どれくらい泣いてたんだろうか。
あたしは時計を持っていなくて、時間が解らない。
でも、まだそんなに遅い時間じゃないはずだ。
どこからか、朝御飯のいい匂いがする。
(お腹すいたな…)
帰ってご飯食べよう。よく考えたら、晩御飯も食べてない。
いっぱい泣いたし、いっぱい悩んだから、もう悩むのはやめて
お風呂入ってご飯食べて、ゆっくり眠ろう。
それから事務所に行こう。
それで確かめればいい。
あたしはナル本人じゃないんだから、ナルの気持ちなんて解らない。
だったら訊けばいい。
怖いけど、もしかしたら、一番聞きたくない答えが返ってくるかもしれないけど、
だからっていつまでもこのままじゃいけない。
そして、その後ナルを叱りつけてやる。ちゃんとした生活をしろって。
体調がすぐれないままなら、引きずってでも病院へ連れていく。
そして。
それからのことは、それから考えよう。
きっと、遅くないから。


あたしは気合いを入れて立ち上がった。
大丈夫。もう元気になったから。
階段を、一段一段踏みしめるように下る。
まずはお風呂のお湯を入れて、なんて考えているうちに自分の家の前だった。
いつも鍵を入れておくポケットに、手を入れて探る。
「…あれ?」
無い。
一気に気持ちが焦る。
やばい、どっかに落としたんだ。
屋上?マンションに帰るまでの道のりかもしれない。
それよりもずっと前に落としたのかも。
管理人さんに言って、合い鍵を借りようか。
でも、こんな早い時間に起こすのも申し訳ないし。
(とりあえず、屋上…)
近いところから探そうと振り向くと、いきなり目の前に何かが突き出された。
「…要らないのか?」
あたしは動けなかった。すごく驚いたから。

鍵を持ったナルが、あたしの後ろに立っていた。
相変わらず不機嫌そうな顔をしているけど、どこか疲れている。
「忘れ物だ」
短くそう言うと、あたしの手に鍵を持たせる。
「あ、うん。ありがと」
何と答えて良いのか解らなくて、とりあえず鍵を受け取る。
沈黙。
でもいつもとは違う。
何だかナルの様子が…。
「あの、どうしたの…?」
「何が?」
何がって…。
「何で怒ってんの?」
「さあな」
ナルの顔が更に険しくなる。
何でいきなりあたしが睨まれなきゃならんのだ?
段々腹が立ってくる。
そりゃナルは知らないだろうけど、あたしはこの何時間、
胃が痛くなるほど悩んで、頭が痛くなるほど泣いたんだぞ。
誰のせいだと思ってんだ。
「用がないなら、あたしもう寝るから」
受け取った鍵を鍵穴にさして、乱暴に鍵を開ける。
ドアノブに手をかけると、ナルが小さな声で呟いた。
「帰っているならそれで良い」
へ?
それは独り言だったようで、ナルはさっさとエレベータの方へ歩いていく。
ナルが後ろを向いた瞬間に気が付いた。
コートの下に着ているシャツは、パジャマのままだ。
もしかして。
あたしは鍵をさしたまま、ナルを追いかけた。


「ナル!ちょっと待って」
ナルは振り向かない。聞こえていないはずはないのに。
「ナルってば!!待てって言ってんでしょ?!」
何度か叫ぶと、ナルはようやくこちらを向く。
嫌そうな顔。
でも、やっぱりパジャマのままだ。
「ナル、いつ起きたの?」
「5時過ぎ」
あたしが出ていってすぐだ。
「いつからここにいたの?」
「ついさっき」
「じゃあ、その間は何してたの?」
「…別に」
ねぇ、もしかして。
自惚れかもしれないけど。
「捜してくれてたの?」
ナルは答えない。
表情も変えない。でも。
そんなはず無いのに、あたしは何故かナルが捨てられた仔犬のように見えた。
「捜してくれたの?」
もう一度訊くと、ナルはゆっくりと首を振った。
「鍵を届けに来ただけだ」
この人は、本当に。
なんて不器用なんだろう。
「用がそれだけなら、僕は戻るぞ」
ナルはエレベータのボタンに手を伸ばした。
その腕を捕まえて、あたしはナルにこちらを向かせる。
そうして。
「っ!!」
エレベータホールに、大きな音が響いた。
あたしは、ナルを力任せにひっぱたいた。
「昨日のことは、これで許したげる。優しいでしょ?」
にっこり笑ってやると、ナルは苦虫を噛み殺したような顔をする。
その頬には、真っ赤な手形。



