動き始めた空  1

 ――ッキィィィィィン!
 夜空に高く澄んだ剣戟の音が響いた。
 その音は、眠りについた町を起こすには小さすぎる。怒声も悲鳴もともなわい金属音は、あるいは何ということもない雑音として聞こえたかもしれない。
 しかし、聞くものが聞けば理解しただろう。それが、手練のもの同士の剣の打ち合う音である、と。
 音の1つ1つは短く、そして間を置かずに続く。それでいて重い。充分に体重が乗っている証拠である。
 小さな町の、小さな宿屋の裏庭。
 大柄な剣士が、小柄な女性の繰り出す激しい打ち込みをあしらっていた。

 彼らはまるで危険な郊外を歩いている最中のように装備を整えていた。
 剣士は甲冑をまとい、女性はおおぶりなショルダーガードとマントを身につけている。打ち合う剣もなかなかの業物である。
 防戦に回っているのは剣士の方だったが、太刀筋に余裕がないのは女性の方だった。
 鋭い突きをくれて、その勢いのまま横へ薙ぐ。スピードが殺されることはなく、隙も見せていない。だが、剣士は下方にあった剣を目にとまらぬ速さで動かし、素早く相手の剣をすくいあげる。
 工夫を重ね、意表を突こうとしても、剣士の技はそれをはるかに上回って返してくる。
 彼女の眉はきつく寄せられていた。
 ただ、その激しい打ち合いを演じる彼らにかけらの殺気もなかったことは、特筆すべき点であろう。
「……打ち込むぞ」
 剣士が無造作に言い、剣の構えをわずかに変える。
「右っ!」
 宣言した後に、言ったとおり右手を真っ直ぐ突き出す。
 しかし、予告されているとはいえ並大抵の速さではない。その上に何か迷う様子を見せた女性は、防御の構えをとっていたにもかかわらず、脇腹をえぐられる寸前でなんとか体を捻った。
「きゃあっ!」
 突きを入れられた女性は目をらんらんと輝かせて相手の動きに注目している。唇にも緊張感がみなぎり、声をあげるようなことはない。
 悲鳴は横合いから上がっていた。
「左から」
 横一線に薙ぎ払うような太刀。
 女性は体の前に剣を立てて防御しながら後ろに1歩下がる。
「はわぁぁっ!」
 またも、ギャラリーからの悲鳴。
「上!」
「うにゃぁぁんっ!」
「足っ」
「もぉいやぁぁっ!」
 女性はことごとくをすんでのところで避け――ふいに大きく退いて剣を鞘に収めた。
「ちょっとストップ」
 手袋をつけた手で、こめかみをぐりぐりと押さえる彼女。
「あのねぇテレージアっ! 横できゃあきゃあ騒がないでちょーだい! 気が散るわ!」
「だってぇ」
 答えたのは、宿の壁ぎわに並べられた木箱の上でぱくぱくと揚げ菓子を食べていた女だった。
 女がかわいらしく肩をすくめると、胸元にぐっと谷間ができる。太っているのではない。グラマーなのだ。
「思わず手に汗握っちゃうって感じなんだもん。大道芸人の出し物顔負けっ。こんなものをタダで見られるなんてっ。騒がなきゃウソよっ。くぅぅエキサイティングぅっ!」
「あなた……自分も剣士だってゆープライドは……?」
「そんなのないわっ!」
 立派な胸をそらすテレージア。
「ああああのねぇ。
こんなにおいしい教師がいるのに稽古しよーともしない! 彼があたしに当てるわけもないのにいちいち悲鳴を上げる! んな心構えでどーして剣士になんかなったのよあなたは!」
「こーゆー格好をしたいから」
 テレージアの服装は、お約束の露出系女戦士スタイルである。ほとんど水着状態でどこを覆ってるのか分からないアーマー。それも当然素肌に直接つけていて、どうしても隠さねばならない場所以外吹きっさらしである。
 素肌にアーマーという格好、見た目は涼しそうだが汗を吸収するものがない分かなり蒸すはずである。それを考えれば覆う部分を少なくするのは理にかなっていると言えなくもないのだが、もちろん彼女はそういう計算をしているわけではないだろう。
「普通の服装じゃ胸の開いたのなんてないし、神官なんかになったらもっとうっとおしい格好しなきゃいけないし。剣が使えなくても名乗るだけでなれる女剣士はその点最高だったの!」
「ああそう……」
 疲れたように呟く女性は、剣こそたずさえているものの、一般的な魔道士姿だった。
