宿に帰ると、ガウリイが少し焦っていた。
ちょうど食堂の客にあたしを見なかったか聞いているところにでくわした。彼はあたしを見て息をつき、頭をかく。
「お前なぁ……散歩でも行ってたのか?」
「まぁね」
「一言残してくれよ。心配しただろうが」
あたしのせいじゃないってーの。
そんな暇もなくゼロスに引っ張られて空間を渡ってしまったのだ。
だが、ガウリイにはまったく関係のない理屈だったので、口には出さなかった。
「心配しなくてもだいじょーぶよ」
「それでも。普通の人間は、連れが突然いなくなったら心配するんだよ」
「ガウリイが普通の人間だったとは、初耳だわ……」
あたしたちは軽口をききながら、連れ立って食堂を出る。その上が客室になっている。ガウリイとあたしの部屋はとなり同士だ。
ガウリイは自分の部屋の扉に手をかけ、いつもの、何の裏もなさそうなお日さまの笑顔であたしを見た。
その笑顔が、ついさっきまで常闇のような空間にいたあたしの心を照らし出す。
「じゃあおやすみ。今度こそおとなしく寝ろよ」
「ね、ガウリイ。明日出掛けにちょっと寄りたいところがあるんだけど」
「おぅ、構わないぞ。そもそもこれからどこに行くんだっけ?」
「アサリアシティーを目指すって言ってるでしょーが! こないだから何度も!」
「あーそーだった。そこに寄っていって時間は大丈夫なのか?」
「ええ、この街の近くだから、ちょっと遠回りするだけよ」
「なら……いや、待てよ。魔道士なんたらに行くんだったら、オレはここで待ってるぞ」
「魔道士協会に行くのに、あんたを連れてったりしないわよ。あたしが恥かくもん」
「分かってるならいいんだ」
馬鹿にしてるのに、マジメな顔をしてうなずくガウリイ。
「あっ、待てよ、マジックなんたらも嫌だぞ!」
「分かってるったら。ただの……花畑よ」
「なんだ花畑か……って、何ぃ!? 花畑!?」
「……何よ」
「そんなもんに興味を示すとは、やっとお前さんにも女の子の自覚が出てきたんだな!」
あたしの頭をぽんぽんと叩く手を、思い切り捻りあげてやる。
「いて、いて、痛いってそれ!」
「あらそお。それはごめんなさい」
「あーまったく。暴力に訴えるようじゃやっぱりまだまだ……」
こりないヤツ。
みなまで言わせずに握ったままの手を背中側にねじる。
「待て! それは待て! すとぉぉーっぷ!」
「誰が女の子らしくないって?」
「軽いジョークだろーが!」
「んん?」
「嘘だって! リナ!」
仕方ない。このくらいで許してやるか。
ガウリイは放された腕を押さえて床に懐いている。
女の子には、絶対言っちゃいけない言葉というものがあるのだ。胸がないとかちびっちゃいとか色気がないとかちょっとばかし自分に正直だとか、そういうことは決して言ってはいけない。当然の天罰だ。
あたしだって、いちおー努力しているのだ。
服装に可愛らしさがないのは、まー毎日を元気に生き抜くために必要なことだから仕方ないとしても、ちょっとしたアクセサリは欠かさないようにしてるし、髪だって大事に伸ばしてるし……どこをどーやったら男の子に見えるというのだ。
「いやでも実際ずいぶん伸びたよな、髪」
つい声に出していたらしい。
いつの間にか復活したガウリイがあたしの髪をつんつん引っ張る。
「会った頃からずっと伸ばしてるだろ?」
「まーね。べ、別に女の子っぽく見られたいからってだけじゃないのよ。ただ、好きでやってることで……」
「ああ。何も髪が長くなくたって、お前さんちゃんと女に見えるって」
ガウリイは不器用なウインクをする。
こいつはクラゲなくせに、こういうところで本当に大人だと思う。
あたしが言われたいことをちゃんと分かっている。
「からかっただけだって。突然花畑を見に行くなんて言い出すから……あれ? なんでこの季節に花畑なんだ?」
「不思議でしょ?」
あたしはにっと笑う。
「そういう珍しいもんはきっちし見に行かないとね」
すでに見てきた、などと言うことは言わないでおきたかった。
不思議なものなら、楽しいものなら、この相棒と見たい。
重い闇の中ではなく、太陽のような笑顔と一緒に。この夜のことは封じ込めて、思い出を作り直すのだ。ガウリイとふざけあって大騒ぎをしたら、それが可能なような気がした。
あたしはこの相棒とのわくわくするような旅が好きで、彼自身も実のところかなり好きだ。
この関係がいつかもうちょっと進んで恋人だなんだということになったとしても、こいつとなら楽しいかもしんないと思う。少なくとも、夜の闇の中で互いを滅ぼしあうような、そんな絶望の卵にはけしてならない。
彼は、明るい光をくれる。
死に至る愛ではなく。
彼は、安堵をくれる。
死を覚悟する恋ではなく。
だから。
1日開けてあたしの部屋に訪れたゼロスは、また何か楽しそうににこにこ笑っていた。
ろくなことじゃない。まったく、ろくなことじゃない。
「先日の処理は獣王さまのお気に召したようでして、久しぶりに休暇なんてもらっちゃったんですよ」
ほらやっぱりろくなことじゃなかった。
「おぉ! だったらイルマードにでも行ってきたら? 休暇といえば旅行! 旅行といえばイルマード! 世界に名だたるリゾート地があなたを待っているっ!」
