動き始めた空 6

 荷物をまとめ、彼らは翌朝早く宿を発った。
 ゼルガディスが先頭を行き、その後にテレージアが歩く。アメリアはリナのそばについて、いつでも助けになれるように気を配る。しんがりはガウリイが守った。
 リナは、自分で言ったとおりよく人の気配を読んだ。周囲を仲間が歩いているため、その気配を追うようにしてきちんと着いてくる。歩む様子だけ見れば、何の心配もないようにすら思える。だが、その集中を保ち続けることがかなり負担であることは少し考えれば明白なことだった。
 歩くだけで神経を磨耗させるリナのため、休憩はかなり頻繁に取った。それでもおしゃべりのリナが言葉少ななせいか、全体的に沈みがちの旅となる。ただの旅ならば普段と違う状況を楽しむ余裕もあっただろうが、敵を持つ今の彼らにとっては、それは危険なだけの行程だった。
 以前敵が襲ってきたのは、彼らから仕掛けたことではなかった。『魔王の僕』は追っ手のことを知っており、それを排除する意思があるということである。おとなしく進んでいれば安全だということにはならない。
 次の宿場町までは半日、遅くとも夕方には到着する予定である。盗賊の足取りを追っているにしてはゆっくりすぎるくらいの旅程だったが、大怪我をしたばかりのガウリイと視界の利かないリナを抱えてそれ以上早くは進めない。幸いにも、大きな遅れは出ていないようだった。道々でその情報を得て、彼らはより警戒を強めた。『魔王の僕』が追っ手を警戒して足を鈍らせている可能性が強かったからである。
 その理屈を説明した時、首をかしげたのはガウリイだった。
「しかし……そいつら、魔族なんだろ?」
「たぶんね」
 こういう時の説明役であるリナがうなずく。
「この間の戦いの時、炎の矢がまったく効いてなかったでしょ。あれをまともに受けて無事な人間がいるとは思えないわ」
「丈夫な人間ならもしかしたら……」
「もしかするかっ! ……いや、まぁ前に一緒に旅してた女魔道士辺りならもしかするかもしれないけど……でも彼女だって、一応吹っ飛ばされはしたわ。すぐ復活するけど」
「……その女魔道士って一体……?」
「聞かないで。噂してるとどこかから現れるかもしれないわ」
 本気で嫌そうなリナの表情に、とりあえず彼は沈黙した。
 代わりに口を開いたのはアメリアである。
「とにかく、リナが保障するほど人間離れした人でも、無事ではいられない……とすれば、連中が本物の人間外なことは自明よっ!」
「何かその言い方ひっかかるけど……ま、そういうことよ。詠唱なしで呪文発動させたりしてたしね。人間という器にある以上、どんな魔道士でも詠唱なしってのは不可能。つまり、人間の限界を超えた魔力容量を持っている存在なのは確かね」
「ふーん……よく分からんが……とにかく魔族なんだな」
「だから、たぶん、ね」
 常に複数の可能性を検討しているリナが、断定口調を避けるのは珍しいことではない。
 そして、ガウリイがその辺の複雑なところを適当に処理するのもまったく珍しくはない。彼はそういうものとして話を進めた。
「だとすると、オレたちずいぶん気に入られてんだなぁ」
「やめてくださいよぉガウリイさん」
「そうですよ、魔族に好かれるのなんかリナだけで充分です」
 テレージアとアメリアが顔をしかめた。
「いやだってさ、魔族の人たちがわざわざちょっかいかけてくるなんて、けっこう珍しくないか?」
「旦那の言うとおりだ」
 ゼルガディスがうなずいた。
「しかも、相手は人間の形をほぼ完璧に模倣している。どうやらそこそこ高位の魔族だ。それが人間ごときの追っ手をこうも気にするのは、妙だな」
 全員の視線がリナに向く。
 それを感じたのか、そういうわけでもないのか、リナは肩をすくめた。
「それ以前に、どーしてちゃっちゃと空間を渡っちゃわないのかって疑問もあるのよ。完全な人型が取れて空間移動ができない魔族ってーのが、そもそも妙よね」
「じゃ、魔族じゃないんですか!?」
 目を輝かせたのはテレージア。
「なんだ……違うんだ……」
 なぜか残念そうなのがアメリア。
「だーかーら。まだ決めつけるには早いって言ってんの。さっきから言ってるでしょ、『たぶん』魔族だって」
「中には空間移動が得意ではないヤツもいるかもしれんしな」
「そゆこと。……っと」
