動き始めた空 2

 その重さ半分背負ってやるから、と彼は言った。
 何を当たり前のことを、と彼女は怒鳴り飛ばした。
 お前さんと一緒にいるのに理由は要らないだろ、と彼は言った。
 そうだね、と彼女は答えた。
 共に死線をくぐりぬけ。
 苛烈な道を走りぬけ。
 やがてかたわらを振り向き、彼女たちは独りでいることをやめた。
 そして――『それ』を知った。

  森を突き抜ける街道に、木々を揺らす風が吹きすぎる。
 旅を始めて3日目、盗賊を追ってリナたちは街道を南下していた。噂を頼りに判断するところ、盗賊たちは1日分ほど先行している。旅慣れないテレージアを抱えてさほどのスピードは出せていなかったから、これはむしろ意外なことだった。
「どういうことなんでしょうねぇ?」
 と、テレージアですら首をかしげる。
「さぁね」
 リナは慎重に答えた。
「ま、想像してみることはできるけど……」
 多少無理な日程を組んで距離を詰めているとはいえ、リナとてこうも早く追いつけるとは思っていなかった。リナたちの速度が早すぎるということはない。相手が遅いのだ。
 街道は、大きく深い森を抜けてライゼール帝国へと続く。街道を少しでも外れれば、まっすぐ歩くにも不自由するような森がどこまでも広がるばかりである。人の目をはばかる盗賊たちは街道を避けており、そのために足が鈍っているのだと考えることもできる。
 しかし、それだけ警戒しているのだとすれば、町に足跡が残っているというのがおかしい。
 何の目的があってのことなのか、リナは歩きながらいくつかの可能性を推測する。
 そして、もっとも考えられる可能性が――
「リナ」
 静かな声と共に、ガウリイが足を止める。
 リナはテレージアをかばうように1歩踏み出した。
「そう、たとえば、追われてることに気付いて迎え撃とうとしてる、とかね」
 テレージアがびくりと体を震わせた。
 森は静まり返っている。しかし、リナはそこに人の気配を感じ取っていた。
「あいさつくらいはしたらどう?」
 わざと声を張り上げる。
 何の関係もないただの野盗だという可能性はある。だが感じ取れる気配は2つ。徒党を組んで数を頼りに相手を圧倒するのが、野盗の行動パターンだ。たかが2人で3人の相手の前に出てくることは考えにくい。一般人の目から見てもガウリイは傭兵と分かるだろうし、リナも典型的な魔道士スタイルをしている。少人数で喧嘩を売る相手として、あまり向いていないことは明白だろう。
 通りがかりの旅人、という線も却下である。それならば、森の中にひそんでいる理由が分からない。
 となれば、答えは1つ。
 はっきりとこちらを狙ってきた相手なのだ。
 目標の家を爆破して盗みを働くなどという非常識きわまる行動パターンから、『魔王の僕』の連中が人一倍攻撃的で自信過剰なタイプだというのは容易に想像できる。痕跡を残さぬよう逃げるよりは、正面切って相手を殲滅する方が性に合っているのだろう。
 だからこそ尾けまわされることを好まず、足を緩めてまで勝負を仕掛けることを選んだ。
 彼らの不幸は、こちらも同じタイプだと知らなかったことだ。
「それとも、かわいい女の子には見せられないようなご面相なのかしら?」
「かわいい女の子? テレージアのことか?」
 ぼけたガウリイをリナは振り返りもせずどつく。
 殺気の鋭さはそこそこのものだが、気配はモロ出しである。さほど警戒する必要もないと思われた。
 彼らは、油断していた。
 ざっと草むらを鳴らして1つの影が現れる。
 それを影と認識したのは、あまりにも露出の少ない黒ずくめの服装のためだった。一見して黒い塊のように見えるその風体は、ひたすら怪しい。ただ、黒ずくめと言っても暗殺者のそれとはずいぶん趣が違う。顔を巻いた黒い包帯。体に纏うのは、膝辺りまでを覆うぞろりとしたローブ。暗殺者がそんなものを着ていては、隠密行動に支障をきたすだろう。
「へぇ……ケチな盗賊にしちゃあオリジナリティある格好してるじゃない」
「ふふ……おぬしらはこれと言って珍しくもない傭兵と魔道士のようだが」
「言うわね。ま、その通りだけど?」
 剣を抜きかけたガウリイを、リナは目で制す。
「名前を聞きましょうか。あたしはリナよ。リナ=インバース」
