にわか剣客・涙の日々 2

 その日、私立スィーフィード学園家庭科室の扉は、蹴り破られ回数の記録を更新した。ここ1年2ヶ月の間で7度目の破壊である。
「リナぁぁっ!」
「うどぅあぁっっ!」
 爆音と共に飛んできた扉が、リナのすぐ脇を通り過ぎて調理台に激突する。
 音や叫び声に驚いたというよりも、とにかく飛び来る凶器を避けるため、リナは手元を狂わせた。包丁を持っていた右手は振り下ろすべき場所をたがえ、彼女の指先を血に染めた。
「アぁメリアぁっ!」
「あ、ごめん」
 あっさり言って、アメリアは何やら大きなものを引きずる。その姿は自分よりも大きな車を引く馬車馬を思わせる。
「そんなことより、見てよ聞いてよ!」
「ほほぅ……そんなことなの。あたしの繊細な指先を傷つけたことが、そんなこと」
 器物破損に関してはどうでもいいらしい。
 現実問題、7回を記録した家庭科室扉破壊事件のうち、2回はリナの仕業である。本人はいたしかたない事情のあることだと主張しているが、ご存知の通り『いたしかたない』かどうかはたいていの場合他人の判断するべき事項だ。
「ごめん、アメリア反省! で、そんなことよりっ!」
「……あんたね……」
「正義の味方なのよっ! いたのよっ! ああああわたしこんなに感動したのは生まれて初めてかもしれないわっ! まさかわたしや父さんの他にも赤く燃える正義の炎を胸に灯した愛の使者がこの世にいるなんてっ! ああ天の神さまごめんなさいアメリアはおごりたかぶっておりました。世界は広く、正義は神の御心のままにあまねく浸透していたのですねっ! 己のみを正義の味方と考えたわたしの小さき器をどうかお許しください……っ! この方の正義の行いっ! 正義の叫びをっ! わたしはこの生涯をかけて語り伝えていかねばならないと、そう心に固く誓って今この場に立っております……っ!」
 何やら感きわまった様子でわけの分からないことを叫び続けるアメリアに、リナはがしがしと頭をかいた。
「ちょっと落ち着きなさいよアメリア。正義の行いは分かったから、そいつ何なの」
「正義の味方よ!!」
「……だから、ね、アメリア?」
 リナの持つ包丁がきらりと光る。
 だがアメリアはまったく動じなかった。
「正義の味方なの! 私たち家庭部の、救世主なのよ!!」
 リナは眉をひそめる。
「どういうことよ?」
「だから。試合よ。剣道部の試合。この人に助っ人してもらえば、百人力よ!」
「助っ人?」
 どうやら、アメリアが言っているのは彼女に手を引っ張られながら頭をかいている男のことらしい。
 スィーフィード学園の男子生徒用制服である詰襟を着た男は、金髪美形で長身。体格はなかなか。アメリアは見かけによらず馬鹿力なのだが、その彼女に引きずられても応えた様子はない。見掛け倒しの体ではないのだろう。
 しかし、彼女が眉をひそめたのは、彼が助っ人にふさわしくないと思ったからではない。
「……そんなこと言ったって。そいつ、犯罪者じゃないの?」
 というのは、どう見ても彼、20代も半ばに近い風貌なのである。何をどうしても、いくらおかしなの揃いのスィーフィード学園とはいえども、高校生には見えない。教師だと言われれば納得だが、彼の着ているのは学生服なのである。
 だがアメリアはきっぱりと首を横に振った。
「正義の心を持った人が、そんなことするわけないわっ!」
「だって、どう見てもおかしいじゃないの」
「いいえ、そんな曇った心こそ、悪!」
 びしぃっ! とリナを指差すアメリア。
「決めつけんな! てゆーか人を指差すな!」
「だいたい、ちゃんとうちの制服着てるじゃない!」
「あのねぇアメリア。このご時勢、行くとこ行って出すもん出せば、制服なんてお夕食時のタイムセール品より簡単に手に入るの」
「正義の味方はそんなことしないわっ!」
「ループか! この会話、ループかっ!?」
 そこにあわてて口をはさんだのは、当の金髪の男だ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。話が見えないんだが。オレはなんで疑われてるんだ?」