 話に夢中になって石につまづきかけたリナを、ガウリイが後ろから軽く支える。
「ゼロスのことはどう考える」
「それこそ単純に写本目当てで出てきたってのが1番ありそうだけど?」
「ヤツらの味方ではないという言葉を信じるのか?」
「あいつの言葉を信じる気なんかさらさらないけど、状況的にはそう思った方が納得いくわ。前に聞いた話だと、ゼロスは写本を焼くために動いてるわけでしょ? でも『魔王の僕』の連中は焼かずに持ち去った。今も、焼いたり処分したりした様子はないし、取り返そうとしている追っ手、あたしたちだけど、それを迎撃しようとしてる……つまり、別の目的で動いてる別の集団なんじゃないかっていう可能性が高いわね」
「ふん……なるほどな」
 言ったゼルガディスが、ひたりっと足を止めた。
 後続もそれに合わせて歩みを止める。
「推理大会はこのくらいにしようか」
「そうそう、頭ばっかり使ってないで、そろそろ体を動かしたいところだよな」
 ガウリイが言葉を継ぐ。
 それぞれがさりげなく足を開いて構え、テレージアはびくりと体を震わせた。
 森を切り開いた街道の真ん中である。特に枝道のようなものもなく、見渡す限り同じような風景が続いている。
 しかし、先ほどまでそこには小鳥の鳴き交わす声が響いていなかっただろうか。彼らの誰かがそれを疑問に思った。いつの間にか周囲は静まり返り、森の中に棲む小動物たちがみな何か怖ろしいものを避けて逃げ出してしまったように思える。
 耳に痛いほどの沈黙が森を満たしていた。
 テレージアとリナを中心として、円状に陣形を組む。
 鍔鳴りの音がしたのは、藪の中、ちょうどアメリアの正面だった。
「アメリアっ!」
 キンッ!
 聞き惚れるほどに鋭く高い音がして、アメリアの前で2つの剣が組み合った。
 咄嗟にガウリイがフォローに入ったのである。
「お前か……」
 それは、笑ったようだった。
 黒く染めあげた包帯で全身を覆ったそれは、体格からするとどうやら男である。目元や口元などわずかにのぞいている部分も、歯に至るまで染料で真っ黒に塗りつぶされている。隠密行動と鋭敏さを売りにしているように思える身軽な装備だが、その黒い剣はガウリイに力負けしない。
 いや、むしろじりじりと押されているのはガウリイの方だった。人間離れした腕力である。
「烈閃槍!」
 剣を組み合わせたまま動けない黒包帯に向かって、アメリアが用意した術を解き放つ。
 黒包帯が舌打ちをして飛び退り、呪文は宙を裂く。
 その隙を逃すガウリイではない。胴を狙って素早く閃かせた剣を今度は黒包帯が受ける止める形になった。技とスピードはガウリイに分がある。有利な形で噛みあった剣は、先ほどと逆に黒包帯を押していた。
「烈閃槍」
 ゼルガディスが時間差をつけて同じ術を放つ。
 しかし、それは黒包帯に届く前に弾けるような音を立てて消えた。
「同じ手はやらせん……」
「黒妖陣!」
 言いかけた言葉をさえぎるように、リナが呪文を解放した。それはガウリイのいる場所とは反対の方向で炸裂する。
 あわてたように体を引いたのは、やはり黒装束をまとったもう1人の襲撃者である。
「同じ手なんか使うわけないでしょ」
 リナは唇に笑みを刻んだ。
 そのリナの前を塞ぐように、ゼルガディスが立ちはだかる。言うまでもなく、リナの視覚的な壁となるためだ。
「くく……前回とは違うと言いたいわけか」
「そういうことよ。グンゼウム……だったっけ?」
 グンゼウムはにやりと笑った。
 同じ黒装束といっても、黒包帯に比べればずっと布地が多い。ぴったりしたスーツの上から、裾が短冊状に開いたローブを羽織っている。顔を黒く細い布で覆っているところだけが、黒包帯とほぼ同じだった。
「人数を増やしたところで、犠牲者が増えるだけのことだがな……」
「決めつけるのは早いわよ」
「おとなしく退く気はない……ということだな」
「当っ然!」
 問答の間に唱えた呪文で、ゼルガディスの剣に赤い輝きが宿る。
「ほぅ……魔力付与か。なるほど、ただの人間にしてはやるな。やはり……放ってはおけんようだ」
 グンゼウムの両手に白い光が宿った。

 

 戦いは、二方に分かれていた。
 黒包帯と鍔迫り合いを続けるガウリイ。そして、グンゼウムと魔法を応酬する残りのメンバー。戦力差があるようだが、そうせざるをえない事情があった。
