それは心を繋ぐもの ex その刃を抜く時 後

 旅を再開して以来、部屋は一つしか取っていない。
 それはけして、慰め合うような行為をするためではない。
 ガウリイは、眠れずにシーツの中で寝返りを打った。
 ベッドサイドテーブルを挟んだ向かいのベッドから、同じような寝返りの音が聞こえてくる。
 リナも眠れていない、というわけではない。先ほどから寝息が聞こえてきている。だが、寝息の他に、時々ため息のような声が混ざる。うなされているのだ。
 やみそうにない。
 ガウリイは枕元の剣を持って、暗闇の中立ち上がった。鎧戸を閉めているから、明かりは隙間から漏れる月の光くらいしかない。だが、向かいのベッドへ移動するくらいならば特に困らない。
 何度も寝返りを打つリナの体をそっと奥へ寄せて、枕元に自分の剣を立てかける。
「……ガウリ……?」
「ああ」
 空いた隙間に体を滑り込ませて、小さなリナの体を抱え込んだ。
 腕の中にすっぽり収まってしまうリナの体は、温かくてやわらかい。その体を抱きしめていると、子供を抱いているような愛しさが湧いてくる。
 そっと頭をなでると、条件反射のようにリナが体をすり寄せてきた。
「……ん……ガウリイ……」
「ここにいるから。寝てな、リナ」
「……うん……」
 ガウリイは、リナを起こさないように優しくその髪をなでた。癖のある柔らかな髪が指に絡みついてくる。
 しばらくすると、リナがまた寝息を立て始めるのがわかった。ゆっくりのぞき込むと、先ほどより幾分穏やかな顔になっていた。
 安堵で、体の力が抜けた。
 これが、同じ部屋を取っている理由だった。
 最初に一部屋でもいいんじゃないかと言い出したのはリナの方だった。別に、こうして抱いていてほしいと言ったわけではない。ただ、もう同じ部屋でもかまわない関係なのだから、一部屋の方が安く済む、とそれだけの理由だった。
 そう言われて、ガウリイはほっとした。町に逗留する間、となりの部屋からしばしばうなされている声が聞こえてきていたからだ。かすかではあったが、気付いてしまうと気になってたまらない。
 あの時の夢を見ているのかと思うと、泣きたくなった。
 リナは一見元通りの言動を取り戻していたが、まだ完調にはほど遠い。蒼白だった顔色に赤みが戻り、凍り付いたようだった表情に笑顔が浮かぶようになり、虚ろだった目にも光が差してきた。だが、ふとした時に、たとえばトラブルの現場に居合わせた時や、こうして嫌な夢を見た時に、危うさを見せる。
 まだ、悪夢にとらわれているのだ。
 守ってやりたい。だが、どうしてやることもできない。
 もどかしさに叫び出したくなる。
 できることがあるならば、何だってしてやりたい。
「ガウリイ……」
 目が覚めてしまったのだろうか、寝ているかと思ったリナが、ぼんやりした声を上げる。
「ん? どうした?」
 髪を梳いていた手を止めて、軽く顔をのぞき込む。リナは薄目を開けて、ガウリイの胸の辺りをとろんとした目で見ていた。
「あんたってさ……こうしてて、平気なの?」
「は? 何がだ?」
「だから……しょっちゅう、あたしのこと抱いて寝てるけど。平気なの?」
「だから、何がだ?」
「つまり、その……」
 もごもごと小さな声で、リナはつぶやく。
「……すけべなこと、したくなったり、しないわけ……?」
 ガウリイは吹き出した。
 何を心配しているんだか、と思う。そんなことは考えてもみなかった。
「いや、全然」
「ふーん……? そんなもん……?」
「そんなもんだよ」
「そお……」
 何やら照れているリナの頬を、軽くつつく。
「もしリナがしたくなったら、言っていいんだからな?」
「ちょっ……違うわよ……っ。あたしが言ってんのは……」
「わかってる」
「何がわかってんのよ。あたしはね」
「だからさ。別に、今したいだろって話じゃない」
「むう……」
 実際、そんな気にはならない。
 リナは病人と同じだ。弱って抱きついてきているものを、どうこうしたいなどとガウリイは思わない。
 と言っても、あの時はしたわけだが。
 町に逗留していた時、じっとしていることに焦ったリナが、現状をどうにかしようと無茶を言い出したことがあった。悠長に復調を待っていたくない、自分の傷と正面から向き合って克服する、というのである。
 その方法の一つとして、ガウリイと真っ当なセックスをしてみるのもいい、などということを自棄気味に言い出した。
 どうしていいかわからなくて、溺れるようにあがいているのだ、と思った。
 もっと強くたしなめるべきだったのかもしれない。
 だが、ガウリイはその提案に乗った。
 最初は、自分を騙して無茶をしようとするリナに、心に付いた傷を自覚させるためだった。乱暴なやり方ではあるが、言って聞かない相手なのだから少々の無茶は仕方ないと思った。
 そして、彼女から積極的に求められてからは、それをやりとげることが彼女の中でひとつの区切りになるならば、と気持ちが変わった。
 その時は漠然と『これしかないか』と感じたからしたのだが、後から自分の気持ちを整理してみると、そういうことだ。
 しかし、それだけならばきっと、リナの苦しむ顔に耐えられずに途中でやめていた。
 強く止めることをせず、わずかな救いを求めてもがくリナの望みに応じる形で最後までしたのは、ガウリイの意志だった。リナは、自分が望んだから嫌々付き合ってくれたのだと思っているかもしれない。だが実際は、確かに、ガウリイもそれを望んでいたのだ。
「ガウリイって……ほんとに、あたしがしてほしがること以外、何にもしないわよねー」
「そんなことないぞ」
 ガウリイは苦笑する。
「だってそうじゃない? 自分から何かしてきたこと、ないでしょ」
「そうでもないよ」
「そう?」
 ガウリイは、リナの小さな頭をそっと抱え込む。
 リナは、力を抜いてされるがままになっていた。
「でも、まあ……こうして何にもせずに一緒に寝ててくれて……ちょっと、気持ちいい。なんてゆーか……ほっとするみたい」
「そっか……」
 リナは、半分寝ぼけた声で、かすかにつぶやいた。
「……ありがと」
 礼を言われる筋合いではない。本来ならば、こうして何もせずにいるのが当然なのだ、とガウリイは思う。
 あの時だって、わかっていた。
 いくら本人が望んだと言っても、この時期に体を重ねることは犯されるのと同様に感じるだろうと。
 実際、リナは怯えを見せたし、とにかく乗り越えようと必死な様子だった。
 それがわかっていて、積極的にやめさせることをせずに、最後までした。
 ガウリイとしても楽しむというわけにはいかず、精一杯気を遣っての行為だった。リナが少しでも楽なように、手を尽くした。早く済むようにとも思った。
 とてもではないが没頭できる状況ではなかったので、リナにはけして言えないような妄想まで引っ張りだして、なんとか興奮を高めた。
 必死だった。
 ひとつには、リナがそれで少しでも救われるならと思ったから。
 だがもうひとつの理由は、ただリナの中に精を放つためだった。

