動き始めた空 10

 名前を呼ばれたような気がして、リナは目を覚ました。
 目を開けた気になっても何も見えない。そのことに、少しは慣れてきた。まぶたの裏に映る色彩で、おぼろげに朝であることを覚る。清潔なシーツの上で、薄い毛布にくるまり、彼女は眠っていたのだった。
 自分を呼ぶとしたらとなりにいるはずの相棒だが、とリナは手を伸ばす。
 指先がすぐ障害物にぶつかり、彼がそこにいることを確認する。ベッドは2つあるのだが、なぜということもなく昨夜はそばで寝た。そのことを思い出す。同時に、今まで意識の外にあった寝息をはっきりと認識した。
 どうやら、呼ばれた気がしたのは気のせいだったらしい。
 眠りが浅いのだな、と苦笑しながらリナは起き上がる。
 視覚が使えない分他の感覚を研ぎ澄まし、常に緊張している。思うように動けない苛立ちも強い。神経が昂ぶってよく眠れないのだろう。
 枕元のショートソードを取り上げ、ブーツを履いた。
 そして、闇の中立ち上がった。

 階段に難儀しているところで、テレージアが部屋を出てきたようだった。
「きゃああリナさん!」
 リナの姿を見つけて大慌てで寄ってくる。
「何1人で動き回ってるのよぉ!」
「何って、ご飯食べに」
「危ないじゃない!」
「あたしは寝たきりのおばあちゃんかい。登る時だって1人だったんだから、1人で降りれるわよ」
「そ、そりゃそうだけどぉ!」
「ほら、まだ寝てる人がいるんだから、大声出さないの」
「はぁい……」
 テレージアは手を貸したがったが、リナは断った。
 盲目状態がいつ治るか分からないのである。何事も1人でできるようになっておくに越したことはない。
「ガウリイさんは?」
「まだ寝てるわ」
 話しながら食堂に入り、席へついた。
 主人に軽い朝食を頼み、先に食べ始める。普段は飲み物でも頼んで相棒を待つところなのだが、何しろ今のリナは食事に時間がかかる。常から早食い選手権のように食べるガウリイと共に食べ始めれば、逆に長時間待たせることになる。
 テレージアのアドバイスを受けながらゆっくりとスープを口に運ぶ。まるで毒見でもしているようだと思う。味はあまり感じなかった。
「今日は、これからどうするの?」
 テレージアが控えめに聞いてきたのは、淡々とした食事をしばらく続けた後のことだった。
「そうね……」
 リナは少し思いをめぐらせる。
「支度ができたら、今までどおり『魔王の僕』を追いかけるわ」
「……アメリアさんたちは?」
「どこにいるかも分からないのよ。探しようがないわ」
「そうだけど」
「分かってるのは、向こうも『魔王の僕』を追いかけてるってこと。同じ相手を追ってれば、そのうち会うこともあるでしょ」
「そう、ね」
 テレージアは歯切れ悪く答えた。理屈としては分かっても、割り切れないものがあるのかもしれない。
 普通に町で暮らす人間にとって、もう1度会う保証がないというのは不安なものだろう。居場所も定職もない。『また』と言って別れてしまえば、本当にまた会える確証などない。どれほど親しくなっても、はぐれてしまえばそれで最後かもしれない。
 待ち合わせをして別れたテレージアたちとリナにしても、何かのアクシデントでその場所に行けなければ終わりかもしれなかったのだ。
「もし、今回会えないまま終わったとして……」
 テレージアは、珍しく遠慮がちな声で話題を続けた。
「何か、連絡する方法ってあるの? せめて、無事だったってことだけでも」
「そぉねぇ……その気になればなんとか」
「そうなんだ?」
 問い返す声が明るくなる。
「ま、セイルーンの王宮に押しかけて誰かに伝言頼めば、とりあえずアメリアには伝わるでしょうね。ゼルにはどうしようもないけど」
「どうしようもないの? 仲間なんでしょ?」
「え、ま、まぁね。そーよ」
 わずかに照れて、リナはうつむく。
「まぁ……縁があれば、また会うこともあるわよ。どっかで噂を聞くこともあるでしょ。あたし、自分で言うのもなんだけどよく噂になるし」
「それはそうねぇ」
 必要以上に納得した声で言うテレージア。
「ひょっこり会って、目的が合えば一緒に旅をする。都合が悪ければサヨナラ。元気だって聞けばそりゃ嬉しいし、何も聞かなければ時々どうしてるかね〜なんて思い出してみる。あたしたちの人付き合いって、そんなもんよ」
「ガウリイさんも?」
「さぁ、聞いてみたことはないけど、そぉなんじゃない? あいつだって、この業界長いんだし」
「そうじゃなくてぇ」
 テレージアは心もち真剣な声音で言った。
「ガウリイさんとはぐれたら、どうするのかって聞いてるのよ」
「あたしとガウリイが?」
「うん」