ナルが何も言わずにいるので、あたしは彼を引きずるように家に連れ込んだ。
あたしと同じように、ナルも食事をとってない。
手早く朝御飯の準備をして、机の上に並べていく。
2人分の食事の用意を見て、ナルがうんざりしたように言った。
「僕は要らない」
「却下」
「食欲がないんだ」
「無理してでも食べて。折角作ったのに、勿体ないじゃない」
ナルは諦めたように箸を手に取った。





「ねぇ、ナル。訊いても良い?」
「何が?」
渋々朝食に手をつけるナルに話しかける。
「何で昨日あんなことしたの?」
ナルが、箸からご飯を落とした。
顔色も表情も変わらないけど、動揺しているのはバレバレだ。
あたしだって緊張してる。多分、顔だって真っ赤だ。
でも、こんなこと訊くには勢いしかないじゃない。
「昨日だけじゃなくて、前の時も。
…ナルが何も言わないから、あたしどう取って良いのか解らないよ」
ナルはこちらを凝視したまま動かない。
あたしにだけ喋らせないでよ。
心臓が爆発しそうなほど早く波打っている。
体中が心臓になったみたいだ。
「ナル?」
「…そうしたかったから」
「じゃあ…、あたしじゃなくても良かったってこと…?」
ナルが一瞬驚いた顔をする。
そして、大きくため息をついた。呆れたみたいに。
「本能だけで動けるほど、僕は破綻していないつもりだが」
遠回しで解りにくい。
でも、解るよ。
本当は解ってた。ナルがあたしを捜してくれたと知ったときから。
胸の中に暖かい気持ちが広がる。
この気持ちの名前を、あたしは知ってる。
「でも、あたしの同意もナシで自分の思いだけで突っ走ったよね?
あたしの意見は聞く気がないってこと?」
意地悪してやりたくて、ちょっと怒ったように言うと、
ナルはしれっと答える。
「訊かなくても解ってたから」
だからってねー。あたし、すっごい悩んだんだよ?
あたしが心の中で毒づくと、ナルはもう一度口を開いた。
「でも」
「?」
「確かに強引だった。…すまなかったな」
ナルは結局、朝食を全部胃の中に納めたのに対し、
あたしは殆ど食べられなかった。
泣いていて、食事が喉を通らなかったからだ。





「今日は2人して重役出勤か?」
事務所に来ていたぼーさんがにやにやと笑う。
あたしたちが事務所に着いたのは、昼も回った頃だった。
暇つぶしに来ていたぼーさんと綾子は、安原さんが作ったと思しき
飲み物を手に、それぞれにくつろいでいる。
「仲良く揃って出勤なんて、やってくれるじゃないの」
今日も今日とて派手派手しい化粧をした綾子は、
もしかして一緒に家を出てきたんじゃないの?とからかった。
でも、今日に限ってその冗談は通用しなかった。


一気に真っ赤になったあたしを見て、ぼーさんがくわえていたストローを落とした。
「…え?ちょっと、冗談でしょ?」
綾子が焦ったようにナルに意見を求めると、
ナルはいつもの不適な笑みを浮かべた。
「さあ」




ぼーさんが灰のように白くなっていたらしいけど、
あたしは綾子の執拗な質問責めにあっていて、気が付くことはなかった。
 
     






はい。そんなわけで、何が裏の裏なのか、という突っ込みお待ちしております。(笑)
ぶっちゃけた話し、「ナルも男の子」というそれだけのことです。はい。
たまには獣でも良いかな、と思ったんですが、
書き始めてすぐに後悔しました。(早)
実は、これも続きがあります。(いいかげんにしとけって・・・)
まだ書いてないんですが、あまり長くない(予定)ので、
近いうちにアップできるんではないかなー、と。