『それでは、新郎新婦、初めての共同作業でーす!』
無事結婚式を終えて教会を出た後、舞台は町の広場へ、司会はリナの幼なじみを名乗る夫婦へと移っていた。
お色直しを終えたリナは、青いカクテルドレスに着替えている。シンプルな形のロングドレスで、上から羽織った半透明のショールがアクセントだ。
参列者はその姿を見て散々賞賛の言葉を投げていった。しかし、ガウリイにしてみればわざわざどうのこうの言うほどのことではない。リナがスカートを穿いている、その時点で『すごい』『驚いた』は使い果たした。
さて、そんなところに目をやって現実逃避をしていた彼だが、もちろん目前にあるものは見えていた。
『数多い豪傑を輩出した我がゼフィーリアの中でも、最強カップルではないかと噂されるお2人です! こちらとしても気合を入れて準備させていただきましたっ!』
魔法をかけた拡声器でわめいてる彼は、ガウリイたちからかなり離れた場所にいる。観客も同様だ。
もっともガウリイの近くにいるのが、花嫁であるリナ。
その次に近いのは、小山のような竜である。
『本当なら魔王竜をご用意したかったのですが、さすがのゼフィーリアでもカタート山脈に分け入って魔王竜を捕獲するのはちょっと遠慮させてもらいました! どうしてもって言うなら今からでも行ってきますが!』
「あんたじゃムリよ」
リナが明るい野次を飛ばす。
ついでに、目の前の竜が小さな炎を口元でぼっと吐く。まるで笑ったようだ。
『えー、これが当方の限界ということで、ご了承ください。こちら、おとなりのメリードシティで暴れていた黒竜さんです!』
遠巻きにした人々から歓声が巻き起こる。彼らの大半は、近所の建物から見物している。広場には、新婚夫婦と竜だけしかいないと言っても過言ではない。
いや、いるにはいる。竜の周りで必死に呪文を唱えている魔道士風の男たちが、5人ほど。
右隣の建物から身を乗り出した司会者が、存在を主張するように旗を振っていた。
『いやー大きいですね。かなりお年を召した黒竜さんのようですね! もー手に負えないということで、この黒竜さんにはメリードシティが賞金をかけております!』
「あら、シティが支払人だなんて、なかなかいいのを捕ってきたじゃない」
満足そうにリナはうなずく。
ガウリイは彼女のドレスの裾を引いた。
「あによ? ガウリイ」
「これ……恒例なのか?」
「もちろん、そうよ。やらない? 新婚夫婦、初の共同作業って」
「普通、普通これってもっと穏やかなことをする場面じゃないのか? キャンドルサービスとか、ケーキカットとか!」
「キャンドルサービスならあるわよ」
言って、リナは上空を指差した。
ガウリイはリナの指を追って空を見る。
「ないぞ、ろうそくなんか」
「は? あんな大きいのが見えないの?」
「大きいの?」
少し、視点を変えてみる。
空をせばめている背の高い建物が2つ、そして広場のシンボルのような石柱が4つ。
石柱の上には、何やら細い木が数本差し込まれている。キャンドル、というか松明のように見えなくも、ない。
「……リナの故郷だ……」
リナの腕が、無言でガウリイの背中に炸裂した。
『新郎はゼフィーリアが初めてということですので、ご説明申し上げましょう。お2人が見事黒竜さんを倒した場合、メリードシティからの賞金、およびご参列のみなさまからの見物料が、ご祝儀としてお納めいただけます』
リナはにこにこしている。
観衆の数は半端ではない。これだけの人数から見物料を取れれば、1人当たりの値段は安くても、全体としてかなりの額になるだろう。
加えて、シティを支払人とした賞金だ。それは機嫌がよくもなる。
『ただし、ご参列のみなさまに怪我人が出た場合、没収試合……もとい、披露宴の中止となります。建物を破壊した場合は、実費をいただきますのでご注意を』
「ちなみに、1つ聞いておきたいんだが」
さっそく腕まくりをしているリナに、ガウリイは力いっぱい重々しく尋ねる。
「中止の場合、ペナルティは……?」
「披露宴の準備代を弁償よ」
その答えに、力が抜けた。
「なんだ……その程度で済むのか」
「ただし!」
リナは指を1本立てた。
「準備会指定の場所で、夫婦別々に強制労働。準備代を稼ぐまで泊り込み、会うのも手紙も厳禁!」
「なにぃ!? 一体、何のためにそんなことをっ!」
「やる気を出させるためでしょ。いーい、失敗はナシよ」
「……おう」
ガウリイは腰の剣を抜いた。
その時、唐突に拡声器から女の声が流れ出す。
