動き始めた空 4

「目が見えなくなったぁぁぁぁ!?」
 明けて翌日、宿の食堂にアメリアとテレージアの絶叫が響き渡った。
 食堂で平和に食事をしていた客たちが振り返る。不穏な内容を耳にしてそうせずにはいられなかったのだろう。しかし、それが昨夜大食い大騒ぎしていた連中だと分かると、げんなりした顔で食事に戻っていく。係わり合いにならないのが長生きの秘訣だと悟ったに違いない。その悟りはおそらくきわめて正しい。
 注目のテーブルでは、2人の女性が身を乗り出して魚のように口を開閉している。
 表面上変わりのない岩の肌の男も、フードから覗く目元を引きつらせていたりする。
 彼らと向かい合うのは、見た感じではただ目を閉じているだけの小柄な少女。そして、そのかたわらでメニューをめくっている剣士である。
「あっ、オレこれがいいな、鴨のコンソメスープ! それからロマーヌ魚の煮物ブレックファーストばーぢょん、後はそーだなー、お得朝食セットAとBかな! リナは何にする?」
「読めないっての……バカくらげ……」
 メニューを差し出したガウリイに、静かな声音で答えるリナ。その声には氷のごとく冷たいものが潜んでいる。
「おっ、そーか。じゃあ適当に頼んどくな」
「そーして。さすがに食欲ないから、軽めにね」
「何ぃぃぃ!? リナが食欲ない!? なんだ、どーした、あの日か!?」
 すぱぁぁぁぁん!
 小気味よいスリッパの音に、辺りの客は一瞬食事の手を止める。しかし、今度は振り向きもせずそのまま食べ始めた。それは、自己防衛本能のたまものかもしれない。彼らの顔には、一筋の汗と共に『早く食べ終わってあいつらから遠ざかりたい』などと書いてある。
「ってぇぇ! さ、さすが手ごわいなリナっ! 目が見えなくても正確にツッコミを入れるとわっ!」
「ふふふんっ。このくらいは女の子の必須技能よ!」
「そ、そうかぁ……?」
「じゃなくて! あんた、花も恥じらう乙女に向かってそーゆー無神経なセリフ言うんじゃないって、いっつも言ってるでしょ!」
 いつもと変わらぬやりとりに、だんっと机を叩いたのはアメリアだ。
「リナ! ガウリイさん! さすがに夫婦漫才やってる場合じゃないわっ!」
「誰が夫婦……」
 リナの言葉など当然無視し、愛と正義と真実の人はその場に立ち上がる。
「それでっ! 目が見えなくなったっていうのは本当なのね、リナっ?」
「……見りゃ分かるでしょーが……」
「目閉じてるだけじゃない!」
「いや……これだけの時間会話をしながら目を閉じたままでいるのというのは、普通には無理だろうな」
 ゼルガディスが呟くように言う。
「そして、普通は失明したからといって目が開かなくなるというわけではないだろう。リナ、何があった」
 ふぅ、と息をついてリナがゼルガディスの方に顔を向ける。見えないのだから視線を合わせようとする必要はないのだが、それは長年の習慣というものだろう。
「ま、当然予想してると思うけど、魔族の仕業よ」
「なぁぁぁぁんですってぇぇぇぇぇぇっ!」
 いきりたち、天も轟く叫び声をあげるアメリア。
「ちょ、ちょっとアメリアっ! ここ一応食堂なんだから静かに!」
 今さら遅い。
「いくらリナが乱暴で強引で邪魔だからといって、その光を奪うとはなんたることっ! 正々堂々と戦いを挑むならばまだしも、このように姑息な手で正義の心をくじこうとするなんてっ! たとえ相手がリナ、破壊と暴言の巣、普通にかかっていったらかなわない相手だとはいえ、許されることじゃないわっ!」
「喧嘩売ってんのかあんたは……」
 低い声で呟くリナ。
 ちなみに、テレージアはというと目の前の事態にすっかり固まっている。
「テレージアー? 大丈夫かー?」
 ひらひらとナイフを振って見せるのはガウリイだが。
「ガ、ガウリイさん私……!」
「ほい、鴨のコンソメスープとロマーヌ魚の煮物ブレックファーストばーぢょん、お得朝食セットAとB、お待ちっ!」
「おおっ! メシだメシだ! とりあえず食うぞー!」
 料理が来た途端そっちにかかりきりになる。
「あっ、ちょっとガウリイずるいわよ! あたしにもちょうだいっ!」
「何だよ、これはオレんだぞ!」
「くーっ! そういうケチケチしたこと言わないのっ! ……とかいいながらていっ!」
 手探りでつかんだフォークを、皿があるとおぼしき場所に突き立てるリナ。