 などと、真っ青な目を丸くしてリナを見る。
 リナとアメリアは顔を見合わせた。
 ふぅっとため息をつき、重々しく口を開いたのはリナだ。
「――あんたいくつよ」
「22か3だったと思うが」
 男はあっさりと答えた。
「いやぁぁぁぁ信じてたのにぃぃぃぃっ!!」
 アメリアが絶叫と共に泣き濡れる。
「22か3の男がなんで高校の制服着てんのよこの犯罪者がぁぁぁっ!!」
 リナは猛り狂って懐からおたまを取りだし、かこぉぉぉんっ! と犯罪者もとい金髪の男の頭を殴り倒す。
「ちょっ、痛いだろうっ!? なんだそれ!?」
「汁ものに必須のおたまよっ!」
「いやそうじゃなくて!」
「一般市民から犯罪者への鉄槌よ!」
「だからなんでそうなるっ!? オレは犯罪者じゃないっ!」
「犯罪者じゃなきゃ変態さんかっ!?」
「誰が変態さんだっ!」
「分かった、こすぷれいやーとかゆーヤツねっ!!」
「こすぷれいやーなんていうヤツでもないっ! ただ留年しただけだっ!」
「馬鹿な言い訳すんなっ!」
 リナは目の前の机を蹴り飛ばす。
 机は引き出しの中身をぶちまけながら派手な音を立てて横倒しになった。
「うぉあぁっ!? あ、危ないじゃないかお嬢ちゃん!!」
 抗議には耳も貸さず、リナは倒れた机に足をかける。
「いーい。この学校の在学期間は、最高でも5年。各学年で1年ずつの留年しか許されていないわ。あなたが今最高に留年しまくった3年生だとしても、20歳になるかならないかのはずよ」
「え、えーと」
「大学生? もしかしてここの卒業生なのかしら? 少なくとも、22だの3だのって学生がいるわけないのよ」
「それは」
「さぁ、さっさと目的を吐きなさい。あんた一体、なにもんよ?」
「だからー」
 と、彼は指折り数え始めた。
「中学で問題起こして留年食らっただろ? そのあと高校で1年生を3回やりそうになって転校したんだが、またそこでも1年留年しちまって、やっと2年になったんだ。でもさらに2年生を3回やりそうになって、今度はここに転校してきたから……」
 リナとアメリアの目は、鳩のようにつぶらになった。
「えっと、合計何年になるんだ?」
 彼の指は、小指を折るかどうかで迷っている。
 青空のようにくもりのない目を向けられて、リナは機械のように答えていた。
「プラス6年で、確かに22だか3だかだわね」
 彼はぽんと手を打つ。
「おお! お嬢ちゃん、頭がいいな」
「あんたが馬鹿なのよこのスケルトン頭がぁぁぁぁっ!」 

「ともあれ、れっきとした高校生だと分かった以上、問題は何もないわ! さぁ! 共に家庭部で正義の道を究めましょう!」
 立ち直ったアメリアがしゅたっ! とポーズを決める。
 留年王はぽりぽりと頭をかいた。
「いや……オレは正義とかは別に……」
「そんなっ! さっき悪の一味を蹴散らした時の、あの熱い思いを忘れたんですか!? わたしはあなたならうぎゅっ」
「はいはい、黙っててねアメリア」
 リナは無雑作にアメリアの口を塞ぎながら後ろへと押しのける。
「とりあえず、えぇと、さっきのことは謝るわ。まさか6年も留年してるなんて思わなかったから……」
「いいさ、普通は思わん」
 何やらさわやかに答える男に、リナは苦笑した。
 目の前の男、頭の方は圧倒的に足りないかもしれないが、少なくとも悪人ではなさそうだ。
「アメリアのことも許してやって。この子は、こーいう子なだけだから……」
「こういう子って……まあ何となく分かるが」
「思ったまんまでいいと思うわ」
 アメリアが椅子の両脇に手をつきながら、頬をふくらませた。
「改めて自己紹介するわ。あたしはリナ=インバース。2年C組よ。家庭部の部長もやってる」
「あたしはアメリア=ウィル=テスラ=セイルーン、2年A組のクラス委員です。家庭部では副部長やってますっ」
「ガウリイ=ガブリエフ、2年B組だ」
 絶対零度の沈黙が落ちた。
「……」
「……」
「何だ?」
 澄み切った青い目を瞬かせるガウリイ氏。
 ぎぎぎぎぃっ、と首を回し、リナとアメリアは顔を見合わせた。
「同級生……なのね」