 姿の見えないリナを探して山の中を走り回った日、盗賊たちがねぐらに使っているという小屋に踏み込んだガウリイは、見知らぬ男に犯されるリナを見た。
 二度と思い出したくない、凄惨な光景だった。
 だが、悲しいかな、それはこの世界において珍しい悲劇ではない。ガウリイは同じような無惨な光景を、過去、何度も目にしていた。
 リナと出会う以前、傭兵として幾多の戦場に出た。戦時下の異様な興奮状態においては、しばしば略奪や陵辱と言った行為が行われた。おそらく、殺し合いを続ける内に他人の痛みを思いやる感覚が麻痺し、力こそが全てのような錯覚を覚えてしまうのだろう。
 彼らのように心を亡くしてしまう方が、楽だったかもしれない。
 だがガウリイは、自分の良心を殺すことができなかった。惨い光景を見る度に、心を痛めた。
 後になってそっと様子をうかがったこともある。
 痛みに耐えきれず命を絶ってしまった女性もいた。時間によって癒された女性もいた。だが中には、生きながら悲劇にまみれ、一生を苦しんで過ごす女性もいた。
 リナが自ら命を絶つことは、ないだろうと思った。しなやかな精神を持った女だ。いつまでも立ち直れないということもあるまい。十分な時間が過ぎれば、過去は過去として笑って生きることができるだろう。
 だがもしも。
 もしもその体に望まない命が宿ってしまっていたら。
 今の医術では、堕胎することは難しい。無理に行えば、致命的な障害が残る可能性もある。
 産んだとしても、その子を心から愛すのは困難だろう。一生、傷を背負っていくことになる。
 全てが済んだ後になってどれほど恐れても、どうすることもできない。そんなことが起こらないようにと祈るしかない。
 ガウリイは、一人祈った。
 あの辛い事故が、ただの過去になって風化していきますようにと。忘れることを許さない刻印が刻まれませんようにと。
 祈っている時に、リナが体を重ねることを望んだ。
 暗い、希望が浮かんだ。
 泡が弾けるような、一瞬の思考だった。魔が差した、というのかもしれない。
 ガウリイはその提案を飲んだ。
 もし最後までできるようなら、彼女の中に精を放とうと。
 そうすれば、万が一子供ができた時、それがガウリイの子供かもしれないという、ひとかけらの望みを残すことができる。
 実際産まれた子供がガウリイと似ていなかったとしても、親に似ていない子供などいくらでもいる。可能性がなければ、縋ることもできない。それが一%であっても、希望があれば、信じることは不可能ではない。
 もし願い叶わずリナが妊娠の兆候を見せた、その時には。
 リナが気付き、悩み苦しむよりも先に、「オレの子だよ」と微笑んで抱きしめてやるのだ。不安を悟らせず、確信しきった顔だけを見せて、リナを騙し通す。
 リナはどうやらまだその危険に思い至っていない。ガウリイが先に気付くことは可能なはずだ。
 そんな薄ぼんやりとした暗い思い付きを抱えて、ガウリイはあの日、リナの望みを受け入れた。
 もちろんリナが嫌がれば、すぐさま止めるつもりだった。だが、リナはそれを望んだ。
 意味のある行為だったのかどうか、それはわからない。妊娠の危険を高めただけかもしれない。リナを苦しめただけかもしれない。
 それでも、その時はそれしかないと思ったのだ。
 きっと、ガウリイが何を考えて何をしたのか、誰も気付きはしないだろう。リナも気付くことはないに違いない。
 だがあの時、ガウリイは確かに、ずっと鞘に収めてきた刃を抜いて、リナに向けてそれをふるったのだ。
 自分の中で渦巻く不安に、耐えきることができずに。
 気付かれることなく、必死に、残酷に。