「グンゼウムだ」
 グンゼウムと名乗った男は、リナの名前に反応を示さなかった。
「もう1人は、人見知りの癖でもあるのかしら?」
「そうなのだよ。恥ずかしがり屋で困っている」
 黒ローブはくつくつと笑った。
 挑発に乗ってこない。コケおどしのためにわざわざ名乗ったが、それも受け流してきた。
 リナは顔をしかめる。彼女としては面白くない相手である。
「で、コトを荒立てる前に確認しておきたいんだけど。あんたが呼ばれてのこのこ顔出したってぇのは、交渉の余地があるっていう解釈もアリ、なのかしら?」
「いや……これも醍醐味だと思ってるだけだ」
「なるほど……ね」
 冷やりとした笑みが交わされる。
 上っ面だけの言葉が、怒鳴りあう以上の殺気を辺りに撒き散らした。
 その横で、ぽりぽりと頭をかく剣士。
「醍醐味って……リナみたいなこと言うなぁ」
「だぁぁぁぁっ! こんな怪しさ大放出、ゴミ捨て場に混じってたらそのまま焼却炉に入れられちゃいそうなヤツと一緒にしないでっ!」
「ま……リナと違うのは、こいつは悪人だってことだ」
 ゆっくり、今度こそガウリイは剣を抜いた。リナも止めることはしない。
 制止の代わりに、小さく呪文を詠唱する声が流れた。
「リナのしてるのは悪事じゃなくて、暴走だからな」
 詠唱を続けながら放ったリナの蹴りがガウリイの背を押す。ぐらりとその体が傾いだ。
 それを機と捉えたか、グンゼウムがローブの下から剣を抜く。姿から魔道士かと思われたが、剣も使うらしい。フェイントのために抜いたと考えるには疾すぎる動作で踏み込んでくる。
 体勢を崩した格好のガウリイに対し、グンゼウムが振りかぶる。
 と、その瞬間。よろめいていたかに見えたガウリイが前傾姿勢から右足を踏み込み、すくい上げるように剣を一閃した。
「……なっ!?」
 紙一重でそれをかわすグンゼウム。剣士として並以上の腕を持っていなければ、避けられる一撃ではなかった。しかし、次もそううまくいくとは限らない。
 あわてて構えなおすグンゼウムに、ガウリイが迫る……と思いきや、にらむ視線はそのままに大きく横へ跳ぶ。
 横――もう1人の気配があった場所である。
 隠れていた方は他人事のようなつもりでいたのだから、たまらない。藪の中で、激しい鍔鳴りの音と低い呻き声が重なった。
「相棒!」
 グンゼウムは瞬間そちらへ意識をやる。
 それら一連のことはすべて、リナの計算通りだった。リナは真正面のグンゼウムに用意した呪文をお見舞いした。
「炎の矢!」
 グンゼウムはガウリイに切りつけるため、リナたちのいる場所へと迫っていた。
 そしてリナは最初の斬撃がくりだされた時、さりげなくガウリイの後ろへ回っていたのである。ガウリイをグンゼウムの目から隠れる壁とするために。そして、ガウリイが飛び退いた後グンゼウムの正面に来るために。
 至近距離から浴びせられる炎の矢の斉射だ。かわせるわけはなかった。
「……んなっ!?」
 かわせるわけのない呪文は、グンゼウムの前で虚しく散った。
 リナの驚きの表情を見て、グンゼウムはにたりと笑う。
「危ないだろう……リナとやら」
 黒いローブの前に、飾り物のような光球がいくつも現れた。1つ1つの大きさは拳ほどにも満たない。しかし、大きさと威力が比例しているとは限らない。
「伏せてっ!」
「うきゃっ!」
 リナはテレージアを引きずり倒し、そのまま横っ飛びに地面へダイブする。
 光球は先ほどまでリナのいた場所を叩いたのみ。大げさなほどの爆音の後、もうもうと土煙が立つ。
 リナにもテレージアにも爆発の余波はなかった。
 リナは、腰のショートソードを抜き放ちながら立ち上がる。煙を目くらましに飛び込んできたグンゼウムと、剣がかち合った。
「ふふ……やるな」
「あんた……」
 一合打ち合っただけで離れ、グンゼウムは土煙の向こうで微笑む。
「魔族……!?」
 グンゼウムの唇の端が吊り上がったように、リナには見えた。
 普通、人間は炎の矢に直撃されて笑っていることなどできない。ただ、これは事前に耐火の術を唱えていたとか、それ用のマジックアイテムを身につけていたと考えれば、納得できないことではない。