『あら、ここ竜のせいで足場が悪いわね。落ちちゃいそうだわ』
「ねーちゃん……?」
リナの声が強張った。
『わたしがここから落ちても、怪我人に数えられるかしら?』
『あ、はぁそういうことになりますね』
『まぁそう。あっ、危ない!』
「わーっ! わざと落ちるのはナシでしょー!」
司会の若者がいる辺りに向かって、リナが叫ぶ。
『やあね、必死になっちゃってリナったら。そんなにガウリイさんと離れるのがイヤなの?』
「そ、そ、そんなこと言ってないよっ! 別にあたしはガウリイと会えないからって……!」
『へぇ、そうなの。会えなくてもいいの。そーゆーこと言う子には、天罰が下るかもねー。きゃっ、こんなところに小石が!』
「ね、ねーちゃんっ!」
くすくすくすくす、とやたらに楽しそうな声が、拡声器を通じて広場いっぱいに響き渡った。リナはもう真っ青である。
『新婚早々引き離されるのはイヤなのね?』
「いやその……」
『あら、まだ違うって言うの?』
「ち、違わないっ! イヤだからねっ! ちゃんと被害を出さずに勝つから!」
『まーそう。のろけられちゃったわ』
今まで青かったリナの顔は、すでに誰が見てもわかるほど赤くなっている。
別の人間がからかったのなら、ここまで素直な反応を返したりしなかっただろう。
ガウリイは苦笑した。
「くーっ! なんで、公衆の面前でこんなこと言わすっ!」
『だって、リナがわたしより先に結婚するんですもの』
「……あ、そ、それは」
『このくらいの意趣返し、許されるわよねえ? ね、ガウリイさん?』
ガウリイは笑って肩をすくめた。
「応援、いたみいります」
ルナの返事は、小さな笑い声だった。
「まったく、ムチャな国だぜここは」
ガウリイのぼやきに答えたのは、リナの手の一振りだ。
「ここで生き抜きたかったら、とことん強くなることよ!」
聞き覚えのある言葉に、ガウリイは反射的に左肩へ手を伸ばした。
「なるほど……な」
そこにはいまだ、はっきりとした傷跡が残っている。
広場に祝福の紙ふぶきが散る。
役目を負った者たちが、竜の死体を解体にかかっている。その様子を間近で見るため建物から降りてきた客が、広場にあふれだしていた。リナはその間を渡り歩いて、ご祝儀を受け取っている。
ガウリイは騒ぎの中をそっと抜け出した。
大勢の人間から注目されるのは居心地が悪い。リナは視線を浴びるのが好きなタイプだ。任せておいて問題ないだろう。
広場に続く中でも細めの、さびれた感じがある道を選んで入った。
少し休めればそれでいい。ガウリイは、どこかの家の裏口と思われる階段に腰を下ろした。
「ふぅ」
黒竜の1匹程度、ガウリイとリナのタッグにとって敵ではない。しかし、狭い場所で、周囲の人間を傷つけず、という条件がつけば話は別である。
正直なところ、かなり疲労していた。ほとんどは気疲れだ。
被害を出さず片付けられたのは幸運以外の何者でもないと思う。竜が変な風に暴れるだけで、建物の1つや2つ楽に壊れてしまっていただろう。それがなかったのは、彼らの実力と運のなせる業だった。
ため息の1つもつきたくなる。
「はぁ」
ガウリイは顔を上げた。
今のため息は、彼ではない。
「参った……」
呟いているのは、金髪に長身の男だ。年の頃は30代前半というところだろうか。
どことなく見覚えがある。
男は、ガウリイと同じように群集から逃げてきたようだった。肩を落とし、疲れたように頭をかいている。
「あー……」
ガウリイは声をかけあぐねて、間抜けに口を開いた。
男がガウリイを見る。
しばし、見つめ合った。
次に口を開いたのは、男の方だった。
「久しぶり」
ガウリイの頭に、ゆっくりと理解が訪れた。
それは、思い出すというより直感に近いものだった。頭よりも、体の方が覚えていた。彼は、何と呼びかければいいのか判断をつける前に、声を出していた。
「……兄ちゃん」
兄は、微笑んだ。
幾分、唇の端に歪んだ表情が残った。ガウリイに対する複雑な感情のせいなのか、あるいはそんな笑い方しかできなくなっているのか、それは分からない。
「どうして、ここが」
「は?」
目を見開いた後に、兄は先ほどより多少マシに笑った。
「相変わらず馬鹿だなあ、お前は。手紙を寄越しただろうが、結婚するって」
「あれ? そうだっけ?」
ガウリイは一心に思い出してみた。
結婚が決まった時、手紙を書いたことは思い出せた。しかし、悩んだ末出さなかったような気がする。いつも同じだ。家を出た後、何度か手紙を書いた。今どこにいるのか。どんな生活をしているのか。だがそのたび、出さずに捨てた。