 ちょうどそこに手を置いていたガウリイは、慌てて皿と共に両手を引く。リナのフォークがテーブルに突き刺さった。
「どぅわわわっ! なんつー危ないことをするんだお前は!」
「ちちぃっ! 外したかっ!」
「ちちぃじゃないっ! 料理じゃなくてオレの手に刺さってたらどーするつもりなんだ!」
「とりあえず治療かけて、『目が見えないのがこんなに不便なことだったなんてっ!』とか涙ながらに言ってみる」
「……悪魔か……おまいは……」
 げんなりと呟くガウリイの前から、ふいに皿が1つ消える。
 彼が思わず目で追った先には、何やら不穏な空気をただよわせているアメリアがいた。
「ガウリイさん……リナ……食事してる場合じゃないわ……」
「焦ったってしょーがないでしょ。ここで詳しいこと話すのもなんだし、今は体力を蓄えておくのが最良の手段だと思うけど?」
「そ……それはまぁそうだけど……」
「だ・か・ら! あたしにも食事っ!」
「ただ食べたいだけなんじゃ……」
「食事」
「でもなんか毎回こうやってリナの意見に流されるのも……」
「食事」
 目を閉じたまま淡々と迫られるのはなかなか怖いものがある。
 額からジト汗をたらしたアメリアは、リナの気迫に負けた。
「分かったわ……これをあげるから食べて……」
「ありがとアメリア♪」
「あげるっておいっ! オレの鴨っ!」
「にょほほ〜! 見えないけど鴨なのね〜! らっきぃ!」
 リナの前に皿を置いて、アメリアはすごすごと席に戻る。
 さすがに今のリナから奪い返すのは気が引けるのか、『鴨……』と呟きながらもガウリイは手を出さなかった。
 リナは、とりあえずテーブルの上に手を這わせて皿の形を確かめる。大きさ、厚さ、形状などが分かれば大体料理が載っている場所も想像がつく。それでも普段のスピードを出すことはできず、迷いながらフォークを突き立てた。
「んっ? ちゃんと刺さったかな?」
「おう……刺さってるぞ……」
「よぉし! いっただきまーす!」
 リナは、手間をかけてたどりついた分だけ、勢いよくかぶりついた。
 だが。
 皿を確かめただけでは鴨がどんな形で切られているかまで分からない。不幸なことに、それはかなり大きな一切れだった。
 一口でくわえることができず、びしっと口の回りに骨を当ててしまうリナ。
 はっきり言って、あまり見栄えのいい光景ではない。
「……おっきひのね……」
「……まーな……」
 鴨を皿に戻し、口元を手で覆ってぱたぱたテーブルの上を叩くリナ。
「何だ? 何がいるんだ?」
「ナプキン……」
「ああ、ほい」
 ひょいと取り上げたナプキンを、ガウリイがリナに渡す。リナはそれでこそこそと口を拭った。乙女を自称するリナとしては、かなり恥ずかしい事態である。口元を汚しながら食事するなどと、子供のようではないか。
 一同に、困ったような沈黙が流れた。
「リナ……」
 そんな中、なぜか目を輝かせたのは、アメリアである。
「わたしがっ! 愛をもって! 世話してあげるわ!」
 盛り上がるアメリアに、リナは強く拒絶の言葉を言い放つ。
「いらんわっ!」
 だが、そんなことでくじけるアメリアではなかった。
「遠慮しないで! 困った時こそ助け合うのが仲間ってものよ! リナとわたしは仲良しでしょ!」
「そそそそんな寒気のするよーなこと言うなぁ!」
「だって、そのままじゃ生活できないのは確かじゃない。ほら、恥ずかしがらないで、あーんして」
「ひぃぃぃぃっ! やめてぇぇぇぇっ!」
 リナは悲鳴を上げて椅子ごと後ずさる。
 鴨を突き刺したフォーク片手に、アメリアはにこにこと迫っていく。
「リナ、あーん」
「絶対、ヤ」
「魔族に対抗するために体力つけなきゃいけないって言ったのはリナでしょ? それとも、ガウリイさんにしてもらう方がいい? テレージアさんにしとく? ゼルガディスさんでもいいけど」
 おれはいやだ、というゼルガディスの震えた声に、アメリアは頓着しなかった。
「わたしがこの役を買って出たのは、あくまでリナのため! わたしの正義がそうしろと告げているからなのよ!」
 一応まともな理屈らしきものを並べるアメリアに、リナの声は多少弱くなる。
「……ただあたしをからかって遊びたいだけでしょーが……」
「ま・あ・ね♪」
「だぁぁぁぁ! あんたはぁぁぁぁ!」
「隙ありっ!」
「うっ、むぐっ!?」