 テレージアは彼女に目をやると、妖艶な口元に無邪気な笑みを浮かべた。
「まぁ、リナさんは剣も強いけど、こういう格好は似合わないもんね」
「やかましいっ!」
 コンプレックスを刺激されて腰の剣に手が伸びたリナを、黙って見ていた剣士があわてて制止する。
「うわわリナっ! 相手は丸腰だぞっ!」
「何言ってんのよガウリイ、彼女だって剣士の端くれ、持ってるように見えなくたってどっかに剣くらい……」
 ぴょこりと木箱から飛び降りて、ターンしてみせるテレージア。
 剣を隠し持てるような格好ではない。
「部屋に忘れてきちゃいました♪」
「ぬわぁぁぁっ! あんたはぁぁぁっ!」

 なしくずしに稽古を終え、食堂に腰をすえた頃にはリナも落ち着いていた。
 テレージアが気前よく食事をおごってくれたせいだという噂もある。彼女、金回りはなかなかいいらしい。これで良家の息女だというのだから詐欺のような話である。
 食後のお茶を楽しみながら、さて、とリナは息をついた。
「時間もあることだし、ゆっくり聞きましょーか。あなたがその古文書とやらを欲しがってるわけを、ね」
 テレージアは居住まいを正した。
「『魔王の僕』とかゆーうさんくさい盗賊が盗んだ古文書を横取りしたい……って話だったけど?」
 依頼の内容は盗賊の捕獲と、彼らが盗んだ品物の奪取、そして彼女の護衛。
 人のものを盗るという話に乗るリナではないのだが、その相手が盗賊となれば話は別である。盗賊ぷち倒して宝物横取り。リナ自身がしょっちゅうやっていることである。テレージアが欲しいのはその古文書だけだということだし、残りの宝物は全部リナたちのもの、というのが彼女の提示してきた契約内容だった。
 趣味の盗賊いじめでさらに依頼料が出るというなら願ってもないことである。
 もちろん、『魔王の僕』というのが本当に盗賊であることは確かめた。近隣ではなかなか有名な盗賊で、力押しを得意とする2人組みらしい。
「その古文書は、ここの領主がセイルーン王室に譲るはずのものだったわ」
 テレージアの瞳に静かな色が浮かぶ。貴族の娘としての顔なのだろう。
「それは聞いたわ。つまり、セイルーンへのおべっかとして贈り物をするはずだったってことでしょ?」
「ええ、そうね。でも、それが盗まれてしまった――使者が私の家に滞在している時に」
 リナは眉をひそめた。
「それは……信用問題ね」
「お父様はひどく落ち込んでらっしゃるわ。屋敷は半分壊され、お母様は意識不明、使用人だって何人も死んだり怪我したり……」
「おいおい……」
 ガウリイですら呆れたような声をあげる。
「そんな、リナじゃあるまいし乱暴な盗賊だなぁ」
「ちょっとガウリイ。あたしじゃあるまいしって、どーいう意味よ」
「いや、家を狙う盗賊ってのは普通こっそり忍び込んでそっと盗むもんだろ? それをそんなに派手にやるってことは、よっぽど目立ちたがりで面倒嫌いな奴なんだろうなぁって」
「それのどこがあたしと似てるってのよ」
 リナのエルボーがガウリイを机に沈めた。
「そういうわけで、ね。お父様の体面ズタボロなものだから、なんとかこちらで取り返したいの」
「ふーん、じゃあ横取りってわけじゃないのね」
「あ、それなんだけど。実は、持って帰る前に私が使いたいんだ」
 こともなげに言うテレージア。
 仮にも王室へささげるもの、御物と言ってもいい。返すとはいえ、それに手をつけようというのである。
 リナは咳払いをした。
「あのね、テレージア。いちおー貴族のあなたなら分かると思うけど、王室のものをどーこーするのはやめた方がいいと思うわよ」
「やだ、もちろん私だってバレるよーなことしないわ。読むだけ」
「読むだけ……ねぇ」
「ええ。その古文書にねぇ……スタイルをよくする薬の作り方が書いてあるのよ」
「へ?」
 目を丸くするリナ。
 ちなみに、ガウリイはそろそろ聞くのをやめてぼんやりお茶をすすっている。
 テレージアは身を乗り出した。
「私はねっ! ぜひそれを使いたいのっ! 私が取り返すことでお父様の面目も保てて、私は薬を使えて大変お得っ! ね、リナさんも女なら分かるでしょ!?」