 しかし、人間ならば詠唱なしで呪文を発動させることはできない。これは絶対である。
 それができるのは魔族だと、リナは学んでいた。
「ま、まままままま魔族ぅ!?」
 テレージアが狼狽した叫びをあげる。
 城にこもって過ごしてきた格好だけ剣士のテレージアでは、戦ったことはおろか見かけたことすらないだろう。
「だってだって……普通の人間に見えますよぉ?」
「魔族も高位になってくると、人間そっくりの姿を取れんのよ。もっとも、こいつの場合包帯取ったらどんな顔してるか分かったもんじゃないけど、ね?」
 後半のセリフは挑発だった。しかし、グンゼウムはこれも薄い笑みを浮かべるだけでかわす。
 魔族ならそりゃ余裕があるわけだ、とリナは内心舌打ちした。
 魔族相手と知っていればもう少し対策を練っていた。
 ガウリイはまだ交戦中らしい。剣戟の音が断続的に響いてくる。その音は近いとは言えず、軽々しく撤退することもできない。そこらの相手ならばガウリイを置き去りに自分たちだけ逃げるところだが、少なくとも片方が魔族らしいと分かっていて1人きりにするのは、見殺しにするも同然である。
 体勢を立て直す時間は、ない。
「なるほど……いーかげん極まりない盗みのやり方も、気配バレバレだったのも、人間ごときと思って手ぇ抜いてたってわけね」
「まぁ……そういうことだ。手を抜いたわけではなく、単にこそこそした行動が苦手なだけだが……」
「まさか、それだけ腕立って気配隠せないとか……?」
「……」
『……ぷっ』
 思わず吹き出すリナとテレージア。ちなみに、口だけ剣士のテレージアも、完全に隠すとまではいかないが少しばかり気配を殺すことくらいはできたりする。
「ふふ……笑っていられるのも今のうちだ。すぐに恐怖と悲鳴を搾り取ってやる」
 そういうグンゼウムの声がわずかに震えているのは、気のせいだろうか?
 リナはにやりと笑った。リナたちの表情を見てグンゼウムが動揺している間に、こっそりと詠唱は済んでいる。
「黒妖陣!」 
 グンゼウムの黒いローブを、さらに黒い闇の柱が包み込む。
「ぐあぁぁっ!」
 どんなに強大な魔力を持っていようとも、剣の腕がよくとも、戦いの駆け引きにおいては気配を隠すことすら知らないという素人同然。数え切れない修羅場をくぐってきたリナの敵ではない。
 ブラス・デーモンを一撃で葬る術である。これを食らってただでは済むまいと思われた。
 しかし。
「く……かはぁっ!」
 叫びと共に、闇の柱が四散した。
「弾いた!?」
 そう、グンゼウムは魔力の力押しだけで弾き返したのである。
 この芸、そこそこの魔族になると普通にやってくる。しかし、それはとりもなおさずグンゼウムがそこそこの魔族である、ということなのだ。
「やってくれるな……」
 先ほどに倍する数の光球が生まれ出る。
 リナは息を飲み、テレージアの腕をにぎりしめた。
「テレージア。ガウリイの方へ行きなさい」
「え……でも」
 ガウリイの方も激しい応酬をしている。とても余裕たっぷりとはいかないだろう。
「こっちにいたら巻き添えを食うわ。早く!」
「あ、は、はいっ」
 テレージアが森に逃げ込むまでの間、リナはただ彼女の盾となるために併走する。口の中で唱える呪文は竜破斬。この呪文で発生する呪力結界は多少の攻撃を防ぐが、グンゼウムの生んだ光球を完全に相殺するかどうかはひどく怪しい。
 案の定、ぶつかってきた光球は結界を突き抜け、彼女の髪を一房吹っ飛ばした。
「リナさん!」
 いいから行け、とリナは振り向きもせず親指で背後を示す。
 2発目が肩をかすめ、倒れるのを防ぐため大きく後ろに下がらねばならなかった。
 3発目は軌道を変えてきた。テレージアに当たらないと思われた光球は当然避ける。避けられたものは辺りの木を直撃し、森の一画が揺れた。
「くく……先ほどの威勢はどうした?」
 4発目、5発目――傷は痛みを呼び起こし、当然集中力を奪う。
 リナは答えず、唇のつむぐ詠唱だけに意識を凝らした。
「竜破斬!」
 火線がグンゼウムに向かって疾る。
 リナは煤けた頬を笑いの形にゆがめた。
「グンゼウム!」
 声を上げたのは、ガウリイと剣を交えていたグンゼウムの相棒だった。離れたところから大爆発の中に駆け込んでいく。
