動き始めた空 11

 グンゼウムは森の中を静かに歩き始めた。
 かたわらに相棒はいない。どうなったものやら彼も知らない。彼が知っていることといえば、相棒がいたはずの場所に大量の血痕が残っていたということだけだ。姿はなかった。相棒の姿も、敵の姿も。
 3日ほど前のことだ。グンゼウムとその相棒は、執拗に追ってくる人間たちを待ち伏せた。
 彼らは盗賊稼業に馴染みが薄い。戦うことは得意だが、気配を殺すだの追っ手をまくだのといったことにはまったくの素人である。それに引き換え、追っ手の人間たちときたら明らかに玄人だった。わずかな痕跡をたどって確実に近づいてくる。グンゼウムたちが草むらに隠れても、気配を読んで待ち伏せを察知する。
 これでは、逃げても埒が明かない。そもそも逃げることなどけして趣味ではない。
 そこでグンゼウムが選んだ方法は、追っ手を積極的に潰すことだった。
 途中までは上手く行っていたはずである。しかし、追っ手は予想以上に手練れだった。
 二手に分かれた人間たちを追撃し、グンゼウムと相棒とは一端別れた。グンゼウムが追った男女の剣士を見失ったのは、日の暮れかけた頃だったろうか。元の場所に戻った時、相棒の姿はなかった。
 グンゼウムは懐に手をやる。ごそり、と音がする。
 写本を持っているのは彼の方であり、その点相棒の持ち逃げを心配する必要はない。ということは、彼がグンゼウムと別れるメリットは何もないのである。何か相棒によくないことが起こったと考えるべきであろう。
 相棒と交戦したのは剣士が1人、巫女が1人。油断したつもりはないが、それでも栗色の髪の女魔道士や連れの剣士に比べれば、恐るべき相手ではないように思えた。そもそも、彼にとって恐るべき相手というのは他にいる。その相手に悟られぬよう、早く仕事を済ませてしまいたいのに。
 目的地――ソラリアは、まだ遠い。
『グンゼウーム!』
 突如、ぎょっとするほどの大声が森に響き渡った。
 思わず体を強ばらせてしまったが、何のことはない、風の精霊に干渉して声を増幅しているのである。
『この辺にいんのは分かってんだからねー! おとなしく出てらっしゃーい!』
 リナとかいう魔道士のようだ。グンゼウムは声と口調からあたりをつけた。
『出てこないっていうんなら、当たるまで竜破斬ぶっぱなすわよっ! ストレス解消にもなって一石二鳥ー!』
 ほとんどやけになったような叫び声に、グンゼウムは戦慄を覚えた。
 本気でやりそうだ。
 竜破斬を食らえば、グンゼウムとて無事には済まない。何より、写本はただの紙束である。吹っ飛んでしまう可能性は非常に高いだろう。
 逃げ回っている場合ではない。いや、もとより戦うつもりの相手である。
 覚悟を決めて、彼は走り出した。
『ちなみにあたしたちは街道筋にいるからねー! 出てくんなら早くしてよー!』
「言われずとも……」
 彼は呟き、疾走した。
 彼らの姿が見えてきたのは、そう走らないうちだった。人影は2つ、剣士と魔道士だ。最初にまみえた2人である。1度も戦列に参加しなかった女剣士の姿はない。どこかで別れてきたのだろうか。
 彼が声をかける前に、リナという魔道士は笑った。目を閉じたままである。何があったのかは分からないが、とにかく視力を回復したわけではないらしい。
 それで再戦を挑んでくるとは見上げた根性だ、と彼は苦笑した。そういう相手は嫌いではない。
「はぁい、こんにちは。数日ぶりね、そこにいるのはグンゼウムさんかしら?」
「無駄口に付き合う気はない」
「あらそ、残念ね。あなたはおしゃべりが好きかと思ったけど。そうそう、あなたより無口な相棒はどうしたの?」
 答えず、グンゼウムは魔力塊を放った。