「わ、分かる……ていうか! あなたそれ以上スタイルよくしてどーするつもりなのよ? んな悩みは分からんっ!」
「違うのよ……」
 長い睫毛の下に、憂いをただよわせるテレージア。
 それで男を誘惑すれば一発で落とせそうな色気である。
「私……胸を小さくしたいの」
 ぴくっ。
 リナのこめかみがひきつった。
「なん……ですって?」
「だってね! リナさんには分からないでしょうけど、これってけっこう肩凝るんだよー! この胸、全部脂肪なのよ? 重いったらないんだから。ちょっと動き回ると揺れちゃって痛いし……服もいちいちサイズ直さなきゃいけないし……開き直って見せて回ってるけど、いい加減疲れちゃって」
「分かるかんなもん」
 リナの口調に殺気がこもる。
「言っとくけど、胸が小さくたっていいことなんか全っ然ないんだからね。安産型のかっぷくのいいおばちゃんたちには心配され、無邪気な子供たちには指差され、親姉妹近所の兄ちゃん、旅の連れ、そこらのおじちゃん、挙句の果てには人権ない盗賊たちにまで馬鹿にされるこの悔しさといったらくくぅっ! いーい、世の中の人間はね、胸が大きくなきゃ女じゃないと思ってんだから! どいつもこいつも胸胸って、胸がおっきくたってちょっと抱き心地がいいだけじゃないの! あたしが、あたしがそのせいで今まで一体どれだけ悔しー思いをしてきたかっ! あなたに分かるって言うの!」
「じゃーリナさんには胸の大きい人間の苦労が分かるのぉ!? ただ胸がむっちりしてるってだけで、人を見ればみんなして売春婦見るみたいな目つきして! 何よ何よ胸が大きいのは生まれつきよ、あたしは人様に顔向けできないよーなこと何にもしてないもんっ! 大体胸がなくたってちょっと悔しいだけでしょー? こっちはね、痛いのよ! 重いのよ!」
「ちょっと悔しいだけ? ちょっと!? だぁぁぁっ、あんたみたいのは1回この辛さを経験してみなさいっ!」
「そっちこそぉ!」
 興奮のあまり立ち上がっていた2人は、食堂の注目を浴びていることに気付きどちらからともなく腰を下ろした。
 小さくなって顔を赤くしてみたりする。
 公衆の場で大声を出して言い合う話題ではない。
「ま、まぁそーいうわけでね……。それに、何より……」
 テレージアは遠い目をしてどこかを見た。
「私の好きな人がね、胸の小さい女が好みなの――」
 一瞬きょとんとしたリナは、次に深いため息をついた。
「そぉ……」
「分かる、この悩み……?」
「えぇまーね……」
「やっぱり女には分かるよね……」
「いろいろ大変よね、お互い……」
「がんばりましょーね……」
「そーね……」
 黙ってお茶を傾けていたガウリイが、かたりとカップを置く。
「しかしな」
「何よ、ガウリイ」
 心なしか照れたような面持ちのリナ。
 ガウリイはまじめくさった顔で続けた。
「オレは、そーゆー男はほとんどいないと思うぞ……せっかくリナと違って胸があるのにあんまり早まったマネはうがっ!」
 リナの怒りのアッパーが見事に決まった。

 一通りの軽い作戦会議を終えて、めいめいは自分の部屋に戻った。
 部屋は2つ、依頼人であるテレージアは1部屋を使い、リナたちはそのとなりの部屋である。
 リナは、ガウリイと同室だ。
 そうするようになってからまだ1週間足らず、リナは同じ部屋へ入ってくるガウリイを見て一瞬『ああそうか』というような顔をする。つまり、まだそれだけの耐性しかないのである。
 部屋は、2つのベッドとテーブルがあるだけの簡素なものだった。
 リナはショルダーガードとマント、その他ベルトなどの小物を外してベッドに腰掛ける。ショートソードは枕元に置いておく。護衛の依頼に就いている間の用心である。付け足しておくと、男と同室だからといって依頼遂行中に服を脱ぐような羽目に陥ることは当然しない。
 ガウリイの方も鎧を脱いだだけの格好で一息をついた。
「そういえば、お前さん今日の稽古は危なかったな。真剣を使うのは早かったか?」
 ブラシで髪を梳かしていたリナは、となりに座った男をにらむ。
「そーよ、それ。言わなきゃと思ってたのよ」
「なんだよ、実は怖かったのか?」