 その隙を突いて、ガウリイがテレージアを伴ってリナのそばに来た。
「やった……か?」
「分からないわ……」
 リナは傷の痛みに顔をしかめ、血のあふれ出る肩を押さえる。
 その刹那だった。
 爆炎にまぎれて、一筋の光が森を裂いた。
「リナ!」
 ガウリイは斬妖剣を構えて前に飛び出る。
 その剣が光を弾いた。伝説の名剣が悲鳴のような音を上げた。余波が木を爆ぜ割った。反動で剣がガウリイの手を離れ――そして。
 リナは、まるでガウリイの手が変に伸びたように思えた。
 折れたのだ、と次の瞬間に思う。
 そしてその次の瞬間には大量の血がしぶいて、彼の真後ろにいたリナの視界を赤く染めた。
 理解にはさらに数瞬を要した。
 圧倒的な力に抗しきれず、腕が千切れたのだ、と。
「……ガウリイィィっ!」
 彼はそのままどうと地に倒れる。
 正確に言えば千切れ飛んだわけではない。腕はほんのわずか肘につながったままだった。それでもリナに治療できる傷ではない。
 血だまりが広がっていく。余波は腕を吹っ飛ばしただけではない。彼の体中を切り裂いていた。
 冷たいものがひたひたと胸を叩いた。
 リナは呆然としたままただ条件反射のように対抗するための呪文をつむぐ。
(腕が)
 なくては戦えない。
(ガウリイの、腕が)
 それは剣を握るための大事なもの。
 彼が自分を守り、生きていくために必要不可欠なもの。
 そして、ほんの数日前、彼女を抱いたもの。
(そう……いつこうなってもおかしくなかった)
 なのに彼女は数日前の夜、それがどれほど大事なものなのか知らなかった。

 

 宵闇が立ちこめる小さな部屋。
 わずかに暗闇を払う頼りない燭台の灯り。
 手のひら分ほど開いた窓から、淀んだ空気を揺らすように月明かりと風が入り込む。
 薄ぼんやりした視界の中に浮かび上がるのは、安ごしらえのベッドが2つと、テーブルが1つ、椅子が2つ。そしてその椅子に座る女が1人。ベッドに横たわる男が1人。
 女は――いつかどこかで破壊神と呼ばれたこともあった若い女は、背筋を伸ばして身じろぎもせずそこにいた。
 階下からは、酒場で酒をくみかわす者たちの明るい声が途切れ途切れに届いてくる。
 しかし彼女は何も言わず。
 男も何も言わず。
 ただ、静寂だけが満ち満ちていた。
 ふと、それを破ったのは、ドアをノックする控えめな音だった。
「リナさん……?」
 呼びかけにも、リナは答えない。
「ご飯食べるから、来てね」
「――ええ」
 ようやく返したそれだけの返事に、ドアの外の人物はほっとしたらしい。ため息のようなものが響いた後、やがて廊下から気配を消した。
 再び1人になってから、リナは首を大きくひとつ振った。栗色の長い髪が頬を打ち、はっきりとした現実感が戻ってきた。
 落ち込んでいるつもりはないのだが、ともすると思考の海に投げ出されてしまう。どうやらショックを受けているらしいと今さらながらに気付き、彼女は苦笑した。少なくともそのつもりになった。
 目の前のベッドで死んだように眠る男は、丸1日前まで実際に死の淵をのぞきこんでいた。
 数々の偶然が重なり、今こうして無傷で眠っている。
 たとえ命は助かっても無事では済まなかろうと、彼女は半ば以上覚悟していた。それは己が死に瀕した時のようにひんやりとした認識だった。寒気が、今でも背中に張り付いているような気がする。
 もう1度首を振って、リナは立ち上がった。
 去り際に男の額を弾こうとして、なぜかそうする気になれずそっと頬にふれる。
 そうして指先に慣れた体温を感じた後、やっと彼女は本格的に足を動かした。
 燭台の灯りはつけたままにし、部屋を見回して念のため窓を閉じ鍵をかける。廊下に出た後、扉にもきっちりと鍵をかけた。小さな村の小さな宿である。盗人が入るとも思えなかったが、意識のない人間を無防備に放り出しておけるほど彼女は無邪気になれない。

 しかし、彼女の足音がすっかり遠ざかった後、完全な沈黙を降ろされたはずの密室にふと押し殺した笑い声が流れた。
 その声を聞いた者は、声の主以外にいなかった……。

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