最強の男 2 - 現在

「ガウリイっ!」
 怒ったような怒鳴り声がした。
 瞬きをすると、ここ数日で見慣れてきた天井が見えた。
 ガウリイはぼんやり目をこする。怒鳴られっぱなしの人生だなぁ、と思った。
「やっと起きたの?」
 ベッドの横で呆れたように腰に手を当てていたのは、あの日の兄と同じくらい小さな体の女の子だった。
「んー、おはよう」
「おはよ。珍しいじゃない、起こしにくるまで寝てるなんて。夜更かしでもしてたの?」
 言いながら彼女はベッドの端に腰を下ろす。
 無造作に手を伸ばして彼の額に触れ、首をかしげる。
「別に熱があるってわけじゃなさそうね。もう起きなさいよ」
「ああ。ちょっと変な夢を見てたんだ」
「へぇ」
 興味のなさそうな相槌を打って、彼女は立ち上がった。
「夢もいいけど、早くしてね。結婚式を忘れたわけじゃないでしょうね?」
「さすがに忘れないぞ、いくらオレでも」
「あそ。そりゃけっこうね」
 ひらり、と手を振って彼女は小柄な体を扉の向こうに消そうとした。
「リナ」
 呼ばれて、リナは振り向く。
「なあに?」
「いや……がんばろうな」
 リナはそれを聞いてしばらく沈黙し、やがてニヤリと笑った。
「そうね。せいぜいがんばってちょうだい」



 教会の中はすごい人出だった。
 神聖だの静謐だのという言葉は、闇の彼方へ葬り去られていた。シートをひいて陣取った人々が、それぞれに飲み物食い物を持ち込んで式の次第をやいのやいのと見守っている。
 魔法で拡声した神官が聖書を読み上げるのを壇上で聞きながら、ガウリイは冷や汗をかいていた。
 彼は一般知識に非常に乏しい。結婚式についてもおぼろな知識があるだけである。
 しかし、彼の知っている結婚式はいくらなんでもこういうものではない。
 大体にして、初めて教会に入った時も妙な感じを受けたのだ。当日である今日の前にも、式の進行を教わるために何度か教会を訪れている。その時気になったもの、それは聖堂の周縁に作られた客席だ。
 客席はまるでコロセウムの観客席のように1段高い場所へ作られている。一応前に来た時は普通の長椅子もおいてあったのだが、なぜだかそれは今ない。撤去されたらしい。
 何もかもがおかしい。
 考えてみれば、神官の前にある台はやけに大きい。目の前に立っているガウリイでさえ、ほとんど神官の頭しか見えない。高いところにある客席からならばそれで不都合もないだろうが、本来聖堂にいる人間に話しかけるものではないのだろうか、神官は。
 これではまるでバリケードだ。
 そう思って、さらに体温が低くなる気がした。
「それでは、花嫁をここへ」
 言った神官の声も低くなった。
 次の瞬間、ガウリイの悪寒は現実味を帯びた。
「これは浄められた聖剣です」
 などと言ってがっしゃんとばかり台の上に置かれたのは、どう見てもただの剣が2振りだった。
 扉が開く音がして、父親に手を引かれた花嫁が入ってくる。
 聖堂の盛り上がりは最高潮になった。
「待ってましたっ!」
「おおっ! オヤジさん戦意充分だね!」
「いやぁあんな綺麗な花嫁をとられるんじゃあねぇ」
「あ、あれがリナ=インバースか!? 影武者じゃねーのか!?」
 最前列でにこやかにぽくぽくと手を叩いているのは、見まごうことなくリナの母と姉である。
 よくよく耳を澄ますと、危険を察知するため鍛えられたガウリイの聴覚には、彼女らの声がかすかに聞こえてきた。
「父ちゃんとガウリイさん、どっちが勝つかしら?」
「あらあら、いくらお父さんが強かったといってももう年だからねぇ」
「でもガウリイさんよりやる気があるみたいよ」
(勝つ!? やる気!?)
 悪寒は着実に本物の汗を呼んでいた。
 台の上の剣を見、ニヤニヤ笑いながら近づいてくるリナたち親子を見、ガウリイは思わず叫んだ。
「聞いてないぞーっ!?」
「言ってないもん」
 リナが微笑んだ。
「これより、神に見守られた場所で花嫁の奪い合いを行います」
「受け渡しじゃなくてかっ!?」
 ツッコミをいれても、神官は涼しい顔だった。
「奪い合いですよ、ガブリエフさん」
「どこの神さんが花嫁の奪い合いをさせるんだっ!?」
「ゼフィーリアの神でしょう」
 そりゃ暴力の神か、とガウリイは思わず内心呟いた。
「さ、さすがリナの故郷……」
「どーいう意味よっ!」
 花嫁姿のリナがすかさず怒鳴る。
「どーいう意味も何も、そのまんまだっ」
「結婚式の式場で死にたい?」
「イヤだ……だが、結婚式の式場で花嫁の父と殺し合いをするのもイヤだっ!」
「わがまま言わないの!」
「これのどこがわがままだっ!」
 ちりんちりん、と法廷の木槌の代わりに聖杯が鳴った。
「これこれ、夫婦喧嘩は夫婦になってからなさい」
 会場がどっと沸いた。
 リナはわずかに赤くなって、頭をかく。
「ま、そりゃそうね」
「話はついたか、おい」
 どう見てもリナの父親には見えない黒髪の男がひょいと進み出て、台の上の剣を手にした。
「どの程度のもんになったか見てやるぜ、天然」
「やるのかよ、ホントに……」
 返事は会場中から一斉に来た。
「やれーっ!」
「……やるのかよー」
「これがゼフィーリア式でいっ!」