「まさか。あんただって寸止めする自信があってのことでしょ。そーじゃなくて、予告よ」
「予告?」
「そ。あたしが避けやすいように『右を狙う』とか教えてくれてたでしょ」
「ああ、まぁ真剣使うのは初めてだしな一応」
「一応、じゃないわよっ! おかげでよけー迷っちゃったじゃないっ」
「何で?」
 リナはため息をつき、ブラシを膝の上に置いた。
「左行くわよ!」
 宣言して、右手で容赦のない平手打ちをする。
 瞬間逆の方向に避ける素振りを見せたガウリイは、すぐに気付いて身をかわし、リナの手首をつかんで受け止めた。
「ね?」
 リナは肩をすくめる。
「どっちから見て右なのか迷うでしょ?」
 今のリナは、ガウリイから見て左側に攻撃をすると予告したのである。先ほどの稽古の時、ガウリイは逆、つまり攻撃手から見た方向を告げていた。
 相手の動きを見ていれば頭より先に体が反応して多少楽にかわせる。しかし、曖昧な言葉で言われればどちらなのかと迷う分だけ対応が遅れる。
「なるほど……確かに」
「今度からは決めといて。どっちが言いやすい?」
「攻撃を仕掛ける側から見て……だな。どうしても剣腕を中心に考えちまうから」
「おっけ。じゃ、あたしから見たら逆ね。右って言われたら右へ避けることを考えればいい、と」
「おう」
 再びブラシを手に取ろうとして、リナは左手をガウリイにつかまれたままであることに気付く。
「ちょっとガウリイ、手放して」
「ん? いーだろ、このまま寝よーぜ」
「仕事中よ」
「分かってるよ、何もしないって」
 さらりと屈託なく笑うガウリイ。リナはそれをじっとにらむ。
「お手てつないで寝よっての?」
「そーだが」
「なぁにを恥ずかしーこと言ってんのよあんたわっ! 抱き枕が欲しいんならテレージアのとこでも行けばっ! あたしよりよっぽどふかふかしてて気持ちいーわよっ!」
「なんだよ、さっきの話気にしてんのかぁ?」
「するわよ。ふつー」
 相変わらずの毎日を送っているとはいえ、2人はそれなりの一線というものを越えて間もないのである。そこへきてかねてから悩まされていた女としてのコンプレックスを刺激されれば、気にもするというものであろう。
「なんだ……けっこー怒ってたんだ……」
 ぼけっと呟くガウリイ。
 あからさまに殴ったんだから気付けっ! と内心ツッコミを入れながら、リナはつながれたままの手を冷たく振り払った。
「じゃ、そういうことで」
 言い捨ててさっさと布団にもぐりこむ。
 ガウリイは太い腕を組んで少しの間考えていたが、やがてその腕を伸ばしリナの頭をぽんぽんと叩いた。
「あのなー、オレが思うにお前が怒る必要はないぞ。たぶん」
「あたしは必要だと思う」
「確かに、胸は大きい方がいい。オレはそっちのほーが好みだ」
「うっさいわねっ!」
 ガウリイは、見事にベッドから蹴落とされた。
「んじゃっ、おやすみ」
「いてて……でもなぁ、それとこれとは全然話が別だろ?」
 リナは1度閉じた目を開く。
 ガウリイの空色の瞳が見上げていた。
「話が別って、どういう意味よ?」
「そのまんまだが」
「それとこれって、『それ』は胸の大きい女が好きだってことでしょ。『これ』は何よ」
「何だと言われても……抱いて寝たいと思うってことか?」
「だっ、なによぉぉぉ抱いて寝たいってあんたねっ!」
 リナはしばらく迷ったが、結局暴力を振るわず、布団を顔の半ばまで引き上げた。
「……ふん」
「というわけで、一緒に寝よーぜ♪」
「何が『というわけ』なんだか……」
 悪態をつきながらも、軽く場所を空ける。
 どういう態度を返せばよかったのだろう。彼女らしくもなく、口にするべき言葉がすぐには浮かんでこなかった。
 長年の劣等感が一時的にでも氷解した、などとそんな恥ずかしいことを彼女は言葉に出せなかったのだから。
 ただ、わずかに身を寄せて自分を包み込む男の胸に額を当てた。
 彼は避けもせず、腕を伸ばしもせず、そこにいた。
 その瞳の色に似た、空のごとき広さで。

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