「あの、そんな生気あふれる場所には行きたくありません……」
「だからって何でこんな寒い場所うろついてんのよ? この間まで仕事してた場所に来たって面白くも何ともないでしょーが」
「だって、ぼくリナさんが大好きですから♪」
「いらない」
きっぱり言い切ってやると、ゼロスは神官服の袖でそっと涙を拭う仕草をした。
「所詮、ぼくは遊ばれてるだけなんですね……」
どっちがだ。
「お得だと思うんですけどねぇ? ほら、ぼくガウリイさんより強いですし、長生きですからいつまででもお付き合いできますし、リナさんに少しくらいどつかれても平気ですし」
「却下。あたしはガウリイの方がいい」
「どこがですかぁ」
「人間だから」
「……反論できない理由ですねぇ」
そして、ガウリイはあたしのことをちゃんとした意味で好きでいてくれるから。恋愛ではないだろうけど、そんなのあたしだって同じだ。
あたしはため息をつく。
「大好きなんて言って、どういうつもり? あたしに惚れさせて、手ひどく裏切ってやりたいって? 無駄よ、全然信用してないから」
「おやおや」
ゼロスは笑った。
いつもの、何考えてるか分からないお愛想笑いじゃない。本物の、魔族の彼の笑顔だ。
「面白いところを突いてきますねぇ」
「図星?」
「それは秘密です」
あっそ、とあたしは肩をすくめた。
大当たりだったのか……最悪、当たらずといえども遠からず、というところだったのだろう。
「ぼくはあなたの胸が小さかろーと背が低かろーと、気にならない逸材なんですけどね?」
「うるさいわい」
「ガウリイさんのように女らしいだのなんだということも気にしませんよ?」
「あんたねー……こないだあたしとガウリイがしゃべってたの聞いてたわけ?」
「ええ、まあ」
あっさりと認める。
「ぼくが興味を持っているのはあなたという人間なわけで……見た目なんか、何の意味もない。そもそも人間の美醜に興味なんかありませんし」
最後の一言は、ひどく投げやりに言われた。
それが本心なのは分かっている。
それでもあたしの服を脱がせて舌を這わせるヤツの理由がどこにあるのかなんて、あたしは考えたくもない。少なくとも愛じゃないことは分かりきっているのだから。
そしてあたしが抵抗しないのは、愛のためなんかじゃない。生き延びたいからだ。
もしも。
もしも万が一あたしがこいつを愛していたなら、あたしはやめろと言うだろう。
愛を交わした2人の元には、死の使者が訪れるだろうから。
魔族と人間の愛は、絶望の卵。
死に至る愛。
死を覚悟した恋。
そんなもの、欲しくない。
「髪が長くて女らしいですって? 髪の長さに、一体どんな意味が?」
胸を愛撫しているのと逆の手がすいと動き、あたしは急に頭が軽くなるのを感じた。
失望の呟きをもらしそうになるのをすんでのところでこらえる。言っても、こいつを悦ばせるだけだ。
散らされた髪が、素肌をたどって床に落ちていく。
絹のように心地いい感触。それは、あたしの体を離れ、もう戻ってくることはない。
どのくらい短くなったんだろうか。これを見て、明日ガウリイは何て言うだろうか。
目の前がくらくらするほど脱力した。
あんまりなので、笑えてきたほどだ。
「……何を、笑ってらっしゃるんですか?」
少し不愉快そうな響きでゼロスが言う。
あたしが泣いてショックを受けるのを期待していたのだろうか。
「そうね……あんたがあんまりにも魔族なんで、嬉しくて」
思わず本音を言う。
「はぁ?」
いくらでもあたしを苛めばいい。
あたしは心から屈したりしない。
そして、モノのように扱い扱われている限り、誰がこれを愛などというだろう?
あたしは無理矢理従わされ、いいようにされてるだけなのだ。
無体をされればされるほど、あたしの無力さが明らかになる。あたしはあんたの前に無力で、何ひとつ望んでもいなければ行ってもいない。ただ従っているだけ。
――誰がこれを愛と呼ぶだろう?
あたしはあの卵に閉じ込められたりしない。
あの2人のように後悔して泣いたりしない。
でもあんたの方は、これほどの執着にいつか名づけなければならない時が来るかもしれない。
求めているのは、あんたの方だけなんだから。
行動の自由を与えられている分だけ、あんたは責任を背負わされている。
優位に立てば立つだけ、あんたの負けが近づいてくる。
だからあたしは。
だからあなたの
END.
うわー……なんて趣味に走った話なんだろう(汗)。
変にこねくりまわしてしまって、分かりづらさMAX。これでも工夫してみたんですが撃沈してますね。
ゼロリナ難しいですよぅ…。
書きたくて仕方なかったのに、いざ書き始めると進まない…。
分不相応にも厄介なテーマを選ぶからだ、と分かってはいるのですが。
テーマはマゾヒズムです。これほどリナに似合わない言葉もないと思うのですが、魔族は明らかにサディストなので、何だかんだその辺を考えてるうちに(苦笑)。
でもマゾヒストってサディストより絶対わがままなんだと思うのです。
その辺のニュアンスが伝わっているといいのですが…(^^;)。