 リナは少々虚を突かれた思いでテレージアの方に顔を向けた。しかしもちろん何も見ることはできない。彼女がどんな表情でそれを言ったかを、知ることはできない。
 顔をうつむけて、皿の上の料理をフォークでつつく。
「そーねぇ。急ぎじゃなければ、とりあえずはぐれた場所で待ってみるわよ」
「何か行き違いがあって、会えなかったら?」
「……仕方ないわね」
 言った途端、どうしてもそうしたい衝動に駆られて、リナはため息をついた。
「少しは探してみるけど……それでも会えなかったら、仕方ないわ。伝言くらいは残してみるかしらね。でもずっと待ち続けるわけにもいかないわ。そんな退屈なこといつまでもやってられないもの。縁があれば、また会える」
 そう言いながら、本当だろうかとリナは内心自問した。
 怒りながら、打てるだけの手を打つ自分が見えるような気がした。平静を装いつつ各地を探し回り、けして他の相棒を作らないだろうという気がした。
 彼の笑顔がそばにないことを考え、名物料理や素晴らしい景色や楽しい出来事、苛立つような依頼人に重すぎる事件、すべて1人で味わうことを考えて心が冷えた。
 細く張りつめた糸の上を歩いている、そんな気がした。いつどちらが落ちてもおかしくはない。そんな世界で生きている。
「本当に?」
 タイミングよくテレージアがそう聞いたので、リナは笑った。力ない笑顔になったかもしれない、と自分でも思った。
 昨夜プロポーズされたのだ、と心の中だけで答える。
 それを受け入れれば、ずっと一緒にいられるかもしれない、と。
「私……好きな人がいるの」
 しばしの沈黙の後、テレージアはそう呟いた。
「彼は胸の小さい女の子が好きなんだって。そう言われても私がグラマーなのは生まれつきで仕方ない、そう思ってた。胸が大きくたって、私を見てって思った。がんばったわ、がんばって両想いになった。でもあの魔道書を見て、方法があるって知ったの。もし……もしも彼の好みの女の子になれたら。他の女の子に目移りしようがないくらい好みの子になれたら。そうしたら、もっと安心できるって」
「そう」
 リナはうなずいた。
「人を好きになるとさ、怖いことばっかりだよね。今はいいけど、いつまでも同じ気持ちでいてくれるとは限らないでしょ。約束が欲しいし、確証がほしいよね。そんなもの、本当はないのかもしれないけど……でも、少しでも安心する材料があれば、もっと強気になれる。不安になって、変に疑ったりもしないで済む。彼の気持ちの問題じゃないのかもね。彼がどう思ってるかじゃなくて、私が安心したいのかも。こんなことして私が死んじゃったら、彼は怒るに決まってるのに。どうしてそんなことのためにって怒るだろうなって、ちゃんと分かってる。でも、何の保証もないことを信じてるのって、すごく怖いよ」
 テレージアの声が震えていた。それをはっきり感じて、リナは静かにうなずいた。
「リナさんも、怖いと思うことってある?」
「これは知り合いが言ってたんだけどね。あ、知り合いであって友人じゃないわよ」
 リナは念を押した。
「不安にはきりがないんですって。本当に安心したかったら自分をごまかすしかない、嘘にだまされてみるしかない。そうかもしれないわね」
「なるほどねぇ」
 苦笑気味にテレージアは答えた。
「でもあたしは偽物なんかほしくない。妥協はしないわ」
 リナは、机の下できつくこぶしを握った。
「さっきの言葉訂正するわ、テレージア」
「さっきの?」
「ガウリイともしはぐれることがあったら、見つかるまで探す。地の果てまでだって追いかけてって、見つけ出してやるわ」
 そして、歩く道にあるいろいろなものを、もう1度2人で見るために覚えておく。
 譲れないものは、何ひとつ譲らない。
 目が見えないならば、手でふれて。耳を澄まして。匂いをかいで。
 約束などなくても、必ずそのとなりにたどり着く。
「あたしにだって、怖いと思うことはある。でも、そこで震えてちゃ何にも始まらない。明日はどーなるかわかんないんだから、死ぬまでわがままに生きるのよ!」
「そっかぁ……」
 テレージアが吐息混じりに呟いた。
 リナさんはやっぱりあのリナ=インバースなんだね、と。
「今日、旅日和だよ。いい天気」
 リナは窓があると思われる方へ顔を向ける。
「がんばろうね。でもって、アメリアさんたちにもちゃんと会おうね」
「そうね」
 リナは苦笑した。
 テレージアが見ているであろう空は見えない。闇が広がるばかりだ。
 ただ、少し明るいのだけはリナにも分かった。

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