最強の男 6 - 現在

「父ちゃん母ちゃん、あたしたちこれから出るから」
 ガウリイが兄に会ったと聞いた後の、リナの行動は素早かった。
 ガウリイを引っ張って広場まで行き、発見した両親にすぐ出ると告げたのである。広場では、2人の結婚を祝う声がまだ静まってもいなかった。
「これから出るって、リナ。いつ帰るの?」
 清楚な素振りで料理をかっこんでいたリナの母は、声をかけられると素早く口元を拭い、やんわりとした笑みで首をかしげた。
「気が向いたらまた帰ってくるよ、母ちゃん。結婚式ももう終わったし、いいでしょ?」
「ま、別にいいけど」
 驚いたのはガウリイの方である。
「お、おいリナ! お前さん、また旅に出るつもりなのか!?」
「何よガウリイ、ここにずっと住むつもりだったの?」
 リナはきょとんとした顔で見上げてくる。
「そーじゃないが……せっかく帰ってきたんだから、もうちょっと昔の友達にあいさつするとか! 親に甘えるとか!」
「友達には充分あいさつしたわよ。確かに家にはもう少しいるつもりだったけど、どうせ旅に出るならタイミングを逃さないようにしないとね」
「タイミングって……」
「あたし、あんたのお兄さんにあいさつしてないもん」
「追いかけるのか!?」
 うん、とこともなげにリナはうなずいた。
「し、しかしもう結構前に出発したはずだし……」
「行き先知らないわけ?」
「エルメキアに帰るって言ってたが」
「なーら簡単じゃない! ここからエルメキアに向かうルートなんてそういくつもないわよ」
「そ、そうだが」
「何もあんたの実家まで押しかけて行こうなんて思ってないわよ。一言あいさつをしようって言ってんの!」
 その時、父がリナの後ろ頭をぽんぽんとたたいた。
「おい、これからすぐ出かけんのか?」
「うん。そのつもり」
「分かった。なら、ルナにもあいさつしていけよ。寂しがるからな」
 リナの背中が途端に硬直した。
「う、うん。そうだね」
「できるだけ早めにな」
「分かった!」
 父はにやりと笑い、リナの髪をぐしゃぐしゃとかきまわした。
「もーっ! 父ちゃん!」
 じゃれつくように怒るリナをいなして、父は娘に親愛のキスを送った。
「気を付けていけよ、2人とも」
「え」
 ガウリイは間抜けな声を上げた。
 うろんげな眼差しで父がにらんでくる。
「ああん? あんだよ、天然。俺様の見送りの言葉に文句があんのか」
「いや……別に」
 口ごもり、ガウリイはちらりとリナを見た。
「リナって言うと思ってたから」
「あぁ?」
「だから、その、オレにも言ってくれるとは思わなかったから」
「馬鹿かてめーはっ!」
「うがっ!」
 父のアッパーカットが見事決まる。
「な、何すんだっ!」
「てめーが馬鹿だから殴ったんだよ!」
「ほほほお父さん、殴ると余計馬鹿になるのよ」
 母がおっとりと笑う。
「まーこのくらいで勘弁してやるが。お前はうちの婿だろーが」
「そ、そうだが」
「つーことは、俺はなんだ」
「何言ってんだよ、リナの親父さんだろ」
「アホかぁぁぁっ!」
「げぇほっ!」
 長い足がガウリイの腹に納まる。
「おいっ! このくらいで勘弁するんじゃなかったのかっ!」
「殴ってねえ。蹴ったんだ」
 間違いなくリナは父親似だ、とガウリイは確信した。
「俺はてめえの義理の父親になっちまったんだよ。覚えとけ」
「ああっ、そうか!」
「いいか。もしこのままルナが婿を取れなかった場合だな、てめえにインバース家の家名を継いでもらうからな。覚悟しとけよ」
「どんな覚悟だ……?」
 腹をさすりながらガウリイはじと目で父を見た。
 とっさに腹筋を締めたので、大したダメージではない。その後聞こえた声の方が、よほどダメージが大きかった。
「素敵なお話をしてるのね、父ちゃん、ガウリイさん」
 ガウリイは振り向きたくなかった。オレは何も言ってない、と首を振るのが精一杯である。
「あ、ああルナ……」
「父ちゃん、誰がどうしたらですって?」
「いや……」
「ガウリイさん、その時には父ちゃんの言うとおり覚悟してくださいね」
 ちらりと横を見て最強の姉を確認すると、ガウリイは大きく息を吸って背筋を伸ばした。逃げ場がない時には、怯えても仕方がないのである。
「どうか、よろしくご指導ください」




