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本当を言うと、まだ少し歩くのは辛い。
下腹部に残るナルに与えられた痛み。
繋いでいる手から、この感情は通じてしまっているかもしれない。
歩き方だけで、気付かれているかもしれない。
(もう、構わない)
見られて困るものなんか無い。 あたしには、隠すものなんて残ってない。
あたしはあたしなんだから。 あたしのままでいれば良いんだから。
「さぁ、食べて!」
テーブルに並べた料理の山に、ナルは呆れている。
ナルの手に箸を押しつけても、受け取ろうともしない。
「食べて!」
「・・・こんなに作ってどうするんだ?」
「ナルが食べるの」
「食べきれない」
見るだけでうんざりする、とナルは押しつけられた箸を机に置いた。
「折角作ったのに」 「限度があるだろう」
「無い」
ナルの深い溜息を無視して、今度はあたしが箸をとる。
食べないんなら、食べさせてやろうじゃないか。
「はい」
箸で摘んだご飯をナルの鼻先に付きだしてやる。
彼は一瞬鼻白んで、次にあたしを睨んだ。
「自分で出来る」 「疲れてるんでしょ?食べさせてあげるって」
「遠慮する」
「・・・・どーしても嫌?」
「別に空腹でもない」 「じゃ、お腹空かせてきて」
「?」
「お風呂。汗かいたんだし、お風呂入るでしょ?」 その代わり、料理が冷めてるとか、あとで文句つけないでよ?
笑って立ち上がると、ナルが不意にあたしの腕を掴んだ。
そのまま引き寄せられて、唇を塞がれる。
舌を絡めて、身体の自由を奪って。
彼の望む全てを受け入れて、差し出す。 それで良いのかどうかなんて、あたしには解らない。
でも。
今はナルの体温が心地良いから。
ナルの舌に酔っていたいから。
・・・今だけ、ナルを独り占めできるから。
離れた唇は、湿り気を帯びて微かに光る。
「お風呂は?」
ナルの指が、あたしの喉を伝う。
「要らない」
「食事は?」
「あとで」
さっき着たばかりのブラウスを、また脱がされる。
「・・・こっちが先?」
「嫌ならやめても良いが?」
突き放すような言葉。 冷たい指。
でも、耳朶にかかる吐息は熱い。
熱くて、甘い。
「・・・やじゃない」
答えたときには既にソファの上に組み敷かれていた。
ナルの高ぶりを全て飲み込まされて、彼自身が果てたあと、
ナルはあたしの横に倒れ込んだ。
暫く肩で息をしていたかと思うと、
今度は、まだ思うように動けないあたしの身体に、意味もなく触れる。
胸に、頬に、唇に、肩に、瞼にキスをして、今度は大腿へ手を伸ばす。
「んんっ・・・・ぁ・・は」
まだ繋がれていたときの感覚が抜けないあたしを、ナルは何度も攻め続ける。
壊れてしまいそうなほどの快感。
もう、自分がどうなっているのかも解らない。
もう、何度交わったのかも解らない。
見えるのはナルの顔。
いつもとは違う、雄(おとこ)の顔。
「・・・な・・・る?」
「何だ?」
「ちょっ・・・休憩・・させ・・・・・」
「・・・ああ」 荒い呼吸とともに、吐き出した言葉は、思ったよりも明確にナルに届いたようだった。
ナルはあたしの秘部を弄っていた手を離し、先ほどと同じようにあたしの隣に寝転がった。
たった数十センチの距離ができた。
あたしとナルの間の、僅かな距離。
身を切られるほどの切なさを、あたしは知ってる。
泣きたくなるほど、消えてしまいたくなるほどの切なさを、知ってる。
あたしはナルを見る。
ナルの服は上着が乱れているのと、ズボンのチャックが降りているだけで、何一つ脱いでもいない。
あたしの服は、もう何時間も前から放置されていて、とっくに冷たくなっている。
(・・・寒くなってきちゃった・・・)
冷たい自分の服を身につけるよりも、隣にある人肌の方が暖かい。
あたしはナルに身体を擦り寄せた。
「麻衣?」
「寒い・・・」
ナルが急に起きあがった。
彼が動いた微かな風圧が裸の皮膚に痛い。
嫌みを言ってやろうとナルを見上げると、彼は自分の上着を脱いであたしにかけた。
そして、そのままもう一度横になると、今度はあたしを上着ごと抱き寄せた。
無言。 情事の間も、その後も前も、ナルからは甘い言葉は貰えない。
恋人たちがベッドの上で紡ぐような睦言は、決して口にしない人だ。
でもあたしはナルの声が聞きたい。
耳に触れるだけで戦慄が駆け抜ける、彼の声が。
「ナル・・・好きって何?」
「そんなことはぼーさんあたりにでも訊けば良いだろう。僕の分野外だ」
「じゃ、セックスって何?」
「子孫作成行為」
「・・・身も蓋もないね」
「そんなもの無くて良い。どうせ本能で動いているんだ」
「そっか」
それまで閉じていたナルの目が開いた。
まるで、自分の言葉に驚いたみたいに。
何度か瞬いて、ぼんやりとあたしを見る。 「ナル?」
「本能行動は、プログラムの内・・何だろうな」
「プログラム?」
「・・・いや、こっちの話しだ」
ナルは一人で納得したように、また口を閉ざした。
・・・何だよ、急に独り言?
