GAME 後

 ソファを麻衣に占領されているため、残った反対側のソファに座るナルを立ったままの面々が取り囲むような形になった。
「……で、心当たりがあるわけ?」
 ナルはゆっくりため息をついた。
「ないとは言わない」
「あるのね」
 滝川が声もなくその場にしゃがみ込んだ。
「……滝川さん」
「分かるか、少年。俺は今カルチャーギャップに酷似したものを感じている」
「価値観を否定されたんですね。その苦しみ、よく分かります」
「分かってくれるか……」
 いつから、一体いつから、なぜ俺は気付かなかった、と滝川は呻くように呟いている。
 安原は滝川のように姿勢を崩したりこそしていないが、代わりに笑顔が何とも言えないちぐはぐな表情へと崩れている。呆然としている、と表現するのが正しいだろう。
 普段いかにお馬鹿ぶりを披露していようと、こういうシチュエーションに女は強い。冷静に話を続けたのは綾子だった。もっとも、単にナルへの意趣返しをしているだけかもしれない。
「避妊してなかったわけ?」
「プライベートです」
「麻衣の友人として聞く権利があるはずよ。してなかったって言うなら、アタシはアンタを非難する」
 これに答えたのは麻衣だった。
「してたよ」
「必ず?」
「必ず。でも絶対大丈夫ってわけじゃないでしょ?」
「絶対じゃないことは分かってたわけね?」
「うん、分かってた……」
「まぁ、ない方が気持ちいいからってこっそり外す男もいるし」
 とナルを見、
「既成事実を作って結婚を迫るためにわざと穴を開ける女もいるし」
 と麻衣を見る。
「しない」
 と呆れたように否定したのは、2人が同時だった。
「んなことしたら余計な責任が出てきて、困るのはナルじゃん」
 麻衣がナルへの疑いを否定すれば、ナルは麻衣への疑問を一蹴する。
「そんな知恵の回る女か、これが」
「とりあえず泥沼にはなってないようで結構ね」
 綾子が息をつく。
「それで、どーするのよ。堕ろすの? 産むの?」
「綾子」
 滝川がしゃがみこんだまま、何とか最年長の威厳を取り戻してぱたぱたと手を振る。
「まだはっきりしたわけでもないし。後はナルと麻衣の問題。部外者が口挟むとこじれるから、やめとけ」
「アンタそれでいーわけ?」
「いいも悪いもないだろ」
 実に重そうな動作で立ち上がる。
「子供じゃないんだ、自分らで考えられるよな?」
 麻衣はうなずき、ナルは拒否の意志を目に込めて見返す。彼にしてみれば確認されるまでもないことだった。
「ただ、これはもう2人だけの問題じゃない。俺らにも関係あるってことじゃなくてな、家族やできてるかもしれない子供に関わることだ。その責任は、よく考えとけ」

