最強の男 7 - 現在

 最初に逃げてきた女性は、たまたま兄が同行することになり、護衛を請け負ったのだということだった。別段積極的に仕事を探したわけではなく、宿で一緒になって好意で送っていくことになったらしい。
 複雑そうな固い表情で自己紹介をして手を差し出す兄と、リナは微笑んで握手した。
「リナ=インバースです」
 その名前を聞いた途端、兄と女性は顔色を変えた。
 リナの手を振り払って、2、3歩あとずさる。
「リナ=インバースというと、あ、あの破壊の申し子の!?」
「盗賊殺しのリナさん!?」
「ドラゴンもまたいで通ると言う!」
「大魔王の食べ残しっ!」
 口々に不名誉な2つ名の数々を列挙する彼らに、リナの額には青筋が立った。
「リ、リナっ! まぁそう怒るな!」
「分かってるわよ……」
「本当かぁ……?」
「やかましーっ!」
 目の前の2人を殴れない腹いせか、リナはガウリイにエルボーを食らわした。
 もちろん、兄も女性もさらに青くなる。間違いなく噂のリナ=インバースなのである。
「ガウリイ……お前の奥さんていうのは……」
「えぇと、確かに噂通りのヤツだけど……」
「ガウリイっ!?」
 リナが殺気立った声を入れる。
 ガウリイは頭をかいた。
「まぁ、少なくともいきなり民間人を吹っ飛ばしたりは、滅多にしないから」
「滅多にって何だ!?」
 フォローになっていないガウリイのフォローに、双方の距離が開く。
「よほど腹が立つとやることもあるけど、とりあえず怒らせなければ、どっちかって言うとお人好しなヤツだよ」
 リナが照れたようにぷいと横を向く。
 けなしても褒めても気に入らないらしい。
「なるほどな……不思議に思っていたんだが、あの時広場にあった黒竜の死体は、そういうわけだったのか……」
 おそれおののくように呟く兄。
 苦笑して言葉を返そうとして、唐突にガウリイはそれを感じた。
「伏せろっ!」
 敏感に反応して、リナが地に伏せる。
 一瞬遅れて兄が体を投げ出す。
 兄のそばにいた女性が呆けたように辺りを見回したのを目の端に止めて、ガウリイは走った。
 わずかな距離。
 飛来する数本の炎の矢。
 彼女を抱えて大地にダイブする瞬間、背中に灼け付くような熱を感じた。
「まだいたのっ!?」
 リナが身を起こして女性を後ろにかばう。
 ガウリイは跳ね起きて、剣を握った。



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 まどろみながら、ガウリイは思い出す。
 幼い頃、母の笑顔が見たくて、よく英雄になりたいと口にした。
 そう言うと、母は本当に嬉しそうだった。
 訳も分からず夢を語るガウリイに、兄は呆れて聞いたものだ。
「お前、英雄ってどんなものだと思ってるんだ?」
「分かんない」
 あっけらかんと返事をされて、兄は脱力する。
「なりたいって言うからには、少しくらいあるだろ! 英雄のイメージが!」
「うーん」
 ガウリイは英雄という言葉から想像するものを何とか言葉にしようとした。
「光の剣を持ってる人」
「父ちゃんが英雄なのか?」
 その時光の剣を継承していたのは、彼らの父親だった。
 ガウリイは悩んで、首を振る。
「光の剣を使って、戦う人」
「それで悪いことをしてもか」
「うーん。じゃあ、いいことをする人」
「いいことって何だよ」
 兄の質問はだんだん意地悪くなっていった。
 ガウリイは一生懸命に考える。そして、ふといい答えを思いついた。
「分かった! 英雄譚に出てくるような人だ! 悪者を倒したり、お姫様を助けたりするんだ!」
 兄は満足したように、そしてひどく偉そうにうなずいた。
「お前、それになるんだぞ。できるのか?」
「何とかなるんじゃないかなあ」
 彼はその大きさがよく分からなかったので、気楽ににこにこ笑っていた。

 その子供時代から、20年近い歳月が流れた。
 ガウリイは『光の剣を持っている人』になった。しかし、盗み出したものだ。
 『光の剣を使って戦う人』にもなった。それで倒した敵の多くは、金のためだった。
 『悪者を倒したり』もした。世界をどうにかしようとしている強大な魔族を何匹も倒してきた。ただし、止めを刺すのはたいがいリナだった。
 『お姫様を助け』ることもやった。セイルーンの王女と一緒に旅をしたことがある。旅の間に何かの助けくらいにはなっただろう。しかし、お互い様だった。
 だが、英雄というのは……



