最強の男 おまけ

「おおおおっ! このパスタのコシはっ! んんん絶品!」
「デミグラスソースの味付けも濃すぎず薄すぎず、旨いぞっ!」
「うみゅっ、確かにっ! あっ、そのバターソテーあたしのっ!」
「あたしの、じゃないっ! オレのだっ!」
 きゅきゅきゅきゅっ! かきかきかきぃぃぃんっ!
 ナイフとフォークが火花を散らす。
 達人の技で繰り出されたフォークを、それを上回る速さで走ったナイフの軌跡が止める。拮抗する力と力、そしてその陰に隠れて忍ぶスプーン! すんでのところで拾い上げられたフォークがスプーンの剣先を弾く!
「……君たち……」
 紙のような顔色で、同席していた男が呟いた。
「何すんのよガウリイ! あたしのゆで卵さんをっ!」
「はっはっは! サーモンの仇だっ!」
「うぬぬぬっ。そう来るかっ! ならばっ!」
「何をっ! させるかっ!」
 バンッ!
 男が勢いよくテーブルを叩いた。皿が一瞬宙に浮き、戦士たちは動きを止める。
「……兄ちゃん?」
 ガウリイが同席者の存在を思い出したように振り向くと、兄は額に青筋を立てていた。
「ガウリイお前っ! あれほど言われたテーブルマナーを全部忘れたのかッ!」
「……なんだっけ?」
「ああああっ! お前の溶け出した脳みそには愛想が尽きるッ!」
 口論の隙にガウリイの皿からマッシュポテトを奪いつつ、リナはうなずいた。
「まーその気持ちは分かります」
「リナさんもっ!」
 数日一緒に過ごす中で恐怖感が取れたらしく、兄の矛先はリナにも向く。
「婦女子がっ! しかも貞淑であるべき人妻がそのようなことで、恥ずかしいと思わないのですかっ!」
 リナは動じない。
「いやーでも食事は美味しく食べるのが1番だと思いますけど」
「テーブルマナーを守っていても、美味しい食事はできますっ」
「一応、あたしたちなりのマナーは守ってるんですよ?」
「ほう?」
 リナはぴっと指を1本立てた。
「出された料理は、パスタの1本まで死力を尽くして食べる! という」
「んなマナーがありますかぁっっ!」
 ぽりぽりと頭をかく新婚夫妻。
「ないかなぁ……?」
「オレとしては、アリだと思うんだが……」
「ねぇ……?」
 兄君は、がっくりと首を垂れた。



 故郷の町まで兄を送って行きたい、というガウリイの言葉に、リナは異論を唱えなかった。
 一家そろって体を鍛えているらしく、兄もけして軟弱ではない。剣も一般人などものともしないくらいに扱える。その剣技のレベルは、リナと同じか少し上というところだろう。
 しかし、魔王のひとかけらが復活した影響はいまだ各地に残っている。リナたちが彼に追いついた時にもレッサーデーモンの群れにあったばかりだ。そんな中、魔力剣も持たない彼を1人で放り出して安全とは言えない。
 兄が護衛していた女性をついでに送り届け、彼らは一路ガウリイの故郷を目指していた。
 そんな旅路の中である。
 少々よそよそしさはあれど、3人はそれなりに打ち解け始めていた。ただ、根っからお坊ちゃん育ちの兄にとって、弟たち夫妻の生活は驚きの連続らしかった。
「この町には腕のいい刀鍛冶がいましてね、時々足を伸ばすんですよ」
 故郷の町まであと2日と迫った時、宿を取るため訪れた町で兄が言った。
「ここからなら慣れた旅路ですから、1人でも帰れますが……」
 リナはガウリイを見上げる。
 ガウリイはきょとんとしたが、意見を求められているらしいことを悟ると、笑顔になった。
「物騒だから送っていくよ。な、リナ」
「そうね、あたしもその方がいいと思うわ。この先でモンスターに襲われたりしたら、あたしたちも寝覚めが悪いですし」
「そうですか」
 と、兄は微笑んだ。ガウリイに対しては気まずい思いがあるらしく、彼の視線や言葉はたいがいリナに向いていた。
「それでは、お礼と言っては何ですが、今晩は食事にご招待しますよ」
「えっ!?」
「奢ってくれるのかっ!?」
 2人の顔が傍目にも輝くのに1歩引きつつ、兄はうなずいた。
「ただし」
「ただし?」
「格式の高い店ですから、テーブルマナーは守ってもらいます」
 リナとガウリイは顔を見合わせた。



