最強の男 3 - 過去

 ガウリイは走っていた。
 彼の小さな体には、抱えた剣が重い。子供用にあつらえたおもちゃのような剣ではない。本物の剣士が使う、剣だ。それも伝説級の剣だった。
 息が切れる。足がもつれる。
 稽古のランニングとは比べ物にならないほど辛い。稽古と違って誰も「止まるな」とは言わないが、彼の中の何かが代わりに言っていた。「急げ」と。
 通りを抜け、人ごみをすり抜ける。身長の半分よりも大きな剣を持つ子供に、道行く人々は驚いたような顔で振り向く。しかし、彼らに構っている暇などガウリイにはなかった。
(待ってろよ……!)
 ガツン、と剣の鞘が曲がり角に当たった。
 足を取られて彼は膝をつく。ざり、と嫌な音がした。
 それでも彼はすぐに起き上がって走った。
(オレが行くまで、待ってろよ!)
 薬屋の角を曲がって、さびれた通りを道が尽きるまで走り抜ける。
 行き止まりを右に折れたところに、誰も住んでいない廃屋がある。
 高い板が張り巡らされた庭を回って、裏側にある亀裂へ急ぐ。はがれた板で蓋をした入り口から中へ侵入する。
 日が落ちようとする夕暮れ、家の中は暗い。鎧戸の崩れ落ちた窓から入って居間へと足を向けた。
「よぉ、来たなお坊っちゃん」
 にやにやと笑っていたのは、少年というより大人と言えそうな男たちが3人だ。それも、町の不良などではない。武装した旅人姿である。
「ガウリイ!」
 彼らに囲まれて泣いていたいた子供が顔を上げる。
「セディ、大丈夫か!?」
 セディは首がもげそうなくらいの勢いで何度もうなずく。
 彼はガウリイよりもさらに幼い。手足も細く、荒事には向いていない。男のくせに情けないと、近所でもいじめられることの多い子供だ。
 だが、いじめと言っても子供の社会でのこと。大人3人に拉致されるような理由はない。
「それが、光の剣か」
「約束どおり、持って来たぞ!」
「よしよし、いい子だ。自分のためにお友達がこんな目にあってるんだもんなぁ。勇者の子孫としちゃ、当然の行動、ってか?」
 リーダー格の男が言って、残りの2人は笑った。
 ガウリイはぎりりと歯を食いしばる。
 今まで、セディがいじめられるたびガウリイは代わりにその相手と喧嘩をしてきた。相手が3人だろうが4人だろうが、同世代でガウリイに敵う者はいない。町内の剣術大会で7歳にして優勝を飾ってから、今まで彼は誰にも負けたことはなかった。大の大人が相手でも、1対1ならばたいがい負けない自信がある。
 しかし、この相手はそこらにたむろす大人とは格が違う。
 多少腕に覚えがあるだけに、ガウリイは彼らの実力を感じることができた。
「じゃ、そいつを渡してもらおうか」
 リーダー格の男がぬっと太い腕を出す。硬そうな茶髪を短く刈り上げた、精悍な感じの若者だ。しかし、その目の鋭さが、差し出された手のひらの真ん中に走る深い傷跡が、普通の男ではないと伝えてくる。
 ガウリイは、光の剣をぎゅっと抱えた。
「見るだけだって言ってただろ」
 茶髪以外の男たちが爆笑した。
「見て、どーすると思ってたんだよ。お子様、一緒に並んで展覧会を開きましょう……ってか?」
「ガブリエフ様、これがかの有名な光の剣です。お手を触れないでくださいね」
 取り巻きたちの笑い転げる中、茶髪は苦く唇をゆがめた。
「悪く思うな。俺たちも今日のおまんまがかかってんだ」
 茶髪は、子供相手と油断をしていない。
 その眼光を受け止めるだけで、ガウリイの背には汗がにじんできた。
「……セディ、逃げろ」
 ガウリイはうなった。
「坊っちゃん相手にこんなことしたかねーよ。だが、そうも言ってられない」
 セディは震え上がって動かない。
 目立った怪我はなさそうだ。転がされた時のものか埃まみれになっているが、出血の様子はない。体のどこかをかばっている様子もない。
「逃げろ!」
「逃がすかってんだよぉ!」
 茶髪の右隣が、笑いながらガウリイを小突いた。
 ガウリイはたたらを踏む。倒れるほどのパンチではない。そもそも避ける気になれば避けられるものだった。しかし、抱えた剣を守るという使命と、茶髪のプレッシャーがそれを許さない。