 翌日宿を出る時、宿の子供とその母親が、弁当を差し出してくれた。
「僕が作ったんだよ! おいしいのを、たっぷり入れといたからね!」
 親子の笑顔は、晴れやかだった。
 ずっしりと重い弁当を受け取り、ガウリイは笑って礼を言った。
 これは、昨晩の暴力の対価だった。

 涼しい風が、髪を揺らして通り過ぎていく。
 平原にまっすぐ伸びる道を歩きながら、ガウリイは時折リナを振り返る。
 少し歩く速度が遅いようだった。予定に支障が出るほどではないが、昨晩食が進まない様子だったこともあり、不安が胸の内に湧いてくる。
 もし。もしも、リナが妊娠していたら。
「……あー、えっとね」
 少し気まずそうな顔で、リナがガウリイを見上げてきた。
「ちょっと体調悪いのよ。歩くの遅くなってるけど、気にしないで」
 ガウリイがリナの様子をうかがっていることに気付いていたらしい。
「別にかまわんが、どうした。気分でも悪いのか?」
 声に混じりそうになる緊張を押し殺して、ガウリイはできるだけいつも通りの声音で聞く。
「……や、別に。ただの腹痛」
「腹痛?」
「だからその……しばらく魔法が使えないんで、よろしく」
 言葉の意味を理解して、ガウリイは思わず大声を上げていた。
「あの日か!!」
「だからそーゆーことを大声で言うなあああっ!」
 顔面にパンチを食らわされて、ガウリイは顔を押さえながらのたうった。
「いってえ! 目に入った、目に!」
「自業自得よ! いやなら避ければいいじゃないの、避ければ! 避けられるくせに」
「ううっ……涙出てきた……」
 顔を覆ったまま、嗚咽を押し殺す。
「う……えと、治癒する?」
「大丈夫だがなぁ……顔殴るのはやめろよ、もう」
「うー……考えとくわ」
 その細い体を、折れるほど強く抱きしめたかった。
 よかったと泣きながら、頬ずりしたかった。
 だが、そんなことをしてすれば、せっかく気付かせずに済んだ暗闇に気付かれてしまう。
「……あー……やっぱり呪文かけてもらおうかな」
 止まらない涙を両手で隠して、その場に座り込む。
「え、ほんとに目、傷つけた?」
 焦ったようにリナが膝を折る。
 ガウリイの手をどかしてのぞき込もうとするリナから、少し体を引いて逃げる。
 泣いている顔など見せられない。
 本気で泣いていたことも、その理由も、リナは一生知らなくていい。

END.

 ガウリイ側の動機について語るとテーマがブレると思ってさらりと流したのですが、引っかかってしまった方もいらしたようなので、悩んだ末、公開することにしました。

 ガウリイさんという人は、リナのような理路整然とした考え方はできないけれども、リナとは全然違う視点からものを見て、考えているような気がしています。リナから見ると「わけわかんない」「こいつはバカか」になるのですが、実のところ純粋な献身ではないと思うし、リナと違って汚れた世界が見えてるんじゃないかと思うし、だからといって単に腹黒いとも言い切れないと思うのです。
 感覚的なものだけに、混沌としていて深いその思考を、どうやって文章で表現するべきか、いつも悩みます。説明できてるか不安でなりません。
 でも、傍から見て意味分かんないのがガウリイさんだとも思うのです。

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