 親しくしているという例の刀鍛冶のところで服を借り、彼らは夜の町へ繰り出した。
 リナは濃紺のワンピース、ガウリイは兄の外出着である。リナは直前まで足元が心もとないとスカートを持ち上げていたし、ガウリイは外に出てからもシャツのレースを嫌そうにつまんでいた。
 しかし店に入って微笑んだ途端、なぜか場馴れしたレディとジェントルマンに見えるのだから、美形というのは得なものである。
「けど……いいんですか? ここ、高いでしょう」
 給仕が席を離れた後、リナは声をひそめてささやいた。
「まぁ」
 兄は苦笑する。
「しかし、天下のリナ=インバースの護衛代としては、このくらいで釣り合うのではないですか」
「そうおっしゃるなら、ありがたくご馳走になりますけど」
「それに……家を出たとはいえ、ガブリエフ家の次男とその妻なんですからね! 雑居食堂での馬鹿食いしかしたことがないなど、家の恥! このくらいの店での立ち居振る舞いは! せめてテーブルマナーくらいはっ!」
 兄の目が燃えている。
 正確に言えば、ガウリイがインバース家の婿なのであって、リナはガブリエフ家の嫁ではない。だが、そんな理屈が通じる雰囲気ではなかった。彼としては、自分の弟が汚い食堂で飯を食っているのがショックなのだろう。
「あんた……やっぱりお坊っちゃんの出だったのね」
 リナはとなりのガウリイをつつく。
 ガウリイは首をかしげた。
「うーん、そうなるのかな? 昔、お手伝いさんに食事の仕方をうるさく言われた記憶はあるけど」
「おおっ! 記憶があるのっ!?」
「言われたことは覚えてるけど、内容は覚えてないっ!」
「威張るなっ!」
 思わず張り手をかましたリナに、兄の冷たい視線が注がれる。
「リナさん……レストランで暴力は」
「はっはい! すみません」
 リナたちが騒ぎかけ兄が怒り、というのを繰り返していると、ほどなく食前酒が運ばれてきた。
 先ほど兄がオーダーしたものだが、どうやらそこそこ上等なワインのようである。
 この席のホストである兄に、まず少しだけ注がれる。それをテイスティングして彼がうなずくと、給仕はまず女性であるリナに。そして客のガウリイに、ホストに、と順に注がれた。
「それでは、ここまでの無事を……いや。兄弟との再会を、祝して」
 兄の言葉に、リナは微笑んだ。
「乾杯」
 グラスを軽く持ち上げ、それぞれに口をつける。
「ん、おいしい」
「そうでしょう。これはピノ・ノワールの……」
「あ、ストップ」
 とくとくと説明しかけた兄を止め、リナはもう1口舐めた。
「南方のワインじゃないわね。このまろやかさは、どっちかっていうと北方の葡萄みたい」
 ガウリイもまた味わうように舐めて、首をかしげた。
「この間ゼフィーリアで飲んだワインに似てないか、リナ?」
「そうね、でもうちの辺りじゃあんまりこういう色って見ないわ。ピノ・ノワールにしては色が深いような……」
「ピロロワーってなんだ?」
「ピノ・ノワール。葡萄の品種よ。一般に甘いワインができるわね」
「ふーん。ピロロワーは知らんが、この舌に軽い苦味が残る感じはリナんちで最初の晩に飲んだのと似てるぞ」
「最初の晩……っていうと、確かシャローネ地方のと……」
 唖然としている兄の前で、リナたちは銘柄当てに熱中している。
 貴族たちならばたしなみにやることだが、まさか流れの何でも屋がそんな知識と舌を持っているとは思っていなかったのだろう。兄は口を挟む気配もない。
「……そうね。自信ないけど、ビランボッテあたりじゃないかしら。あるいは、バレレイかな」
「バレレイです」
 リナはにっこりと笑った。
 兄はバツが悪そうに頭をかく。
「ワインが分かるとは思いませんでした」
「実家がゼフィーリアで雑貨屋をやってるので。世界中で美味しいものを食べ歩いて、そこそこ舌も肥えてますしね」
 意外にテーブルマナーも完璧である。リナはともかく、ガウリイがそれを覚えていたのはほとんど小さい頃仕込まれた刷り込みの結果だろう。
 王宮で仕事をした時に覚えたという作法でリナをエスコートしながら店を出るガウリイを見て、兄はとうとう白旗を揚げた。