「ちゃぁぁんとよく噛んで食べてね♪」
「やめひぇぇぇぇ……」
「次は何がいーい? しっかり食べさせてあげるからね」
 もう、こうなっては口を出せる人間などない。
 その食事の間、リナがアメリアの玩具と化したことはもう言うまでもないだろう。

 

 地獄絵図のような食事が終わり、現在、リナは幼児よろしくアメリアに手を引かれながら村の中を歩いている。仲良く手をつないで歩く娘の2人連れに、好奇の視線が向けられるが、アメリアはお構いなし、リナはそれどころではない。
 ガウリイもついていこうかと言ったのだが、リナが断った。こういう状態になったとはいえ、テレージアの護衛の仕事は続行中である。護衛が雇い主を放り出していくわけにはいかない。ならテレージアも行けばいいという考え方もあるが、リナが足手まといと化している今、2人の守るべき人間を連れて歩くほど彼らは無謀ではない。
 そういう経過で、アメリアとリナ、2人きりでの外出となったわけである。
 ちなみに、外出の理由は買い物である。状況が変われば、それをフォローするために必要になってくるものもあるのである。
「けど、この村に魔法道具屋なんてあるのかしら……」
「さぁね」
 リナは軽く答える。
「なかったら、雑貨屋で構わないわ。宝石の護符だったらいくつか持ってるし……あたしが自分で組み込むから。間に合わせだけど、仕方ないでしょ」
「へええ。リナ、そんなこともできるんだ」
「まぁぁねっ」
 同年代の娘に手を引かれて歩く、というみっともない格好のまま、胸を張るリナ。
 幸い、その恥ずかしさは彼女には見えていない。
 辺りの通行人はじろじろと振り返っているが。
 アメリアはほのかに苦味を混ぜて笑った。
「実際……これでどうにかなるのかな」
「分かんないわよ、そんなの。でもやんないよりマシでしょ」
「リナが戦力にならないってのは、痛いわよね……」
「……う、それはまぁ、迷惑をかけるわ」
「いいのよ。……って、そうよ」
 ふと立ち止まったアメリアの背中に、リナは衝突する。
「ふぐっ! ちょっとアメリア! 急に立ち止まらないでよ!」
「あ、ごめん。それよりリナ。あなた、何も無理に付き合ってくれなくてもいいわよ」
 アメリアの口調からからかう色が消える。
 自然、リナも立ち止まって表情を改めた。
「考えてみれば、もともとあなたはこの件に何の関わりもないわ。わたしは公務みたいなものだし、ゼルガディスさんは初めから写本を探してた。テレージアさんには家の都合がある。でも、リナとガウリイさんはただ仕事を請けただけでしょ? 彼女の護衛は不履行ってことになるけど……こうなったらそれも仕方ないんじゃない? 仕事中の怪我のため、ってことなら充分契約破棄の理由になると思うけど……」
「分かってる」
 リナは微笑んだ。
「でも、あんたもゼルガディスも、知らない仲じゃないし。テレージアにだって事情があるのを知ってる。確かに今のあたしは戦闘に関しては足手まといかもしれないけど……おいしいオプション付だし」
「オプションって……ガウリイさん?」
「そ」
 アメリアは顔をひきつらせる。
「その言い方はあんまりじゃあ……」
「だって、あいつはあたしの自称保護者だしねー。あたしが戦線離脱となれば、当然一緒に抜けるでしょ? 何しろ今のあたしは1人じゃ歩くこともできないんだもの。悔しいけど、今こそ保護者が必要よ。つまり、あたしの選択には自動的にガウリイの選択もくっついてくるわけ」
「まぁ、そういう意味では確かにオプションと言っていいかも……」
「それに現実問題として……あんたたちと一緒にいないと、元凶の魔族ともう1度会う機会もなかなかないでしょーし……」
「それは、確かに……」
 呟いて、アメリアは苦笑した。
「こんなことになっても、リナはリナね」
「あったり前でしょ!」
 アメリアが歩き出したので、手を引かれてリナも再び足を動かし始める。
「たとえ目が見えなくなっても、見境なく食べるのはやめない! 周りが気を遣ってても本人は気にしないでいつもどーり! 安全な道を選ぶのは大嫌い! それでこそリナって気がするわっ!」
「やかましーっ!」
 目の前を歩いているはずのアメリアを、目測でどつこうとするリナ。
 それこそ、本人は気にせずいつもどおりの行動、という言葉の見本である。