「……確か、テーブルの上に出しっぱなしにした気がするぞ。うん、そうだ」
「じゃあ、お前の奥さんが出したんじゃないか」
「奥さん? 奥さんて、オレまだ奥さんなんかいないぞ」
「あのなあっ。お前、今結婚式をやってたんだろう?」
「ああっ! リナか!」
ガウリイはその言葉の響きに照れて、頭をかく。
「そーかー。奥さんかー」
「顔を見てきたが、美人じゃないか。なかなか気立てもよさそうだし、お前も隅に置けないな」
「ええっ!?」
言われて、思わず首を横に振る。
「あ、ありえん。兄ちゃん、どこから見てたんだ?」
「どこからって……今来たところだが。そんなに照れるなよ」
「照れてるわけじゃ……」
どうやら、黒竜との戦いは見ていないらしい。あれを見たら、真っ当な人間なら『気立てのよさそうな奥さんで』とは言わない。
わざわざ誤解を解いてリナの怒りを買うこともないか、とガウリイは苦笑した。
「来てくれたんだな、兄ちゃん」
「だからこうしてここにいるんだろう」
「いつまでいるんだ?」
「お前の返事次第だ」
「返事?」
兄の眼が鋭いものになった。
ガウリイが、兄の目の前で兄以上の褒め言葉をもらった時によくしていた目だ。
「光の剣を返せ」
「なくした」
兄はつかつかと近寄ってくると、ガウリイの横面を思い切り殴り倒した。
――ガウリイは昔を思い出す。
左肩に傷跡ができた時から、町の傭兵たちに教えを請うようになった。彼らは容赦がなく、気に入らないことがあるとすぐ殴った。生き抜くために鍛え上げられた彼らの拳は、効いた。骨を折ったことも1度や2度ではない。
しかし、彼らの誰よりも、家族の張り手が痛かった。
痛い、と思った。
旅に出てから死にかけるほどの大怪我を何度もした。なのに、そこまで鍛えているわけでもない兄の拳が痛い。反射的に目の前がわずかにぼやけるほどだった。
「用は済んだ。エルメキアに帰る」
ガウリイは頭を下げた。
深く、深く。
兄の足音がすっかり聞こえなくなるまで。
(2度と、会うことはないな。兄ちゃん)
心の中で呟くと、最善を選んできたはずの人生がふいに後悔だらけに思えた。
どれもこれも間違えたとしか思えない。
子供の頃、兄はもっと無邪気に笑っていた。
母は優しく彼をなでてくれた。
父は誇らしそうに彼を褒めてくれた。
お前は立派な後継者になると、みんなが言った。光の剣はあの広い家の居間で、誰を斬ることもなく静かに眠っていた。彼は家族の笑顔に囲まれていた。
左肩をしっかりと握る。忘れるなと言われた痛みは、今も覚えている。
強くなった。生き抜いた。殺される前に殺した。勇者であろうとした。
子供時代彼のすべてだった故郷は、今は遠い。
彼はうなだれた顔を傷跡だらけの腕に埋めた。
涙は、誰にも見られたくなかった。
居候しているリナの実家に帰ると、普段着に戻ったリナが1人でいた。
ガウリイの帰ってきた音を聞きつけ、台所から飛び出してくる。どうやら待っていたらしい。
「あんたねー。主役が抜け出すとはどういう了見よ」
多少本気で怒りを覚えているらしい。
ガウリイは苦く笑った。
「悪い。ちゃんと戻るつもりだったんだが」
「まあ出し物は終わってたからいいけどね。ねーちゃんがフォローしてくれたから、後でちゃんと謝っときなさいよ」
姉に迷惑をかけたというプレッシャーもあって、苛立っているようだ。
ガウリイはおとなしくうなずいた。
「もう戻らなくてもいいのか?」
「後は、お祭り騒ぎだからね。あたしたちがいてもいなくても関係ないわ。夜まで続いてたらちょっと顔出しましょ」
「ああ」
殊勝な態度を取られて気が済んだのか、リナはいつもの顔になって笑った。
「疲れてるわね」
「まーな」
「少し休んできたら? それとも何かつまむ? さっと作るけど」
彼女の心遣いがあたたかくて、ガウリイは笑った。
手招きして、とことこ寄ってきたリナを軽く腕に包む。額に額を当てて、まっすぐな瞳をのぞきこんだ。
「リナがオレの奥さんかー」
しみじみ呟くと、リナは目を逸らした。
「ま、そうなったわね」
「さっき奥さんて言われて、一瞬誰のことか分かんなかったよ」
「へぇ?」
リナはくすくすと笑う。
「誰と話してたの?」
「ん」
少しの間、彼は迷った。
しかし、もしもリナが手紙を出してくれたなら、言うべきだと思った。
「……兄ちゃんに会った」
リナは体を離した。