 ゼフィーリアからエルメキアに向かうには、街道を南下していくことになる。
 相手は旅慣れない身であり、1日程度のリードを追いつくのは難しいことではなかった。しかし、万が一追い越してしまっては元も子もない。軽く聞き込みをしながらの旅になるので、わずかな差はなかなか埋まらなかった。
 旅を再開して10日目、エルメキアとの国境近くに来た時だった。
「きゃぁぁぁっ!」
 遠く、街道脇の森の中で女の悲鳴が響いた。
 ガウリイとリナは顔を見合わせる。互いにうなずきあって、森の中へ飛び込んだ。
 断続的に聞こえてくる悲鳴を頼りに、下生えをかきわけて走る。一刻を争う事態だったが、密集した木のせいで翔風界は使えない。
 近づくにつれて、悲鳴を上げている女の他に誰かいることが分かった。素人のものとは思えない、はっきりした剣の音が聞こえる。
 限界まで近づいた、と思った時、ガウリイは足を止めた。
「手助けはいるか!?」
 声をかけたのは、飛び出していって敵と誤認されてはたまらないからである。
「いや、来るな!」
 返ってきたのは、予想外の返事だった。男の声だ。
「お邪魔なのかしら?」
 遅れて追いついたリナがさらに言葉を足す。
「逃げろ! できれば、彼女を連れて行ってくれ!」
 まろぶように駆けてきたのは、旅姿の女性だった。木に引っ掛けたらしい衣服のあちこちが破れ、歯の根も合わないほど震えている。
 リナが彼女の前に片膝をつき、恐怖に焦点を失った目をのぞきこむ。
「どうしたの」
「か、彼を助けてください……死んでしまう……し、死んでしまう……」
「落ち着いて。何があったの?」
「彼をっ! お、お願いします、彼をっ!」
「大丈夫よ、深呼吸して」
 とりあえず大きな外傷はないらしい。
 それを見て取ると、ガウリイはリナに目線で合図を送り、1人で飛び出した。
 彼らがいた場所のほんの少し先で、森は突然開けていた。小さな町の広場ほどだろうか。
 そこに、レッサーデーモンがうようよと固まっていた。7匹。無理な相手ではない。素早く数え、ガウリイは交戦中の剣士へ目をやる。
 その姿を見た時、一瞬声が出なかった。
「……兄ちゃん!」
 金髪の剣士は、斬り合っていたレッサーデーモンの腕を薙ぐと、大きく飛びのいた。
 そして、愕然としたような顔でガウリイを振り向く。
「ガウリイ……お前、なぜ!」
「リナが兄ちゃんにあいさつしたいって……いや、そんな話は後だな」
「馬鹿、僕が食い止めている内にさっさと逃げろ!」
 決死の形相で叫ぶ兄をしばらく見つめる。
 ああ、とため息のように思った。
 2人の生きる道は、こんなにも離れてしまった。
 ガウリイは剣の柄に手をかけ、しっかりとうなずいた。
「大丈夫だ、兄ちゃんこそ逃げてくれ」
 腰から斬妖剣を抜く。
 光の剣は失ったが、斬妖剣もまた伝説級の名剣だった。ガウリイの腕があれば、レッサーデーモン程度紙のように斬れる。
 兄は、昔から剣よりも勉学に秀でた子供だった。ガウリイが家を出た頃には、すでに明らかな差がついていた。剣技はもちろんのこと、素人にも分かるほど体格が違った。
 別れてから10年が過ぎ去り、2人はよく見比べなければ兄弟だと分からないほどになっていた。
 ガウリイは、剣を抜いた利き腕の、たくさんの傷跡を見た。
(ああ、兄ちゃんってこんなに細かったっけな)
「こんな人数でどうにかなる相手じゃない、ガウリイ!」
 いまだ自分を子供扱いする兄に、ガウリイは苦笑する。
 いくらガウリイの知力に問題があっても、傭兵として生きてきた以上、彼我の戦力差を見極められないわけがない。
「大丈夫だ!」
 自信を持って言い切り、ガウリイは手近なレッサーデーモンに向かって駆け出した。
 一閃、レッサーデーモンの太い腕が落ちる。
「素手でこの剣と勝負するのは、無謀ってもんだぜ」
 腕を失ったレッサーデーモンが咆哮し、他の敵がガウリイに注目する。
 一斉に放たれる炎の矢を、タイミングを読んでかわした。
「あんたらの戦法はいやってほど味わってる」
 レッサーデーモンは時間差で攻撃してくるようなことがない。
 次の炎の矢が放たれるまでのタイムラグに、再び距離を詰めて手負いの1匹を斬り倒した。
 振り向きざま、右の1匹に牽制の1振りをする。そいつの爪をかわし、後ろにいた1匹の油断を突いて、深々と貫いた。
「残り――3匹!」
 その時、背後で動く気配がした。
 森をかきわけて走ってくる気配、リナだと直感した。
 魔法が来る。
 ガウリイは牽制の刃を振り回してから、大きく距離を開けた。それを見計らったように、リナの声が響く。
「黒妖陣!」
 先ほどまで目の前にいた1匹が、黒いもやのようなものに包まれて消える。
 振り向きもせず、ガウリイは次の1匹にかかっていった。

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