「みたいね……」
 2人は仲良くため息をつく。
「みたいだな。よろしくな!」
 ガウリイ氏はあくまでさわやか好青年だった。
「……ウン……よろしく……」
 ロボットのように手を出し、握手をするリナ。それを握り返すガウリイの手は、リナの倍もあるんじゃないかというほど大きい。この場合ガウリイが大きすぎるのではない、リナが小さすぎるのだ。
 ごつい大人の男の手にほんの少しだけどきりとして、リナはあわてて手を離した。
 『生きた戦闘機』と言われる彼女とて、年頃の女の子なのである。
「ま、まぁとにかくうちの学生なら問題ないわ」
 ごまかすように咳払いをし、リナは動揺を取りつくろった。
「で、あなた、家庭部に入ってくれない? 1ヶ月だけでいーわ」
 ガウリイは首をかしげる。
「なぜオレを家庭部に……? はっさては!? 部長があんまり横暴だから、部員がいなくなったんだな!?」
「やかまし。ちゃんと部員はいるわよ」
「だってオレ……家事とかできないけど」
「そんなことはいーの。剣道の試合をしてほしいの」
 きっぱりとリナ。
「……なぜ剣道……?」
 当然と言えば当然だが、ガウリイはいぶかしんだ。
「あれは、3日前のことだったわ……」
 はしばみ色の大きな瞳を伏せ、リナは思いを過去へ遊ばせる。
「あたしの生涯のライバルを自称する人類最悪の生き物が、あたしが病に倒れている隙に家庭科でトップの成績を取ったの。そしてあたしと家庭部を笑いまくったわ。それはもう、初めて空を飛ぼうとしたライト兄弟だってこんなには笑われなかっただろうってくらいね。だからあたしは言ったの……じゃー今度はあんたが部長してる剣道部に勝ってやるって……」
 うるんだ瞳を向けると、ガウリイは白々した顔つきになっていた。
「……へぇ……」
「協力してくれるわよね」
「……いやオレ、帰るわ」
 学生鞄を手に取り、席を立つガウリイ。賢明な判断である。
 だが、リナは焦らず騒がず言い放つ。
「入ってくれれば、あなたを留年させずに上の学年に行かせてあげる」
 ぴたり。
 今しも家庭科室の扉に手をかけようとしていたガウリイの動きが止まる。
「……何……?」
 リナは自信満々ににっこりと微笑む。スィーフィード学園の生徒たちはそれを、悪魔の微笑みと呼ぶ。
「さすがにもう留年したくないわよね? この調子じゃ、卒業する頃には30超えちゃいそうだもんねえ」
「30過ぎの高校生……」
 ガウリイの額に汗が浮かぶ。いくら彼でもそれは嫌らしい。
「だが、そんなことどうやって……? オレを留年させずに進級させるなんて、ムリに決まってる……っ!」
 吐き捨てるように叫ぶガウリイ。自分で言ってれば世話はない。
 リナは、ふっ、と笑った。
「自慢だけれどもこのあたし、全国模試では常に5位以内に食い込む天才美少女よ。家庭教師を受け持って泣かせた小学生は数知れず、地元では『スパルタのリナちゃん』と異名を取ってるわ」
「……それって……」
「あなたの頭がどんなに綿菓子化していても、このあたしにかかれば進級くらいランチサービス3人前を完食するより楽勝よっ!」
「おおっ! ランチサービス3人前よりかっ!」
 乗ってきたガウリイは、すぐに自嘲の笑みを浮かべた。
「……いやダメだ。お前さんは、オレを甘く見ている」
「あきらめの早い男ねー。んな根性だから留年なんかすんのよ」
 リナはちっちっちと立てた指を振る。
「まぁ、それならそれでいーわよ。いざとなったら、アメリアの名前と権力にモノを言わせましょ」
「ちょっと、リナっ!?」
 アメリアの抗議もどこ吹く風。
「このお嬢ちゃんの名前と……権力?」
「そ。アメリアのフルネーム……アメリア=ウィル=テスラ=セイルーン。どっかで聞いた名字だと思わない?」
「うーん……」
 勝手に人の名前を……とぶつぶつ言うアメリア。それを綺麗に無視して、リナはガウリイの目をじっと見つめる。
 ガウリイはうつむいてしばし考え、おもむろに顔を上げた。
「――まったく聞いたことがない」
「アホかぁぁっ!」
 リナは机に足をかけて身を乗り出し、ガウリイの頭を両手で揺さぶる。