「逃げろ! 逃げろセディ!」
「あははは! バカかてめぇ。大事な人質を……」
「逃がしてやったらどうだ」
 茶髪が面倒くさそうに仲間の言葉をさえぎった。
「兄貴……」
「大体な、俺は子供を人質にするようなやり方は好かねぇんだよ。この勇者かぶれのお坊っちゃんは、マジで剣を持って来やがった。それで充分だろうがよ」
「ま、まぁそりゃそうだけどさ」
「それとも何か、お前10も年下の餓鬼に人質取らなきゃ勝てねえってか」
「い、いや」
 取り巻きたちは顔を見合わせ、両側からセディの脇を取って立たせてやった。
「行けよ坊主」
「い、いいの……?」
「おい俺らの話聞いてなかったのかよ。んなことだからイジメられんだ。さっさと行けっ」
 セディは戸惑ったように周囲をうかがいながら後ずさった。そして、ふと男たちの注意がすでにガウリイにあることを悟ったのだろう。一目散に身を翻して駆けていった。
 足音だけでセディの行方を追い、しっかり建物の外に出たことを確認してからガウリイは息を吐いた。
「……で、お友達を逃がした勇者気取りの坊っちゃんよ。これからどうする気だ」
「知らん。考えてねーよ」
 茶髪は肩をすくめた。
「悪いが、餓鬼でも殴るぞ」
「おう。だけど、これは渡さないぞ」
「もらう」
「渡さねえよ」
「マジでか」
「当たり前だろっ!」
 茶髪は濃い眉を上げた。
「なら、1つ忠告をしてやる。マジで何かをやり遂げようと思ったら、手段を選ぶな」
 ガウリイは首を捻った。茶髪の言うことも、なぜそんなことを言うのかも、ピンと来ない。
「お友達を盾にしてでもお前は逃げろって言ってんだよ」
 今度の台詞は分かった。
「そんなのは、勇者のやることじゃないだろ」
 茶髪は笑った。それは、微妙に陰のある笑みだった。その笑みの意味も、ガウリイには分からなかった。




 町の自警団によってガウリイが自宅に担ぎ込まれたのは、夜半のことだった。
 家はパニックに陥っていた。
 家中に明かりがつきっぱなしになっている。使用人たちも家に帰らず、泊まりこんでいるようだった。
 半狂乱の母が飛び出してきた。
 ガウリイは自警団の男の背中から、ふらふらと顔を上げた。男が心得たように彼を下ろしてくれる。
 ガウリイは満身創痍だった。左肩の傷がもっとも深く、まだ血が止まっていない。左手の裾から、血がぼたぼたと落ちた。
「母さ……」
「剣はっ!?」
 母の声は、ほとんど悲鳴だった。
「光の剣は! 無事ですか、無事なんですか!?」
 別の男が剣を差し出した。
 その柄はガウリイの血でべっとりと汚れていた。
 母の細腕では支えきれなかったのだろう、剣を受け取った途端にふらりとよろめいた。
「あなた……」
 いかつい顔をした中年の男が出てきて、代わりに剣を手にする。
 鞘から刀身をすらりと抜き放った。留め金のところを針で押すと、刃が地に落ちる。
「光よ!」
 怒号に答えて、光の刃が現れた。
 一同から感嘆のため息がもれる。
 松明の明かりの中、光の刃が蛍火のように輝く。それは夢のように綺麗な刃だ。
 ガウリイは朦朧とする意識の中、それを見つめていた。
「……確かに」
 納得したのか、父は剣を納める。
 母が力を失ったようにくずおれ、いつの間にか来ていた兄がその手を取った。
「これは我が家の家宝。無事取り戻してくれて礼を言う」
 自警団の面々に対し無愛想な謝意を表すと、彼はガウリイを振り向いた。
「ガウリイ」
 ガウリイは少しだけ背を伸ばした。
 剣を守りきった。勇者の子孫としての使命を全うした。疲れと痛みの中でも、その誇らしさが彼の小さな胸を突いた。
 父の大柄な体がガウリイの前まで進んできた。
「この……馬鹿者が!」
 しかし彼に与えられたものは、厳格な父の声を震わせるほどの怒りと、容赦のない拳だった。
 どう、とガウリイは地に倒れる。
 茶髪の拳よりなぜかずっと痛い、と思った。
「ガブリエフさん!」
 自警団の男の抗議の声も父の耳には入っていない。