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 ガウリイが目を開けると、のぞきこんでいた数人の人々が大きく息を吐いた。
 見覚えのない天井だが、その雰囲気には覚えがある。どうやら診療所に運び込まれているらしい、と分かった。
 どのくらい時間が経っているのか分からないが、さきの戦闘の際、炎の矢を盛大に背中に浴びながら剣を振るった。
 リナと2人きりなら悠長に倒れていてもよかったのだが、彼らは非戦闘員を抱えていた。意識の糸が切れるまで、剣を振り回した。背中で叫び声と泣き声が聞こえていた。リナではないだろう。リナは、自分のとなりで唇を噛み締め、黙って戦っていた。それが、最後の記憶だ。
 そのリナは、今彼をのぞきこんでいる顔の内の1つだった。
 少しだけ、やつれて見えた。
「気分はどう、ガウリイ?」
 ガウリイは少し考えて、うなずく。
「おう、平気だぞ」
「あんたって本当に頑丈よね」
 肩をすくめ、リナは周囲の人々にうなずく。
「大丈夫そうです。ありがとうございました」
 と、ガウリイの代わりに頭を下げている。
 そのリナの肩を兄が叩いた。どうやらガウリイの回復を待っていたらしい。とっくに行ってしまっているだろうと思ったガウリイは、少なからず驚いた。
 兄がリナに向けた好意的な笑みにも、戸惑わずにはいられなかった。
「少し寝てきてください、リナさん。あなたの方がよくないように見えます」
「んーそうさせてもらおうかしら」
 うかがうようにガウリイの方を見るので、彼は微笑んでうなずいた。
「ありがとうな、リナ」
「迷惑料は、食事おごりで許したげる」
「う……ま、まぁそのくらいなら」
「ホント!? じゃあ今日は思いっきり食べよっと。うっふっふ」
「お前はいつも思いっきり食べてるだろーが」
「うるさいわっ!」
 などと言って、今目が覚めたばかりのガウリイを平手ではたく。
「いてぇ! やるか、そういうことを!」
「お、奥さん! 病み上がりなんですから!」
 魔法医らしき男が、ひどく慌てた様子で取り成した。
「大丈夫よガウリイだし。じゃ、あたし寝るわ。おやすみ」
 ひら、と手を振ってリナが扉の向こうに消える。ガウリイも振り返した。
 魔法医は、驚いたように2人を見比べた。
「だ、大丈夫なんですか?」
「照れ隠しですから、気にしないでやってください。それより、先生も休んでください」
「そうですか……?」
「ご迷惑をかけたようですが、オレはもう平気ですから」
 兄も横から口を出す。
「こいつは僕が見ていますので」
「では……何かあったら、遠慮なく呼んでくださいね」
 気遣う様子を見せながら魔法医が去ると、部屋に残っているのは兄弟だけになった。
 ガウリイは首を回して兄を見た。
「兄ちゃんも、もう行っていいぜ。悪かったな」
「いや……お前が怪我をしたのは、僕の責任だ。僕が護衛するはずだった女性をかばったんだからな」
「相変わらず、兄ちゃんは真面目だなぁ」
 何だか嬉しくなって、ガウリイははにかんだ。
「……お前は、相変わらず底抜けのお人好しだな」
 兄は居心地が悪いらしく、椅子を立った。部屋の隅から水差しを持ってくると、サイドテーブルへぶっきらぼうに置く。
「僕は、お前が嫌いだった」
 ガウリイは微笑む。
「ああ、知ってた」
 兄は目を逸らす。
「だが、お前はあのリナ=インバースの背中を守れるほどになったんだな」
「いや……」
 リナは自分の身は自分で守る。むしろ彼の方が守られているくらいだ、ガウリイはそう思う。
 兄は複雑な苦い笑いを浮かべる。
「英雄になりたい、ってよく言ってたな。覚えてるか?」
 ガウリイはうつむく。
「うん……」
「馬鹿なことを言ってるって思ってたが……」
 すっと沈黙が挟まる。
 ガウリイが見上げた兄の顔は固い。
「……光の剣がなくなった経緯をリナさんから聞いた」
 叩いたら跳ね返りそうな声で、兄は呟いた。
「そっか」
「そのために追いかけてきたらしいな」
 いやに強引な調子でガウリイを引っ張ってきたリナを思い出す。
 そういうことだったのか、と思った。
 光の剣がガウリイにとってどんな意味を持つのか、彼の口から直接語ったことはない。だが聡いリナのことだ、何かを感づいていたのだろう。だからこそ、自分の口でガウリイの家族に釈明しようと追いかけてきたのに違いない。
 おそらくは、ガウリイのせいではないと謝るために。
「そこにどんな事情があったとしても、僕はお前を許さない」
「ああ」
「決してだ」
 それでも、ガウリイの中には兄を憎む気持ちが湧いてこない。笑ってほしいと、愛してほしいと、あの頃と同じように思うだけだ。
 だから、ただ苦く微笑む。
「……ああ」
「だが」
 兄は眉を歪めて視線を逸らす。
「お前は、光の剣で戦って、英雄と呼べる人間になったんだと、思った」