 オフィスからマンションまでの道を、ナルは麻衣をともなってゆっくりと歩いた。
 彼女の体調はまだ本調子とは言い難い。妊娠しているにしろしてないにしろ、無理をさせていいものかどうかは考えるまでもなかった。
 黙って道をたどりながら、綾子の言葉を考える。
 肌の荒れ、動作の鈍さ、情緒の不安定。思い当たる節はある。
(父親になるかもしれない? この僕が?)
 考えてみたこともなかった。
 お互いの生活の合間に、気まぐれに肌を合わせる日々。
 ただお互いの望みが一致し、楽しみを共有しているだけだとナルは理解していた。
 お互いでルールを定めて、それを守れば問題はないと思っていた。
 後になってみればままごとのような時間だった、とナルは思う。
 たとえどれだけ浅い関わりを保とうとしたところで、関わり合っていることに変わりはないのだ。
 他人と何らかの関係を持つ以上、そこに責任が生じないわけがなかったのだ。直接の相手がたいがいのことを許容してくれていたから、今まで気付かずに来た。それだけのことだった。
 その時間がどんな意味を持つか考えることなく、お互いの許容に甘えた。許された空間の中で遊んでいた。一線を越えなければそれで済むと思っていた。モラトリアムに浸りきった。ままごとだ。
 避妊が絶対の効果を持っているわけじゃないことは知っていた。知識としては知っていた。
 たとえ妊娠しているわけじゃなかったとしても。
 その可能性があることを自分たちは知ってしまった。知識としてではなく、実感として。あまりに危険なままごと遊びだったことを……選ぶ遊びを間違えたことを、知ってしまった。
 もう続けられないのだろう。
「ちょっと待って」
 麻衣が商店街の入口で足を止めた。
「薬局に寄っていくから」
「薬局?」
「本当に……してるかどうか、確かめないといけないでしょ?」
「病院に行くのではなく?」
「薬局で売ってる検査薬でも確かめられるよ? 知らなかった?」
「そうなのか」
「そうなの」
 分かった、とナルがうなずくと、麻衣は少し待つように言って商店街の方へ足を向ける。そして、すぐにその足を止める。背を向けたままに。
「ナル」
「?」
「ゲームをしよう」
 肩越しに振り向いて、麻衣は少し笑う。
「ゲームは終わりだ」
「なら、新しいゲームをしよう。つまらないなら、いくらでも面白くすればいいよ」
「立て続けに失敗したばかりなのに、まだ言うのか?」
「こりないの、あたし」
「そのようだな」
「ナルにもし付き合う気があるなら、試してみたい。家族ごっこ、ってやつ」
 顔を道へ戻して、麻衣は1つ呼吸をする。
「あたしはナルが好きだから。一緒にいるために、少しくらい努力するよ」
 ナルは少し顔を歪め、人混みに隠されていく彼女の後ろ姿を見送った。
 彼女の提案した今度のゲームは、少しばかり参加条件が厳しい。 

 マンションにつくと、麻衣は薬局の袋から小さな箱をとりだしてしばらくその裏面を読んでいた。
 リビングのソファに腰を落ち着けてみたものの、ナルは仕事道具を取り出す気にもならない。さすがに集中できそうになかった。それは、麻衣が箱をながめながらバスルームに消えた後も、出てきた彼女が黙ってお茶をいれてきても変わらなかった。
「はい」
「どうだった?」
「まだ分からないよ。心配?」
 当たり前だ、と思う。
「30分くらいかかるって。ま、お茶でも飲んでてよ」
 麻衣は思いの外落ち着いていた。
 ナルも、自分では動揺しているつもりなどない。気にはしている。人生を左右することだ、当然である。
 それでも動揺につながらない彼の感情は、神妙と表現してもいいものかもしれなかった。
 父親になる想像はつかない。同じくらい、麻衣に堕ろせと言う自分も想像できずにいる。
 堕胎を罪だと考える宗教の信者である覚えはない。どちらかと言えば、育てられる自信がないのなら堕ろすべきだと思う。もちろん、それ以前に望まない妊娠をしないよう備えることはもっと重要だ。
 ただ――けして迷惑ではなかった。
 そういうことだった。
 30分が経過し、麻衣が再び席を立った。
 そしてナルのそばに戻ってくると、ぽすりと音を立ててソファに座る。
 ナルは静かに言った。
「乗ってもいい」
「は?」
「ゲーム」
 麻衣は困ったように笑った。
「結果聞いてから言った方がいいんじゃない?」
「もちろん、ゲームを始めるにはそのための条件が必要だが」
「そうそう。しなくてもいいかもしれないんだからさ。仕方なく言うんだったら結果発表の後でも……」
 そこまで言って、麻衣は何かに気付いたように言葉を止めた。
 もう1度、ナルは言った。
「乗ってもいい。それが僕の返答だ」
 麻衣が唇を噛む。
「返事は後でもいいんだよ?」
「今でいい」
「仕方なく言ってるんじゃないって、思ってもいい? 責任取らなきゃいけないからじゃないって、思ってもいい? あたしバカなんだから早めに分かりやすく訂正しないと、誤解するよ?」
「すれば」
 顔をおおった手の隙間から、麻衣は呟く。
「なんでー……今まで何も言ってくれなかったのに」
「お互いさま」
「好きだよ」
 彼女は呟き続ける。
「好きだよ。大好きだよ。本当だよ。もうずっと、大好きだった。ナルが好きだよ。好きだよ」
 その体を抱き寄せ、柔らかく逃げる髪に、薄化粧の額に、うるんだ目元に、惜しみないキスを与える。彼女の愛の言葉と同じくらい、惜しみなく。
 子供っぽさを残す身体。馬鹿で単純な彼女。
 それでいいのかと彼女は何度も問いかけた。
 別に構わないと答え続けた。
 かつてないほど熱心にキスを繰り返す。
 彼女の率直すぎるほどの告白。体力以外に取り柄のない身体と、その身体と交わす慣れきった情事。
 それを――愛す。