「なぜ、これを持ち出したりした!」
「……セディが」
 そのセディは、自警団を呼んできた張本人だった。大人たちの影に小さな体を隠している。
「息子さんはセディ君を助けに行ったんですよ。ごろつきどもがセディ君を人質に光の剣を持ってこいと迫ったようでしてね。いや、彼は立派ですよ。この年で友達も家宝も守り抜いたんですから」
 自警団の誰かが、ガウリイの代わりに説明してくれた。セディから事情を聞いたのかもしれない。
 それを聞いても、父の顔の強張りは解けなかった。
「それは運が良かっただけだ」
 ガウリイを見下ろす父の視線は憎々しげですらある。
「我が家の家宝は、そこらに何本も転がっているような名剣ではない。あの魔獣を倒すことができた、唯一の剣。我が家には、いずれ同じようなことが起きた時これを持って馳せ参じる使命がある。けして、金目当てのごろつきに渡してしまってよいようなものではないのだ」
 ガウリイには、父の言うことがよく分からなかった。
「そうは言っても、ガブリエフさん。この場合仕方がなかったと思いますよ。……ガウリイくん、今度こういうことがあったら、まず大人の人に相談しような」
 となりの男の言うことは分かったので、ガウリイはうなずいた。
「相談の必要などない」
 父は言った。凍るような声で。
「どんな犠牲を払っても、我が家はこの剣を守らねばならない」
「それはつまり……セディ君を見捨てても、とおっしゃっているのですか」
「1人の人間と引き換えにできるようなものではない」
 ガウリイは愕然として父を見た。
「……そんなの、勇者のすることじゃない」
「何か言ったか、ガウリイ」
 彼の声は小さすぎ、父の耳には届かなかったらしい。
 ガウリイはきっと顔を上げ、叫んだ。
「よく分かんないよ。オレは、セディを守るんだ!」
 セディは、人垣の隅で体を小さくしてすすり泣いていた。




 ガウリイがその夜外に出たのは、頭を冷やすためだった。
 彼は考えることが得意ではない。しかし得意だったとしても、その日の出来事は深く考えたくないことばかりだった。
 茶髪の男が言ったことも、母の態度も、父の言葉も。
 すべてがぐるぐると回って、どこにも結論を見出せず、ただ頭をいっぱいにした。
 こういう時彼ができることは1つだけだ。
 彼の得意なこと、それは体を動かすこと。飛び回って汗をかいていれば、何もかも忘れていられる。今までもずっとそうしてきた。
 ガウリイは庭の隅で黙々と木刀を振った。暗くて手元はよく見えないが、慣れた柄の感覚は彼に視覚を求めない。
 左肩の傷がぱっくりと口を開けたのに気付いたが、痛みは雑念を振り払う。
 右手1本で木刀を構える。血も痛みも切るように、剣を振り続けた。
 100、200と振って一息ついた時だった。
 彼は囲いの向こう側に人の気配を感じた。
 何も話さず、ただじっとしている様子である。通行人とは思えない。人が歩き回るような界隈でも、時間でもない。
 木刀を握りなおし、彼にできる限り足音を殺して庭を回りこんだ。
 外の道に出て、そっと角からうかがおうとした瞬間だ。
「遅えぞ、お坊っちゃん」
 頭上で何かがきらめいた。
 ガウリイは顔を上げることもしなかった。素早く飛びのき、同時に木刀で頭上を払う。
 手ごたえはなかった。
「いい反応だ」
 鍛えた体躯の男が笑った。町の人間ではない。
「だが、俺が声をかけなかったら殺られてたな」
「何だよ、知らないヤツに説教される覚えはないぞ」
 ガウリイは憮然として言った。
「おいおい、知らないヤツはないだろうが。何時間も殴りあった仲じゃないか」
「……知り合いか?」
 男はがくりと肩を落とした。
「おいっ! ほんの数時間で忘れるなよっ!」
「あ、夕方のヤツか」
「思い出したか……」
「オレ、人を覚えてるのって苦手なんだよ」
「そういう問題か……?」
 夕方、セディを誘拐した一派のリーダーだった。
 夜の闇の中では、顔立ちがはっきりしない。しかも取り巻きがいないのだから、3人セットで覚えていたガウリイに思い出せという方が無理な話だ。