「この国のっ! 首相の名前くらいっ! 知ってなさいよ高校生にもなって! ていうか22だか3だかのくせにっ!」
「が……っ、や、やめ……っ! しゅ、しゅしょう……っ!?」
「そーよ」
 白目をむきかけているガウリイを、リナはぽんっと放す。
「フィリオネル=エル=ディ=セイルーン。この国の首相にして、スィーフィード学園の現校長よ」
「おおっ! ……知ってる、かな……?」
 こころもとなさそうに呟くガウリイ。
 リナはあきらめのため息をつく。
「……知らなきゃ覚えときなさい。で、ここのアメリアはそのフィリオネルさんの娘なわけ。だからある程度融通が利くのよ。ちょっと頭がふやけてる人間を高校卒業させるくらいはできるでしょ。分かんないけど」
「へー」
 感心したように、ガウリイ。
 アメリアは苦い顔でリナを小突く。
「リナ、わたしそんな正義じゃないこと嫌よ」
「何言ってんの。こいつは正義の味方なんでしょ。助けてやって何が悪いのよ」
「……なるほどっ」
 ぽんっ、と手を打つアメリア。コツさえ知っていれば丸めこみやすい人間だ。
 だが納得したかに見えたガウリイは、突如あわてたように首を横に振った。
「だまそうたってムダだぜお嬢ちゃんたち。オレにだって分かるっ! そんなすごい奴らがこの学校にいるわけないってことくらいはっ!」
「えらいえらい。留年王にしちゃ頭使ったわね。でも本当なんだな、これが」
「だって、それが本当ならなんでこんな学校に入ってきたんだよ? 校長の娘だっていうアメリアはともかく、お前さん、信心深いって感じでもないし……」
 リナはその当然の疑問にあっさりと答える。
「だってここ、学費が安いんだもん。あたし、学費自分で稼いでるから」
「なにぃぃぃぃぃ!?」
 大げさにのけぞって驚くガウリイ。
 いつの間にか入れていたお茶を自分1人だけすすって、アメリアは泰然と呟く。
「ほんとに、信じられないくらい安いわよねここ」
「フィルさんけっこう自分の資産から持ち出してんじゃないの」
「ま、正義のためですから」
 ガウリイは焦って2人を順繰りに見る。
「いや安いとか安くないとかそういう問題じゃないだろうっ!? なんで自分で払ってるんだ!? お前さん、いくつだ!?」
「あたしは16に決まってるでしょ。高2なんだから」
「16! そうだろう!? 16のお嬢ちゃんが、なんで自分で学費を払う!? 親はどうしたんだっ!?」
「親は健在よ。ま、家の方針ってやつね」
「家の方針って……」
 ガウリイは途方に暮れたようにリナを見つめた。
 リナは当たり前のことを言っただけという顔でそれを見つめ返す。あんまり見つめられるのでほんのり照れて目をそらしてしまったりもしたが。
 ガウリイは、やおらリナの華奢な肩をがしっと掴んだ。
「……苦労してるんだな、こんなにちっちゃいのに」
 などと、少しうるんですらいる真剣な瞳でリナを見つめる。
「ちっちゃいは余計よ! ていうか、別に苦労もしてないし!」
「かわいそうに。そんな風に強がって」
「強がっとらんわ! これが地よ!」
「いや。いいんだ。分かってる。分かってるから」
「だぁぁぁぁっ! なんも分かっとらん!」
「心配するな。今日からオレがお前さんの保護者だ。任せておけ。剣道部との試合には出てやる」
「え……」
 さらなる反論をしかけ、リナは言葉を切った。
 とりあえず、剣道部の試合に出る、と彼は言った。確かに言った。今はそれがすべてだ。
 ちっちゃいとか強がってるとか保護者とかいろいろと余計なことも言っているが、それはこの際無視するべきところだろう。
 頭の中で素早く計算をめぐらせ、それでも強張る頬を隠しながら、リナはようやくうなずいた。
「……あ、そぉ」
 こうして。
 一方的な善意と誤解と打算に基づく偶発的な結果ではあったが、家庭部とリナは強力な助っ人を手に入れたのであった。
 この時簡単に言った約束がどれだけ重大な決断だったのか、ガウリイ氏はまだ、知らない。

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