 宿に帰ると、1階の酒場はちょうど盛況だった。
 ごく自然な様子で酒に誘った兄に、ガウリイは困惑した顔をした。
「……リナ?」
 いつものごとく、リナに話を振る。
 リナは肩をすくめた。
「少しなら」
「もちろん、すぐにお帰ししますよ。新婚夫婦の邪魔をするほど無粋じゃない」
「お気遣いをどうも」
 上品なドレスの裾をさばいて彼女が歩くと、周囲はさりげなくざわついた。
 依頼人であるガブリエフ家嫡男に合わせ、宿は上の下くらいを取っている。ごろつきや流れ者のうろつく店ではない。それでも、着飾ったリナは辺りを払う美しさで注目を集めた。
 秋波を送ってくる男たちには目もくれず、リナは身軽な動作でカウンターに腰かける。
「となりに失礼しても?」
 律儀な言葉を放つ義理の兄に横の席を指し示し、リナは振り向いて首をかしげた。
「ガウリイ?」
 ガウリイは先ほどの位置から動かず、困った顔をしたまま2人を見ていた。
「すまんが、オレはやっぱり先に休むよ」
「いーけど……じゃああたし1人で飲んでくのも悪いわね」
「いや、いいんだ。のんびりして来いよ」
 不器用な笑みを浮かべるガウリイを、リナはしばらく見つめる。
 やがて納得したのか、何でもない顔に戻って手を振った。
「なら、そうさせてもらうわ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
 体を椅子の上に押し上げながら、義兄は弟の妻の顔をのぞきこむ。
「いいんですか?」
「子供じゃないんですから、一緒じゃなきゃいけない理由はないですよ」
 そして、ガウリイの姿がすでにないのを確かめて小さく笑う。
「それに、彼だって1人になりたいこともあるでしょ」
「彼……とは、長い付き合いですか?」
 カウンター越しに酒を注文し、リナはほつれかけた髪をかきあげた。
「3年くらいですね」
「3年」
「長いのか、短いのか……」
「少なくとも僕が彼と過ごした時間よりは、短いですね」
「そうなんですか」
 リナは微笑む。
「あたしはガウリイがいつ家を出たのか知りませんから」
 何か言いかけた義兄を制し、
「あ、昔の話はしないでください。ガウリイが話したくなったら聞きますんで」
 さらりと言葉を封じる。
「あたし自身はともかく、流れで仕事をしているような人間には、たいてい事情があるもんです。それを聞かないのは、ルールだわ」
「夫婦でも?」
「相手が話したくないなら」
 酒場の主人から手渡された器を、義兄はリナに渡す。
「鍵をかけてしまっておきたいこともあるわ。親しい人にこそ知られたくないことも。それから、その方が楽なことも。乾杯」
 軽く器を合わせて、それぞれ酒を喉に流し込んだ。
「あなたにも?」
「そうですね……家族に話さなかったことがあります。口で伝えることもできたけど、語り切れることじゃない。だから、人に分かってもらえるとは思わない。でも、同じ経験をしたガウリイにだけはきっと分かると思います。そして家族は、何も話さなくても、何もしてくれなくても、そこにいるだけであたしを慰めてくれた。それでいいんです、たぶん」
 義兄は、視線をカウンターの向こうにやった。
 背後のざわめきを聞きながら、何か考えているようだった。
 戦場で出会った義兄はガウリイと似ていないように思えたが、こうして静かな場所で静かな表情を見ていると、やはりどこかが似ていた。
「僕の知っているガウリイは、間が抜けていておとなしい弟だった」
「あたしの知ってるガウリイも、間抜けですけど」
「ええ、ですが今は安心して間抜けでいるような感じがする。他に自信を持つ場所があるような」
「そうですか」
「それから、あなたに甘えているような」
 リナはむせかえった。
「ガウリイが、あたしにぃ!?」
「そう思いませんか」
「いや、そりゃガウリイは自分の面倒も自分で見れない大きな子供みたいなもんだし、仕事取ってくることすらできないし、何かっちゃあたしに『あれは何だリナ』『どーしてそうなるんだリナ』『それでどーするリナ』ってもぉ頼りっきりだし、あたしが全部世話してやってるよーなもんですが」
「……そこまで?」
 弟の情けない生活に、義兄の頬が引きつる。
「ほとんどヒモですよ、ヒモ」
「ヒモ……」
 ショックを受けている様子の義兄に、リナは表情を改めて向かい合う。
「けど、ガウリイはあたしに弱味を見せたことなんかないわ」
 こほん、と義兄は咳払いをした。
「……あなたが今言ったことですよ。相手が何も話さなくても、慰めることはできるんでしょう」
「それは……」
「あなたとの生活全てが、ガウリイにはたぶん必要なことだった」
 呟くように、彼は言った。
「僕はあいつが嫌いで、会いに来た時も、あいつが荒んだ生活を送っていればいいと思ってました。乱暴で、みじめで、掃き溜めのような世界を這い回っていればいいと思ってました。家を捨てたことをどれほどにか後悔していればいいと。背中を丸めて生きていればいいと。僕より幸せになるなんて。あいつは、いつでも僕より優れてた」
 沈黙の後、リナは静かに問うた。
「今は?」
「……好きだとは、思えません。素直に祝福もできない。でも、あいつがこの世界で自由に生きていて、少しほっとしました」
 義兄は微笑んだ。
「不思議なことに」