あたしはあたしの存在を無視されたみたいで急に悔しくなって、
身動きできない代わりに、ナルのシャツを掴んで彼の顔を引き寄せた。
不意を付かれたナルの顔を視界の端に掠めながら、あたしは彼の形のいい唇を奪う。
「ま・い?」
流石に舌を絡めるまでは出来なくて、思いっきり重ねた唇を、またあっさりと離す。
と、ナルは明らかに意表をつかれたようで、あたしの顔を凝視していた。
「本能行動、でしょ?」
笑ってやると、ナルがふっと目を細めた。
それは、ジーンとは違う、優しい笑み。
ほんの一瞬現れた表情は、またすぐに消えてしまった。 あたしはそれが勿体なくて、どうしてももう一度見てみたくて、表情を無くしたナルに顔を寄せた。
「・・・麻衣?」
「・・・・・黙って」 「・ん・・・」
今度は唇を重ねてすぐに舌を絡めることを強要される。 舌先で下唇をつつかれて、舐められて。
気を抜いたところに、そろりと何かが侵入してくる。
腰に回された手で身体ごと引き寄せられて、あたしは全身の力を抜いた。
「ねぇ、笑って?」
「・・・は?」
「笑ってよ」
「・・・寝惚けてるのか?言う相手を間違えてるだろう」
「間違ってないよ、あたしはナルに言ってるの」
「出来ない」
「出来るよ、さっきしてた」
「さっき?」
「さっき笑ったでしょ?」
「覚えがない」
眉をしかめるナルに、あたしは微笑む。
「笑うとキレイ。笑って無くてもキレイだけど、笑うともっとキレイだね」
あたしには、ナルのような美貌はない。 ナルのような頭もない。 真砂子みたいに綺麗でもないし、
綾子みたいに格好良くもない。
まどかさんみたいに笑えないし、ルエラのようにはナルに接することが出来ないだろう。
当たり前だけど、ジーンの代わりにもなれない。
でも、だからあたしはナルの側にいる。
何の取り柄もなくて良い。
偉くもなくて良い、馬鹿でも良い。
迷っても泣いても傷つけられても、そんなことどうだって良い。
ナルがナルのままでいられるように、たったひとつでも何か出来ればいい。 そしたら。
(あたしはきっと、ナルの人生の欠片の一つになれる)
綺麗なこの人の、欠片になれる。
「ナルはキレイ。すごく、すごくキレイ」
「そんなに何度も言わなくても解ってる」
ナルの手があたしの髪を撫でる。
滑らかに動く白い指が、あたしの髪の中を泳いでいる。
「・・・気持ち良い」 「そう」
「頭撫でられると、愛されてる気がしない?」
「同意を求めるな」
「だって、頭撫でられるの好きなんだもん。・・・ナルは嫌い?」
「見下されてるみたいで、気分が悪い」
「天の邪鬼」
「おかげさまで」
ナルの指は、彼の口と違って優しい。
ナルの中には色んなナルが居る。
優しいナルと、冷たいナルと、怖いナルと、真摯なナルと、乱暴なナルと。
あたしは今、どの彼を見てるんだろう。
(・・・いくつ知ったら、この距離が埋まるかな) この切ない距離が、埋まるときは来る?
「眠いなら寝ろ」
うとうとと船を漕ぎ始めたあたしに気付いて、ナルが声を掛けた。
「ん・・・まだヘーキ・・・」
「寝て良い。あとで運んでやる」
そういえばここはソファだった。 そんなこと、どうでも良いくらいに無我夢中だったから、とっくに忘れていた。
「でも・・・ご飯・・・」
「食べてやるから、もう寝ろ」
あたしはナルを見上げた。
もう視界が霞んで、ナルの顔がちゃんと見えない。
「・・・ほんと?」
「嘘は言わない」
その台詞が既に嘘だ。
あたしは言い返してやろうとしたけど、髪を梳いてくれるナルの指があんまりに気持ちよくて、
結局何も言い返せなかった。
ことん、と身体の力が抜けて、麻衣がたゆたう夢の中へ旅立った。 麻衣の表情には明らかに疲れが見える。
何度も抱いた。
何度も何度も、気が遠くなるほど。
ずっと思っていた。
抱いても抱いても足りないなら、満たされるまで抱いたらどうなるだろう。
もう十分だと思えるほど、肌を重ねたら。
彼女がギブアップを告げるまで抱いた。
僕自身の身体もこれが限界だと悲鳴を上げている。
これが答えだ。
僕は満たされなかった。
もう吐き出すだけの精力は残っていないはずなのに、まだ疼いている。
「心」という、不可解な場所が。
さらりと、僕の指の隙間から麻衣の髪が滑り落ちる。
『女』とは不思議な生き物だ。
人間には二種類あって、一つは男、一つは女。
外見上、形にそれほどの相違点はなくとも、触れてみれば解る。
女は柔らかい。驚くほどに、柔らかく弱い。
肌の弾力だけではない。髪まで柔らかい。
華奢な項から、小さな額から、ただ生えているだけの髪が、これ程愛しい。
(・・・どうかしている)
麻衣の言うとおり、疲れているのかもしれない。
普段の自分ではあり得ない思い。
麻衣を見る。
既に意識は遠く彼方にある少女。
麻衣の身体を初めて手に入れたとき、
今と同じように夢へと歩き出した彼女を、咄嗟に殺してしまおうかと思った。
このまま殺してしまえば、永遠に手に入れられる気がした。
その時点で気付くべきだったのだ。
「・・・狂っていても、構わない・・・」
精密機械は脆いんだよなと、数日後に顔を合わせたぼーさんがぽつりと呟いた。
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