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「何してるんだ、こんなとこで」
ぼーさんは息を切らせて、あたしの方へ寄ってくる。
あたしは自分でホテルにチェックインしたことがなかった。
調査の時や旅行の時に、予約することはよくあったけど、
いきなり飛び込んでいって、「部屋は空いてますか?」
と訊くのが、ちょっと気が引けて、駅前のベンチに腰を下ろしていたのだ。
「何って・・・・、その・・・」
どう説明したらいいのか解らずに、あたしは俯く。
上手い言い訳が思いつかない。 ぼーさんがあたしの肩を掴んだ。
「ナル坊から電話があった。ここら辺にいるだろうから、
先に行って捕まえておいてくれとさ」
「・・・ナルから?」
「読んだんだと」
ナルがあたしを、探してる・・の?
「当たり前だろう、今までにないほど慌てとったぞ、奴は」
「・・・そんなこと、しなくて良いのに・・・」
「・・・麻衣?」
あたしは、もう帰れない。
「ご免、ぼーさん。あたしがここにいるって、ナルに言わないで」
「麻衣、どういうことだ?」
「あと、ホテルに泊まりたいんだけど、一人で手続きできなくて・・・。
ぼーさんなら解るよね?」
「ホテル?一体どうしたんだ。喧嘩でもしたのか?」
ぼーさんはあたしたちのことを知らないみたいだった。 「それなら、綾子んとこにでも泊めて貰えばいいだろ?わざわざホテルなんて 金のかかるとこに泊まる必要は・・」
「駄目なの。綾子のとこは、駄目なの」
「麻衣・・・?」
「あたし、もう誰かに頼らずにいなきゃいけないから。
だから、・・・だから」
「麻衣」
「だから、ホテルの部屋の取り方、教えて?」
「・・・喧嘩じゃないのか?」
「・・・訊かないで」
「説明できないなら、ホテルの部屋の取り方も教えないし、
ナルに身柄引き渡しするぞ」
ぼーさんがあたしの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「・・・あたし、もう一人で生きていかなきゃいけないの」
「それがいまいちよくわかんねーな。何でいきなり『ひとり』なんだよ?」
どう答えたらいいだろう。
どうやって答えたって、ナルを悪者にしてしまう気がして、あたしは黙り込む。
ぼーさんも何も言わなかった。
ただ、あたしの頭をずっとと撫でてくれていた。
暫くして、誰かが駆け寄ってくるのに気が付いた。
「・・・ナル・・・」
ナルの余裕のない顔なんて、なかなか見れない。
そんなことを思いながら、あたしは呆然とナルを見上げる。
「すまない、ぼーさん」
「いや、すぐ見つかったしな。それより・・・」
ぼーさんがあたしを見下ろす。
あたしはまた泣いていた。
泣かないって誓ったばかりなのに、涙は止まることなく頬を伝って、流れ落ちる。
「麻衣」
ナルがあたしに呼びかける。
ナルの声が、あたしの名前を紡ぐのが好き。
ナルの、見かけよりずっとしっかりした腕に、抱かれているのが好きなの。
ナルが好きだから。
「麻衣、帰るぞ」 ナルがあたしの腕を取る。
違う・・・帰れない。
帰れないの・・・。あたしは・・・。
「・・・なら、どこに行くつもりだ?」
「・・・って・・・、かえ・・ないもん・・・」
しゃくり上げてしまって、言葉が上手く口に出来ない。
それでも、ナルには伝わっていた。
触れている手から、言葉は伝わっているから。
「何故?」
「・・・あたし・・・あたしが、ナルを・・・」
「僕を?」
「ナル・・・束縛して・・」 「それで?」
「ナルが・・・辛い・・しょ?」
「勝手に決めるな」
ナルの呆れたような声。
あたしはナルを見上げる。
ナルもあたしを見下ろしていた。
「勝手に決めるな。僕がいつ辛いと言った?」
「・・・ってない・・・」
言ってないけど。
「無理・・・してるでしょ?」
「何を?」
「色々・・・」
「だから、別れるのか?」
あたしが頷くと、俯いた頭の、後頭部の所にこつんと何かが当たった。
軽くあてられたナルの拳。
「馬鹿」
「・・・馬鹿だも・・・」
また涙が溢れる。
もう何を考えていたのか、何を悩んでいたのか、
全部どうでも良くなっていた。
泣きすぎて、鼻が痛くて、
頭がぼうっとして、思考は一向に纏まる気配もない。
ただ、ナルの腕が嬉しかった。
ナルの声が嬉しかった。
ナルの言葉が、愛しかった。
「で?事の発端は何だって?」
「ナルの浮気」
綾子の答えは正解からはかけ離れていたが、
事がおさまってしまった今では、どっちでも同じなのだろう。
「ナル坊が帰ってこなかったから、離婚か?」
「ちょっと違うみたいよ。なんでも、あたしがナルに辛い思いをさせてる、とか何とか」
「なんだそりゃ」
「のろけでしょ?ただの」
「・・・妊娠中によくあるあれか?」
「そ。情緒不安定って奴よ」
綾子は、全く興味を失っているらしく、知らん顔でアイスティーでのどを潤している。
東京、渋谷、道玄坂。
渋谷サイキックリサーチ、通称SPRの事務所では、
いつも通りの井戸端会議が行われている。
松崎綾子と滝川法生の向こうには、これまたいつも通りの黒づくめの所長の姿。
不機嫌なのか、集中しているのか、この数時間、一言も喋らない。
しかし、この所長殿は普段からこの調子なので、誰も構ったりはしない。
「で、結局何でナルは帰らなかったんだ?」
「さぁ」
「本人に聞いても・・・・」
「言うはずないでしょ?あの堅物が」
「まあな」
しかし、その後奇跡的に、と言うべきか、努力の甲斐あって、と言うべきか、
滝川氏は「理由」のゲットに成功する。
「あいつもやっぱまだまだ子供なんだよなぁ」
真実を知るのは、大人たちばかりである。
「妊娠中は、禁止だと思ってたらしいぜ」
「何よ、それって・・・」
「妊婦相手に無理させるわけにはいかんと思ったんだろ、奴は奴なりにさ」
「・・・知識がないにもほどがあるでしょ・・・」
滝川から真実を告げられたナルが、
どんな行動に出たかは、夫婦の秘密、というものだ。 |
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