 部屋の外はしんと静まり返っている。
 蝋燭の炎はとっくに燃え尽き、窓から注ぎ込む月の光だけが部屋をぼんやり照らし出す。
 ガウリイは、先ほどから壁に背を預け、窓の外を見ている。
 となりに横になって、癖のように彼女の髪をすいている手を感じながら、リナは下から彼の顎の辺りを見つめていた。
「……寝ないの?」
 思い切って聞くと、ガウリイはふっと微笑んでリナを見た。
「寝ていいぞ」
「ガウリイは?」
「んー……オレはもう少し」
「じゃあ……」
 あたしも、と言いかけてリナは口を閉じた。
 体をわずかに深く布団の中にもぐらせる。
「徹夜はよしなさいよ」
 ちょうど頭の横にあるガウリイの腿の辺りに、額をすり寄せる。
 そのまま眠りにつこうとしたのだが、それより早くガウリイの手が髪をすくのをやめ、彼女の肩を抱いた。
 目を上げると視界に影がさし、羽のような口付けが降ってくる。
「……おやすみのキス?」
「いや……何ていうか」
 目を細めて苦笑するガウリイの、至近距離にある青い瞳に動悸が高まった。
「何よ?」
「……何でもない」
 何かを飲み込んだように、静かに彼は言った。
 しかし、彼が飲み込んだものは、何かあたたかく優しいもののように見えた。たとえば、形にするとほころびてしまうような重い人生の言葉や、ありふれているのに心を打つ感謝の言葉。
 あるいは、人がよく口にするような愛の言葉だったかもしれない。
「……この町には、オレも時々来たよ」
 ささやくような語調で、ガウリイは呟いた。
 ぴったりとくっつけた額から、空気を震わせる声が耳も震わせた。
「そう」
 相槌を打って話の続きを待つが、言いたいことはそれだけだったらしい。
 リナは少し迷ってからうながした。
「……よかったら、もっと聞かせてくれる?」
 ガウリイの顔を見ないように、リナは彼の腰に腕を回す。
 大きな手が枕の上で乱れているだろう髪を整えてくれた。太い指で何度もすいて。
「そうだなあ……と言っても覚えてることは少ないんだが。オレがまだガキの頃、ここに来るのは大旅行だったんだ」
 大人の足で2日の距離。子供なら何日かかるのだろう。
「車を仕立てて、家族で乗ってな」
 子供を連れて、安全に旅のできる家。
 昼間見た町を、リナは思い描く。子供だった彼の目に、そこはどう映ったのか。
「少し大きくなったら、あんまし一緒には来なくなった」
「ちょっと、町の感想とかは?」
 リナは抗議を込めてガウリイを見上げるが、青い瞳は窓の外に向いていて、にらまれたことに気付かなかった。
「ん……覚えてるのは、行き帰りの車の揺れることだけだよ」
 車というやつは、徒歩の方がよほど快適なくらいに揺れる。
「でも、不思議だよなあ。何となく、見覚えがあるような気がするんだ」
「分かるわ」
 もう1度、額を腰に押し当てる。
「リナ」
「何?」
「……いや、何でもない」
 リナは静かに瞳を閉じた。
 自分の呼吸の音だけが聞こえる。小さくあくびがもれた。
「もう寝るわ」
「そうだな」
「寝ないの?」
「……ああ」
「……眠れないの?」
 かすかにガウリイの笑う気配が伝わってきた。
「少し疲れたら眠れるかもな」
「甘えてんじゃないの」
「ダメかぁ」
「昨日も、じゃないの」
「いいじゃないか、新婚なんだし」
「今さらでしょ」
 そういえば前日の夜もこんな風にねだってきたかもしれない、とリナは思い出した。
 本当に彼は眠れないのかもしれない。
 1人では。
「子守唄でも歌う?」
 リナが笑って見上げると、ガウリイは口元をほころばせた。
「リナ」
「だから、何よ」
「あのな。お前さんがいてよかったなぁ、と思った」
 歌ったげる、と言うと、ガウリイは布団の中にすべりこんできた。



END.

 子守唄を歌うリナ(リナに甘えるガウリイ)が書きたいなぁ、と思ったのでした。
 このシーンは、リナたちがゼフィーリアを発った翌日の晩のエピソードとして入れるつもりでした。
 3話目の現在部分が長くなってバランス悪いのと、3話目の展開の早さにそぐわないのとでボツ。でもあきらめられず、おまけとしてまとめることにしました。
 そのシーンだけでもよかったんですが、前後書いてるうちに長くなっちゃって(^^;)。
 まとまり悪くてすいません。

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