 互いの身体を探り合いながら、意識の片隅でその衣服を剥ぐための方法を探る。ボタンを外したのは麻衣の方が早く、その手がナルの胸をなでる。身体を隠すものを剥ぎ取り、素肌と素肌を触れ合わせて1度しっかりと抱き合う。
 抱き合いながら背中に回した手で、ナルはブラジャーのホックを外した。
 上半身を完全にはだけ、脱いだものをソファの下にまとめて放り下ろす。
 その半裸をながめると、麻衣は顔を背けた。
「あんまり見ないでくれる」
「なぜ」
「胸が小さいから! 自分で言ったんじゃん」
「悪いわけじゃないと言っただろう」
 スカートの留め金をはずしながら、そちらは放っておいて胸の膨らみに唇をつけてやる。やわく噛みつくようにその膨らみを口に含み、吸いながら顔を離して最後に残った突起に歯を立てる。軽く痛みを与えるくらいに引っ張ってから、小さく呻く麻衣の声に満足して労るように唇で柔らかく吸ってやる。
 片手で逃がさないよう腰を引き寄せながら、空いた手は直截に胸の突起をいじって攻めたてる。
 少しずつ方法を変えながら、飽きるまで胸を味わった。
 麻衣は飽きるどころの話ではないだろう。
 同じ感覚には慣れてくるものだが、ナルの愛撫は彼の仕事と同じくらい巧妙で、手抜きというものがない。冷静に観察されながら刺激を与えられ続けたのではたまらない。
「……それだけでいかせる気?」
 ナルは顔を上げ、意地悪く笑みを刻んだ。
「小さくても不都合がないことが分かっただろう?」
 この発言に麻衣は赤面した。
「そういう問題なのかー!?」
 麻衣の叫びは無視し、逆に意識の逸れたところを狙ってソファの上に押し倒される。
「飽きたなら、他のことを」
 勢いのままスカートを引き抜き、反対の手で下着まで剥ぐ。
 すでに充分うるおったそこへ焦らすこともなく指を差し込み、激しく揺らす。快楽に押し流されて悲鳴を上げた麻衣は、軽く達したのかしばらく目を閉じて荒い息をつく。
 構わず行為を続けるナルに、彼女のがむしゃらな腕が伸びて、身体が完全に密着するほど引き寄せられる。彼女の唇がナルが先ほどまで責めていた場所に押しつけられて、夢中になったように吸われた。
 その夜、初めて彼は快楽に任せて理性の留め金を外し、行為の果てに声を上げた。
 いつまでも感情から目を反らして自分を守っても仕方ない。
 口をつぐんだままのゲームは終わったのだ。 

 うとうとと夢うつつをむさぼるベッドの中で、思い出したように麻衣が検査の結果を告げた。
 妊娠の事実はなかった。課題に追われて疲れていただけらしいと。
 彼らは苦笑を交わし、小さなキスを交わした。
 「ゲームをしてみるか」と、ナルが言った。
 少し瞬いてから、「いいよ」と、迷わず麻衣は答えた。
 ずっと一緒にいるためには、少し努力が必要だ。

END.

 イマイチ、クール&アダルトポップに徹しきれていない…(TT)。

 実はSecretGarden用に書いたものなのですが、テーマを変更してしまったのでボツになりました。最初のテーマは「(アレで)声を出すナル」とかいう超絶難しいものだったので、頭ひねったあげくこんなんになりました…(笑)。
 なぜか、書いた頃私の中で「ムーディじゃないナルX麻衣H」が書きたい、という欲望が常に渦巻いておりまして…(爆)。がんばったんですけど、どうもクールじゃない…。ベタベタで甘い話が好きだからな…これでも…。

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