「やだってば!」
「うるさい」
「ちょっと、ナル〜」
「…」
「やだー!!」
ナルの思う通りにされるのは何だか悔しい。
別にイヤじゃないよ。ほんとはね。
でも、結局逆らえないのがちょっと悔しいから、
為すがままになってしまう自分がちょっと情けないから、
必死でナルを押しのけようとする。
…わかってる。
ナルに逆らえない本当の理由も、
ナルがそれに気が付いていることも。
あの時ナルが、何を考えてあたしを抱き寄せたのか、
今でも解らないから、どうしても素直になれない。


ナルの気持ちが、見えない。
 
     





--+--- しあわせ ---+--



BY ニイラケイ






     
 
用事があったわけじゃない。
最近ナルの顔色が悪いことが、ちょっと気になってたから。
無理矢理、理由を付けてナルの家へ上がり込んでみれば。
案の定、食事をした形跡の一つもない。
「何で栄養を採ろうとしないかなぁ!?」
「時間の無駄だ」
「生きていく上で必要な時間を、無駄の一言で片づけるな」
「一食や二食抜いたところで、大して変わらない」
「一食や二食じゃないでしょ?」
しばしの沈黙。
何も言い返せなくなったんじゃなくて、言い返す気がなくなっただけ。
その証拠に、ナルの視線は膝の上で開いた雑誌に釘付けになっている。
「…そんなんじゃ、長生きできないよ?」
返事を期待しないで問いかけた言葉に、珍しく反応があった。
「別に、長く生きたいとは思ってない」
「…どーして?」
「お前はそんなに長生きしたいのか?」
「そりゃーね。元々、そんなに長く生きれる生き物じゃないんだし、
折角だから、長く楽しく生きたいでしょ」
「楽天的で結構だな」
どーいう意味だよ。
「で?」
「?」
ナルのため息が一つ。
「何をしに来たんだ?本当に英語を習いに来た訳じゃないんだろう?」
「ああ。…何でそう言い切るかな」
「自主的に勉強しようなんて、殊勝な心構えがあるとも思えないからな」
「さいですか」
やっぱり、「英語を教えて」は、理由として不適切だったか。
「ナル、最近ちゃんとした生活してないでしょ?」
「ちゃんとした、とは?」
「朝、きちんと起きて、定時に事務所に来て、食事も3回とって、
睡眠は6時間以上」
「…それは麻衣の定義だろう?」
「世間一般の定義だよ」
「僕は世間の暇な方々とは違うんでね」
「今日はそういう屁理屈は通用しないからね。
何でいきなりこんなに不規則な生活になっちゃったの?」
前までは、どんな生活をしてても事務所に遅れてくることなんて無かった。
どんなにいいかげんでも、一日に2度程度は食事もしてたはずだ。(多分)
今のナルは、あたしが知る限りで一番変だ。
神経質なほどきっちりしてて、徹夜の疲れなんて絶対表に出さなくて。
たまに所長室で居眠りしているのも知っていたけど、この頃はそれもない。
つまり、寝てないって事だ。
「ナルのことだから、言いたくないって思ってるんだろうけど
もうそれはナシだからね。今日こそは何があったか説明して!」
ナルは黙する。
「黙秘権も無効だよ」
「麻衣に説明する必要はない」
これは僕自身の問題であって、麻衣には関係ないだろう?
冷たい目でこちらを見据えるナルの瞳を、きっちりにらみ返す。
「だったら、リンさんになら説明できる?」
一瞬ナルが詰まったのが解る。
リンさんは今、イギリスに帰っている。
先々週、出張で日本を訪れたまどかさんと一緒にイギリスに戻った。
理由は詳しく聞かなかったけど、月末までには戻ります、と言って
出かけていったリンさんは、ほんの少し幸せそうだった。
今週末には帰ってくる予定のリンさんに
今の状態のナルを見せれば、また心配をかけることになるのだ。
でも、あたしには説明できないって言うなら、リンさんに頼むしかないよね。
このままじゃ、ナルはいつ倒れるか解らない。
「…リンには、もっと関係ない」
「関係があるとかないの話ししてんじゃないからね。
仕事に遅れてくること自体が問題でしょうが」
決まり悪げにそっぽを向くナルに、さらに詰め寄る。
「体調が悪いなら悪いで、早く医者にかからないと
元々身体丈夫な訳じゃないん…」
覗き込んだ体勢のまま、あたしはナルの腕に捕らえられた。
無理矢理塞がれた唇は少しだけ冷たい。
状況を理解する間もなく、あたしの服にナルの手がかかった。
あたしは渾身の力を込めてナルを突き飛ばしたけど、
一瞬唇が離れただけで、ナルは怯んだ様子もなかった。


その後のことは、よく覚えていない。




気が付くと、すぐ目の前にナルの顔があった。
リビングにいたはずなのに、いつの間にか寝室に移されているようだ。
(…まただ)
ナルのベッドで眠ったのはこれで2度目になる。
ナルは自分だけシャワーを浴びてきたようで、
パジャマをきっちり着てあたしを抱きしめて眠っている。
ちょっと狡いよなぁ。
あたしは、といえば当然裸のままな訳で。
一応ナルのシャツを着せられているけど、殆ど被せてあるだけだ。
別に起こして欲しい訳じゃないけどさ。
あたしはナルの腕からそっと抜け出すと、ベッドの下に置かれていた
自分の服を拾い上げる。
素早く服を着ると、ナルがまだ眠っているのを確認して寝室を出た。