 そしてあたしたちは見ていた。
 彼らが、涙ながらに別れを告げ、どうしたら最も楽に死ねるかを真っ暗な面持ちで話し合い、やがて互いの存在を滅ぼす様を。血と絶望にまみれた、その長い時間を。
 あたしは強ばった顔で、ゼロスは楽しそうに。
 混沌に還っていく直前、男があたしを見た。
 『自分たちが滅びを強制されるなら、お前は何なんだ』
 そう、語っているように思えた。
「素敵なものを見せるってのは――これ?」
「なかなかロマンティックだったでしょう」
「……は。やっぱり魔族の感性にあうものなんて、ろくなものじゃないわ」
 魔族と人間……存在のあり方そのものが違う2人が愛し合うことがあるのかどうか、あたしには分からない。互いの言う愛が食い違っていたとしても、似たような状態になることはあるのかもしれない。想像もつかないことだが。
 ただあたしが分かる唯一のことは、ゼロスにそういう甘い感情がかけらもないということだ。
 彼にとって『愛』などというものは、絶望を産み出す装置でしかない。
 あたしを愛することなど有り得ないぞと……防衛線でも張ったつもりだろうか。こっちだってハナから期待しちゃいないが。
「どうしてあたしを連れてきたわけ?」
「別に、さほどの深い思惑はありませんよ」
「あっそ。そういうこと。『ごちそうさま』の一言くらい言ったらどう?」
「おや、それは何かを食べ終わった時に言う言葉でしょう?」
「食べたんでしょーが。今さらつまんない言い逃れしないでよね」
「言い逃れ、ですか?」
「食べるって行為は何かを口から胃に入れる作業を言うはずだとか何とか。あんたが本来の意味で『食べ』てないことなんか百も承知よ。でもあんた今あたしの負の感情をおいしくいただいたんでしょ。すっきりきっぱり認めなさい!」
「認めますよ、もちろん」
「素直で結構。なら『ごちそうさま』は! あんたは幼稚園児か」
「食べ終わった時に言いますよ」
 ゼロスの冷たい腕があたしを捉える。
「まだ食事の途中なもので」
 そして冷たい唇があたしの唇を。
「……愛じゃないのに?」
「おや、ぼくはあなたが大好きですよ?」
 彼は屈託なさげに笑った。
 それが愛ではなかったことを、あたしは嫌というほど知っている。
 そしてそれを受け入れるあたしの胸にあるのが愛でないことも、当たり前すぎる。

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