a murder- in other words, argument about love.
   〜終章 「恵菜」




同じく浮世を厭い、華月の情けをもわきまえん友、恋しく覚えしかば、鬼の、人の骨を取集侍りて人に作りなす様に、信ずべきの人のおろおろ語り侍りしかば、其のままにして、広き野に出でて、骨をあみ連ねて造りて侍れば、人の姿には似侍りしかども、色も悪く、すべて心もなく侍りき。
       『撰集抄』第一五話
           「作人形事 於高野山」より抜粋




「愛ってなあに?」
 女は顔をゆがめて男に問うた。



 男は詠うように答える。
「人を幸せにしたいと思うこと、だろうね」
「あなたは私を愛していると言ったわね?」
「言ったね」
「つまりあなたは、私を幸せにしたいと思ってるのね?」
「その通りだ。思っているとも」
「だったら……」


 まあ待て、と男は手を振った。
「一口に幸せと言うが、君は幸せというものが形のないものだということを知っているだろう。一人が幸せになりたいと言い、もう一人が幸せにしたいと言う。この時、二人の言う幸せというものはまったく単一のものだろうか? 君は、これが同一だと思うかい?」
 悠々とした動作で立ち上がった男は、書架から厚みのある本を一冊抜き出した。その本を手に再び椅子に腰かけると、男は女に目もくれずに一つのページを開き、そこの文字を爪先でなぞるのである。
「幸せ。仕合せ、幸福、ここだ」
 それは辞書のようだった。
「心の満ち足りていること、またその状態とある。曖昧な定義だ。本当にいい加減で曖昧だ。この世の中は、幸せが何かということについてこの程度の定義づけしかできないんだ。つまり、僕たちは幸せについてこればかりのわずかな共通認識しか持てないでいるということだね。これ以上のことは、個々の定義づけに任される」
 パタリ、と音を立てて辞書が閉じられた。
「じゃあ、心の満ち足りているときというのはどういう時だ。君は、心が満ち足りている、などとはっきり断言できるか? それを確実に認識する自信があるか? 僕にはないよ。もしかしたら君にこうして一生懸命幸せを説いている今が充実して幸せなのかもしれないし、これは君を求めて乾いているという不幸せなのかもしれない」
 淡々とそこまで語り、男は急に女に向き直ると、彼女の青ざめた顔を見た。男の暴行の跡が赤い腫れとなって残るその細い面を見た。
「つまり、君が今幸せではないと主張したところで、無駄なんだ。君の言う幸せが、僕にとっては不幸せに聞こえるかもしれない。君が言う幸せが本物かどうかもわからない。だから僕は、僕の価値観に従って君を幸せにしたいと願うだけだ」
 詭弁だわ、と女はうめいた。
「詭弁?」
 その言葉に耳を止めると、男は急に喚き始めた。
「詭弁なものか! その意味を知っていて使ってるのか?」
 辞書が再びすごい勢いで繰られる。
「詭弁、多くの場合虚偽を含み、相手を言いくるめるために弄す心にもない弁」
 男はその言葉に震えるように首を振った。
「詭弁なんかじゃない! 僕は本気でそう思っているんだ! 君を幸せにしたいのに、その方法がわからない。こうして語る言葉も伝わらない。社会が押しつける幸せも充実も、本当は幸せでも充実でもないと知っていて、僕はどうすれば君を幸せにできる? どうすれば君を上手に愛せる? 僕に言わせれば、この世界は曖昧すぎるんだ!」
 女は唇をかんで首を振った。
「それでも、そんなエゴだけじゃ、結局誰も幸せになれないじゃない。価値観の押し付け合いをするだけじゃ、心が満たされるわけないじゃない!」
「だから、僕は世界に失望してるんだよ」
 男は言って、女の顔のあざを指でたどった。
「そして、思いついた。最高の状態、というのをね」
 唇をわななかせ、蒼白な顔で女は男を見つめる。
 男の狂った睦言を聞いている。
「愛してるよ、恵菜」
「――気安く呼ばないで」




END





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   作者のたわごと

 明るい終わり方のできないダメ創作屋の小原です。こんばんは。
 お疲れ様でした。そして、順次読んでくださった方には大っ変長らくお待たせいたしました。「人形の祈り〜」完結編です。
 それだけは避けようと思っていた1年越しの連載……しかも1度書いたものの焼き直しなのに……。
 実際に読み比べてみるとあちこち変わっているはずですが、印象としてはあまり変わらないのではないかと思います。それでも、本人の意識としてはずいぶん違うんです! ワガママに付き合わせてごめんなさい!!(><;)

 このお話は、もともとあたためていたオリジナルのネタに、ひとりぼっちを読み返していて思った『数年後同じことが起こったらどうなるだろう?』というネタを組み合わせて出来上がりました。さりげなくひとりぼっちの話展開をトレースしてるんです。途中から分岐して。
 結果的にナルの冷たさを追求したような按配になりましたが、このナルは『冷たい』ではなく『クール』を目指しております。どの辺が違うのかは……(笑)。
 これに関する裏話を書くのは初めてのことです。
 というのも、実は発行した本にはトークの類が一切入ってないんです。本当に一切です。あるのは、奥付と挿絵を描いていただいたゲスト様のコメントのみ。
 なんと、『小原なずな』の名前すらどこにもない……!(激爆)←後で気付いた

 さらには、表紙に実写写真を使いました。
 臆面もなく、自分の後姿です(死)。イメージは恵菜だったんですが……。
 後姿でも誰だか分かった友人たちは、「アホかぁぁぁぁ!!」と盛大にツッコんでくださいました。
 普段から「これ悪霊の本ですよね?」と確かめられることが多かったですが、この本の時はそりゃーもう何度も何度も聞かれました。ごめんなさい……(T_T)。
 デザインにはめちゃめちゃ凝ってたんですけど……凝りすぎ?(笑)

 リンさんがメインキャラなことも含め、いろいろな意味で異色なお話でした。
 少しでも楽しんでいただければ幸いです。
 気長にお付き合いいただいた皆様、とりわけ「連載の続きは」とひつこく追求してくれた友人の真雪に、心からの感謝をm(_ _)m

2003.8 小原なずな 拝