 会場は割れるような歓声に揺れた。
 巻きこまれないよう避難していたリナが、ひらりとバリケードを飛び越えてくる。
 彼女がけ寄ったのは、教会の床にぺたりと尻をついた父親のところだった。すっきりしたような顔で笑っているが、その腕からは血が滴り落ちている。
 ガウリイは剣を鞘に納めた。
 結婚式に臨むのとは質の違う緊張が体を満たしている。
 階上の客席からはリボンや花吹雪が降っていた。
「救護班!」
 騒音の中、リナが凛とした声を張り上げる。もちろん彼女自身父親に治癒をかけはじめている。
 ガウリイはゆっくりと彼に近づいた。
「悪かったなおっさん。手加減できなく……」
「それ以上言うんじゃねぇ!」
 彼は黒髪をわしわしとかく。
「ったくこのボケが。てめぇに謝られたらこっちがみじめになるだろが」
「まぁそうだな」
「あん? わざとか? わざとか!?」
「え? いや、そうじゃないって!」
 実際、彼は強かった。
 彼がもっと若いか、あるいはこれが実戦だったならこうはいかなかったかもしれない、とガウリイは思う。
 剣技の差はさほど大きくない。しかし体捌きにおいては若いガウリイに圧倒的な分があった。彼は年の分と性格の分、ガウリイより戦術のバリエーションがあるかもしれないが、平らで広い教会の中では奇策を用いることもできない。巻き込んではならない人々もいる。
 畢竟、勝負は純粋な技比べとなった。
 結果は、ガウリイの順当勝ちだった。
「おいてめぇ、俺に勝ったからって図に乗るのは早ぇぞ。次は娘とやってみるんだな」
 ガウリイはぽり、と頬をかいた。
「いや……一応、リナには勝てると思うが」
「当たりめぇだ! 誰がリナのことを言ってんだよ、ルナだよルナ!」
「ああなるほど、ルナさんか。今度やってみるよ」
「てめぇ……俺はおっさん呼ばわりで、ルナは『ルナさん』か……?」
「だって……なぁ?」
 と泳がせた視線の先では、リナの目が『姉ちゃんに失礼なこと言ったら殺ス』と宣言している。
 そのリナは、待機していた救護班に後を任せて立ち上がったところだった。
「とにかく、式を続けてもいいんだよね父ちゃん?」
 父はうざったそうに手を振った。
「持ってけこの泥棒」
「そうか? じゃあありがたく」
 ガウリイが手を差し出すと、リナは小さく笑って白い手袋に包まれた指先を預けてきた。
 ガウリイの礼服はすでに皺だらけになっているが、リナは別人のように洒落込んでいる。暗い色の服を好んで着る彼女が純白のドレスに身を包んでいるだけで、ずいぶんと印象が違う。
 細い指を引いて壇の前に戻りながら、ガウリイはふと口を開いた。
「なぁ、あれ負けたらどうなってたんだ?」
「延期よ、結婚式」
「なにぃ!?」
 リナはけろりとしている。
「本当は何でも道具を使っていいことになってんの。普通はじっくり作戦を立てて、万全の態勢で戦うものよ」
「剣の試合になったのは……」
「父ちゃんの趣味」
 そりゃあずいぶんなハンデじゃないか、とガウリイは内心汗を流した。
「ぶっつけでもあなたなら勝てるだろうっていうのが、うちの家族の意見でね」
 リナは軽くウインクした。



「ガウリイ=ガブリエフ。汝は、このリナ=インバースを妻とし、病める時も健やかなる時も、死が2人を分かつまで共に戦い続けることを誓いますか?」
「はぁ!?」
 すっとんきょうな声を上げたガウリイを、リナが肘でつつく。
「はいって言えばいいのよ! この馬鹿、恥かかせないで!」
「いや恥とかじゃなくて、今の、間違いじゃないのか?」
「ああ」
 普通の誓いの文句と違うことに気付いたらしく、リナはぽんと手を打つ。
「ゼフィーリア流よ」
「そうか……」
 こほん、と神官が咳払いをする。
「それではもう1度。ガウリイ=ガブリエフ。汝は、このリナ=インバースを妻とし、病める時も健やかなる時も、死が2人を分かつまで共に戦い続けることを誓いますか?」
「は、はい」
「リナ=インバース。汝は、このガウリイ=ガブリエフを夫とし、病める時も健やかなる時も、死が2人を分かつまで共に戦い続けることを誓いますか?」
「はい」
 神官は満足そうに微笑んだ。
「それでは、誓いの握手を」
 ガウリイは思わずツッコミを入れたくなったが、何とかこらえた。
 これがゼフィーリア流らしい。
 お互いに手を差し出し、握手を交わした。
 軽くふれただけの手を、リナが一瞬強く握り、放す。
 ガウリイが微笑んだときには、彼女の顔は神官の方に向いてしまっていた。
「これより2人は神の結びたもうた夫婦となります。なんぴとも2人を裂くことはできません」
 辺りに暖かい拍手が満ちた。

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