 まず、テレージアは戦力にならない。常にリナの前にいて彼女の目が開かないことを悟られないようにするくらいのものである。
 彼女たち2人のフォローをするために、ゼルガディスとアメリアのどちらかがそばにいなくてはならない。空いた方もあまり突出するわけにはいかない。リナの呪文がほぼ当てずっぽうで放たれているため、接近戦をすれば巻き込まれる恐れが出てくる。そうなれば、リナがほぼ完全に無力化することになる。
 グンゼウムは、呪文詠唱のタイムラグを利用して後列と前列双方へ攻撃を加えてきた。
 リナはまだしも、テレージアには避ける能力も落ち着きもない。そちらに気を取られ思い切った攻撃のできないゼルガディスたちにしても、動きが鈍い。戦線は膠着していた。
 そう、グンゼウムが前回とまったく違うリナの攻撃パターンに不審を覚えるまで。
「こんなものだったか……?」
 顔を覆った布のせいで表情はうかがえないが、声に戸惑いの色が混じる。
「あら、こっちに一撃も加えられないくせに、ずいぶんな言い様ね」
 強気に言い放つリナ。
 この態度があったからこそ、グンゼウムが異変に気付くのは遅れた。だが、冷静に見ればリナは口ほどの攻撃をしているわけではない。小技で彼の気を逸らすなどして、あくまでゼルガディスとアメリアをたてた戦い方をしている。前回の戦闘ではどちらかというと進んで突出し、一発で勝負を決めたがるタイプだったように、彼は見ていた。
 少なくとも今の消極的な戦法は、どこかに違和感がある。
「ふむ……まさか、とは思うが」
 グンゼウムは声を張り上げた。
「相棒! 長髪の小娘を狙え!」
「な……っ」
 黒い疾風がガウリイの横を駆け抜けた。
「くっ」
 ゼルガディスのカバーは間に合わない。振り向いたリナは、腰から抜き放ったショートソードで黒包帯の剣を受けた。
 勘と風の音から無我夢中で差し出した刃は、幸運にも彼女の命を助けた。しかし、ガウリイを押すパワーに対抗できるわけもない。
 あっという間に額へ肉薄した剣を退けたのは、追いすがったガウリイの攻撃だった。
 黒包帯は大きく跳び退る。
 だが、その一瞬は黒包帯がリナの顔を見るのには充分すぎるほどの時間だった。布から覗いたその口元ははっきりと笑みを浮かべていた。
「なるほど……目を、どうにかしたか」
 グンゼウムの唇もまた、それを聞いて吊りあがる。
「そういうことか……」
「くそっ」
 勢いよく突っ込むゼルガディスの剣を避けて距離をあけ、グンゼウムは吠えた。
 それを合図に、無数の光の矢が出現する。
 シャワーのように降り注ぐ矢から、ゼルガディスとガウリイは軽い身のこなしで身をかわす。しかし、テレージアはもとより、リナには視界がなく、避ける手段がない。
 咄嗟にアメリアと2人がかりで風の結界を張る。いくつかが間に合わずに彼女たちの足元を叩く。幸い数の分だけ狙いが甘く、何とか初弾は不発に終わった。
 間髪いれず第二波が放たれる。
 よけるのに手一杯で、彼らは攻撃に移れない。グンゼウムもそれ以上のことができない。普通ならそこでどちらかが焦れて動いていただろう。ただ、リナたちの側には、幸運に期待せねば避け続けることすらできないメンバーがいた。
 さらに黒包帯が自分の魔法耐性を利用して突っ込んでくる。
 リナは、風の結界を放り出してそちらに対応せねばならなくなる。ガウリイのフォローがあり、当たることはない。だが、結界が弱まった隙に光の矢が降り注ぐ。
 ゼルガディスが舌打ちした。
「ガウリイ! リナとテレージアを連れて逃げろ!」
 このままでは攻勢に移れない。それは、彼らの誰もが感じていることだった。
「アメリア、2人で持ちこたえるぞ」
「はいっ!」
「おやおや、そう上手く行くかな?」
「黒霧炎!」
 アメリアの声に応えて、辺りが闇に閉ざされる。
「何っ!?」
 リナはすぐそばにいるはずのテレージアの手を取った。
 彼女はすっかり怯え、体を小さくしていた。
「……逃げるわよ」
 闇が有利なのは、相手も同じである。一瞬の躊躇を誘った後には、気配を殺した攻撃が襲ってくる。その一瞬を逃さず、リナは口の中で素早く翔風界の呪文を唱えた。
 全員で逃げることもできない。
 その無力を強く感じながら。

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