 ところが、アメリアはそれをきっちりと予測していた。さっと手を放し、体を捻ってリナの攻撃を避けるアメリア。
 そして。
 リナの拳はたまたまそこを通りがかったいたいけな子供に当たった。
「いってぇぇぇ! 何すんだよばばあ!」
「んまああああうちのボクにいきなり何するざます!」
「あ、あれ間違えた? えええとこの辺かっ!」
 微妙に場所をずらした拳は、騒ぎの気配に立ち止まった好奇心旺盛な若者に当たった。
「な、何だよこのちくしょうめ! 俺を誰だと思ってやがるんだ!」
「あっれぇぇぇ? また違った? この辺かな?」
 アメリアは、我関せずと他人の振りを決め込んでいた。
 騒ぎが大きくなるのに、さほどの時間はいらなかった。
 ……静かで小さな村は、その日、何年かぶりにお祭り騒ぎというものを体験したという。

 

 ぼろぼろになったリナと、後にしっかり巻き込まれたアメリアは、宿の扉を開けながらそのままぱたりと倒れた。
「たーだーいーまー……」
 穏やかな食堂の時間は、3度さえぎられた。
 小さな村に暮らす人々は、怪我で倒れる人間などというものを滅多に見ることがない。それが若い女2人となれば、大事件である。
 午後のお茶を楽しんでいた連れの3人ですら、彼女たちの変わり果てた姿を見て思わず腰を浮かせた。
「リナっ! アメリアっ! どうしたっ!」
 真っ先に駆け寄ったのは当然、ガウリイである。
 リナを抱き起こし、傷の具合を確かめるように体へ視線を走らせる。だが、せいぜい擦り傷と打ち身くらいのものである。服はもみくちゃになってひどい状態だったが、怪我自体は彼らの日常からすれば何ということもない。
 一緒に確認したアメリアの方も、疲れてはいるようだがかすり傷である。
「リナさん! アメリアさん! どど、どうしてこんな怪我してるのっ?」
 1人うろたえているのはテレージアだが、男性陣2人は不審そうな顔を見合わせるばかり。
「……何があったんだ?」
「ちょっとね……喧嘩に巻き込まれたのよ」
 疲れた声で呟いたのは、自分で体を起こしたリナである。
「巻き……込まれた……?」
 低い声でアメリアが唸る。
「その喧嘩を起こしたのはリナでしょっ! 何他人事みたいな言い方してるのよっ!」
「人聞きの悪い! あたしはちょっとしたコミュニケーションであんたをどつき倒そうとしただけぢゃない! それがたまたま通行人のみなさんに当たっちゃったりしたくらいで、みんながいきなし怒り出してあーなったんでしょーが。あんたが悪いっ!」
「今の話でどこをどーしたらそーなるのよっ!」
「あんたが避けなきゃよかったんでしょー!」
「ムチャクチャだわ!」
 ぽりぽり、と頭をかいてガウリイが立ち上がる。
 テレージアは何やら遠い目をしている。世の中について嫌な学習をしてしまったかもしれない。
 ゼルガディスはといえばとっくに席へ戻っている。
「旦那の体力の方がまだ回復してないんじゃないか?」
「ああ、まだ何か体が重い感じがするんだよなぁ」
「やはり、もう少し滞在していくか」
「いや、でも急ぎの旅だろ? 何とか付いてくさ」
 テーブルから、ゼルガディスが扉の方を振り返る。
 リナとアメリアは、まだ床に座ったまま言い合いをしている。
「リナ」
 呼ばれると、一応リナは声の元をさぐって顔を向けた。
「お前は、これからどうする」
「一緒に行くかってこと? 行くわよ、さっきアメリアとも話してたんだけど」
「本気か。その体で、歩けるのか?」
「だいじょーぶっ」
 リナは不敵に唇の端を上げる。
「乱闘に巻き込まれたおかげで、ずいぶん人の気配を読むのに慣れたわ。帰りは、なんと手を放したまま歩いて来れちゃったんだから」
 もともと、リナは人の気配を読むことに長けている。目と感覚の両方を使うことに慣れていたから戸惑いがあったのだが、半日揉まれたおかげで感覚だけを頼りに歩く方法を見つけ出していた。
 その言葉が事実であることを示すように、リナは立ち上がった。そのまま、ゼルガディスたちの方に向かって真っ直ぐ歩き出し……椅子につまづいて転びそうになった。
「……おい……」
「い、いやぁ気配がないものはちょっと……」
 決まり悪く頭をかくリナ。
 本当に来るのか……と、ゼルガディスが呟いた。

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