「もー剣は持ってこないぞ。父さんに怒られたからな」
「ああいいさ。俺も仕事を失敗して解雇されちまったからな」
「カイコ?」
「クビになったってことだよ。お前、馬鹿だな」
「うるさいな」
 ガウリイは首をかしげた。
「クビになったってことは、剣がほしかったのは仕事だったからなのか?」
「そういうことだ。それも、断れない筋からの仕事でな。本来俺の好みじゃないんだが」
「他のヤツらは?」
「知ったことか」
「仲間だろ?」
「馬鹿言うな。たまたま一緒になっただけの他人だ。またどこぞにつまらない仕事でも探しに行ったんじゃねえか」
「ふーん。そんなもんか」
「気の合うヤツらとならつるんでもいいんだが、いけすかない野郎どもだったからな」
「そうかあ」
 ガウリイはしばし男を見つめた。
 男は旅支度を整え、大きな荷物を抱えている。すぐにも出かけるのかもしれない。自警団に追われて逃げ出したはずだから、本来まだ町にいるのも不思議なくらいだ。
 この町にも旅人はよく通った。彼のような荒事商売の男も、よく見かける。その時は、町の人々と明らかに違う雰囲気の彼らを不思議に思うだけだった。
 しかし、ガウリイはこの時初めて身軽な彼をうらやましいと思った。
「で、あんた何しに来たんだ?」
「何、ちょっとした忠告さ。お前がわりと気に入ったんでな」
「へー」
「本来こういうことは部外秘なんだが……お前、口は堅い方か」
「たぶんな」
「なら、覚えとけ。俺の依頼人はお前の知ってるヤツだ」
 ああまたよく分からないことを言い出した、とガウリイは思った。
 これは彼の頭には余ることだ。剣を振って追い出さなければいけない類のことだ。
「それ、秘密なのか?」
「そうだ、しゃべったのがバレたら俺は大変だぜ」
「クビにされて悔しいからって、嫌がらせかよ」
「んなことだけ頭回さなくていいんだよ! かわいげのない餓鬼だな!」
 男は声を殺したままわめき、舌打ちをした。
「いいか、これは終わりじゃねえ。生き残りたかったら強くなれ」
「よく分かんねえよ」
「分かるだろうが。俺がまだ戦る気だったら、お前は稽古の最中にこの世からおさらばだ。それが嫌なら、強くなれ。人の気配ぐらい読め。自分の気配は完璧に消せ。素早く動け。殺気に敏感になれ。怪我を放っとくんじゃねえ、命を惜しめ。毒の味を覚えろ」
「わ、分かんねえって! そんなにいっぺんに言われても!」
 男はひるまなかった。
 鋭い目で、低い声で、続けた。
「じゃあこれだけ覚えとけ。お前んちは危ねえ。死ぬ気で鍛えろ」
 男の手が、ガウリイの肩を掴む。怪我をして今もまだ出血するその傷を。
「い……いてぇっ!」
「忘れるなよ。この痛みを。命の危険ってやつをな」
「いてぇよ!」
 ガウリイは闇雲に木刀を振った。
 男はぱっと手を放し、身軽に飛びのいた。
「何だよ……危ないって言うんなら、オレも旅に出るよ! 連れてってくれよ!」
 男は笑った。
「馬鹿か。お前みたいな足手まとい連れてけるかってんだ。おととい来やがれ」
「あいつらとそんなに変わらねえだろ」
 夕方、彼らの決闘はほとんど一方的にガウリイがやられるばかりだった。しかし、リーダー格のこの男はともかく、他の男たちとそこまでの力の差はなかったのだ。
「あいつらじゃ話にならん、さっきそう言っただろうが」
 男は何の前触れもなくきびすを返した。
 そのまま後ろ姿が夜の闇に消えていく。
「もっと強くなったら!」
 ガウリイの声に、男は振り向かなかった。
 ただ、声だけを返してきた。
「強くなったら考えてやる。その時まで俺とお前が生きてればな」
 のんびり歩いているようで、意外に歩調が早かったのかもしれない。男の姿は、すぐに見えなくなった。
 どこかで張り詰めていたものが切れた。ガウリイは道端に座り込む。
「……いてぇ……分かんねぇ、分かんねぇよ……」
 肩から流れだしたものが、道に血溜まりを作った。
 この痛みは忘れない、そう思った。

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