 これは剣士によって難なく叩き落される。リナは避けようとすらしなかった。あるいは、単に察知できなかったのかもしれない。
「その目で、どうやって戦うつもりだ? それとも、降伏でも申し入れに来たか?」
 リナはひらひらと手を振った。
「冗談。あたし、人に従うのは大嫌いなの」
「わがままだからなぁ」
 連れの剣士がいらぬ突っ込みを入れて肘を食らう。
「そっちこそ、降伏して盗んだ魔道書を渡せば、見逃してあげるわよ?」
「はっ、馬鹿な」
 グンゼウムは嗤った。
「これはベルギス様に差し上げる大切なもの。おぬしらなぞに渡してたまるか」
「ベルギス……?」
 リナの眉が奇妙に歪んだ。
「何だリナ、知り合いか?」
「そぉね、知り合いよ」
 こともなげに答えたリナに、グンゼウムは目を見開いた。
「な、何っ!?」
「ただし、おトモダチじゃないわ。最近そういうの多くてイヤんなるわねー」
「ふ……ハッタリか」
「やぁね、ハッタリはあたしの十八番だけど、これは本気よ」
 リナの笑みに不敵な色が濃くなった。
「ルヴィナガルド王国前国王ベルギス、あんたと相棒は実験によって作られた人魔……そういうことね。なぁるほど」
 グンゼウムは腰の剣を引き抜いた。
 魔族と人間の融合実験は極秘に進められていたことだ。彼女のごとき一般人が知っているわけはない。それも、こうして当たり前のように口に出されることではないはずなのだ。
 表向き、ベルギス前国王は歴史の舞台から姿を消している。その上で別の名を名乗り、ひそかに計画を進めてきた。終わったはずの実験がまだ続いていることを知る人間がいていいはずはない。
「何者……」
「名乗らなかったかしら? リナ=インバースよ。ベルギスを倒した魔道士の名を、いえそれ以前に彼がもうこの世にいないことを、あんた知らないのね」
「な……っ!」
「さしずめあんたは、直接の指揮下から離れていた別働隊ってところかしら? それでよぉく分かったわ。魔族にしか見えないあんたがゼロスと対立しているわけも。空間飛んで逃げてしまわないわけもね。苦労して任務を果たしたのに、肝心の陰謀は断罪済みで、主人はすでに亡い。あんたもお疲れさまだったわね」
「たわごとを……!」
「世捨て人を気取って魔族の真似事するのもいいけど、ちょっとくらいは世情に目を向けるべきだったわね。もうけっこう前のことよ」
 確かにグンゼウムは任務の成功に手間取った。そもそも、グンゼウムに下されたのは実験に有用な魔道書を集めてこいという抽象的な任務であり、時間がかかることは予想されていた。ある程度魔道の知識がある人間として選ばれたため、盗賊のような真似にも不慣れである。ベルギス前国王のもとには、数ヶ月どころか1年ほど戻っていない。
「なぁ……リナ」
 剣士がリナの袖口を引いた。
「あーはいはい、忘れたのね」
「忘れたってことは、オレも知ってることなのか、それ?」
「まーそうくるだろうとは思ったけど……いいわよ、別に。たいした話でもないから忘れとけば」
「たいした話でもない、だと……!?」
 グンゼウムが上げた怒りの声にも、2人は平然としている。
「怒ってるぞ、あいつ。そういう言い方はかわいそうなんじゃないか?」
「悪人にかける情けはない」
「悪人なんだな? 本当だな?」
「人魔も忘れちゃったの? ミリーナを殺したやつらよ」
 ふ、と剣士の雰囲気が変わった。
「そうか……言われてみれば、あいつらも黒っぽかった、な」
 もう言葉は必要なかった。
 グンゼウムと2人の人間は静かに対峙する。
「お互い……戦う理由はありあまっているようだな」
「そのようね」
 そして、疾った。

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