Happy Toy
   〜序章 幸福な玩具



 山間を縫うようにして国道が走る。
 けして険しい山ではないが、大きく弧を描いた道は山道に特有のものだ。ゆるやかなカーブは山の外周をたどり、曲がりくねり、ゆっくりと直線を形作っていこうとしている。街は近い。道は山と街のあわいに差し掛かっていた。
 遠く裾野には家々の明かりがちらついている。ちょうど夕日の残滓も消え、夜の領域が一帯を飲み込もうとしていた。
 すっかり暮れきった夕闇の中を、一台のパトカーが走り抜けていく。
 助手席には年輩の男、よれた帽子を目深にかぶっている。目許はすっかり隠れているが、帽子の下からのぞくかさかさに乾いた肌が、枯れかけているという印象を与える。道端で見かける人のいい警官とは似ても似つかない。彼の全身からはけだるさだけがただよっていた。
 運転席に座った新米の男は、対照的に警官らしい熱意にあふれていた。その目はらんらんと輝き、レーンの先を見つめながらも時折気になって仕方ないように辺りを見回している。
「そんな緊張しとらんでも、パトカーが通りゃどいつもスピードなんか出さんぞー」
 年輩の男がのんびりと言って帽子をいじる。
 それはそうだ、誰だって速度違反で捕まるのはいやだから、パトカーの姿を見たらすぐに速度を落とす。気づかずに捕まってしまう不運な車もあるが、それは目立つからすぐに分かることである。
 彼らの仕事は捕り物ではない。パトロールをすることによって、違反者の抑止力になることだ。強いて言えば、駐車違反の車に白線を引くくらいのことである。
 新米警官は、違いますよ、と首を振った。
「この辺で最近連続殺人が起こったでしょ!」
「はぁ。そりゃ刑事の仕事だ」
「分かりませんよー。目撃しちゃえばこっちのもんですからね! 現行犯でとっつかまえるのは、刑事も警官もない!」
 新米にはありがちだが、熱気が有り余っているようである。
「……夢を見るのも今のうちの特権だ」
 年輩の男は面映ゆそうに笑い、シートに背を預けた。
「なら、お前が見とけ」
「はいっ」
 若者はハンドルを握りしめた。
 となりの男は億劫そうに窓の外をながめている。こんな風にぼおっとしてるようでも彼より敏感に違反者を見つけるのだから、先輩というのはあなどったものではない。子供扱いはこそばゆいが、それも仕方のないことなのだ。
 何か彼に自分を見直させるほどの手柄を立てられないか。ちょうど事件の起こった界隈にさしかかり、若者の体はいやがおうにも緊張した。
 そこは、有料道路から合流してなだらかな山道を走る国道の途中である。山道を抜けて開けた丘に出ようかという辺りで、今年の頭から子供の失踪が相次いでいる。
 道の両脇をふさぐ小さな林を注意深く見渡しながら、若者は少々アクセルをゆるめる。毎日ここを通るたびついそうしてしまうのは、胸の中のわずかな期待がさせることだ。
 そんな偶然があるわけはない、そう思っていても万が一ということがある。パトロール中にちょうど新たな事件が起こったなら。そして、それを自分の手で食い止めることができたなら。それを思うと、彼は血のたぎるような思いがする。
 何かの予兆、あるいは痕跡があるかもしれないのだ。見落としてしまっては悔しいではないか。
 法定速度で走らなくてはいけないと分かっていても、ごくわずか車のスピードが落とされて、他の車がパトカーを追い越した。年輩の男はそれに少し目をやったが、特になにも言わない。若者は追い越す車の影をぬって、林の方を気にし続けていた。
 そして、それを見つけた。
「……先輩」
 若者は呟くように言った。となりの男はからかうように笑う。
「どした。妙な人影でも見たか」
「車止めてもいいですか」
「おいおい」
「あそこに、違反停車してる車がいます」
 年輩の男は道脇に目をやった。
 若者の示したものはカーブの途中にあり、赤いテールランプの光る尻だけをこちらに見せていた。バンパーだけがカーブからのぞいているのだ。
 道脇で用を足しているくらいならば咎めるほどのことでもない。しかし、ハザードランプも点けないというのはどういうわけだろう。それは、確かに駐停車禁止の表示を無視して停止している車だった。
 横を通りざま、ヘッドライトがつきっぱなしになった車内を見る。 
 運転手の人影がないように見えた。
 男はしわだらけの額を窓に寄せた。
「おい、Uターンだ」
「はい!」
 若者はすぐさま車をUターンさせる。
 かなりのスピンターンだったが、男は特に文句も言わない。この若者は未熟だったが、運転の腕だけは認めるに足るものだった。
 パトカーは若者の運転で問題の車のすぐ前にぴたりと停められた。二人は仕事用のボードを持ってパトカーを降りる。相手のヘッドライトから目をかばいながら近寄り、運転席の窓をのぞきこんだのは若者が先だった。
 彼は、窓をたたこうとして手を止める。
「あっれー? 誰もいないですよ。小便にでも行ったかな」
 それには答えず、年輩の男は車の前で背をかがませた。
「せんぱーい? 何やってるんすか?」
 ヘッドライトで目がくらまない距離まで近づくと、辺りの明かりで車の外装がよく見える。普通のファミリーカーのような雰囲気の車で、よく拭かれたシルバーの塗装が光に輝いている。
 男は指紋が付きそうなフロントカバーから手を滑らせると、バンパーの部分に取り付けられたものにさわった。それはささくれだった金属の感触で、妙にゆがんで感じられた。足下で何か金属の破片を踏んだ感じがした。
 やはりだ。
 男は独白した。
「おい、お前」
「はい?」
 若者は車の周りを回りながらのんきに答える。
「後ろのナンバープレートを確かめろ。ぐちゃぐちゃにつぶされてないか」
「へ? あ、はい」
 若者が車の後ろに回っている間に、男は運転席の側へ行った。目をすがめて中をうかがう。何か、乗員の身分を示すようなものは残っていないか。
 中はきれいに整頓され、余計なものといえばクッションすら置かれていなかった。
 ギアの後ろにある小物入れに、小さな紙が一枚入っているのが見えた。サイズからして、おそらくはこの山を抜ける有料道路の領収書ではないだろうか。その一枚以外に領収書らしきものはなさそうだ。こまめに処分しているのだろう。
 領収書ですらそんな具合だから、私的なものなどは一切見あたらなかった。
 助手席の方も見ようとしたとき、後部バンパーを見に行った若者がうめいた。
「なんだ……なんですか、これ。盗難車?」
「ならまだいいな」
 後ろのナンバープレートもだめだったと言うことだろう。これで車内から何も出てこなければ、持ち主の特定が不可能になる。
 プレートは、徹底的なまでに破壊されているのだ。
 ナンバーを判別することも容易にはできない。今までにも、あったことだった。
「乗員が行方不明だ。署に捜索を依頼しろ」
「うわー、乗り捨てですか、もったいないなぁ」
 若者はパトカーに向かいながら的外れなことを言う。
「これ、ハコスカですよ。プレミア付きの車なんですから」
 男は銀色に光る車を振り返った。
「なんだ、普通の車じゃないか」
「こう見えてスポーツカーなんですよ、いやだなぁ」
 男には、自分が持っている古ぼけた白い乗用車とどんな違いがあるのか分からなかった。全体のラインが多少綺麗な流線型を描いているだろうか。しかし、それも言われなければ分からない程度だ。
 車のマニアには、他のどんなマニアでもそうだが、彼らにしか分からない価値基準というものがある。たいていは、他人にとってみればそれがどうしたと言いたくなるようなことだ。しかし、当人たちにとっては大問題なのである。おそらく、この車の持ち主にとっても大問題だっただろう。
 肩をすくめてパトカーに戻る男の後ろ、乗員不明の車は破壊されたナンバープレートをさらし、ヘッドライトを灯したままじっとそこにとどまっていた……。