 英雄というのは何だろう。
 ガウリイは20代も後半になってから、幼い頃聞かれた質問を反芻する。
 何度も魔王を倒し、世界を救った。
 幼い頃の彼なら、今の自分を英雄と呼んだだろうか。
 家族を裏切って家を飛び出し、金のために人を殺し、年下の女の子に張り倒されたり守られたりしながら生きている、今の自分を?
 ――生き延びてきただけの、自分を。

 ガウリイは目を細め、ゆっくりと首を横に振る。
「リナが何を言ったか知らないけど」
 穏やかにガウリイは言う。
「オレは、あの頃言ってた英雄にはなれなかった。これからも、なれない」
 確信を込めて、そう思う。
 兄は知らない。自分が生きるためにどれほど泥にまみれてきたのか。
 リナは知っているのだろうか。詳しいことを話したことはないが、聞いてこないのはむしろある程度想像しているからなのだろう。
 だが、リナにはけして分からない。あの頃のガウリイの絶望、暗闇、心を擦り減らすような緊張感、そして孤独。
 分からなくていい。リナは光の中にいればいい。
 手を汚して生き延びてきた。血にまみれたその手で世界を救った。それは、ただの結果だ。
 自分はあの頃望んだ英雄ではない。断じて違う。
「レッサーデーモンなんかにやられて……リナに心配かけて……」
 やつれた顔をしていたリナを思い出す。
 いつものように元気いっぱい殴ってきたが、あれは景気付けのようなものだろう。ガウリイが目を覚ますまで、その宝石のような心を削って見守ってくれていたのが容易に想像できる。
「こんなんじゃダメだ……こんなんじゃまだまだダメなんだ……」
 ガウリイは拳を握る。自分への不甲斐なさで手が震えた。
「お前……そんなに強くなって、まだ……」
 兄が目を見開き、あえぐように呟く。
「オレは、リナを守りたい。英雄じゃなくていい」
  昏睡状態にあった体は、思うように力が入らない。握った拳の弱さにわだかまっていく苛立ちを、吐きだすように叫ぶ。
「でも、こんなんじゃ守れないんだ!」

 英雄になりたいと思っていた。
 英雄がどんなものかもよく考えず、よく知ることもなく。
 彼はとんでもない女と出会い、道は考えても見なかった方向に伸びていった。
 だがその道の先で、女は彼の存在を望んでくれていた。

 ――だから今は思う。
 もし英雄と呼ばれるならば、最愛の女の幸福を守った時がいい。

 ――だから今は願う。
 殴られても吹っ飛ばされても笑い飛ばす。
 どんな災難にあっても、強大な敵とまみえても、けして死なない。
 最高にわがままで、最高に乱暴な女のとなりに、当たり前のように在るために。
 風のように、空のように、大地のように、毅く。
 最強の男でありたいと、願う。

END.

おまけ

 ガウリイの過去の設定について、その後いろいろ情報をいただきました(^^;)。
 FCで発表されたところによると、お兄さんはお亡くなりになってるそうですね(乾笑)。とりあえず、これはこれとして読んでいただければ幸いです。

 リナさんと会うまで荒んでいたガウリイさん、というのもかっこいいんですけれど、私は昔っからほわほわボケてるガウリイさんラインで攻めてみました(笑)。
 山のようにオリキャラが出てますが、過去話をやる以上出さないわけにはいかないので…。せめてもの抵抗として、できる限り固有名詞を出さないよう頑張りましたっ。茶髪の出番の多さは心残りです(笑)。

 もしかしてこんな少年時代だったかもなぁ、なんて思っていただけたら最高です(^^)。

*  *  *

 この話は、お約束していたみぃめさんに捧げさせていただきます。
 お納めいただければ幸いですv

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