 さして深くもない林の中、少女は首をかしげた。
「つまりね、あなたは幸福なのよ」
 それを聞くのは、下草の上に横たわった一人の男だ。
 均整の取れた体には、皺ひとつないスーツをまとっていた。しかし無理矢理に引きずられたものか、いまや枯葉と土にまみれている。本人の意思でそうしているものではないことは、明らかであろう。
 彼はひとつまばたきをした。
「何も考えなくていいの。何も迷わなくていいの。それって、とても幸福なことだわ。ママはそう言った」
 男のそばで、白いものが小さく飛び跳ねた。







<<BACK   <<TOP>>   NEXT>>















   作者のたわごと

 2周年ならびに10万ヒット、本当に本当にどうもありがとうございましたっっ!
 もうずいぶんまともに更新してないのに、来てくださる皆様には感謝の言葉もありません(><;)。
 記念連載として候補は2つあったのですが、片方はまだどうしても納得がいかないため、これの再録をさせていただくことにいたしました。
 初出は2000年8月だったような気がします。
 書き上げた当時はいろいろな部分に心残りがあり、それを書き切る事のできなかった自分に歯噛みしたものでした。何とか…なるといいんですけれどっ!

 とりあえず、あっちこっちと直しながら連載していこうと思っています。
 このシーンはあまり変わっていないんですが、それでも元の状態からすると倍くらいになっていたりします。
 本にした時には、全部で100Pちょっとありました。加筆が終わった時一体どうなるのか…本人にも謎です(笑)。
 がんばりますっ!
 よろしくお付き合いくださいませv